さわりし神に救いあり

第三十話 麻布灯醒志

　中住古久雨と玖導励志は、ボロボロの状態で辛（かろ）うじて立っていた。

「はあ。諦めが悪いねえ、君たち。そろそろ負けを認めたらどうだい？」

　あまりのしつこさに、僕――伊梨炉秀は溜息を吐いた。

　どうしてこいつらは、何度打ちのめされても立ち上がってくるのか。

――理解に苦しむ。

　戦力の差は歴然だ。そんな単純な事実など、僕に打ちのめされ続けている彼らが一番よくわかっているだろうに。

　こいつらが僕に勝つのは不可能。この二人に、勝ちの目なんか一つもないのだ。なのにどうして諦めない？

　まったく愚かしい。高天原さえ巻き込むほどの壮大な計画を実行できるだけの頭を持っていて、どうして冷静に戦況を受け入れられないのか。

　そんな呆れを籠めて言った言葉だったが、

「うるせぇ――ッ！」

　玖導励志はそもそも僕の言葉を聞かず、

「負けなど認めるものか。私は絶対に、おまえを超える」

　中住古久雨は、言葉を聞いたうえで一蹴した。

「あ、そう」

　うんうん、もうどうでもいいや、こんな馬鹿ども。

　たしかに彼らは並の霊能者よりかは幾分強いのかもしれないが――

　しかし結局のところ、感情に振り回されているただの人間に過ぎないのだ。

　だからこそ、異常なまでこの僕に執着する。

　片や怨恨、片や嫉妬。

　どちらが抱くものも稚拙に過ぎる。

　嘆かわしいことだ。感情など、正しい行動を阻害する枷にしかならない。そんなものに囚われているから、皆僕のようになれないのだ。

　僕は、ずいぶん昔に感情を捨てた。それによって最も効率的に霊的技術を磨き、ここまで辿り着けた。

　感情を捨てれば、自分以外の物や人に対する執着もなくなる。自らの目的のため、なんの抵抗感もなく周りの全てを利用できる。

　現に僕は、黒霊衆も抑霊衆も、果ては神々でさえ利用し、目的を達成しようとしている。

　感情を捨てた者こそ最高の境地へと辿り着けるのだ。逆に、感情がむき出しの霊体などは最も悍（おぞ）ましい存在であり、唾棄されるべきものでしかない。

　僕以外の人間は、そんなこともわからない輩ばかりだ。本当に下らない。

　襲い掛かって来る二人の愚か者を片手間で迎撃しながらそんなふうに考えていると、遠くで邪悪な霊気が生じたのを感知した。

「まずいな……あの悪霊、やっぱりあのときに殺しておくべきだったか」

　本当に。どいつもこいつも感情なんて不たしかなものに振り回され、好き勝手やってくれる。霊なんてものに固執するから、こういう面倒なことになるんだ。

「なんの話だ……？」

　中住が聞いてくるが、もうこんな奴に構っている場合ではない。

　あの神は大事な駒だ。勝手にセム系一神教と対立して、その挙句に殺されてしまっては話にならない。

「こっちの話だよ。悪いけど、君たちと遊んでいられる状況じゃなくなった」

「待て！」

　追いかけてくる二人を振り切り、僕は麻布灯醒志のもとへと向かった。

◇◇◇

　妃香華のもとへと走っていると、目の前に見知った神が現れた。

「あの悪魔憑きのもとへ行こうとしているのか、灯醒志」

「ああ、そうだ」

「それなら、ここを通すわけにはいかないな。いいか、よく聞け」

　素戔嗚は、今までに聞いたことのないほど真剣な声色で、

「十六夜妃香華のことは諦めろ」

　冷徹に、そう口にした。

「神々の住まうあらゆる天界は繋がっている。そして、十六夜妃香華が自らの内の悪魔を解放させた時の霊力は俺にも伝わって来た。

　あの霊力は途方もなさすぎる。それこそ、天界全土に感知されてしまうほどにな。つまり、セム系一神教の奴らにも伝わっちまった可能性が高い。

　そうなってくると、唯一神は十中八九こちらに天使を差し向けてくる。しかも、これほど強い悪魔の掃討となると、かなりの数押し寄せて来るはずだ」

　なるほど。たしかにそれは恐ろしい話だ。しかし、そこには希望もある。

「なあ。天使達が恐れているのは妃香華じゃなくて妃香華の中の悪魔だろ？　なら、妃香華と悪魔を分離してから、悪魔を退治してくれたりしないのか？」

　そうなってくれれば一番いい。妃香華は殺されず、中の悪魔はいなくなる。それが最も理想的な解決法だ。

　しかし、そんなうまい話などあるはずもなく。

「天使ならば、たしかにそんな芸当ができるかもしれねえが……でも、あいつらはそんなまだるっこしい方法はとらねえだろうな。

　なにせ、悪い人間が増えたからっつって、お気に入りの人間以外を大洪水で皆殺しにするような神に仕えている輩だ。

　一番手早く、確実に問題を解決できる手段をとるだろう。あいつらにとって価値があるのは人間という種であって、一人一人の人間じゃあないからな」

　やはり駄目か。どうして現実は、いつも妃香華を苦しめるのだろう。

「そうか。なら、余計に行かなくちゃならない。このまま妃香華を放置していたら、その天使とやらに殺されるんだろ？」

「おまえ、何を言っているかわかってんのか？

　悪魔憑きの味方をするということは、セム系一神教と戦うということだ。

　俺や黒霊衆の連中とは比べ物にならないほどの力を持った奴らを相手取ることになるんだぞ？

　しかも、おまえは既にボロボロじゃねえか。そんな状態で悪魔憑きを守り、天使連中と戦うってんなら……本当に、死ぬぞ？」

「ここで妃香華を見捨てて生き延びるくらいなら、死んだ方がマシだ」

「何を言っても無駄なようだな……」

　素戔嗚は、グッと身体を屈め――

「ならば、力尽くでもおまえを止める……っ！」

　こちらに向かって突撃してきた。

　それを。

　僕以上にボロボロな状態の男が受け止めた。

「な……っ！」

　僕も素戔嗚も、あまりの事に驚きを隠せない。

「俺（おまえ）……！　なんで……!?」

　そこにいたのは、俺（もう一人の僕）だった。

「なんでも何も……ねえさ。

　ああでも、勘違いするんじゃねえぞ。さっきのも……今のも……別に僕（おまえ）のためにやってるんじゃあねえ、からな……。あくまで……妃香華のためだ。

　俺と僕（おれたち）は、今まで散々あいつを見捨ててきた。なら……今度はちゃんと、助けてやらねえと……」

「でも、俺（おまえ）、身体が……」

　俺（こいつ）はマモンの攻撃から妃香華と僕を庇い、人としての形すら保てないほどに損傷した。

　現にこうしている今も、立っていられるのが不思議どころか生きているのが不思議なほどボロボロのままだ。それなのに、なぜ……。

「はっ、こんな状態でなぜ動けるのかって？　ったく、どうでもいいこと気にすんのな、僕（おまえ）は。

　たしかに俺の身体は既に死に体だ。少しでも気を抜いたら存在ごと消滅しちまうだろう。けどな」

　俺（もう一人の僕）は、完全に潰れてしまっている四肢に力を籠めて――

「それでも、まだ死ねない。死んでたまるか。妃香華は今、苦しんでいる。

　悪魔なんてもんに人生を、どころか死後まで翻弄されて、しかも下手すりゃあ天使によって殺されるかもしれねえ。

　あのときと同じなんだ！　ずっとずっと苦しんで、挙句の果てには死しか残されていない。妃香華はまた、そんな状況に立たされている！」

――素戔嗚の攻撃を抑えながら、必死に叫んでいる。

「だったら、今度こそ助けてやらなきゃ駄目だろう！　だから俺は、死んでなんかいられない！

　どんなに苦しかろうと、俺は、いや、俺と僕（麻布灯醒志）は、妃香華のもとへ駆けつけなくちゃならないんだ！」

　理由なんてそれだけ。

　俺（もう一人の僕）は、だからこそ立っていられるのだ。

　どんなにボロボロになっても。死んでもおかしくない状態になろうとも。

　妃香華を助けなくてはならない。その一心で。俺（こいつ）は意志の力だけで消えそうになる生を押しとどめ、こうして立っているのだ。

「だから行けよ、僕（麻布灯醒志）！」

「ああ、わかったよ、俺（麻布灯醒志）！」

　そう答え、僕は再び妃香華のもとへ歩を進める。

　これ以上は絶対に裏切らない。妃香華も、僕と俺（自分）の本心も。