第5話


アルジャジーラ放送局は、アラブ世界と西洋・東洋を結ぶ唯一の独立系通信社です。その資本の多くはカタール政府に拠るところが大きいのですが、政府からは報道の自由を認められ、一切の介入を受けずに情報発信を行なっています。その辺りは、政府与党への忖度を前提とした日本の報道機関とは大きな隔たりがありますね。


そのアルジャジーラの本部は、カタールの首都、ドーハの中心部から少し外れたところにあります。建物自体も、日本なら地方の農協の立派な集荷場かと思える程度の見栄えしかありません。実に質素な土地に、簡素な本社を持っているのです。この辺りも、首都の中心に居を構える日本の大手メディアや、経済首都であるニューヨーク、マンハッタン島のど真ん中に立派な本社を構えるアメリカの放送局とな異なる姿勢が見えます。彼らはその本社ビルの立派さがすなわち、自らの報道の重要性と比例するなどといった世迷いごとを信じていないからです。


その簡素なアルジャジーラ本社の二階にある会議室に集まったのは四人。

社長、編成局長、シニア・プロデューサー、そして契約記者のイブラヒムです。彼らはイブラヒムが持ち込んだPCを壁の大型テレビに接続し、YouTubeを見ています。


「我々はフッグース武装戦線。今からこの哀れな日本人を処刑する」

画面の中で“ベッカム”とヨーシュ・サドゥが写っています。そして黒頭巾をかぶったベッカムはヨーシュの首筋に真横にナイフを滑らせるのです。鮮血が真横に飛んで、ベッカムの黒いズボンにその血がかかるのが見えます。

イブラヒムを除く残りの3人は、その映像に息を呑みました。これで何度目かの処刑映像でしょう。何度見ても、死に行く人の映像に慣れることはできません。

「これは…」と、開いた口に手を当てて、言葉を継いだのは、初老の女性編成局長でした。「あなたの取材クルーではないの? 日本人の…」

「そうです」と、イブラヒムは答えました。「ヨーシュ・サドゥその人に間違いありません」

「何故こんなことに? 彼はジャーナリストではなかったの?」

「ダリア、」とイブラヒムは編集局長に話しかけました。「彼らの戦略は変わったのです。一般旅行者があの地域を恐れて近づかなくなったので、彼らの生け贄のストックは尽きつつあります。尚且つ、若くて無知でセンセーショナルな特ダネに飢えた素人ジャーナリストも、徐々にあの地域を避け始めています。そしてジャーナリストを捉えることは、彼らにとってメリットも生まれ始めました。自分たちに都合の悪いニュースを、メディアに垂れ流されなくなる、という点です」

「そこまで分かっていて、あなたは何故チームメイトをあそこに行かせたの?」


イブラヒムは俯いて、唇を噛みました。

安全で清潔なこの都市に暮らすこの人には、ヨーシュの決意など伝わるわけがないのです。それは世界の人たちにとっても同様でしょう。コーヒーを飲みながらニュースを横目で見て、凄惨なシーンが来るならチャンネルを変えるか、あるいは野次馬根性でそれを見続けるか、だけなのです。

そんな彼らにヨーシュができることはただ一つ。自分の死をもって、現実の厳しさを気づかせることだけでした。

「この映像を、正午のニュースに組み入れてください。私はこうなることが分かっていて、彼をとめることができませんでした。私のもう一人のイタリア人のクルーが同じ目に合わないためにも、こいつを電波に乗せてください」


イブラヒムを除く3人の男女は黙ってしまいました。彼らはこれを放送することで得られるメリットとデメリットを静かに計算していました。

今までもそうであったように、この映像の持つ報道価値は高い。それも極東の金満国家である日本人が殺害される、という点で、価値がありました。だって日本の国営放送は、彼らの映像購入者リストの最前列にいたのですから。それにYouTubeにアップされているのです。オンライン上の口コミがあれば、あっという間に世界に広がってしまうでしょう。とすればメディアにできることは何もありません。不確かな憶測と予断だけが長い尾ひれのようにぶら下がって、ネットの海を彷徨うだけのことです。だからこの映像のニュース価値は1分1秒ごとに低下しているのです。


一方で、この映像を彼らの電波に乗せることで彼らが被るデメリットも決して小さくはなかったのです。

何よりも、アルジャジーラのネットワークに乗せることで、オリジナルのYouTubeのページビュー数は、そうでなかった時の百万倍ほど変わってしまいます。それはつまり、イスラミック・ステートのプロパガンダがそれだけ、世界に浸透してしまうことを意味します。アルジャジーラは好むと好まざるとに関わらず、彼らのプロパガンダに加担することになる訳です。

アルジャジーラのよく知られたポリシー『ひとつの意見があれば、もうひとつの意見もある』とは、西欧から見れば異端な、イスラム世界の成り立ちを正々堂々と伝えるという意図を込めていますが、イスラム世界にあっても異端の中の異端であるイスラミック・ステートの政治的主張を電波に乗せることは、彼らにとっても受け入れ難いことなのです。


その二つのシーソーの中で彼らが揺れていた時、イブラヒムは口を開きました。

「サドゥは、私にこう言いました。『俺に何かあったら、それは包み隠さず報道してくれ』と。彼の最後の“報道”は、彼らの残忍さと無知を、自らの死をもってレポートすることなのです。我々の報道姿勢はこの映像を報道することでなく、なんという言葉でこの映像を報道するか、で表明できるはずです」

普段あまり強い言葉を口にしないイブラヒムから出た断言に、会社の管理職達は顔をあげました。彼にもイブラヒムにも気がついていませんでしたが、それは死んだ佐藤芳雄の魂がイブラヒムの口を借りて語った言葉でした。

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