高天原争乱篇 急

第二十九話 三貴子

「あなたたち……」


 素戔嗚と月讀が戦闘の疲労により高天原の地面で寝転がっていると、近くでそんな声がした。

 柔らかく、しかし凛としたこの美しい声を、素戔嗚が聞き間違えるはずがない。この声の主は――


「お姉ちゃん!」


 目にもとまらぬ速度スピードで素戔嗚が起き上がる。

 対して天照は嫌そうな表情で言った。


「敵もあらかた倒したし残党はいないかな~と思って探していたら、縁を切った弟二人と会っちゃうなんてツイてないな~」


「まあそう照れるなよ」


「ねえ? どこをどう見たら私が照れてると思うの?」


「じゃあその心を示すために誓約うけいしてみるか?」


「嫌よ! 素戔嗚と誓約うけいすると、なぜかいつも負けるんだもん」


(そりゃあ、いつも前提条件をはっきりさせないで始めるし、俺が適当な理論つけて強引に説得しようとすると毎回お姉ちゃん押し切られちゃうからなあ)


「あれ? そういえば月讀、なんか雰囲気変わった?」


「そりゃあこいつ、さっきまで俺と――」


「いや待て。おまえが説明すると、なんかまた笑われる未来が見えるから止めろ」


 危機を感じ取り、月讀が素戔嗚を止める。


「なに、月讀なんか変なことしてたの? まあ月讀、天然なところあるしなあ~」


「お姉ちゃんが言うなよ」「姉上がそれを言われるのですか」


 弟二人から総ツッコミを受け、天照はプクーッと頬を膨らます。


「なによ、私は天然じゃありません~」


((可愛い……))


 そうやって三貴子が久しぶりに揃って談笑していると。

 邪悪な霊力が、どこかで解放された。


「……っ!? 何……?」


 天照はその正体がわからず狼狽していたが、素戔嗚と月讀はその霊力の気配を知っていた。それは、黒霊衆の構成員の一人が保持していた力と同質のもの。つまり――


「悪魔の力、か……」


 だが、それはマモンのものとは比べ物にならないほど大きい。となると、一体誰の……。

 そこで、素戔嗚は思い出す。麻布灯醒志と一緒にいた女。おそらくこの邪悪な霊力は、彼女の中に住まう悪魔だ。


「まずい。これはまずいぞ……」


 あらゆる宗教体系の天界は全て繋がっている。違う宗教体系にも、同じ神が名を変えて出てくるのはそのためだ。

 そして、それは高天原とて例外ではない。つまり、悪魔が登場する宗教体系――セム系一神ユダヤ・キリスト・イスラム教の世界とも繋がっているのだ。


 マモンの力程度ならば問題はないが⋯⋯。今感じている凄まじいほどの悪魔の力となると、セム系一神教世界に観測されてしまうおそれがある。

 奴らの住む天界と地続きの場所。そこに唯一神の反逆者たる悪魔の気配が感じ取られたらどうなるか。

 結果は明白。セム系一神教は確実に悪魔を滅ぼすべく動く。


 正直、素戔嗚にとっては十六夜妃香華のことなどどうでもいいが、しかし妃香華が危機に陥れば灯醒志は必ず助けようとする。

 そうなってしまえば、灯醒志は悪魔に加担した反逆者と見なされてしまう。

 即ち――麻布灯醒志はセム系一神教すべてと敵対してしまう可能性があるのだ。


 実際に動くのは唯一神ではなく天使の部隊だろうが……しかし、世界のほぼ全てを牛耳っているセム系一神教の力はあまりに強力だ。

 そんな宗教体系の天使を複数相手取るなど不可能。もちろん灯醒志の強さは素戔嗚とて認めているが、奴らはそんな程度で敵う相手ではない。


「こうしちゃいられねえ。なんとかあいつを止めないと……っ!」


 素戔嗚は、思いっきり走り出した。


「あ、ちょっと待ってよ素戔嗚……っ! もうっ、一体何なのよ……っ!」


 その場には、天照と月讀のみが残された。



◇◇◇



 秋空が、自ら僕の前に現われた。

 その意図はわからないが、この際そんなのはどうでもいい。

 今は、妃香華のことについて訊くまでだ。


「黒霊衆の拠点アジトで、僕は妃香華と再会した。だけどさ、その時点で僕は違和感を持つべきだったんだ。

 黒霊衆がいくら悪霊を集めているからと言って、都合良く僕が妃香華の霊に巡り合える確率なんかほとんどゼロに等しい。

 なあ、秋空。僕が妃香華と再会できたのは、本当に偶然か? それとも――」


「奇跡の再会のように見えたアレは、その実仕組まれていたものだった――君はそう言いたいわけだね、麻布」


 こちらを茶化すように秋空は言う。その態度は無性に腹が立つ。


「ああ。問題は、誰がそう仕組んだのかだ。僕と妃香華の関係を知っていて、かつ悪霊の専門家――玖導励志とコンタクトのとれる人物。そんな奴、一人しかいないよなあ――?」


「つまり?」


「秋空。おまえ、妃香華を利用したのか?」


 秋空を睨みつけながらそう尋ねる。


「その通りさ。それもかなり前から、ね」


「かなり前から――?」


「そう。つまり、、ということだ」


 ちょっと待て。それは、つまり――


「僕は十六夜さんが悪魔憑きであることを彼女の生前から知っていた。まあ僕自身が悪魔憑きだから気付けたんだけどね。

 当時、僕は彼女に悪魔の力を解放してほしかったのさ。そのために、彼女の精神へ負荷をかけることにした。

 まあ僕たちは同じクラスだったからね。ちょっとクラス内の空気を変えてしまえば、あとは自ずと上手くいく」


 秋空が悪魔憑きだった。そのことには驚いたが、しかしそんなことよりも。

 こいつは今、聞き捨てならないことを言った。


「だけど予想外だったのは十六夜さんの心が強過ぎたことだ。

 いや、それとも……心が強かったのではなく、幼い頃に自分を守ると約束してくれたヒーローが必ず助けてくれると信じていたからこそ、悪魔の力に飲まれず自分を保てたのかもね?」


 残忍な笑顔で、秋空がこちらを挑発してくる。


「そして。悪魔の意識が肥大化し抑え込めなくなることを恐れた十六夜さんは、自ら死ぬことで自分の中の悪魔を殺そうとしたのさ。

 まあでも、あの悪魔は器そのものではなく器と魂の接合部にまで根を張る力量を持っていたから、全くの無駄骨だったわけだけどねえ」


「秋空、テメエ――――――ッ!」


 我を忘れて殴りかかった。こいつは妃香華に精神的負荷をかけた――つまり妃香華が自殺する契機になったうえに、それをなんともないことのように平然と話した。

 そんなの、赦せるはずがない――!

 しかし、僕の行動がわかっていたかのように、秋空は横に避けながら言った。


「おいおい、僕と戦っている場合かよ。十六夜さんを追いかけなくてもいいのかい?

 彼女は生前命を捨ててでも解放しなかった悪魔の力を、君のために使ったんだぜ?

 早く追いかけた方が良いと思うけど」


「この……野郎……ッ!」


 さらに殺意が増したが、たしかに今はこんな奴に構っている場合ではない。

 このままだとこいつは回避に専念するだろうし、それでは時間がどんどん過ぎていくばかりだ。

 今は一刻も早く妃香華のもとへ急がないと。


 それに僕は秋空と話している間、霊力のほとんどを足の復元のみにあてていた。

 おかげで、上半身はボロボロのままでも足はある程度元通りになっている。つまり、すぐにでも移動できるということ。


「秋空、おまえは後で絶対に倒す」


「おお、怖い怖い」


 そんな巫山戯ふざけた返事など無視して、僕は妃香華の去った方へと走り出した。


 待っていてくれ、妃香華――!

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