第3話


 ヨルダンの首都アンマンは、シリア・パレスチナといった中東の火薬庫と隣接しているわりには、思いのほか治安が良く、旅行者にも親しみやすい街です。

 佐藤芳雄はここで、シリアへと渡る案内人を探していました。彼があの谷間の町で首を切られる半年ほど前の話です。


「ヨーシュ、きみの言いたいことはわかる。けれどいまは慎重になるべき時じゃないか?」

 YouTubeにアップロードされた佐藤の斬首映像を、イスラミック・ステート関係者以外で世界で一番最初に見たカタールのジャーナリスト・イブラヒムは、バニラ味のマックシェイクのストローをすすってから、そう言いました。

「そうかな? いま行かなければカルロはおそらく助からないし、あの村の子どもたちも…」

 そう言ってヨーシュ(ヨシオ、は言いにくいので彼はこの地ではそう名乗っていたのです。ついでにサトウもサドゥに変えていました)は下唇を噛みました。

「子どもが絡むと、きみは熱くなりすぎる」と、イブラヒムは言いました。「いつもの冷静なきみはどこへ?」

 ああ、分かっている。そういうようにヨーシュは片手をひらひらと振りました。


 ふたりはアンマンの街角にある、マクドナルドにいました。

 白く低いビルが立ち並ぶアンマンの都心。居並ぶ緑の木々が、ここが都会であることを静かに示しています。だってこの街を一歩離れれば、あたりは岩と砂の乾いた大地が果てしなく続いて行くだけなのですから。

 そんな砂漠の都市のマクドナルドは、ここでも変わらぬ味を約束してくれます。ハンバーガーと抱き合わせのセットメニューや子ども向けの玩具のプレゼントなど、北米で開発されたビジネスモデルはここでもきっちりと踏襲されているのです。そしてもちろんハラール(イスラム法での宗教食)メニューも各種取り揃えています。

 ヨーシュが日本を発ってから、7年が過ぎていました。彼の高い理想はどうあれ、お腹が空けば、慣れ親しんだ味が恋しくなるものです。どうせこの街を出れば後は、羊の肉の塩漬けか、豆料理しか食べられなくなるのです。ヨーシュはハッシュドポテトとフィレ・オ・フィッシュをむさぼり食べました。


「おれが言いたいのは、いま自分の目の前で友だちと幼い子どもたちが殺されようとしている時に、悠長に取材なんてしていられない、ってことだよ」

「ヨーシュ、落ち着いて聞いてくれ。この街にいるシリア人の何割かは武装ゲリラのリクルーターだ。そして残りの何割かは人さらいをパートタイム・ジョブにしているテロリストだ。シリアへの案内人なんて調子の良いことを言って、前者なら君を誘拐してから思想教育を施し、テロリストの兵士に仕立てるだろう。おそらくあの村を襲ったのもその一派だ。子どもたちは殺されない。ただ、洗脳して兵士にされるだけだ。そしてカルロは大事な人質だ。人質は身代金と交換される大事な品物だ。その身代金が彼らの資金源なんだ、殺される訳がない」

「だからだよ!」と、ヨーシュはマクドナルドのテーブルを叩いた。「そんなの、殺されるよりタチが悪い。だから俺たちメディアが真実を報道して、大国を動かすしかないんじゃないか! アメリカもヨーロッパ各国も、奴らの汚いビジネスを知りながらいつまで経っても対策を打とうとしない。無人攻撃機でリモコン戦争してる場合じゃないんだよ」

 まわりの家族連れが、激しく議論するふたりを遠巻きに見ていました。イブラヒムは首をすくめてキョロキョロとあたりを見回しました。激昂するヨーシュを落ち着かせたい、と思ったのです。

「いいかい、ヨーシュ。君の言う通りだ。いま目の前で自分の友だちが奴らに捕らえられようとしている。ぼくはそれを黙って見過ごすことはできないんだよ」

 ヨーシュは不満そうに残りのハッシュドポテトを口の中に押し込みました。そして残ったスプライトで、それを胃の中に押し込んだのです。

「覚えてるか、去年のラッカのこと」

「君はディレクター兼レポーター、ぼくが現地コーディネーター兼ドライバー、そしてカルロの奴がカメラマンだ」

 そう、彼らは紛争地域の最前線を取材するフリーのレポーターユニットだったのです。

「そして俺たちは誘拐されかけて、」とヨーシュが言う言葉の先を、イブラヒムが遮った。

「君の交渉で、結局ぼくらは難を逃れたといいたいのだろう?」

「それが事実だ」

「違う、それは結果だ。真実はあの当時はまだ、彼らがぼくたちジャーナリストを捕獲の対象と考えていなかっただけのことだ。あの頃はまだ、彼らはジャーナリストを使って大国を攻撃できるという発想がなかったんだよ」

 ヨーシュはスプライトのカップの中に残ったクラッシュド・アイスを口に含み、ガリガリと噛み砕いた。

「俺はね、イブラヒム。どうしても彼らを憎めないんだよ。彼らがこうなったのも、もとを辿れば西欧諸国の大戦前後の愚かな政策が原因だ。その都合の悪い過去を忘れて彼らを一方的に責め立てる欧米諸国を俺は腹の底で信頼できずにいる。だからアメリカ人やイギリス人でなく、日本人とアラブ人とイタリア人のユニットに意味があったんだ。君の属するアルジャジーラと同じように、中立的な立場で彼らの考えを世界に示すことができれば、世界はもっと分かり合えるかもしれないじゃないか」


 イブラヒムはヨーシュのこういうナイーブさを愛すると同時に疎ましく思っていました。ヨーシュのこういう能天気さを聞くたびに、彼との間にある深く険しい断絶の谷を思い浮かべざるを得ません。第二次大戦では国家の存続の危機を経験したヨーシュの国、ジャパンは現在ではアメリカの属国として他国の侵略の恐れもほとんどなく、虎の威を借る狐でいられます。しかし、同一民族間での果てしない部族闘争の末に、東西大国の思惑に揺さぶられ続けた歴史を持つ国に生まれたイブラヒムには、そんなかんたんに国同士、人同士が分かり合えるとは思えないのです。

 しかし、ジャパンでベンチャー企業を立ち上げ、それをこの砂漠の地で再度試みようとしたこの不屈の男は、百戦錬磨のイブラヒムでさえ怖気付くような度胸を持っていました。

 そんなヨーシュ・サドゥの話をしましょう。

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