決戦篇

第四十一話 肩を並べて

 伊梨の手によって空間転移すると、凄まじく巨大な柱が遠目に見えた。


「あれが、世界の理……」


 そのあまりの存在感に驚いていると、伊梨が注意するように言った。


「アレに見とれてばかりもいられないよ、もっと近くを見てごらん」


 言われて見ると、周りに数体の天使がいた。だが、これは――


「行カセ、ナイ……。唯一神サマノ、モト、ヘハ……」


 壊れている。目に見えてそうわかった。


「天使に空間転移の拠点を施してしまった以上、当然、天使が唯一神の元へ辿り着けなければこうなるか。

 とは言え、世界の理まで移動できない距離じゃない。時間はかかるだろうが、なんとか世界が書き換わる前に辿り着きたいものだね。

 それにしても――」


 伊梨は、壊れた天使に目を向けて言った。


「唯一神は、ほんの少しの疑心すら許さない。だから彼に仕える天使は、唯一神を妄信している者しか残らないわけだ。少しでも疑念を抱けば悪魔へと身を堕とすことになってしまうからね。

 だから唯一神のもとへ行こうとする秋空に立ちふさがり、そして確定事変で跡形もなく消える。

 多くの天使はそういう結末を辿ったのだろうが、しかしこいつらはそれができなかったようだ。

 大方、悪魔との戦闘で重傷を負って動けなかったとかそんなんだろう」


 伊梨は面倒くさそうに溜息を吐いた。


「唯一神のみを信じ、唯一神の命ずることにのみ全てを捧げてきた。そんな彼らが、自分が行動できなかったせいで唯一神が死んだ事実なんて受け止められるはずがない。

 よって彼らの心は壊れ、今もまだ唯一神のもとへ行こうとする輩を倒そうと躍起になっているのさ。

 そして当然、世界の理――もとは唯一神だったもののところへ行こうとする僕らを、敵だと判断するだろうね」


 自分が行動しなかったせいで誰かが死ぬ辛さというのは、僕にも痛いほどわかる。しかもそれが自らの信奉していた相手だというのならば、なおさら辛いだろう。

 しかしだからと言って、同情している余裕など今の僕にはない。これから黒霊衆と――何より、秋空緋紅麗と決着をつけなくてはならないのだから。


「どのみち、通してはくれないようだ。いくら壊れかけと言えど天使は天使。かなりの強さだ。

 こいつらに時間をかけていると、世界の理があっと言う間に書き換えられてしまうな。

 ここはこの場で最も強い人間がこいつらを喰い止め、他は世界の理目掛けて進むしかないだろうね」


「それは、つまり……」


「ああ。僕がここに残って、こいつらをどうにかする。まあ、世界の理を初期化するための御札はもう渡したんだ。誰か一人でも辿り着ければそれでいい」


 その言葉を受け、中住が決意を籠めた声で言った。


「ならば、私もここに残る。見ての通り、私はもうほとんど死んでいるようなもの。神の戯れでほんの少し生き永らえているだけの木偶に過ぎん。いつ死ぬかわからない以上、働ける内に働いておきたい」


「そうか。じゃあ、この場は僕と中住でなんとかしておくよ。あとは君たちに任せた」


「わかりました」


 返答し、僕たちは世界の理へ向けて移動を始めた。



◇◇◇



 天才。

 炉秀を始めて見たとき、私はそう思った。

 いや、誰もがそう思っただろう。

 それほどに、彼の霊能者としての技能は卓越していた。

 だからこそ皆、最初は彼に追いついてやろうと考えた。

 私だってそうだ。彼に追いつき、追い越すため、必死に霊能を極めようとした。

 しかし時が経つにつれ、一人、また一人と炉秀へ挑もうとする者はいなくなっていった。どころか、彼の背を追う者すら、いなくなってしまったのだ。

 あいつは特別だ。奴の後を追っても、破滅しか待っていない。

 そんな風に誰しもが諦めていった。

 なぜか私は、それが無性に嫌だった。

 だからこそ我武者羅に、炉秀を追い越そうとここまで来たのだ。


 襲い来る壊れかけの天使と戦いながら、私は思う。

 私はたしかに、炉秀を越えることを目的としてずっと戦ってきた。

 だが、それは表面上のもの。その本質は、もっと別のところにあったのかもしれない。

 なぜなら――


「ははっ。まさかおまえと肩を並べて戦う日が来るとはな」


「君が勝手に僕を敵視していただけじゃないか」


「それはおまえもじゃないのか?」


「まさか。僕が黒霊衆に対して警戒していたのは、秋空緋紅麗ただ一人だ」


「なんだ、そうだったのか」


 そんな風に軽口を叩き合いながら、共通の敵と戦っている。

 あの炉秀と、肩を並べて戦っている。

 それがこれほどまでに嬉しいと、そう感じるのなら。

 多分、私が求めていたのは――


「右から来る方は私が対処する」


「わかった、ならこっちは僕がやっておくよ」


 誰もが、炉秀と肩を並べようとはしなかった。

 抑霊衆にせよ、炉秀とはどこか距離があったように思える。

 炉秀は、誰よりも孤独だったのだ。

 それが赦せなかった。

 私は炉秀を超えたかったんじゃない。

 隣に立ちたかった。

 強くなる度孤独になっていくこいつを、一人にしたくなかったのだ。

 ああ、今さらそんなことに気付くなんて、私は本当に、馬鹿な男だ……。

 そして――


「やっと終わったね。壊れかけとは言っても、流石は天使の集団。僕一人じゃあどうにもならなかっただろうけど、君のおかげで助かったよ」


 激闘の末、ついに私と炉秀は全ての天使を撃退した。


「礼などいらない。おまえには、散々迷惑をかけてしまったからな」


 どうにか声を絞り出す。だが、自分の身体の状態はわかっていた。

 私はもうすぐ死ぬ。天之御中主神から貰った猶予がそろそろ切れるようだ。

 現にもう立ち上がる力すらなく、私はその場に倒れてしまった。

 それでも、この口は勝手に言葉を紡ぐ。


「なんにせよ、最期におまえと共に戦えてよかった。なあ、一つ訊いてもいいか?」


「なんだい?」


「おまえ、私のことをどう思っていた?」


「別にどうとも思っていなかったよ。まあ、多少面倒だとは思っていたけど」


「ははっ、実におまえらしい答えだ。やっぱりおまえは、そうでなくてはな」


 笑って、私はもう一つ尋ねた。


「炉秀。一人は、寂しくないか?」


「全く。僕は昔っから、孤独に慣れているからね」


「……そうか」


 その言葉の真意をもう少し訊きたかったのだが……

 しかしどうやら、もう私の身体は限界のようだ。

 ならば、最後に一つだけ。

 何よりも伝えたかった言葉を、今ここで言っておこう。


「じゃあな、伊梨炉秀。おまえと会えて、幸せだったよ」


「そうか。それじゃあね、中住古久雨」


 そう言って、炉秀は世界の理のもとへと向かって行き――

――それを見ながら、私はゆっくりと目を閉じた。

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