第二十八話《陽》 自傷

 素戔嗚と別れてから、伊梨と合流しようと急いでいると――


「よお」


 唐突に僕は呼び止められた。

 この声。聞き間違えるはずがない。

 このなんともおぞましく僕を殺気立たせる声は、他でもない僕自身の声だ。

 僕が一度取り込み放出した穢れを媒体として生み出された僕の偽者。

 いつかまた戦うことになるとは思っていたが、その機会は存外早く訪れたようだ。


「さあ、決着を付けようか」


 僕の偽者はこちらを睨み付けて言う。

 こちらとて今すぐにでも殺してやりたいが、しかしその前に一つやることがある。


「僕もそうしたいのはやまやまだが、ちょっと待て」


 そう言って僕は天照大御神にもらった勾玉を取り出した。

 するとそこに天岩戸が現れる。


「妃香華、ここに入って待っていてくれないか」


 中には生活を営める空間があると聞いていた。ならば丁度いい。


「でも……」


「頼む。この戦いは誰にも見せたくないんだ」


 心配そうにこちらを見つめる妃香華に僕はそう頼んだ。

 これから僕は、僕自身の醜さと向き合わなくてはならないのだ。

 誰にも。とくに妃香華には絶対見てほしくなかった。

 

「うん……わかった……」


 釈然としない表情を浮かべながらも、妃香華は天岩戸の中へ入っていく。


「ほお、おまえにしちゃあ英断だな。たしかにこの戦い、妃香華に見せるわけにゃあいかねえか」


 その言葉に頷いて、僕は静かに言った。


「じゃあ……」


「「はじめるか」」


 二人同時にそう宣言した直後、多種多様な攻撃が僕を襲った。


「……っ!」


 僕は地面を転がるようにしてそれを避ける。


「悪いな。こちとらこのゴタゴタを利用して、いろんな神にちょっかいかけててな。中住古久雨リーダーまでとはいかなくても、それなりに神の権能を蓄えてるんでね」


 さらに攻撃がくる。避けられないものは妙刀・神薙で防いだり、その結果得た権能を利用したりして対処する。

 しかし、


「おらおらあっ、まだまだ序の口だぜえっ!」


 それでも対処しきれない。高天原で暴れた分相手の方が戦闘経験を積んでいるというのもあるが、それ以上に僕の状態コンディションも悪かった。

 大分マシにはなってきたものの、マモンと戦って以降、魂の痛みがひかないのだ。


「おいおい、そんなもんかあ? ひょっとしたら案外すぐ勝負ついちまうかもしれねえなあ」


「……っ、言わせておけば……!」


「ほら、こっちを睨み付けてる暇なんてあるのかよ」


 瞬間、一際大きな一撃がきた。


「ぐは……っ!」


「ははっ、いいぞいいぞ。もっと苦しめえええっ!」


 こいつ、片時も手を休めない。そんなに僕が憎いのか。まあ、そりゃあそうだよな。

 僕の負の側面。心の内に隠した醜い部分。それがあいつだと言うのなら、僕を憎むのは当たり前だ。

 負の側面をなるだけおもてへ出さず、恥ずかし気もなく善人ぶっている。しかもそれすら上手くいっていない。そんな僕なんて、認められるはずがない。

 あいつにとっては、ドロドロした本当の気持ちを前面に出している自分こそが本物の麻布灯醒志なのだろう。


 だけど、それは僕とて同じこと。こいつは忘れ去りたい過去の自分だ。

 妃香華が死んだばかりの頃、僕は荒れに荒れていた。いつだってイライラして不満の捌け口を探し、周りに多大な迷惑をかけていたことを覚えている。

 そんなことをしたって妃香華は返ってこないのに。

 こいつは本当、あの頃の僕にそっくりなのだ。だから絶対に認めてなるもんか。過去の自分が立ちはだかるのなら、それを切り捨てて未来まえへ進むのみ――


「うおおおおおっ!」


 攻撃が向かってくる側に、僕は蛇剣・都牟刈を顕現させた。すると偽者の攻撃は難なく弾き飛ばされる。

 蛇剣・都牟刈は神器の中でも最高位のもの。並の権能では打ち破れないだろう。


「なっ……っ!」


 驚く偽者に向かって、僕は都牟刈で攻撃を弾きながら突進していく。そして、


「終わりだ……っ!」


 蛇剣・都牟刈を、思いっきり振り下ろした。


「チィッ!」


 妙刀・神薙で防ぐ偽者。しかし、僕の攻撃はこれで終わりではない。

 こいつは妙刀・神薙をガードに使った。ならば僕はその隙をついて、もう片方の手で握っているこちらの妙刀・神薙を叩きこむだけだ――っ!

 しかし、


おまえにできることは、俺にもできるってことを忘れるな……!」


 こいつも蛇剣・都牟刈を顕現させ、僕の神薙を防ぐ。


「この野郎……僕の真似ばかりしやがって……っ!」


「はっ、そりゃあ真似ぐらいすんだろうよ。なんたって俺と僕おれたちおんなじ存在なんだからなあ! まあ、絶対に認めたくはねえがよお!」


「同感だ……っ!」


 互いに神器をぶつけ合わせたまま、僕達は膠着状態に陥った。

 妙刀・神薙が相手の蛇剣・都牟刈の霊力を吸収し、それによってこちらの蛇剣・都牟刈を強化しているのだが、相手も全く同じことをしているので一向に状況が動かないのだ。


 しかし、この状況を打破する手がないわけでもない。

 神になってから何度かの戦いを経て気付いたことがある。

 人間は身体の各部位に筋肉があり、それによってそれぞれの部位の力を調節しているが、しかし筋肉ではなく霊力によって動いている神は、そもそも力の調整の仕方が人間とはまるっきり違うのだ。

 具体的に言えば、神は自身の内包する霊力を身体の各部位にことで力を調整している。

 それならば。

 両腕にかかっている霊力の配分を一気に変えれば膠着状態が解け、相手の意表を突くことができるのではないか。


 そうと決まれば、あとは実行するのみ。

 ここで押し切るためには、攻撃力の高い蛇剣・都牟刈の方が確実だ。

 僕はそう思い、妙刀・神薙を持つ腕の霊力を蛇剣・都牟刈を持つ腕へと一息に移動させた。

 そして、


「……っ!」


 僕も偽者も、驚きと嫌悪に顔を引きつらせることとなった。

 なぜなら。

 僕たち二人とも全く同じことを考え、同じタイミングで実行したからだ。


おまえ……!」「おまえ……!」


 お互いの手から妙刀・神薙がすっぽ抜ける。

 そして、勢いを増した蛇剣・都牟刈同士が激突した。


「ぐ……っ!」


 その反動で激しい衝撃が走る。だが、そんなものなどどうでもよかった。

 こいつと全く同じことを考え、同じタイミングで実行した。その事実に対する怒りが、僕の脳内を埋め尽くしているのだ。


「……っ!」


 僕は、そんな思いを振り切るようにして蛇剣・都牟刈をもう一度振るう。再び剣同士がぶつかり合った。


「この……っ!」


 まただ。また僕と俺ぼくたちは同じタイミングで――!


「野郎ォォォォォッ!」


 それから、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。

 僕と俺ぼくたちは、手にした剣をぶつけ合った。

 その度に、自分と目の前の男が同じであることを思い知らせれて。

 自分が、あのときから何も変わっていないことに苛立って。

 それを否定したくて我武者羅に剣を振るい続けた。

 そして。

 永劫にも刹那にも感じるその時間の果てに、遂に互いの剣は砕け散った。

 それでも。

 僕と俺ぼくたちは傷つけるのをやめない。

 目の前にいる自分を消し去りたくて仕方がない。


「「はは」」


 気付けば、僕と俺ぼくたちを浮かべながら殴り合っていた。


「「ははは」」


 なぜだろう。こんなにも痛いのに。こんなにも憤怒と嫌悪が渦巻いているのに。


「「ははははは」」


 どうして僕と俺ぼくたちは。


「「はははははははははははははははははは!」」


 未だかつて感じたことのないほど、最高に最高な気分なんだ……!?


 ぼくの拳がおれを傷つける。

 おれの拳がぼくを傷つける。

 痛いのに。苦しいのに。憎いのに。嫌なのに。

 なぜ僕と俺ぼくたちは、この時をずっと待っていたなんて、そんな風に思っているのだろう。


 ああ、目の前で、僕と同じ顔をした奴がグチャグチャになっていく。

 ああ、目の前で、僕と同じ顔をした奴が僕に殴りかかって来る。

 なんと言う歓喜、なんと言う悦楽、なんと言う快感!

 今、僕は最高の喜悦を抱いていた。


 なぜ、などと問うまでもなかった。

 多分、僕は妃香華が死んでから、ずっとこんな時が来るのを望んでいたのだ。

 僕は、罰せられたかった。

 僕は妃香華を見捨てた。そのせいで妃香華は死んだ。僕が妃香華を殺したのだ。

 ならば、僕はその報いを受けるべきなのだ。


 しかし、誰一人として、僕を罰そうとはしなかった。

 荒れに荒れ、暴れに暴れ、周囲に迷惑をかけても、それは同じだった。あるのは全く関係のない説教や、事情を知っている者からの憐憫だけ。

 違う。僕が求めているのはそんなものじゃない。だれか僕を、妃香華を殺した僕をころしてくれ。

 その末に、誰も僕を罰してはくれないことがわかった。ならば、僕が自ら自分をころすのみ。そう思ったが、それも無理だった。

 だって、自ら死を選ぶという行為は妃香華が行ったことだ。それと同じことを僕がする? そんなの、妃香華に対する冒涜だ。僕みたいな屑が、妃香華と同じように死んでいいはずがない。


 だから、これはチャンスなのだ。今、目の前にはぼくがいる。

 僕は僕自身をころしてはならない。しかしもう一人の自分がいるのなら。しかもそいつとの戦いが避けられないのなら。

 僕自身を、いくらでも罰す傷つけることができる。僕自身を、いくらでも罰し傷つけてくれる。

 しかも僕と俺ぼくたちは神の力を持っている。何度だって、身体は元通りになる。

 僕が存分に苦痛を味わい続けることも、ぼくに苦痛を与えることもできるのだ!

 そして最後には、僕の手でぼく最後の罰を与え、同様に、ぼくが僕をころしてくれるだろう。


「「ははははははははははははははははははははははははははははははッッッッッッ!!!!!!!!!!」」


 だから僕と俺ぼくたちは殴り合う。互いの霊力が尽きるまで、僕と俺ぼくたちは永遠に罰し、同時に罰され続ける―――!


「もう、やめて……っ!」


 息が、止まった。


「こんなことを言える資格、わたしにはないけど、何もかも全部、わたしのせいだけど、でも、それでも、お願いだから……もう、やめて……っ!」


「あ……あ……妃香華……」


 見られた。こんなにも醜い争いを。こんなにも醜い自分を。妃香華に見られてしまった。

 その事実で、冷水をぶっかけられたように頭が冷めた。


 何をやっているんだ、僕は……ッ!

 妃香華を天岩戸に入れたからといって、どうして安心して戦いに臨んだりしたんだ!

 いくら最硬の防御結界だといっても、それは外側だけの話に決まってるだろう! 中に入って出られなくなってしまったら意味がない。内側からは開けられるようになっていて然るべきだ。

 もう一人の自分を前にして嫌悪と憤怒で頭が一杯になり、そんなことにすら考えが至らなかったのか。


 しかも妃香華を天岩戸に入れようとしたとき、彼女は躊躇していた。こちらを心配そうに見ながら、だ。

 僕と俺ぼくたちがこうなると、多分妃香華はなんとなく気付いていたのだ。それならば、素直に閉じこもっているはずがないのは明白だっただろうが!

 この戦い、絶対に妃香華に見られてはいけなかった。

 こんな僕を見て、ひいてくれるならいい。それが普通の反応だ。だが、妃香華は優しすぎる。このままでは、僕に引け目を感じてしまう。

 それだけは絶対にまずい。


「妃香華、僕は……」


 妃香華の方に向き直ろうとして、僕は身体を動かした。

 途端、身体が崩れ落ちた。


「え……」


 そんな間抜けな声しか出なかった。

 気付けば僕の身体は既に復元能力が追い付かなくなっており、内臓は飛び出、身体のパーツはグチャグチャで、完全に人間としてのかたちを失っていた。

 ああ、そうか。こんなになるまで殴り合っていたのか、僕と俺ぼくたちは。今になって気付くなんて間抜けにもほどがある。どれだけ冷静さを失っていたのか。


 妃香華は泣いている。十中八九、僕のせいだろう。こんなものを見せてしまったのだから当然だ。ああ、僕はどれだけ妃香華を苦しませれば気が済むのだろう。

 妃香華は僕の側に寄ってきて、静かに僕を抱きしめた。


「駄目だ妃香華。今抱き着くと、僕の血がついて――」


「ごめんなさい」


 妃香華のその声は、酷く追い詰められているように聞こえた。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 妃香華は、泣きながらごめんなさいと何度も謝ってくる。

 どうして謝るのだろう。謝らなくちゃならないのは僕の方なのに――

 そう口を開こうとした瞬間、


「危ない、妃香華……っ!」


 もう一人の僕が、妃香華を突き飛ばした。

 当然、妃香華に抱かれていた僕も同じく突き飛ばされる。

 刹那、寸前まで僕と妃香華のいた場所――そして、今はもう一人の僕がいる場所に何者かの攻撃がぶち当たる。


「……っ!」


 辛うじて原型を保っていたもう一人の僕は、その攻撃で完全に弾け飛んだ。


「ひゃはっ。遅いと思って来てみたら共倒れしてるし、しかも最後の力を振り絞って敵を助けるとかマジ萎えるんだけどお。

 自分同士なのに、殴り合って友情でも芽生えたってかあ? 気持ち悪ぃ。

 ああ、助けたのは自分のオリジナルじゃあなくて、そこの女の方か。だったらごめんよお。自分が死んでも惚れた女は助ける、そういう奴、オレは好きだぜえ」


「悪魔――マモン……ッ!」


 僕はマモンを睨み付け、その名を呼ぶ。


「へえ、覚えててくれたんだあ。でもまあ、どうせここで死ぬから意味ないんだけどねえっ!」


 マモンの攻撃が迫る。完全に避けることはできずに、僕は飛ばされる。


「グヴォッ!」


 マモンが話をしている間に治りかけていた傷口がその攻撃で再び開き、また体の中身がボロボロと落ちる。口から血が溢れだし、逃げようにも足はまともに機能していない。

 これは完全に駄目だ。僕はここで死ぬ。

 だから、せめて。


「逃げろ、妃香華……っ!」


 妃香華だけでも逃がそうと、僕は地を這い、前へ出る。


「でも、灯醒志……っ!」


「僕のことはいい。来た道は覚えているな。ああでも、おまえ方向音痴だから、もしわからなくなったら明るい方へ行け。天照大御神がいるはずだから。あの神様なら、地上に返してくれるはずだ。そしたら、巫達が保護してくれる。だから、はや……ゴホッ!」


 そこで限界がきて、僕は血を吐いた。だが、これで言うべきことはすべて言った。これでもう妃香華は大丈夫なはずだ。伊梨炉秀がどう出るかが心配だが、おそらく今彼は他の黒霊衆の面子と戦っているだろう。


「じゃあ覚悟はいいかあ? 麻布灯醒志」


 悪魔が笑い、その力を僕に向け叩き落としてくる。

 ああ、僕は本当に最後の最後まで、浅慮で、醜く、最低な男だったな――

 そう思いながら、僕は死ぬことを受け入れていた。

 しかし。今回も運命は、僕が死ぬことを受け入れてくれないらしい。


「嘘……だろ?」


 悪魔の攻撃を、誰かが止めている。

 否。誰か、なんてぼかす必要はない。なぜなら、もう一人の僕が戦闘不能になった以上、ここには僕と悪魔以外に、あと一人しかいないのだから。


「そんな……」


 十六夜妃香華。僕のせいで苦しみ続けた少女が今、僕を守るために悪魔の力を解放していた。


「ひゃはっ、この力……。なるほど、こんなにも強い悪魔をその身に宿していたか……っ!

 だが哀れだなあ! おまえに取り憑いた悪魔、祓うのはほぼ不可能だ!

 そいつは悪魔祓いの効かない悪魔。魂との接合点、その限界まで根を張って、完全に同化しちまう悪魔だからなあ!

 魂との接合に直接干渉して、かつ強引に引き剥がせる力を持っていなけりゃあそいつは出て行かねえ。残念だったなあ!」


 妃香華から発せられる霊力が形をおび、幻影シルエットを形作っていく。

 それは鯨か、鰐か、海蛇か、あるいは龍か。ともかく水生生物のシルエットをゴチャゴチャにして混ぜたような異様な姿をしていた。

 そして、その幻影シルエットが攻勢に出る。その力はすさまじかった。


「……っ!?」


 ただの一撃で、マモンは弾き飛ばされる。

 なんという力。まるで荒れ狂う海のようだ。


「ひゃ……はっ、さすがに悪魔としての格が違いすぎるか……。だがそれでいい、そうでなくちゃあ、な……。そのまま全て破壊して、こんな世界、滅茶苦茶にしてくれや。なあ……」


 最後に一言、マモンは妃香華に憑いた悪魔の名を呼んで、完全に意識を失った。


「……レヴィアタン」


 あれほど強かった悪魔を、ここまで呆気なく倒すのか。

 いや、今はそんなことどうでもいい。それよりも。


「妃香華! 大丈夫か――」


「来ないで!」


 妃香華は、悲痛な声でそう言った。


「灯醒志はさ、もうあの日の約束をちゃんと果たしてくれたよ。何度もボロボロになりながら、灯醒志はわたしを助けてくれた。その事実で、わたしは充分に報われた。だからもういいの。わたしのことはもう忘れて」


「待ってくれ妃香華、僕は――」


「灯醒志」


 妃香華は僕の言葉を遮り、僕を安心させるように、笑顔をつくって言った。


「ありがとう。灯醒志と会えて、幸せだった」


 その言葉と共に、僕らを繋げていた結合リンクが強引に断ち切られ――

 妃香華は、僕に背を向けた。


「妃香華―――ッ!」


 僕は必死に呼びかけた。

 しかし、もうその言葉は届かない。

 妃香華は凄まじい速度で、僕の視認できない範囲まで行ってしまった。


「なんでだよ……」


 その場に残された僕の頭は、去り際の妃香華の表情で埋め尽くされていた。


「何が、もう十分に報われた、だ。何が、幸せだった、だ。あんなに泣きそうな笑顔で言われたって、納得できるわけがないだろう……っ!」


 そう。妃香華は僕を安心させるために、無理矢理笑顔をつくったのだ。嘘を吐くのが下手なくせに、必死に僕を気遣ってくれたのだ。

 それに、妃香華は悪魔の力を解放してしまった。故に暴走を恐れ、去っていったのだろう。

 妃香華は僕のことを最大限に考えて、僕と離れる決意したのだ。だから、ここで妃香華を追いかけるのは無神経かもしれない。


 だけど。それでも妃香華を放ってはおけない。

 一度は放っておいたくせに虫が良すぎるが、しかし一度それで失敗しているからこそ思うのだ。

 さわらぬ神に祟りなしと逃げてしまえば、それで自分の身に火の粉が降りかかる心配はない。

 でも、その対象は。その渦中にいる人たちを助けるには、こちらから関わっていくしかないのだ。

 だったら、行かなくてはならない。


 ボロボロになり、今にも崩れそうな身体を無理矢理動かして、立ち上がる。

 そうして一歩踏み出そうとした僕の目の前に、見知った男が現れた。

 そいつは――


「やあ、大変なことになっているようだね。僕に聞きたいことがあるんじゃないの?」


「秋空、緋紅麗……ッ!」

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