第二十三話 伊梨炉秀と守繫蘇羽
僕と妃香華、そして抑霊衆全員が一堂に会していた。
その中央で座しているのが、伊梨炉秀という男。
抑霊衆の
「さあ、作戦会議の前にまずは――」
伊梨はそう言って――
「目障りな
いきなり妃香華に攻撃を放った。
「え――?」
全く反応できなかった。
神の身体能力ですら反応できないその一撃は、確実に妃香華を貫かんと迫る。
それを、
「予備動作なしの高速の一撃。威力は低いが、霊を殺すだけならそれで十分だ。まったく油断ならねえ。俺がアンタの性格を熟知してなけりゃあヤバかったぜ」
守繫蘇羽さんが、素早い動きて撃ち落とした。
そんな守繫さんを見ながら伊梨は言う。
「なぜ止める? 悪霊は退治しておかないといけないだろう?」
「な……っ、待ってください。妃香華はもう悪霊じゃない!」
思わず僕は声を荒げた。
対して、伊梨はまったく声色を変えずに答える。
「一度穢れに憑かれたような魂だ。いつまた穢れに憑かれ、悪霊となるかわかったもんじゃあないだろう?」
「そんなの僕が神で居続ければいいだけの話でしょう!? そうすれば妃香華が悪霊になることもない!」
「おいおい、霊魂は不滅だよ? 君もその霊も、永遠に在り続ける。多くの人間と死に別れ、永遠に生き続ける覚悟が君にあるのかい? 大体、悪霊じゃなくてもその霊には憑いているものがあるじゃあないか」
「……っ!」
この男は知っているのか……!? 妃香華が悪魔憑きだということを。だとしたら、妃香華の魂を悪魔と分離させる方法も知っているかもしれない。
しかし仮に知っていたとしても、この男がそれを教えてくれるとは思えない。今の態度を見るかぎり、完全に妃香華を排除しようとしている。
それに、ここでもし悪魔憑きの話になってしまったらどうなるかわからない。最悪、他の抑霊衆の人たちをも敵に回してしまう可能性すらある。そうなってしまった場合、さすがに妃香華を守りきれない。
故に、この先の問答でボロを出すことはできない。どうする……どうやって隠す――
そんなふうに焦っていると、
「相変わらず悪霊のこととなると見境無えなあ、炉秀」
伊梨の攻撃から妃香華を守ってくれた守繫さんが、口を開いた。
「なんにせよ、今は黒霊衆のことをどうにかするのが先決だろう。内輪揉めしている場合じゃない。ここであの霊を殺せば、そこの神は俺たちと敵対するぜ?」
その守繫さんの言葉に、伊梨は溜息をついて答える。
「それもそうだね。まあ、さしあたっては麻布君、今朝ここへ来るまでのことをこの場で話してくれると嬉しい。情報共有は大事だからね」
「……わかりました」
正直、この伊梨という男は気に入らない。しかし、この場の主導権を彼が握っているのはたしかだ。
ならば、無暗に反発するのは悪手だろう。ここは大人しく、今朝のことを話すしかない。
「今日、ここに来るまでの間に、黒霊衆のあの女に出会いまして――」
そして僕は、その女がマモンの悪魔憑きであったこと、そして、奴が悪意の獣と呼んでいたあの怪物のことを話した。もちろん、妃香華が悪魔憑きであることについては伏せてだ。
「悪意の獣……そんなものが出てきてしまっているのですか……」
そう言う巫の様子から察するに、悪意の獣は抑霊衆にとっても想定外のことだったようだ。
だとしたらこの状況、思った以上に黒霊衆の計画通り進んでいるのではないか――いや、そもそも黒霊衆が何を企んでいるのかさえ、まったくわからない状況だが。
そんな風に不安がる僕や妃香華、僕の話に驚いている抑霊衆の面々を
「うんうん、これで情報共有はできたね。本当は隠し事も含めて洗い浚い全部吐いて欲しかったけど。まあ隠し事をしているのは僕も同じだし、不問とするよ。じゃあ次は、こちらが仕入れた情報の一部も開示しよう」
感情の読めない声で、伊梨は話を続ける。
「黒霊衆の次の狙いは高天原だ」
高天原――日本神話における、
黒霊衆は、そんな天上の世界にまで何かをしようとしているのか。
そんなふうに驚いた矢先、伊梨はさらに驚くべき言葉を発してきた。
「そういうわけで、僕と麻布君で高天原へ行こうと思う」
「ちょ、ちょっと待ってください伊梨さん! そもそも行けるんですか? 高天原に!」
すかさず巫が尋ねる。
対して、伊梨は平然と答えた。
「ああ。そのための術式はもう作ってある。というかそもそも、高天原を治めている神に許可をもらっているからね」
「……」
その場にいた全員が絶句する。高天原を治めている神――つまり、天照大御神から直接、高天原への通行許可をもらったというのか、この男は。
「で、でも、だったらこの場の全員で行けばいいのでは……?」
「君たちは地上に残って悪意の獣への対処をしてほしい。そうすることで少しでも被害を減らせるだろうしね。
まあ、それでも高天原への
「それは……」
言いよどむ巫。多分、僕のことを心配してくれているのだろう。
「巫、僕なら大丈夫だ」
黒霊衆を倒し、霊力の乱れを止められたら一番いい。しかし、悪意の獣への対処も必要だ。ならば二手にわかれ、並行してことにあたるのが得策だ。
故に、ここは伊梨の指示に従った方がいい。こいつのことは気に入らないが、しかし現状で一番情報を持っているように見える。
心配なのは、妃香華のことについてだ。
そうなってくると僕は、黒霊衆と戦いながら伊梨に対する警戒もしなくてはならない。先ほどのように、隙を見て伊梨が妃香華を排除しようとするかもしれないからだ。
高天原へ行っている間、一瞬たりとも警戒を怠ってはならない。心してかからないと。
「……わかりました。危険な目にばかりあわせてしまってすみません」
「巫が謝ることじゃないだろ。悪いのは奴ら――黒霊衆だ」
「決心が着いたようだね。じゃあ、僕は高天原への
そう言って、伊梨は部屋を出て行った。
「私たちも、悪意の獣への対策を始めなくてはいけないわね」
上代さんはそう言って部屋を出て、神無月さんもそれに続く。
すると今度は巫が立ち上がり、
「私も行きますね。でも、その前にこれを……」
そう言って、一枚の御札を僕に渡してきた。
「これは……?」
「これは、結合を結びなおす御札です。高天原へ行った時、もし麻布さんと十六夜さんを繋ぐ結合に何かあったら大変ですので……」
僕と妃香華の結合が途絶えた場合、妃香華に神の加護はつかなくなる。そうなってしまえば妃香華は再び穢れに憑かれ、悪霊となってしまうだろう。
しかし、結合を結びなおせる御札があるのなら、そういった事態にも対処できる。そう考え、巫は僕にこの御札を渡してくれたのだろう。
その気遣いは素直に嬉しい。
「麻布さんが高天原に行っている間は二人の結合を一度解き、ここに十六夜さんを置いていくという手もありますが、しかし悪意の獣をどうにかするとなると何か不測の事態が起こる危険性もありますし……正直、どちらが安全かは判断しかねます……。
申し訳ありません。この件に麻布さんを引き込んでしまった私がこの程度しかお力添えできず……」
「謝ることなんて何もない。これまでの戦いだって、巫が居なければどうにもならなかった。それに、この御札もありがとう。きっと役に立つと思う」
「麻布さんは本当に優しいですね……。でも、少しは自分のことも大切にしてください。くれぐれも無茶しないでくださいね」
「ああ、わかった」
そう言葉を交わし、巫も部屋を出て行った。
部屋に残っているのは、僕と妃香華と、あと一人。
その人物に、僕は声をかけた。
「あの……さっきはありがとうございました。守繫さん」
先ほど伊梨の攻撃から妃香華を守ってくれたことへのお礼を言う。
すると、守繫さんは手をヒラヒラと振って答えた。
「気にするな。別に大したことじゃない。だが、そんなことよりも……」
守繁さんは、険しい表情で――
「どうやら知っちまったようだな。その娘が悪魔憑きであることに」
僕の隠し事をズバリと言い当てた。
「気付いていたんですか?」
「ああ。俺は昔、悪魔関連の事件に関わったことがあるからな」
その事件というのがなんなのかはわからないが、しかしだとすると
「どうして、昨日言わなかったんですか?」
「本当のことを言うのはショックだと思ってな。それに他の抑霊衆の目もあった。巫ならともかく、他の連中が悪魔に対してどんなイメージを持っているのかわからなかったからな。
それに、専門家を呼ぶって言ったろ。そいつも悪魔と因縁深い男だ。もっとも、悪魔の専門家ではなく魂の専門家だがな。
悪魔祓いの効かない悪魔ってのも存在する。おそらく、その霊に憑いている悪魔は十中八九その類だろう。死後も魂に取り憑いているってことは相当の力を持っている証拠だからな。
だから、魂に干渉して直接悪魔を引き剥がせる奴じゃなけりゃ駄目なのさ。
まあともかく、悪魔憑きであるなんてことは知らせずにそのまま専門家の手で分離させちまえば、それに越したことはないと思っていた」
なるほど。たしかにそれなら納得できる。だが先ほど守繁さんは、もう一つ気になることを言っていた。
「では、悪魔関連の事件っていうのは……?」
「昔起こった、悪魔の因子が大量にばらまかれた事件さ。その娘が悪魔憑きになったのもそのせいだろう。
だが、ここにきて悪魔の餌となる悪意の獣が発生、しかも黒霊衆に悪魔憑きがいるとなると、もしかしたらあれも黒霊衆の計画の一部だったのかもしれないな……」
だとするなら、妃香華もまた黒霊衆の被害者ということになる。
戦う理由が、一つ増えた。
「まあなんにせよ気を付けろよ。黒霊衆や従来の神もそうだが……伊梨にもな。あいつは本当に抜け目のない男だからな」
伊梨炉秀、か。あの男はどうして――
「伊梨さんはなんていうか、とてつもなく悪霊を嫌っているように見えましたが――いやまあ悪霊を嫌うのはそりゃあ当たり前なんでしょうけど、それにしたっていきなり攻撃を仕掛けるとは……しかも、今はもう悪霊ではないというのに。一体、なぜなんですか?」
「さあな」
そう言って、守繁さんも部屋を出て行った。
◇◇◇
あれから暫し後、ついに高天原へ行く準備が整った。
「それじゃあ
伊梨がスッと手をかざすと。
目の前の空間が裂け、人ひとりが通れるほどの穴ができた。
「ここを潜ればその先は高天原だ。高天原では、神々も一切の被害を気にせず全力を出すことができる。その戦いは想像を絶するものになるだろう。ちゃんと覚悟しといてくれよ」
「はい、わかりました」
「うんうん、良い覚悟だ。それじゃあ、行くよ――!」
そうして僕と伊梨は、地上と高天原を繋ぐ穴へと飛び込んだ。
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