第三十八話 唯一神とサタン
唯一神は、護衛の天使も付けずに立っていた。
そしてその両目は、しっかりと一柱の悪魔を睨み付けている。
「久しいな、ルシフェル」
「俺をその名で呼ぶな。我が名はサタン。この場で
「それほどまでに過去を切り捨てたいか」
「もちろん。貴様に仕えていた頃の俺など俺ではない。全くの別人だ」
サタンの棘のある言葉に、唯一神は溜息を吐く。
「本当に、変わってしまったのだな……」
「だから言っただろう。あの頃とは別人だ、と」
「そうか……」
その覇気のない様子に、サタンは訝しげな表情を浮かべる。
「そういう貴様も変わったな? 随分と大人しくなった。昔の傲慢さはどうした」
「何もかもわからなくなってしまってね。一応、全知ではあるはずなのだがなぁ。
昔は、自分のやることはすべて正しいのだと思っていたが、最近になって実はそうではないかもしれないと気付いたのだ」
「ふ、はははっ! これは滑稽だ! 気付くのに時間がかかり過ぎだろう!」
「笑うな。こちらは真剣に悩んでいるのだ」
唯一神はそう前置きして、語り始めた。
「私を模して創った、人間という生命体。彼らは私と似た特徴を持ち、生命の中では頂点に君臨すべき至高の存在だ。
しかし、私の劣化であるということに変わりはない。なのに彼らは私の想像を遥かに凌駕する。今回だってそうだ。
おまえたち悪魔の復活は、本来もっと後に来るはずだった。だからその前に人間世界ごと、悪意の獣を洪水で沈めてやろうと計画していたのに!
たかが五人の黒霊衆とかいう集団に、計画は見事に狂わされた! 結果、こうして私は追い詰められている!
どうしてだ! なぜ人間は、全知である私の思考ですら予測不能の行動をとる!
私以外の神を信仰するし、私の信徒ですら、大きく分ければ3つ、細かく分ければ無数に分化し、全く違う主張を繰り広げるし、ついには人間は
唯一神の吐露に、悪魔はドン引きしながら言う。
「あー、前言撤回する。やはり貴様は変わっていない。昔と同じく傲慢なままだ」
サタンは、はあ、と溜息を吐いて、
「人間のことなど、貴様にわかるはずもない。貴様は人間を愛していると言いながら、その実、人間の善性しか愛していない。それでは、誰一人愛することなどできなかろうよ。
だからこそ、貴様の人間に対する見方は偏っている。悪性も愛おしく思えなければ、人間の行動など予測できるはずもない」
「悪性か……認めねばならんのか。いくら劣化品であるとは言え、この私の模造品だぞ。なのになぜ、人間には悪性などが生まれてしまったのだ。
やはり貴様に唆され、知恵の実を口にしてしまったからなのか」
「馬鹿か。貴様を模して創られたからこそ、悪の心があるんだろうが」
「なんと……それはつまり、この私にも、悪の心があるということか」
「ないと思うか?」
そして暫しの静寂の後、唯一神は深くため息を吐いた。
「私の疑問を解消してくれるものと期待したが……もとは天使とは言え、やはり悪魔に聞いたのが間違いだったか。善性の象徴たる私に、悪の心などあるはずがないというのに」
「……俺も、こんな奴にアドバイスしたのは間違いだったな……。しおらしくなってたから心配したが、やっぱり貴様は昔のままだ」
そして、両者は鋭い視線をぶつけ合う。
それだけで、周囲の空間は歪み、大量の霊力がまき散らされる。
しかし。
そんな凄まじい場にも臆せず、一人の人間が現れた。
「やあやあ、まさか唯一神とサタンの直接対決が見られるとはねえ」
「貴様、一体何者だ……? そもそもここに来るまでの間、天使や悪魔がいただろうに、どうやってその戦場を潜り抜けてきた?」
「天使と悪魔? そんなもの、こいつを使えば無問題さ」
そう言って、その人間――秋空緋紅麗はニヤリと笑った。
「――確定事変」
その言葉と共に、唯一神とサタンの身体が消えていく。
「な……っ、なんなんだこの力は……!?」
「何かと問われれば、悪魔の力だと答えよう」
「馬鹿な……、俺はこんな悪魔の力は知らないぞ……っ!」
叫ぶサタンに向って、秋空は笑顔で答える。
「そりゃあそうだろうさ。君たちとは全く違う部類の悪魔だ。とは言え、名前はなくてね。まあ、それでも強いて言うなら――」
腕を広げ、自らを誇示するように、秋空はその悪魔の正体を明かした。
「ラプラスの悪魔。それが僕に憑いた悪魔の名前さ」
「……?」
唯一神もサタンも、釈然としない表情を浮かべる。
それはそうだろう。ラプラスの悪魔など、彼らの宗教体系には存在しない――否、そもそも宗教ですらないものなのだから。
そして、秋空は消えていく
「まあ、君達にとっては馴染みがないだろうね。なにせこいつは、科学によって生み出され、しかし量子論によって否定された概念だ。
そして、神の権威や悪魔への恐怖は、科学の発展によって徐々に失われている。だから神や悪魔を打倒する最も有効な概念は科学なんだよ。
しかし馬鹿正直に科学技術を駆使しても、神々を倒せるわけがない。なぜなら、物理攻撃では霊体にダメージを与えられないからね。
その点、僕に憑いた悪魔は好都合だった。ラプラスの悪魔は科学によって生み出された概念だが、既に否定された過去の産物。言わば空想へとその身を落とし、オカルトとなったわけだ。
すなわちその概念は霊体となる。だからこそ簡単に、神や不随する信仰を一方的に無力化できる。
まあここまで好き勝手に力を行使できるようにするためには、かなりのエネルギーが必要だったけどね。それも、中住やマモンのおかげでなんとかなった」
その言葉が終わる頃には――
ラプラスの悪魔によって、唯一神とサタンの消滅は完遂していた。
「ともあれ――これにて神の時代は完全に幕を下ろした。ここからは、新たな
唯一神のいた場所に、巨大な柱が現れる。
これが世界の理。創生の刻より連綿と紡がれてきた、この世の摂理だ。
「さあ、最期の仕事だ。少々時間はかかるだろうが、問題ないだろう」
そう言って秋空緋紅麗は、邪悪な笑みを浮かべた。
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