第五話 神器の力

「これは、まさか⋯⋯」


 素戔嗚の手に現われた剣を見て、僕は思わずつぶやいた。

 これはただの剣じゃない。空間全体を覆う圧迫感と全身に駆け巡る戦慄が、そのことを何より雄弁に語っている。

 理性ではなく、本能でわかった。これこそが巫の言っていた──


「神器……ってやつか」


「はい、素戔嗚尊はたしかに言いました。神剣・羽々斬ハバキリと」


 ゴクリと唾を飲み、巫が言う。


「つまり、あれこそは天羽々斬剣アメノハバキリのつるぎ。剣の形をとる神器においては間違いなく頂点に君臨する究極の三器──すなわち、神代三剣の一振りです」


 そう告げた巫の声は震えていた。

 かく言う僕も、あの剣と相対するのだと考えると身震いしそうになる。

 ただでさえ自力では遠く及ばない相手が神器なんていうとてつもない奥の手を出してきた。しかもそれが数多の神器の中でも最高峰だと言うのだ。あまりに絶望的すぎる。


 そんなふうに恐怖する僕たちを見ながら、素戔嗚は何気ない調子で剣を振るった。

 たったそれだけで。

 剣に籠められていた霊力の一部が射出された。


「ぐッ……が……ッ」


 避ける間もなく、その霊力によって僕の体が壁際まで飛ばされる。


「がッ、はアぁ……ッ」


 荒い息を吐きながらなんとか立ち上がろうとしたが、


「もう終わりだ間抜け」


 既に、素戔嗚が目前まで迫っていた。

 剣を振るった余波の霊力でさえこの威力なのだ。

 あの剣の斬撃を直接喰らったら、復元能力など何の意味もなく一瞬で消滅するだろう。それは絶対に避けなくてはならない。

 だが、


「く……っ!」


 もう間に合わない。その一撃を避けるだけの余裕が、まったくない。

 そして、容赦なく剣が振り下ろされる――その直前、


おもてを護れ、矢倉の陣――!」


 巫が叫び、数枚の御札を投げた。すると空中の御札は規則正しい配列に並び、それぞれ別種の霊力を放つ。

 一見不調和な霊力の波。それが相互に干渉し合い、増幅し、素戔嗚の攻撃を阻む最大の障壁と化した。

 そして素戔嗚の斬撃と巫の防御陣がせめぎ合う。だが長くは続かない。徐々にその均衡は崩れ、素戔嗚が巫の防御陣を破りつつある。

 しかし、


「総矢倉の陣!」


 巫は、さらに御札を一枚プラスした。


「……ッ!」


 たったそれだけで攻撃の勢いが弱まる。これも巫の卓越した技術だからこそなせるわざなのだろう。

 だが、それでも相手の勢いを弱めただけ。このままではジリ貧である。ならばやはり、ここは僕が動かなくてはならない。


 しかし、具体的にはどうする。

 巫の張ってくれた防御陣から出たら再び剣を振るわれ、そのままやられてしまうだけだ。

 いくら巫とはいえ何度もこんな防壁を張ることはできないだろうから、なんとかしてあの剣に対抗する手段を見つけねばならない。

 だが、そんなものが本当にあるのだろうか。あんな強力な攻撃をどうにかする方法なんて――


 いや、ある。一つだけ。

 神器だ。相手が神器を用いてきたのならば、こちらも神器を用いればいいだけの話。

 巫が言っていたじゃないか。神器は神がそれぞれ固有に持っていて、それを使いこなせれば格上が相手でも十分に戦える可能性があると。

 僕の神器がどんなものかはわからないが、それに賭けるしかない。この状況を切り抜けられる手段などそれ以外には無いのだから。

 巫のアドバイスを思い出す。不定形の霊力を凝縮させ形を与えることで、神器を創造できるのではないかと。手がかりはそれだけだが、やってみるしかない。


「う……おあああああ……っ!」


 あらゆる感覚を研ぎ澄ませ、霊力を一点に集中させる。


「うおああああああああああ……っ!」


 イメージしろ。あの素戔嗚の剣にも対抗できるような、強力な神器を。


「うおおおおおああああああああああ―――っ!」


 力を一気にコントロールしている反動か。全身の血管が破け、体中の神経も焼き切れている。


「ガああああああああああああああああああああ―――っ!」


 それにも関わらず鋭い痛みが僕を襲っているのは、その痛みが肉体の痛みではないからだろう。

 本能的に感じ取れる。これは魂の痛みだ。無理な力を使っているせいで、肉体だけではなく魂にまでダメージが及んでいる。


「あああああアアアアアぁぁぁぁぁ……ッ!」


 だがそんなのもの知ったことではない。僕のすべてを使って、神器を創り出してみせる────!


 そして。

 一瞬とも永劫とも感じる極限の時間の果てに。

 僕の霊力は、一振りの刀を形成した。

 同時に先程から感じていた痛みは和らぎ、代わりに極度の疲労感が僕を襲ってくる。

 今すぐにでも横たわりたい気分だったが、休んでいる暇などなかった。

 素戔嗚が巫の防御陣を破り、僕に斬りかかろうとしていたからである。


「……っ!」


 僕は無我夢中でたった今創造した刀をつかみ、素戔嗚の剣を受け止めた。

 神器同士の激突。その衝撃により、大量の火花が飛び散る。

 しかし、その競り合いは一瞬で終わった。僕の神器では素戔嗚の神器を受け止めきれなかったからである。


「ぐ……っ!」


 その衝撃を緩和するため、やむなく僕は後退する。

 だが、刀剣の打ち合いにおいて後ろに下がるのは危険だ。相手に攻撃の主導権を握られてしまう。


「ハッ、神器を創造したくらいで俺と同等になれるはずねえだろうが!」


 案の定、素戔嗚は容赦なく追撃してきた。

 ガッキイィィィッ! と鋭い音を立て、何度も刀剣がぶつかり合う。

 やはり素戔嗚の剣の方が威力は高いようで、打ち合う度に僕は後退を余儀なくされる。


 先ほどのように捨て身の特攻をしようかとも思ったが、それは避けたほうがいいだろう。

 今までの戦闘で霊力をかなり使ってしまった上、神器を創造つくる際に身体に負担をかけ過ぎてしまったため、復元能力もそろそろ限界に近い。

 しかも、素戔嗚の神器の攻撃力は桁外れだ。あの剣の斬撃を直接受けたら、復元するより先に全身が一瞬で消し飛んでしまうかもしれない。

 だからといって他にこの場を切り抜ける手段など思い浮かばず、ついに僕は壁際まで追い詰められてしまった。


「これで終わりだな。いやあ、なかなかに楽しかったぜ。

 ここまで骨のある奴と戦ったのは久しぶりだ。俺がおまえを、一人前の神と認めてやろう。

 だが、相手が悪かったな。俺は自分が認めた相手でも容赦はしない」


 そして、素戔嗚は剣を振り上げた。

 アレが振り下ろされたら僕は死ぬ。

 別に死ぬのが怖いわけじゃない。巫に助けてもらわなかったら、僕はもうこの世にはいないのだから。


 だけど僕がやられたら巫はどうなる。

 新しい神を殺せたからそれで事件解決。素戔嗚がそう思ってはくれる保証はない。

 最悪、新しい神を生み出そうとした人間そのものを始末しようとすることだってありえる。

 もともと、素戔嗚のターゲットは抑霊衆なのだ。僕が死ねば、素戔嗚は真っ先に巫を殺すだろう。そこに躊躇ちゅうちょなどあるはずもない。


 戦っていればわかる。この素戔嗚という神は、どこまでも真っ直ぐだ。

 単純明快に、ただ己の信じる道を突き進む。迷ったり、悩んだり、うじうじ考えることなど絶対にない。目の前にある障害は、どんなものであれ躊躇なくはねのけてしまう。

 あまりにも傲慢で無慈悲──だけど同時に、どうしようもなく真っ直ぐで英雄的な思考回路だ。

 有限な人間では決して到達できない、神だからこそ到達できる、ある種の極致。

 どこまでも残酷で、どこまでも純粋。その力強い有り様こそが、古今東西、ありとあらゆる日本人が素戔嗚をおそれ、敬い、あるいは憧れてきた所以ゆえんなのだろう。


 だから素戔嗚は、迷うことも躊躇ためらうこともない。今まだ巫が無事なのは、素戔嗚が僕という獲物を狩れていないからにすぎないのだ。

 だから僕が死ねば、今度こそ本当に巫は殺されてしまう。それだけは、絶対に阻止しなくてはならない。


 僕は弱い。素戔嗚のように真っ直ぐには生きられない。いつだって迷ってばかりで、そのせいで過去に取り返しの付かない過ちを犯してしまったことだってある。

 素戔嗚は完璧な神で、僕はただの半端者だ。

 素戔嗚は本物で、僕は偽物。

 そして素戔嗚はどうしようもなく強く、僕はどうしようもなく弱い。


 だけど、それでも。

 今、僕がこいつに負けるわけにはいかない。


 たしかに、僕が素戔嗚よりも弱いなんて自明の理だ。でも、そんなものは巫がここで殺されていい理由にはならない。

 だから僕はあらがう。

 勝ち目がなかろうが関係ない。そもそも、勝ち目がないことなんて最初ハナから覚悟の上だったろう。ならばそれを、最後まで貫き通せ。

 僕は死ぬまで、いや、死んでも足掻あがき続けてやる。


「だからまぁ――ここで死ね」


 バッと、素戔嗚が剣を振り下ろす。

 絶望的な状況。だけどここで死ぬわけにはいかない。そして何より、巫を殺させはしない。


「おおおおおおおおおお―――!」


 僕は力任せに刀を振るった。

 苦し紛れの抵抗。ただの悪足掻き。最後の最後まで諦めたくないという、単なる僕の自己満足。

 そう思ってくれて構わない。事実、その通りなのだから。

 こんなものは、もうなすすべのなくなった僕が放った無策の一撃だ。もちろん、こんなことをしたって何の意味もない。

 それでも、そうせずにはいられなかった。このまま何もせずに殺されるなんてできるわけがなかった。


 そして。素戔嗚が繰り出す確実なとどめの一撃と、僕が放った確実性のない無様な攻撃が激突する。

 ガキンッ、と刀剣のぶつかり合う音がして――

 気づけば、僕の刀が素戔嗚の剣を弾いていた。


「は――?」


 素戔嗚は、何が起きたのかわからないという顔をしている。

 それはそうだ。僕だって、何が起こったのかさっぱりわからない。

 だけど、二つだけならわかったことがある。

 一つは、どうやら僕は死なずに済んだということ。

 そしてもう一つは――今が素戔嗚を倒す絶好の機会ということだ。


「おおおォっ!」


 この機を逃してはならない。そう判断し、僕は追撃する。


「ちィッ!」


 慌てて剣で防御した素戔嗚だったが、またしても僕が競り勝った。


「く――⁉」


 後退する素戔嗚。

 それを見た僕は、思い切ってさらなる追撃を加える。


「どういうことだ……っ⁉」


 明らかに狼狽した声で、素戔嗚が叫んだ。

 形勢逆転。理由はさっぱりわからないが、今、先ほどまでと真逆の現象が起こっている。

 信じられないことに、僕が素戔嗚を追い詰めているのだ。


「くっ、このおおおぉぉぉぉぉッ!」


 素戔嗚が反撃をしてきたが、それはむしろ好都合だった。

 ガキイイイッ! と音をたてて、僕の刀は素戔嗚の剣を弾き返した。それにより、素戔嗚の体は大きくのけぞる。

 そこを狙い、僕は刀を振り下ろした。

 その切っ先が素戔嗚に触れる。タイミングは完璧だ。このまま素戔嗚を一刀両断できる──!

 そう思ったが、さすがに素戔嗚は格が違った。僕の斬撃を避けるため、持ち前の速度と反射神経で素早く後ろに下がったのだ。


「く……っ!」


 なんとか喰らいつこうとしたのだがもう遅く、刀は素戔嗚の皮膚を浅く切り裂いただけだった。

 復元能力を持つ神同士の戦いにおいて、この程度の負傷には何の意味もない。そのはずだった。

 しかし、


「傷の治りが遅い……?」


 素戔嗚が呆然としている。

 理由はわからないが、どうやら素戔嗚の復元能力は落ちているようだ。

 ならば、今は攻めれば勝ち目はあるかもしれない。そう思い、僕は慎重に間合いを詰める。

 対して素戔嗚はじりじりと距離を取りつつ、こう呟いた。


「俺の攻撃を打ち返し、さらには復元の権能ちからを阻害した、ときたか。なるほど、なんとなくその神器の特性がわかってきたぜ。だが、確証がねえな……。よし、たしかめてみるか」


 その言葉と共に、素戔嗚の手中から剣が消える。

 その剣では、僕の刀に対抗できないと思ったのか。もしそうなら好都合だ。この機会を無駄にしまいと、僕は大きく前へと踏み出す。

 しかし、


「神々の怒り――災厄によってここに示さん」


 その瞬間、素戔嗚の周りに幾つもの竜巻や雷が現れ、僕のほうへ襲い掛かってきた。


「……!」


 一瞬驚いたが、こんな僕でも今は神となっている身だ。この程度なら、冷静になれば対処できる。


「はあああああっ!」


 一閃。僕は刀で竜巻と雷を薙いだ。すると、どちらも僕の刀に吸い込まれるようにしてその場から消える。

 これでどうにかなったが、素戔嗚に次の手を打つ時間を与えてしまっていた。竜巻や雷に手間取っていたのは一秒足らずだったが、しかし戦闘においては一瞬の時間でさえも勝敗を分ける鍵となる。

 ぐにゃり、と景色が歪んだ。この僅かな時間で、素戔嗚が周りの空間を捻じ曲げたのか。

 この光景には見覚えがある。素戔嗚が神器を顕現させたときに起きた現象。つまり──


「まさか、二つ目の神器の召喚……?」


 そんなことが可能なのか。あんな強力なものを幾つも所有しているなんて。

 いやでも巫は、神が持てる神器は一種類だけなんて一度も言っていなかった。


「なあ、巫――」


 そう僕は問いかける。言葉が返ってくることを疑わずに。

 しかし、


「巫……?」


 返事はない。

 僕は素戔嗚に意識を向けながらも、横目で巫のいたほうを見る。

 するとそこに巫はいた。ただし、今までのような頼もしい立ち姿ではない。

 巫は、その場に倒れていたのだ。


「巫……ッ!」


 思わず声を張り上げる。しかし巫は反応することなく、さながら高熱を出した病人のように、ただ苦し気に息をしている。

 おそらく意識を失っているのだろう。呼吸しているので生きてはいるようだが、どちらにせよあまり良い状態とは言い難い。


 僕は何をやっていたんだ。こんなこと、少し考えれば予測できたはずだろう。

 僕は神になっているけれど、巫は人間である。それにも関わらず最強格の神が振るった神器を数秒間防いだのだ。それ相応の代償があると考えるのが自然である。

 そんなの巫自身もわかっていたはずだ。だが、僕のピンチに見兼ね、かなりの無茶をしてあの防御陣を発動したのだろう。


 巫は、そうまでして僕に賭けてくれたのだ。だったら僕は、二つ目の神器なんかに怖気付いてはいられない。

 人間である巫がここまでしてくれた。なら、神である僕はそれ以上に頑張るのが道理だ。

 僕は気合を入れなおし、刀を構える。


「来たれ大蛇おろちの剣、八岐やまたかしらで眼前のやからにえとせん」


 天羽々斬剣を召喚したときとは似て非なる詠唱を発する素戔嗚。それに合わせて、捻じ曲がった空間の隙間から凄まじい力が溢れ出た。

 そして、


「顕現せよ、蛇剣・都牟刈ツムカリ――!」


 目が焼けるようなまばゆい閃光と共に、もう一振りの剣が現れた。

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