第二十八話《陰》 妃香華の想い

 一体、どうすればいいのだろうか。

 天岩戸の中、わたしは考えていた。

 灯醒志は、この戦いを見せたくないと言った。それはそうだろう。自分の負の側面との戦いなんて、人に見せたいはずがない。

 しかし、灯醒志がわたしを天岩戸ここに入れたのは、他にも理由があるように思えた。それも、なんとなくわかっている。


 死後、灯醒志と再会してから何度も灯醒志と話した。

 そうしているうちに、灯醒志がわたしに対して強い罪悪感を抱いていることに気付いた。

 わたしが死んだのは完全にわたしの問題でしかないのに、あろうことか灯醒志は自分のせいだと思い込んでいる。

 たしかに幼い頃、灯醒志はわたしのヒーローになると約束してくれた。しかし、あんな頃の約束を律儀に守る義務なんて灯醒志にはないのだ。

 それでも灯醒志は、あの約束を守らなかったことを今でも悔いている。


 他でもないわたしのせいで、灯醒志は自分自身を憎むようになってしまった。そんな灯醒志が自分の負の側面と対峙したらどうなるか。結果は火を見るよりも明らかだ。

 あの二人の戦いは、誰かが介入しなければ止まらない。

 否、誰かではない。灯醒志をあそこまで追い詰めてしまった元凶であるわたしでなければ、灯醒志ともう一人の灯醒志が永遠に傷つけ合うのを止めることはできない。

 ならば――


「行くしか、ない……」


 そう決意した。

 しかし、震える足は地面に張り付いたように動かない。

 灯醒志たちの戦いを見たら、絶対にわたしは傷つく。それを恐れているのか。

 ふざけるな。わたしが傷つくことなんてどうでもいい。灯醒志はその何倍も傷ついているのだ。

 だから。

 わたしは地面から離れようとしない足を無理矢理動かして、天岩戸の外へと一歩を踏み出した。


「そんな……」


 目の前に広がっていたのは、想像以上に痛々しい光景だった。

 二人の灯醒志は共に血にまみれ、身体はひしゃげ、内臓は零れ落ち、もはや神の力でなんとか形を保っているだけの状態で、それでも殴り合っている。

 もし今のわたしが生身の肉体を持っていたら、込み上げてくる吐瀉物を必死に抑えていたことだろう。そう思ってしまう自分に、心底嫌気が差す。


―――醜さというのはこうも伝染するものか。なあ、この世で最も醜い女よ。


 悪魔の囁きが聞こえる。

 死ぬことで一時的に遮断していた悪魔の声が、ここにきて表面化してきているのだ。


―――貴様のせいで、あの男の人生は狂わされた。なあ、どう落とし前をつけるのだ。


 そんな悪魔の囁きを振り払うように、わたしは灯醒志に向けて叫ぶ。


「もう、やめて……っ!」


 その声に反応して、二人の灯醒志の動きが止まった。


―――やめて、など、どの口が言うか。あの男がこうなっているのは貴様のせいだというのに。まったく、いつまで被害者面をしていれば気が済むのだ。


 そう。わたしのせいだ。わたしが灯醒志に罪悪感を植え付けてしまった。

 わたしのせいで、わたしのせいで、わたしのせいで、わたしのせいで、わたしのせいで!


―――そう。貴様が全て悪いのだ。


 私は堪えきれなくなって灯醒志のもとへと駆け寄る。そして、既にほとんど崩れている身体を繋ぎ合わせるように抱き締める。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 独りでに、口から言葉が漏れる。


―――謝ることで少しでも自らの罪を消そうというのか。本当に、どこまでも悪辣な女だ。


 悪魔の声がしようが、それでもわたしはやめられなかった。衝動に突き動かされ、ただ謝り続ける。

 そして。

 永遠か一瞬か。それすらわからなくなる時間の末、


「危ない、妃香華……!」


 もう一人の灯醒志がわたしを、腕の中の灯醒志ごと突き飛ばす。

 刹那、寸前までわたしと灯醒志のいた場所――つまり今はもう一人の灯醒志がいる場所に、何者かの攻撃が当たった。


「……っ!」


 ただでさえボロボロだったもう一人の灯醒志は、その一撃で完全に原型を失った。


「ひゃはっ。遅いと思って来てみたら共倒れしてるし、しかも最後の力を振り絞って敵を助けるとかマジ萎えるんだけどお。

 自分同士なのに、殴り合って友情でも芽生えたってかあ? 気持ち悪ぃ。

 ああ、助けたのは自分のオリジナルじゃあなくて、そこの女の方か。だったらごめんよお。自分が死んでも惚れた女は助ける、そういう奴、オレは好きだぜえ」


「悪魔――マモン……ッ!」


 灯醒志がそいつを睨み付け、叫ぶ。


「へえ、覚えててくれたんだあ。でもまあ、どうせここで死ぬから意味ないんだけどねえっ!」


 マモンの攻撃が迫る。

 それを完全に避けることはできずに、灯醒志は飛ばされた。


「グヴォッ!」


 せっかく少し治りかけていた灯醒志の傷口は開き、また体の中身がボロボロと落ちる。口から血が溢れだしていて、本当にもう、灯醒志はギリギリの状態だった。

 どうすれば。このままだと、本当に灯醒志が死んでしまう。

 そんな中、


「逃げろ、妃香華……っ!」


 灯醒志はそう言って、わたしだけでも逃がそうと必死に地を這い、前へ出る。

 これほどまでに極限な状態の時でさえ、灯醒志はわたしを優先するのか。


「でも、灯醒志……っ!」


「僕のことはいい。来た道は覚えているな。ああでも、おまえ方向音痴だから、もしわからなくなったら明るい方へ行け。天照大御神がいるはずだから。あの神様なら、地上に返してくれるはずだ。そしたら、巫たちが保護してくれる。だから、はや……ゴホッ!」


 灯醒志の口から再び血が漏れる。灯醒志はこんなにもボロボロな状態で、それでもなおわたしを逃がそうとしてくれている。

 対してわたしは、灯醒志にしてあげられることはなにもない。本当に、酷い話。

 何度も助けてもらっているのに、わたしは灯醒志に苦痛ばかりを強いている。


―――おいおい、してやれることが何もないだと? 貴様にはあるだろうが、とっておきの切り札が。


 悪魔の囁きが聞こえる。こいつに耳を貸してはならない。だけどその言葉は今、核心をついていた。


―――解放しろ、この私の力を。さすれば富の擬人化マモン風情から、この男を守るなど容易い。


 そう。わたしには戦う力がある。だけど、本当に頼ってしまっていいのか? わたしの中の悪魔を解放することで、より事態は悪くなるのではないか?


―――そうか。ならば貴様は、この男が殺されるのを、黙って見ているのだな? それもいいだろう。さすればおまえの中にさらなる負の感情が渦巻き、私は完全に力を取り戻す――否、全盛期以上の力を手にすることができるだろう。


「じゃあ覚悟はいいかあ? 麻布灯醒志」


 マモンの攻撃が振り下ろされる。

 駄目だ。このままでは灯醒志が死んでしまう。そんなのは絶対に駄目だ……!

 迷っている間に灯醒志が死んでしまうのなら、私は――悪魔に精神が乗っ取られようと、この力を使うしかない!


「うあああああっ!」


 わたしの中の悪魔が解放された。


「ひゃはっ、この力……。なるほど、こんなにも強い悪魔をその身に宿していたか……っ!

 だが哀れだなあ! おまえに取り憑いた悪魔、祓うのはほぼ不可能だ!

 そいつは悪魔祓いの効かない悪魔。魂との接合点、その限界まで根を張って、完全に同化しちまう悪魔だからなあ!

 魂に直接干渉して、かつ強引に引き剥がせる力を持っていなけりゃあそいつは出て行かねえ。残念だったなあ!」


 キンキンとしたマモンの声が響く。わたしはそれを振り払うように悪魔の力を振るった。


「……っ!?」


 その一撃で弾き飛ばされたマモンは、絶え絶えになりながら言葉を紡ぐ。


「ひゃ……はっ、さすがに悪魔としての格が違いすぎるか……。だがそれでいい、そうでなくちゃあ、な……。そのまま全て破壊して、こんな世界、滅茶苦茶にしてくれや。なあ……レヴィアタン」


 そうして、マモンは完全に意識を失った。生きているか死んでいるかは不明だが、少なくとも暫く動くことはできないだろう。


「妃香華! 大丈夫か――」


 灯醒志がかろうじて治りかけてきた足を引きずって、わたしの方に歩み寄って来る。だけど。


「来ないで!」


 わたしはそれを拒絶した。

 悪魔の力を解放したことにより、わたしの意識は悪魔と同化しつつある。このままだと、何をしてしまうかわからない。


「灯醒志はさ、もうあの日の約束をちゃんと果たしてくれたよ。何度もボロボロになりながら、灯醒志はわたしを助けてくれた。その事実で、わたしは充分に報われた。だからもういいの。わたしのことはもう忘れて」


「待ってくれ妃香華、僕は――」


「灯醒志」


 私は灯醒志の言葉を遮り、ずっと言いたかった言葉を口にした。


「ありがとう。灯醒志と会えて、幸せだった」


 だから自分を責めないで、と。そう伝えるため、わたしは無理矢理笑顔をつくる。

 これでいい。これでもう、灯醒志とはお別れだ。

 これ以上わたしと一緒にいても、灯醒志に迷惑がかかるだけ。

 だから。


 わたしは、自ら繋がりリンクを断ち切り、灯醒志に背を向ける。


「妃香華―――ッ!」


 止めようとする灯醒志を振り切り、その場を後にした。

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