第十七話 この世界に怨念を

 あきらかに、僕は追い詰められていた。

 化け物の攻撃は、ペース配分など全く考えていないと思われるほど苛烈である。反撃するタイミングをつかめない。


 ならばその力が尽きるまで避け続ければいいのだが、しかしそれはできそうにない。なぜなら、何とも情けないことに僕の体がかなり限界に近付いていたからだ。

 やはり穢れを取り込んだのがまずかったのか予想以上に消耗が激しく、長期戦はできそうもない。


 ならば復元能力頼みで突っ込むかとも考えたが、それも無理そうだ。

 この連戦で霊力はほぼ底を尽きている。今手傷を負ったら、復元までに時間がかかってしまうだろう。それは、戦闘では致命的な隙だ。


 絶望的な状況。打開策も何もない状態で、僕はただひたすら攻撃を避け続ける。

 しかしそれすらも満足にできず、


「ぐ……っ!」


 化け物の攻撃に足を貫かれ、耐えきれなくなった僕はその場に倒れる。

 その隙を逃さず、化け物はさらに攻撃を放って来た。だが復元能力が追い付かず、僕は動くことができない。

 そして、化け物の攻撃が僕を貫く――はずだった。

 しかし。


「化け物の攻撃が、止まった……?」

 

 なぜか化け物が動きを止めた。

 さらに――


「が、げぐ、ぎごがああああああああああっ!」


 突然、化け物が苦しみだした。

 なんとか命拾いしたようだが、一体何が起こったのだろう。

 疑問に思っていると、


「これでもう大丈夫です。あの化け物の依り代となっている人物と十六夜さんを繋ぐ回路パスを利用し、化け物を内側から崩壊させましたので」


 巫がそう告げた。

 戦闘に手一杯で巫と妃香華を気にかけている余裕がなかったけど、知らぬ間にそんなことをしていたのか。

 化け物の方を見ると、たしかに崩壊するように体がどんどん分離していっている。


「結局、最後まで巫頼みになっちゃったな」


「いえ、麻布さんが化け物を引き付けてくれなかったらどうにもなりませんでした。それに、十六夜さんがいてこそできたことですし。だから、これは私達三人の勝利です」


 巫は、微笑んでそう言った。

 三人の勝利か。なんていうか、不思議な気分だ。僕と、巫と、そして妃香華が、皆で何かを成し遂げるというのは。

 その事実だけで、今までの戦闘の疲れなどなくなってしまいそうだ。


 ともあれ、これで戦闘は終了。あとは霊力の乱れさえなんとかすれば、一連の事件は解決か。

 そんな風に思ったのだが――

 しかし、現実はそう甘くなかった。


「う……おお、あ……」


 化け物が、声を発した。


「う、おおあああ……っ」


 その叫びと共に、崩壊していたはずの化け物の身体が元に戻り始める。


「うおおおおお――ッ!」


 否、ただ戻っているのではない。何か、別の形に変貌しようとしているのか。


「がああああああああああッ!」


 化け物の声が響き渡り、そして――



 ◇◇◇



 穢れが、怨念が、霊の意志が、俺の意識を食い潰していく。

 思いも記憶も全てボロボロになっていき、もはや自分が何者かすら思い出せなくなってきていた。

 だけど。それでもなお、ひとつだけ残っているものがあった。


 鵜良宮うらみやしずく。俺の最も、大切な人。意識が怨念に上書きされようと、彼女への思いだけはまだ俺の中に残っていた。

 雫といる時間は楽しかった。

 そんな時間が、ずっと続くと思っていた。

 しかし、俺と雫は喧嘩をし、その翌日、雫は事故に遭い死んだ。

 雫と、ちゃんと仲直りをしたかったのに。その機会が、永遠に失われたと思った。


 でも、再会の時はすぐに来た。悪霊となった雫が、俺を祟ったのである。

 それを不快だとは思わなかった。もう一生会えないと思っていた雫と、こうして会えたのだから。

 祟りというかたちであっても、雫と交流できることが俺にとっては何よりの幸せだったのだ。

 むしろ祟りによって俺が苦しめられることで、雫が感じている恨みや苦痛や苦悩が少しでも晴れてくれれば幸いだとさえ思っていた。


 しかし、伊梨炉秀。あの男が、勝手に、一瞬で雫の霊を消滅させた。

 俺は祟られていても構わなかった。雫といつまでも、共にいたかったのに。

 本当にあっさりと。雫の霊は、退治されてしまったのである。 


 だからこそ、俺はこの道を選んだ。

 生者は死者の痛みを、苦しみを知らなくてはならない。それは生者にとっても死者にとっても救いとなるはずだ。かつて、雫に祟られていたときの俺がそうだったように。

 しかし、死者は弱い。生者の都合で簡単に消され、踏みにじられ、そして忘れられる。かつて、雫の霊が消されてしまったように。


 その摂理をくつがえすためには、力が必要なのだ。

 霊が神の如き力を持ち、その身の憎しみを発散し、災厄を振りまけば、生者は皆身に染みてわかるはずだ。死者の抱く痛みを、苦しみを、憎しみを。


 だからこんなところで終わるわけにはいかない。例えこの身が朽ち果てようと、自身の存在そのものが掻き消えようと、俺は死者の痛みを世界に刻み込まなくてはならない。


「うおおおおお――ッ!」


 離れていく怨念を再び手繰り寄せる。この痛みを、苦しみを、手放してなるものか。今度こそ、死者との繋がりを断ち切ってなるものか―――!


「がああああああああああッ!」


 この世界に怨念を。

 全ての生者に死者思い恨みを。

 それを知らしめるためならなんだってする。

 どんな犠牲を払ってでも。その犠牲が、自分自身であるとしても。

 あの日、俺は固く誓ったのだ。



 ◇◇◇



 そして。巫によって内側から崩壊させられ、完全に分離していたはずの化け物が、結合して元の姿に戻った。

 否、それだけではない。そのままさらに姿が変わり、


「はあ、はあ……危ない、ところだったが――」


 化け物だったものが、人間のかたちへと変化し、言葉を発した。しかもそこからは、先ほど以上に禍々しい霊力が感じられる。


「なんとかなったようだな。しかしこの結果は俺としても予想外だ。

 俺の目的を果たすためには暴走状態の方が適していたのだがな……。まあ、こうして制御できるようになったのなら、それはそれでやりようはある」


「う、嘘でしょう? これほど多くの悪霊の怨念をその身に宿しているにも関わらず、この人はまだ意識を保っていられるのですか……? いや、それどころか自分の意志で崩壊を止め、なおかつ制御まで……」


 その言葉を聞いて、僕は戦慄せんりつした。多くの悪霊の怨念を宿してもなお自我を保ち、どころかそれを制御するなんてありえない。

 たった一人の悪霊の穢れでさえ、取り込むのは至難の業だったのに。一体この男はなんなんだ。


「その霊、俺の術式によって集められた霊の一人だな。彼女を通じて俺の術式に介入を仕掛けてきたか。しかし、どうやって穢れに憑かれた霊を通常の状態に戻した?」


 この口ぶりからすると、こいつが悪霊を集めた張本人――秋空が言うところの悪霊の専門家、玖導励志か。

 ともかく今、再び戦闘になるのはまずい。せめて回復の時間を稼ごうと、僕は玖導の質問に答える。


「僕の神器は霊力を吸い取り、吐き出す。その力を利用したんだ」


「そうか。だが、怨念を自らの内に取り込むのは相当の苦痛が伴うはず。俺とて、理由と覚悟があったからこそ、彼らを取り込むことができた。一体、何が貴様をそこまでさせた?」


「僕と妃香華は生前知り合いだった。そしてあのとき僕は、妃香華が苦しんでいることに気付いていたんだ。それなのに、僕は見て見ぬ振りをしてしまった。だから今度こそ、妃香華に何かしてあげたかったんだ。もう取返しなんてつかないってわかっていても」


 その僕の返答に、


「く、はは、ははは、はははははっ! 貴様は死に別れ、後に悪霊となった少女を、その苦しみから救ったというのか!」


 玖導は笑った。

 しかしその笑いは、なぜか僕を馬鹿にしているようなものには聞こえず――

 心底嬉しそうで、それでいて悲しみを帯びているようでもあった。


「……ふぅ。成り行きで神になっただけの一般人だと軽く見ていたが、なるほど。これは評価を改めねばな。貴様は実に興味深い。貴様、名は何だ?」


「……灯醒志。麻布灯醒志だ」


「麻布灯醒志……か。覚えておこう。何せ俺と貴様は、同じ後悔でできているからな」


「同じ……後悔?」


「むろん、対象は違うがな。それでも貴様とは通じ合うところがないでもない」


「それはどういう――」


 僕が訊こうとした瞬間。


「ほお、何だか面白いことになっているな」


 突如、一人の男が現れた。


「中住古久雨……!」


 巫が、その男を睨んで言う。

 さらに、


「ひゃはっ、いい感じじゃねえの!」


 秋空と一緒にいた女も現れた。しかし、当の秋空本人は姿を現していない。

 秋空と再会した直後、僕は妃香華の悪霊と遭った。正直、タイミング的に秋空は怪しすぎる。何か企んでいたとしても不思議ではない。もしまたあいつが現れたら、問い質そうかと思っていたのに――


 いや、今はそのことについて考えている場合ではない。何よりまずいのはこの現状だ。ただでさえ危機的状況なのに、敵の助っ人が二人、増えてしまったのだから。


「何を勿体ぶっている、励志。さっさとこいつらを片付けるぞ」


「もう少し話をしていたかったが……まあ、仕方ないな。霊力を回復されると面倒だ」


「ひゃはっ、じゃあ、行くぜえええ!」


 そして。

 三人の攻撃が、同時に放たれた。

 その刹那。


「天をも穿て、神剣・羽々斬」


 その声と共に、見覚えのある霊力ちからの奔流が攻撃を弾き返した。

 これは――


「素戔嗚!」


「よお、灯醒志。ここは抑えておくから、おまえらは早くここから去れ」


 まさか、助けに来てくれたのか? 一体、なんのために……。

 いや、考えるのは後だ。とにかく今は、素戔嗚の言う通りにするしかない。


「その、ありがとう……ございます」


「敬語はよせ。一度殺し合った仲だろ、俺達は。大体、そんなこと言ってる暇があったら早くここから離れろ」


「わかった。ありがとう」


 何にせよ、ここは素戔嗚に感謝し、僕は巫と妃香華を連れ、急いで立ち去ることにした。

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