第三十一話 繋がり
妃香華が走り去っていった方向はわかっても、具体的な場所までは本来わからない。
しかし、断ち切られた
「妃香華……!」
名前を呼ぶ。対して妃香華は、驚いたようにこちらを向く。
「灯醒志……!? なんで、来たの……? ……ぅ、ぐ、ぅぁぁぁあああああっ!」
突然、妃香華は苦しみだした。
「どうした!?」
急いで駆け寄った途端、
「来ちゃダメ……!」
妃香華の周りを取り巻く悪魔の力が、僕を襲った。
「ぐ……っ!」
その攻撃を受け、僕は弾き飛ばされる。
「もう、ダメなの……。悪魔の力を、抑えきれない……っ!」
妃香華が叫ぶ。
やはり一度悪魔の力を解放してしまうと、意識の侵食は段違いで早くなるようだ。
悪霊となって三年経ってもほんの少し意識を残していた妃香華ですら、この短時間で悪魔の制御ができなくなっている。
「それでも、僕は……」
僕は立ち上がり前に出る。
刹那、再び悪魔の攻撃が迫る。
ただし、今度は弾き飛ばされることはなかった。
「……っ!」
足にありったけの霊力を籠め、その場に踏みとどまったのだ。
「灯醒志……」
泣きそうな目でこちらを見る妃香華。
対して、僕は笑顔で言った。
「あともう少しだけ待っていてくれ。今度こそ、必ず助けるから」
一歩、また一歩と歩を進める。その度に悪魔の攻撃が僕の身体を穿つ。
それでも前へ進む。一度でも止まってしまったら、もう妃香華のもとへ行くことができなくなる。
「ぐ……ああっ!」
もとよりボロボロだった身体が悪魔の攻撃でさらに崩れていく。致命傷だけはなんとか復元しようとするが、そのための霊力すらも底を尽きている。
「う……おおおおおっ!」
だから魂を削り、無理矢理霊力を生成する。魂の痛みは倍増するが構うものか。今はただひたすら前へ進むのみだ。
「はぁ……はぁ……」
身体の感覚は既になく、ただ魂の痛みだけが僕を蝕む。攻撃は止まず、何度も弾き飛ばされそうになる。
だけど。それでも。
一歩。また一歩と進み、僕は妃香華のもとへと辿り着いた。
そして。巫がくれた、
「灯醒志……なんで、そこまで……?」
涙を流して言う妃香華を――静かに抱き締めた。
「灯醒志……」
「もう、妃香華を見捨てたりしない。絶対に、妃香華を一人にしたりしないから――」
「だからもう妃香華は一人で抱え込まなくていい。悪魔の力が暴走しようがなんだろうが、僕がずっとそばにいる。解決策も、二人で一緒に見つけよう」
「灯醒志……ぅ、ぁぁぁ、ぅぁぁぁああああっ!」
「妃香華……っ!」
再び、妃香華が苦しみだした。ただし、起きている現象は先ほどとは違う。
悪魔の霊力が、妃香華の中に戻っていっている。
「悪魔の、力を、わたしの意識ごと抑え込む……。これで、一時凌ぎには、なるはず……だけど、これは苦肉の策……。
もしこの後わたしが目覚めたら……それはわたしの意識が完全に悪魔に食いつぶされたって……ことになる。でも、今のわたしにできるのは、これで、精一杯、なの……だから……」
「ああ、わかってる。妃香華が次に目覚めるときまでに、悪魔の力をなんとかして排除する」
「うん……ありがとう、灯醒志……」
そう言って。
妃香華は、意識を失った。
妃香華がなんとか作ってくれた、この猶予。無駄にしてはいけない。
そう思い、妃香華を抱きかかえたまま立ち上がった瞬間、
凄まじい攻撃が襲い掛かって来た。
「……っ!」
妃香華を抱き抱えたまま、すんでのところで避ける。しかし、
「く……っ!」
余波だけで、僕達は弾き飛ばされた。
「なんて出鱈目な威力だよ……」
そう呟きながら、攻撃が発せられた方向を見ると、そこには、凄まじいまでの霊力を持った存在が宙に浮いていた。
「悪魔憑キ、発見。直チニ排除スル」
「これが天使か……っ!」
素戔嗚の話を聞いた時から、天使が襲ってくることは覚悟していた。
しかし実際に天使を前にすると、僕は戦慄を禁じ得ない。
その圧倒的なまでの存在感。次元が違うとしか言いようのない凄まじいまでの力が、天使からは感じられる。
見ているだけで、絶望的な戦力差があるとわかってしまう。まともに勝負したら、僕は一瞬で消し炭にされるだろう。
まして今は、ただでさえ瀕死のダメージを負っている。だから、ここは絶対に戦闘に持ち込んではならない。
そう思い、僕は天使に語り掛ける。
「待ってください。今、妃香華は自分の意識ごと悪魔を抑え込んでいます。だから、今なら安全です。
この隙に妃香華の中から悪魔だけを引き抜いて、それから悪魔を処理してください。天使の力ならできるはずでしょう?」
必死に訴えてみるが、しかし天使はそれを歯牙にも掛けなかった。
「笑止。悪魔憑キノ味方ヲスル者ノ言葉ナゾ、聞クニ値セズ」
そう言って、天使は再び攻撃を放ってくる。
「くそっ。なんで神だの天使だのは、人の話を聞かない奴ばかりなんだ……!」
攻撃を避けながら、僕は妙刀・神薙を顕現させる。
「眩法・陽射――!」
刹那、僕以外の目を眩ます閃光が放たれた。それは天使に対しても有効なようで、天使の動きは完全に止まった。
「よし、今のうちに」
僕は妃香華を抱え、急いで逃げ出す。
絶対に妃香華は殺させない。
なんとしても、中の悪魔だけを消し去ってみせる。
◇◇◇
「ぐ……ぅ……っ」
俺は、倒れそうになりながらも、なんとか素戔嗚の攻撃に耐えていた。
「もう無理だ。諦めろ」
「ふざ、けるな……っ、まだ、俺は……!」
そうは言ったものの、足が完全に崩れ、俺はその場に倒れる。
くそっ……! もう限界なのかよ、俺の身体は――!
「だから言っただろ、もう無理だって」
「こんな、こんなところで終わってたまるか……っ!」
そうは言ってみても、身体はどんどん崩壊していく。どころか、存在そのものが消えていく。
「ちく、しょう……」
そして、遂に俺を構成する要素が完全に消え去り、存在が消滅――
「ああ、くそ、しょうがねえ――っ!」
その直前、素戔嗚が叫んだ。
途端。
何かのエネルギーが、俺の中に流れ込んでくる。
「これは……一体……」
「おまえの存在を消させはしない!
無論、力も身体も完全に失うだろうが、それでもおまえという存在そのものだけはここに残してやる!」
やけくそ気味に叫び、素戔嗚は櫛を取り出す。
「しばらくの間、こいつを依り代にして養生してろ」
「……なんで櫛に」
「ほぼ完全に崩壊しているおまえの存在を依り代に移して、なんとか安定させようとしてんだ。そんな作業、いくら俺だって成功するとは限らねえ。
だから俺の権能を最大限発揮できる媒体を依り代にして成功確率を上げてんだ! 文句あるか!」
正直よくわからなかったが、素戔嗚が俺を助けてくれようとしていることは伝わって来た。
とりあえずお礼を言おうと思ったが、その前に素戔嗚が口を開いた。
「それに、わかった。麻布灯醒志があの悪魔憑きを助けようとするのも、もう止めない。
さすがにこんなもん見せつけられりゃあわかるよ。おまえもあいつも、止めるなんて不可能だ!」
納得……してくれたのか? いや、納得してくれたというより、この様子だと根負けしたと言った方が正しいようだ。まあどちらにせよ、ありがたいことに変わりはない。
「でも俺も動かせてもらうぞ。あいつが天使軍団相手にどうしようもねえって俺の意見はかわらねえ。
だからあいつを止めようとしたんだが、止められねえのならもう俺が相手するしかねえだろうからな」
「な……っ!」
「セム系一神教相手に全面戦争とか、戦いが好きな俺でもさすがに躊躇してたんだがな。もうこの際、徹底的にやってやろうじゃねえか!」
なんと言うか。
素戔嗚という脅威を止めることができたどころか、その脅威事態が味方になるとはなんとも頼もしい。
ともあれ、これでなんとかなりそうだ。
俺は崩壊が止まっていくのを感じながら、同時に安心感を覚えていた。
きっと――未来は言い方向に向かっている。負の側面のみで構成されているはずの俺は、そんなふうに思うのだった。
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