第4話


 佐藤芳雄は名古屋の郊外の街で生まれました。

 幼い頃から非常に優秀で、地元の最優秀な高校から、日本でもっとも優れた大学に進学しました。大学で彼はインターネットに出会い、在学中にインターネットを活用したビジネスを始めました。それは医師のSNSでした。最初は仲間内だけで使われていましたが、やがて日本中の臨床医が利用する巨大なプラットフォームに成長しました。そして製薬メーカーや医療機器メーカーが広告を出稿するようになり、そのサイトは巨万の富を生み出すようになったのです。

 若くして億万長者になった佐藤芳雄でしたが、ある時彼はそのビジネスを他の人に任せ、経営から撤退してしまいました。彼は多くの理由を語らず、「飽きたから」とか「責任を追いきれないから」といったような言葉で人々の下衆な興味を煙に巻いてきました。そして彼は妻子を日本において、世界一周の旅に出たのです。


 世間が彼の行方を忘れて四年。次に彼が名を上げたのは、イスラエルでの人口農場の立ち上げでした。常に戦争の危機と隣り合わせで生活するイスラエルは、軍事目的で開発されたIOT技術の民間転用でも世界に先駆けています。億万長者になった佐藤芳雄は、この地でテクノロジーを使って人々の生活を幸せにすることを思いつきました。そして若いスタートアップ企業のベンチャー・キャピタリストとして、その思いを現実のものとし始めたのです。


 彼が投資した案件は、テルアビブ郊外の砂漠で青物野菜を育成する工場の開発でした。大型の工場家屋内で、100%環境コントロールした野菜を生産するというソリューション。それは歴史的事情で周辺国家から食品を輸入することの困難なイスラエルにとって、極めて重要なミッションでした。

 実は彼が学生時代に立ち上げた医師のSNSも、同じ発想に立ったものでした。徹夜で当直にあたる若い勤務医は、時として自分の専門外の急患のケアをしなくてはならない事態に遭遇します。そんな医師同士をインターネットの力でつなぎ、医療現場の緊急事態をその場で解消する。それが彼のヴィジョンでした。それは臨床現場のニーズと合致し、またたく間に会員数が伸びました。そこに目をつけた広告代理店が彼の作ったコミュニティを医薬ビジネスと結び、マネタイズが成功した瞬間に、彼のモチベーションは尽きたのです。


 世間が必要とする場面に、自分の高い能力を役立てること。それが佐藤芳雄の生きる理由なのでした。その高邁な理想を叶えるだけの才能と、リスクを厭わない冒険心あふれた性格は、彼を優れた起業家へと成長させました。


 人口野菜培養のプロジェクトを推進する中で、彼は単なる出資者だけではなく、若い起業家たちに混じって経営の一翼を担うようになりました。その仕事の中で彼はイスラエルだけでなく、中東各国を回るようになりました。その間に西欧諸国とイスラム教徒過激派との戦いは拡大し、やがて一部のカリフ(イスラム教の指導者)がイスラミック・ステート(IS国)立国を宣言するのを間近で見ました。彼が妻子を呼び寄せたテルアビブは、それ以前の近隣諸国との軋轢のせいでそういった戦いとは無縁でしたが、彼は妻子を日本に帰国させ、ひとりでこの砂漠の国に残ったのでした。


 そして彼の運命を変える事件が起こります。

 シリアの首都ダマスカス。その郊外にある荒野に彼らの会社の『デジタル・プランテーション(彼らの会社のソリューションは、そういうブランド名で呼ばれていました)』からの連絡が途絶えたのです。彼らの管理するすべてのデジタル・プランテーションはすべてテルアビブの本社とオンラインでつながっているので、作物の生育状況は一目で分かる仕組みになっていました。しかしそのモニタにはいくら待ってもダマスカスからのデータが上がってこないのです。


 もちろん各デジタル・プランテーションは、現地スタッフによって管理されていますから、彼らに電話をすれば事の次第は把握できるはずでした。しかしその電話も不通なのです。

 不安な顔をするシリア担当マネージャーはすぐにも現地に行くといいます。そこで佐藤もそれに同行することにしました。四輪駆動車で国境を超え、現地まで6時間。そこで彼らが見たものは、廃墟となったデジタル・プランテーション工場の家屋と、そこに隣接するスタッフの自宅でした。


 デジタル・プランテーションが唯一、外部から供給されないといけないのは水です。完膚なきまでに破壊された家屋の脇で、近くの川から必死で引いてきた水のパイプが断ち切られそこらじゅうが濡れ、そして砂漠の日差しによって乾かされていました。倒壊し、炎上し、水がかかり、そこに砂嵐が来てすべては砂にまみれていました。そして随時給水を行っていたはずの水のパイプからは一滴の水も流れていないのでした。


 現地スタッフの自宅もまた、同じ状態でした。全ては倒壊し、瓦礫になっていました。その向こうには乾いた岩と砂の丘が連なるばかりでした。夕暮れの日差しが斜めに廃屋に差し込んでいます。ここで育っていたトマト達は無残に朽ち果てた建物のなかで、燃え尽きていました。

 四輪駆動を降りてその光景を目にした佐藤とマネージャーは、言葉を失いました。

 それは明らかに、人の手による破壊を示していたからです。砂嵐などの自然災害ではなく。


「クソ」

 と、佐藤は何年かぶりで日本語の悪態をつきました。マネージャーは意味が分からず、黙ってこちらを見ています。

「誰が、こんなことをやったんだ」

 そういった彼の背中に、

「おーい」

 と声をかける人がいました。

 振り向くとそこには、クーフィーヤ(ターバンのように頭や顔に巻きつける装身用の布)を頭に巻いた髭面の男性が立っていました。

「クルマの走る砂煙が見えたから、ここの人かと思ってきてみたよ」と男性は言いました。

 シリア・プラント・マネージャーのナジーブが彼に話しかけます。

「友よ、これがなぜ起こったのか知っていますか?」

「見ての通りだよ。攻撃されたんだ」

「なぜ?」

 髭面の男性は顔をしかめて「そんなことは知らない」と、言いました。

「誰が攻撃したんだ、と聞いてくれ」と佐藤はナジーブに言いました。ナジーブがそれを男性に伝えると、彼はしばらく思案して、

「アメーリカ」

 と一言だけ言いました。

「ここの人たち、みないい人だった。女所長も、若いスタッフも、みな親切だった。おれたちの水を使う代わりに、いつも新鮮なトマトをくれた。あんた達、またトマトを分けてくれるのかね?」

 そういう現地の男性の言葉を適宜翻訳してくれるナジーブの声も、ほとんど佐藤の耳には届いていませんでした。


 何故ならその女所長と、彼女が生んだ幼子は、佐藤の子どもだったからです。

 世界を変える使命感に燃え、行動力とカリスマ性を持つ佐藤にも、ただひとつの弱点がありました。それはどうしても女に弱い、という点でした。

 日本に送り返した妻子のほかに、日本国内に彼が認めた婚外子は二人おり、かつ、この地でも彼は現地女性と愛し合い、子どもを授かってしまったのでした。それはこの地にデジタル・プランテーションを設営した際に巡り会った女性でした。佐藤は彼女を社員として雇い入れ、その親族ごとこの施設の管理を任せていたのでした。会社のマネージャーである佐藤自身が何をおいてもこの地に駆けつけた理由はそこにありました。


 佐藤は目の前で、かつて愛した女性と自分の血を引き継いだ子どもが、無残にも失われたことを知りました。彼の頬に涙が流れました。そして彼は自分が泣いていることに気づいたのです。それに気づくと、喉の奥から搾り取られるような慟哭が、彼を突き動かしました。陽はすでに西に傾き、荒野の気温はぐんぐん下がってゆきます。でも佐藤は死んでしまった者たちに心を捉えられていました。

 その事情を知らないナジーブも髭面の男性も、なんと心の篤い男だろうと思ったものです。事実は少々異なるのですが。


 それからひと月。

 シリアでの事業は危険すぎるという判断とともに、彼らの会社がこの地での営業を撤退するかたわら、佐藤は個人的に、何故米軍が彼らのプラントを破壊したのかを探りつづけました。然るべきルートに声をかけ、然るべき金を払えば、分からないことなど何ひとつとしてないのです。


 そして佐藤が得た結論はごくシンプルなものでした。

 彼らのプラントは、シリアに住むテロリストの兵器開発工場だと誤解されたのでした。彼らの会社はシリア政府に対し、正規のルートで法人登記を登録し、政府に認められた土地でプラントを開発したのにもかかわらず、です。

 しかしそのプラントに、近くの用水路から水を引いたことが、現地住民の不興を買ったようなのです。それもシリア政府と現地部族にきちんと話を通した(つまり、金銭を払ったということ)はずでしたが、その恩恵にあずかれなかった他の部族がそれを聞きつけ、あらぬ噂をたてたのです。


 あの工場は、シリア政府に嘘をついてテロリストの兵器を開発している。その部族はその噂を米軍の耳に聞こえるように流しました。かつては豊富な人的資源ヒューミント(つまりスパイ)を世界中に配し、噂レベルの情報の裏を取っていた米軍も、経費削減と人材不足が重なり、この地ではわずかな噂だけで軍事行動を起こさざるを得ないほどひっ迫していました。彼らは得意の無人攻撃機を使って、地球の裏側から無線操縦で佐藤たちのプラントと、そこに隣接する管理者家屋を完全に破壊したのでした。


 佐藤はテルアビブで活動していたアラブ人のジャーナリストに声をかけました。この地で起こっている異常を世界に明らかにしなければいけない。イスラム教徒でも、西欧人でもない自分こそが、その役割を負うべきである。そういって佐藤は、友人のジャーナリスト兼コーディネーターであるイブラヒムをパートナーに選びました。そして彼はソニーのハンディカム一台を持って中東各国の紛争地を回る、フリー・ジャーナリスト『ヨーシュ・サドゥ』となったのです。

 ヨーシュの英語で語られるビデオ・レポートは、YouTubeの彼のチャンネルと、イブラヒムを通じてアルジャジーラのネットワークに配信ディストリビュートされました。

 妻子は日本にいるものの、経済支援以外ほとんど連絡を絶っていた彼は、したがって、日本の外務省が発令したシリアへの渡航禁止命令など、まったく耳に入っていなかったのです。


 その後の何度かの突撃取材で名を上げた彼らのユニットでしたが、ビギナーズ・ラックがそうそう続くわけでもありません。ユニットに最後に合流したイタリア人のカルロが素材撮影でシリア・ダマスカス郊外の村を訪れた際、彼は現地テロリストに捕縛されてしまいました。

 サドゥとイブラヒムは隣国ヨルダンの首都アンマンで、マクドナルドのモーニング・セットを食べながら対応を検討していました。

 結局話し合いは物別れに終わりました。

「分かったよ、イブラヒム 。今回は分離行動といこう」

「違うんだよヨーシュ、俺だってカルロを助けたいさ」

「分かってるよ、イブラヒム。だからさ。今回は分離行動だ。カルロは単独潜入取材。俺も現地レポート。そして君はカタールにとどまって、俺たちのレポートを確実に世の中にディストリビュートしてくれ。いいかい、俺たちのユニットは常に三人で活動してた。そうだよな? 今回だって行動は分離するけれど、常に連携して活動する。そこは守ろうぜ。そしてギャラは山分けだ」

 イブラヒムは泣き笑いのような顔を浮かべました。この陽気さに、イブラヒム 自身が何度も救われてきたと思い返しましたのです。

「いや、君とカルロで4と4だ。ぼくは残りの2でいい。危険手当だよ」

「言ったな? その言葉、忘れないぜ」

 ヨーシュは言いました。既に億万長者であったヨーシュは、ギャラなど全く気にしていないことは、このテーブルに着くふたりは重々承知してきました。だからこそ、その言葉は会話を締めくくるジョークとして機能したのです。

 そしてヨーシュは笑みを収めると、最後は真顔で言いました。

「俺に何かあったら」と。

「それは包み隠さず報道してくれ。それが君経由でアルジャジーラに頼める唯一のリクエストだ」

 それがふたりの最後の食事であることは、まだ誰も知らなかったわけですが…。

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