第四十三話 秋空緋紅麗
巫たちとわかれて世界の理へと向かう途中、ついに僕の前に、あの男が立ちはだかった。
「……秋空」
「やあ、麻布。待っていたよ」
この前となんら変わらぬ口調で言う秋空を睨み付けながら、僕は妃香華を後ろに下がらせる。
「なら、覚悟はできているんだろうな」
「君の方こそ、覚悟はできているのかな?」
「もちろん。おまえを殺せるのなら、僕は死んだって構わない」
「ふぅん、まあ当然か。君が僕に、それほどの憎悪を抱くのは。でも悲しい
「勝ってみせるさ」
これまでの人生の中で最も強い怒りを胸の内に煮えたぎらせ、僕は秋空を睨み付けた。
「そうかい。まあ、結果は火を見るよりも明らかだと思うけど……それでもやるというなら仕方ない。どこからでもかかっておいで」
「ああ、言われずともそうさせてもらう──!」
叫び、僕は秋空へ向かって突撃する。
対して、
「確定事変」
秋空に憑いている、ラプラスの悪魔の権能が振るわれる。
「……ッ!」
構わず、僕は霊力を射出した。
「なるほど。僕の確定事変の干渉を妨げるために、伊梨炉秀は神を生み出す御札をつくったのか」
秋空が言う。
現状、僕の霊力と秋空の確定事変はせめぎ合っていた。
力がぶつかり合っているのではなく、僕の霊力は、秋空の確定事変の効力を削いでいるようだ。しかしそれに比例して、僕の霊力が徐々に失われていく。
このままではジリ貧だ。どうする――?
そう思っていると、
「そうだ。最期になるだろうから話してあげるよ。僕のこの力についてね」
秋空が訊いてもいないくせに話し始めた。
「ラプラスの悪魔は、この世すべての現象を決定付けている概念だ。でも、その力が十全に発揮されているわけではなくてね。
今使っている力にしたってそうさ。
確定事変を使えば、周囲へ対し悪魔の
だから別の摂理――即ち唯一神の座を奪い世界の理を改変することで、その範囲を世界全土にまで広げようと画策した。
結果こうして準備が完了し、後はラプラスの悪魔の摂理が世界の理に浸透するのを待つのみとなった。
まあこの確定事変にしたって、最初はこんなにポンポン使えるものじゃなかったんだけど。
中住古久雨が取り込み、マモンが奪った神々の力。その膨大なるエネルギーを以てして、制限なしにいくらでも使えるようになったのさ。
その前までは未来視くらいしかできなかった。
問題は、未来視すら完璧でなかったことだ。
でもまあ、未来視の不完全さは却ってメリットだったと言ってもいいかもしれない。
未来視には数多くのズレがあった。そのズレを利用すれば未来の改変ですら可能となるわけだからね。
それにより僕は、黒霊衆を、抑霊衆を、そして、君と妃香華をも利用してきたんだよ」
「ほんと、最後の最後まで説明好きな奴だな」
「ほとんど全知に近くなってしまうとね、知識を他人にひけらかすくらいしか楽しみがなくなってしまうんだよ」
「そうかよ」
いくつか言葉を交わしてみたが、突破口は開けそうにない。
むしろ、秋空の話を聞けば聞くほど、絶望感は増していく。ラプラスの悪魔の力は、あまりに強すぎる――
そう思っていると、
「……違和感が、ある……」
突如として、妃香華が口を開いた。
「どういうことだ? 妃香華」
「……秋空君が黒霊衆にいることを灯醒志から聞いたときに何か変だなとは思っていたけど、こうして会ってみてその違和感の正体がわかった」
妃香華は自殺した頃、秋空とクラスメイトだった。つまり、妃香華は秋空のことを僕よりも知っている。秋空と会って、僕が気付かなかった何かに気付いてもおかしくはない。
しかも、妃香華には悪魔憑きとしての経験もある。秋空にラプラスの悪魔が憑いているなら、そのことについて何かわかったのかもしれない。
そのどちらかだと思っていたのだが――その考えは、ある意味正解である意味不正解だった。
結論から言えば。
続いて発せられた妃香華の言葉は、そのどちらについても言及したものだった。
もし、もっと早くに妃香華と秋空が再会していたのなら、黒霊衆との戦いはとっくの昔に片付いていたかもしれない。
そう思えるほどに核心を突いた、そして、もし僕がもっと冷静だったのならば真っ先に浮かび上がったはずの疑問だった。
それは――
「あなたの意識は、秋空緋紅麗のもの……? それとも、ラプラスの悪魔のもの……?」
◇◇◇
「―――は?」
僕――秋空緋紅麗の、否、秋空緋紅麗かどうかすら曖昧な何者かの思考が止まる。
十六夜妃香華の問いを打ち消すように、僕はわけもわからず叫んだ。
「僕は……僕は秋空緋紅麗のはずだ! だって、ラプラスの悪魔は意志を持たぬ概念に過ぎない。なら、僕の意識が悪魔の干渉を受けているはずがない……っ!」
「……なら、どうしてそんなに焦っているの?」
「……っ!? そ、それは……今まで考えたこともなかったからだ。だから、少し驚いた……それだけに過ぎない!」
「でも秋空君は、悪魔マモンに完全に意識を乗っ取られた人と行動を共にしていたんでしょ……?
それに、わたしが悪魔憑きだってことも前から知っていたみたいだし……それだけのモデルケースと接していたのに、自分のことについては考えなかったの……?
それとも……意図的に思考から排除していた、とか……?」
その言葉によって、僕の頭の中で疑念が生じる。
途端、
「……っ!」
ズキン、と頭が痛んだ。
「もしかして秋空君、自分で考えていると思い込みながら、その思考をラプラスの悪魔に誘導されていた、なんてことは、ない……?」
なぜだ。そんなことあり得ないとわかっているのに反論ができない。そもそも、さっきから僕を苛む、この得体の知れない頭痛はなんだ?
そんな中、暫しの間黙っていた麻布灯醒志までも、不可解なことを口にした。
「たしかに振り返ってみれば、秋空の行動は遠回り過ぎる。
秋空。おまえはなぜ、計画の中に僕を入れた? 僕の参入は、おまえの計画にとってマイナスにしかなっていない。
にも関わらず、僕は神としてこの戦いに参加している。それが必然だった、なんてわけはないよな。
おまえの未来視がどのくらいの精度なのかは知らないけど、僕を退場させられる場面なんていくらでもあっただろう。
僕は一度黒霊衆に拘束されていたし、他にも、ボロボロになって戦闘力が落ちていた状況は山ほどあった。
でもおまえはそれをしなかった。一体なぜだ? おまえの中に、矛盾した二つの意識が入り混じっているからじゃないのか?」
自分は何者か。
考えれば考えるほど、頭痛が酷くなる。
もう思考を放棄してしまえ、という声と。
自分を取り戻さなくてはならないという本能が。
共に僕へと語り掛けてくる。
「うおおおおおっ!」
頭痛を無視して、僕は後者に従った。
何かに突き動かされるように、
僕は自らの思考の奥の奥へと進む。
そして。
僕は、すべてを思い出した。
そうだ。僕は――完全にラプラスの悪魔に、精神を乗っ取られていた。
他の悪魔のように、語り掛けられ、乗っ取られたのではなく。
じわりじわりと、あいつの意思が少しずつ僕の精神と融合していって、
気付けば、僕は別のモノになっていた。
だがそうだとするのなら、なぜ僕は、こうして思い出すことができたのだろう。
まだ意識の片隅に――自分が残っていたのだろうか。
いや、一度、僕は完全に自分を失って――
ああ、そうだ。あの日。あの日だ。
僕は当時、すでにラプラスの悪魔の手で完全に意識を乗っ取られていた。
しかし、ラプラスの悪魔は論理的な概念。故に、意識を乗っ取ることができようと、無意識にまで干渉することはできない。
だが、少しずつ意識へと干渉されたのでは、無意識の部分がそれに気付くことはない。何か大きなきっかけでもなければ、の話だが。
そんな折、十六夜妃香華が死んだ。
それは、ラプラスの悪魔が計画に悪魔を必要としたため起こした行動が発端だった。
彼女に悪魔を解放させようと、周囲の人間関係を使い追い詰め、精神に負荷をかけ――
しかし悪魔を解放させたくなかった妃香華は、苦肉の策として自らの死を選んだのだ。
それでも悪魔の呪縛からは逃れられなかったようだが。
ラプラスの悪魔の思考は、それを未来視のズレによる失敗と判断。悪霊として彼女を彷徨わせ、精神を完全に消してから中の悪魔を利用しようと計画を修正した。
しかし、そのあくまで無感情な分析に、無意識は違和感を覚えた。
無意識に残った秋空緋紅麗の部分はその死に強い罪責意識を持ったのに、なぜ意識の方はここまで無感情でいられるのだろう。そう感じたのだ。
そのときに秋空緋紅麗の無意識は、意識がすでに自分のものではないことに気付いたのだろう。
そこから、
無意識が悪魔の未来視の一部をこっそりと使い、悪霊となった十六夜妃香華を救うために麻布灯醒志を無理矢理計画にねじ込んだのだ。
つまり、僕の矛盾した行動の多さは、そもそも僕の中に相反する二つの思考があったからである。
当然、表出してくるのは意識である悪魔の思考だったが、しかし無意識は言葉ではなく行動の方に影響を及ぼしていた。
そして。
麻布灯醒志の言葉によってそれを思い出してしまった今。
意識と無意識は逆転する。
「ぐ、う、ぅわああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――っ!」
悪魔として行動していた数年分の記憶が、ずっと眠っていた僕の思考に流れ込んでくる。
「やめろ、入って……くるな……っ! 僕の中から、出ていけえええええぇぇぇぇぇっ!」
刹那。
膨大な力が、僕の中から流出した。
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