第四十七話 霊的事象

 そして、玖導励志は一度も崩れ落ちることはなく。

 僕の行く手を阻むように立ち尽くしたまま絶命した。

 瀕死の状態どころか死んでも膝を屈しなかったその姿は、まさしく彼の生き様の写しと言えよう。

 この男はただ、足掻き続けたのだ。

 殴り合っていてわかった。

 語らずとも、その心が感じられた。


 僕たちは同じだ。

 ただ、死者と向き合える機会があったかどうか、違ったのはそれだけ。

 悪霊となっていた妃香華と再会したとき。

 妃香華は、殺して、と僕に頼んだ。

 あそこで、もしも僕が妃香華を殺していたら。

 多分この男と同じものを目指しただろう。


「とにかく、なんとかなった、か……」


 殴り合いが終わったことで気が抜けたのか、僕の身体はそのまま崩れ落ちそうになる。


「……っ、駄目だ。まだやることが残っている」


 倒れそうになる身体に力を籠め、玖導励志の屍を越える。そこには、怨念によって変質した世界の理があった。


「これで、終わりだ……」


 そして、伊梨炉秀から渡された世界の理を元に戻すための御札を、世界の理に貼り付けた。

 すると、世界の理は変質した。

 怨念に覆われたものでも、ラプラスの悪魔によって書き換えられたものでもない姿へと。

 しかし、これが本当に世界の理の真の姿なのか?

 通常の状態を見たことがないからわからないが、何かが違うような――

 刹那、天界がひび割れた。


「な……っ」


 天界が崩壊し始めている。一体何が起こっているのか。

 考えられる原因といえば、一つしかない。

 世界の理に御札を貼り付けたこと。そして、その御札をつくったのはどこの誰だったか。


「伊梨……炉秀……っ!」


 思わず叫ぶと、頭の中に直接、伊梨炉秀の声が響いた。


――ありがとう、麻布灯醒志君。君のおかげで、僕は目的を果たすことができた。


「一体これはなんの真似だ……っ! この御札は世界の理を元に戻すものだったんじゃなかったのか……っ!」


――それは噓じゃないよ、それはそういう御札ものだ。でも、その御札にもう一つ術式を組み込んでおいたのさ。バレないよう、こっそりとね。


「もう一つの術式?」


――そう。仮に僕が死んだときのための保険って奴さ。

 僕が死んだら、僕の思念がその御札の中に転移されるような仕組みになっていた。

 器がないから、その御札の中の霊力でできることしかできないが、世界の理の書き換えなんて、それで十分だ。


「一体、どうするつもりだ……っ!?」


――この世界から、霊的な事象の一切を排除する。


「そんなことをしたら、神も霊も天界も、そういったものがすべて無くなってしまうじゃないか?」


――ああ、それが僕の望みだからね。


「やめてくれ。霊的なものが存在する、そんな世界だからこそ、僕と妃香華は再会できた。それがなくなったら、この世界は――」


――だから、最初から僕はあの霊を認めていなかっただろう。死者のために生者がその身をやつすなんて馬鹿げてる。まあ、そういうわけだ。君のおかげで、世界は変わる。


 嫌だ。そんな変革は望んでいない。

 どうする、どうすれば……そうだ。まだ手はある。あれを使えば――

 そう思い、僕は一枚の御札を取り出し、思いを籠めて叫んだ。


「来てくれ、巫――っ!」


 緊急時に、巫を呼ぶための御札。

 本当に。巫が渡してくれるものは、必ず役に立ってくれる。


「麻布さん!」


 御札に思いを籠めるや否や、巫は空間転移でこちらにとんできた。


「巫……っ! 実は――」


 事情を説明すると、巫は焦った表情を浮かべ――


「伊梨さんが……っ!? それはまずいです! 私には、伊梨さんを出し抜くような力はとても――いえ、もしかしたら、あれを使えば……っ!」


 そう言って、なんらかの御札を取り出した。


「中住古久雨にもらった御札です。

 彼は、伊梨さんのことをずっと特別視していました。伊梨さんに対抗できる術式がここに込められていてもおかしくはありません!」


「でもそれって、伊梨以上に信用できなくないか!? 警戒せずに伊梨の御札を使ってしまった僕が言うのもなんだけどさ!」


「でも、現状これしか手段がありません! 一か八か、やってみるしか……っ!」


「……そうだな。じゃあ、頼んだ、巫」


「はい」


 そして、巫は中住の御札を、世界の理に貼り付けた。



◇◇◇



 霊能者は、もともと霊的な事象に対して、興味や好感を抱いている者が多い。

 だが、伊梨炉秀は違った。

 彼が霊的事象に抱いていたのは、ただ嫌悪のみ。

 なぜなら彼の家族は、悪霊に祟られた影響で死んだからだ。


 この世すべての霊的事象を根絶させる。

 そのためならどんな犠牲も辞さず、どんな非道もやってのける。

 そう誓った彼は、手段を選ばなかった。

 毒を以て毒を制す。彼は霊的な技術を極めることで、霊的事象の根絶を目指したのだ。 

 その考えは、奇しくも霊的技能の絶大なる適性を彼にもたらした。

 なぜなら、霊能者は霊や神と戦うもの。

 霊的事象に興味を抱いているものよりも、敵対心を抱いている伊梨炉秀の方が適性を持っているのは当然のことだろう。

 故に凄まじい勢いで、彼は霊能者としての技術を身につけていった。


 その凄まじさ故にどんどん人が離れて言ったが、それはむしろ都合が良かった。

 彼は手段を選ばない。彼にとっては、この世にある全てが駒に過ぎないのだ。人との距離は、離れていれば離れているほど都合が良かった。

 孤独になろうと構わない。本当に欲しかった繋がりは、すでにこの世にないのだから。

 そして、彼は利用し続けた。味方である抑霊衆から、敵対する黒霊衆に至るまで、ありとあらゆるものを。

 結果、ついに彼は、自らの理念に辿り着いた。

 彼自身は死んだが、これで悔いはない。だが、しかし。


「すまないが、その夢もここで終わりだ。炉秀」


 中住古久雨。彼の思念が入った札を、巫御美が貼り付けたことで、その書き換えは破られた。


「君は……っ!」


 伊梨炉秀は、世界の理の中に入ってくる中住古久雨を睨み付ける。


「なあ、炉秀。私はずっと、おまえを超えることが自らの理念だと思ってやって来た。でも違ったんだ。天之御中主神にそれを指摘されるまで、ずっと気付かなかったけど、今は自分の本心がはっきりとわかる。

 おまえはどうなんだ? 目的と手段が、入れ替わったりはしていないか?」


「……たしかに、わからなくなってきては、いる……。

 麻布灯醒志は霊のためにあそこまで懸命になり、そして玖導励志は、霊に対する思いだけで死の淵から這い上がり、ついに僕を殺すところまで至った。

 なぜ彼らは、死者のためにあそこまでできるんだ……!?」


「それは、おまえもそうだろう?」


「何……っ!?」


「おまえは悪霊によって殺された家族を想い、もう二度とそんなことがないように、霊的事象のない世界を創ろうとしているんだろう? つまり、死者のことを想ってここまで来た」


「なぜ僕の記憶を……そうか、今はお互い思念体だったね。僕の心が伝わってしまったか。

 だけど、そう言われてしまうと、なおさらわからなくなる。

 僕は一体何がしたかったんだろうね。死者を想って死者を排するなんて、本末転倒だ」


「なら、一緒に探していこう。

 おまえの計画が成功し、この世界から霊的事象がなくなれば、私たちはもう終わったものでしかないが、しかしその書き換えは私が阻止した。

 だからまだ、私たちは存在している」


「そうか……ああ、たしかにそれも悪くはないのかもしれない」


 そして。

 世界の理は完全に元へと戻り――

 伊梨炉秀と中住古久雨。二人の魂は、輪廻の輪へと還っていった。



 こうして、全ての企ては阻止され――

 天界をも揺るがす大きな戦いは、幕を下ろしたのであった。

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