第2話 接見
結局、その日の夕方国選弁護人がやって来た。60歳も過ぎたヨボヨボとまではいかないがやる気がなさそうな弁護士だ。
「私が国選で来ました弁護士の柳田国蔵です。」
「俺、無罪なんです。やってないんです。」
「無罪ですか・・・・分かりました。本当にやってないんですよね?」
「はい。絶対にやってません。」
ヨボヨボの割に疑い深いな、こいつは。
「でしたら、私みたいな老いぼれに弁護を任せるよりももっと若い能力がありやる気もある弁護士にお願いしたほうが良いですよ。」
やる気のなさそうな年老いた弁護士が早くもこの場を退席したいのか億劫そうに提案する。
「でも、お金が、お金がないんです。」
「未だ、私もここに来たばかりで事件の概略しか聞いてないんです。証拠も未だ見てないんですが、証拠について警察官の方から何か聞いてますか?」
「いえ、お前が証拠見てもどうせ分からないから見る必要はないと言われました。酷いと思いませんか?」
「一概に酷いとばかりは言えないのが現状なんですよね。警察官が集めた証拠のどの証拠を訴訟資料として裁判に使うかは検察官の自由なんですよね。
つまり、その裁判に使わない証拠は有るか無いかもわからない訳です。検察官は当然その証拠を無いものとして扱うでしょうし、もしあなたにすべての証拠を見せたら、検察に不利な証拠の存在を知らしめることになり、刑事事件については裁判所からの文書提出命令の付いての提出義務はないんですが、裁判所が当該文書を提示させて提出義務の存否を判断する場合もあるんです。
存在が分からなければ無いと言ってしまえばそれまでなんですよ。
ですので、証拠を訴訟資料として使えば不利になるような証拠をあなたには見せないでしょうし、不利になる可能性のある証拠も見せないでしょう。」
俺は結局証拠を見てそれを否定できないのだろうか。
「じゃあ、確実に俺が犯罪者だという証拠は見せてもらえるんですよね。」
「そうですね。見せても構わない証拠は見せるでしょうね。」
「それじゃあ、俺が犯罪者だという証拠がないから俺はその証拠を見れないということですよね。」
「一概には言えませんが。ところで、事件のあった静岡県静岡市にあなたは行ってないんですか。」
「いえ、本当は行きました。でもそれだけなんです。多分その時に犯行のあった同じ時間に犯行現場付近の居酒屋で晩御飯を食べていたのかもしれません。それを防犯カメラの映像に撮られていたのかもしれません。」
「なるほど、それは災難でしたね。晩御飯の後はすぐ帰りましたか。」
「はい。多分。」
「多分?と言うと?」
「あんまり覚えていないというか・・ちょっと酔っちゃって。」
「なるほど。分かりました。やってない場合は黙秘したほうが良いですね。それから警察官の書く司法警察員面前調書、略して員面調書、つまり供述調書には簡単にサインはしないことです。警察官の尋問に流されてサインした場合でも覆すのが難しくなります。取り敢えず証拠見てきますね。その上で話しましょう。」
「はい。宜しくお願いします。」
良かった。弁護士は優しそうな人で。やる気の点で一抹の不安は残るがなんとかなるかもしれない。俺はやっていないんだ。弁護士が無罪にしてくれるさ。大丈夫、大丈夫。俺は自分に言い聞かせた。
翌日。
また取調が再開された。
「もう一度昨日と同じことを訊く。証拠は有るんだ。どうせ逮捕から48時間以内、つまり明日の朝までにお前は検察に送致されることになる。どうせ送致されるんだ。早く白状しろ。」
「・・・・」
「何だ、黙秘か?弁護士から聞いたのか?お前が黙秘しようとしまいとお前が犯罪者かどうかは警察がもう決めたんだ。お前は犯罪者だ。だから逮捕された。警察がお前が犯罪者だと決めたからにはそのまま検察で起訴されて有罪は確定だ。不起訴になるような簡単な事件じゃない。殺人事件だ。」
「俺はやってません。」
「それはどうでもいい。お前が犯人だという証拠が有るんだからお前が犯人だ。早くサインしろ。」
「しかし、俺はその証拠を見せてもらってませんよ。」
「見ても否定するだけだろ?その証拠が本物でお前が有罪かどうかはお前が決めるんじゃない。裁判官が決めるんだ。だからお前は見る必要はない。」
「俺はやってないって言ってるじゃないですか。」
「犯人はそう言うのが常識だな。それにお前が犯人かどうかなんてどうでもいい。事件が解決すりゃ警察は良いんだよ。真実はいつもひとつとか言う名探偵のガキがいるらしいが真実なんてどうだって良いんだよ。真実は警察が決めるんだよ。警察が決めた事実こそが真実なんだよ。」
「そんなことばかり言ってるから冤罪が起こるんでしょうが。」
「冤罪?そんなものはコラテラルダメージだ。そりゃ、いくつも犯人捕まえてるんだから、そん中には冤罪だってあるだろ?人間だからミスだってするさ。」
「ミスで人間の人生、一生を駄目にしてもいいって言ってるんですか?」
「あのなぁ、お前らだって、事故で人殺してその人間の一生駄目にすることだって有るだろ?仕方がないことなんだよ。まぁ、警察の場合、ちょっと違うのは、罰せられないってことだな。」
「あなたがそう言っていたと裁判で証言します。」
「証拠がないぞ。お前の戯言だと思われるのが関の山だぞ。」
「くそぉー」
こんな出鱈目なこと言う警察官を許して良いのかと思う反面、実際に冤罪事件が起こっていることに鑑みれば、俺も有罪とされてしまう可能性もある。
それが一番怖い。
冤罪を晴らすために一生かかる。そういう事件もかなり起こっている。冤罪事件とされた事件で再審開始される直前で刑が執行されたこともあったと聞いたことが有る。それが一番怖い。不安に押しつぶされそうだ。
「証拠の一つは事件の当日の同時刻にお前が静岡市の犯行現場付近の酒場で飲んでいたと言う証言、それと防犯カメラの映像だ。」
「俺が、殺していた瞬間が写っていたんですか?」
「いや、映ってなかったな。映ってたらお前の証言なんか必要ないだろ。それともう一つ、現場から走り去るお前を見たという証言だ。かなりふらつきながら走っていたらしいな。」
「そりゃ、酔っていたらふらつくでしょ。」
「それ程酔っていたのにどうして走る必要があるんだ?と言うか、現場から走り去ったのを覚えてるのか?」
「覚えてないです。走ったとしたら田酔してるからふらつくと言ってるんです。」
「それ程田酔してたのか?」
「いえ、そんなに田酔してたわけじゃありません。」
「だったら、お前が金支払った相手は男だったか、覚えてるよな?」
「もちろん覚えてますよ。」
「だったら言ってみろ。男だったか女だったのか?年寄りだったか、それとも若かったか、どっちだ?映像が残っているから嘘かどうか分かるぞ。」
「・・・・」
「ほら、覚えていないだろ。それ程田酔してたんだよ、お前は。その酔った勢いで相手と喧嘩になり犯行に及んだんだ。」
「やってません。もしやったとしても心神喪失状態じゃないですか。」
「じゃあ、やったことは認めるんだな。」
「わ、分かりません。」
「わからないということはその可能性はある。ということなんだな。」
「だとしても、刑法39条で心神喪失者の行為は罰しないとされているじゃないですか。」
「そうだな。心神喪失者の行為は罰せられないんだ。良かったな。だったら犯行認めるよな。」
「そうかも知れません。やったかもしれませんが、覚えてません。」
「まぁ、そう言うよな。そう言わなかったら39条使えないもんな。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます