第二話 神格化

 それは、奇妙な状態だった。

 視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚……ありとあらゆる感覚は既になく、ただ意識のみが存在している。


――ああ、これが死か……

 なぜだか、すんなり理解できた。

 死んだときの記憶があるからではない。ただ直感的に、自分の状態が分かったのだ。

 魂と肉体の繋がりがほどけかけていると、今の僕にはありありと感じ取れる。


 感覚がないというのに感じ取れるというのも妙な話だが、しかし言語化しようとするとそうなってしまうのだから仕方がない。

 どうやら今の僕は、生きていた頃の感覚とはまったく別の方法で自分の状態を知覚しているようだ。


 肉体という枷に囚われていた魂が、本来の状態へ戻ろうとしている。

 ならば感覚と同じように、この意識も別のものへと変わっていくのだろうけど。

 不思議とそのことに恐怖は感じない。だが、心残りならひとつだけある。


 死んだというのなら。せめて意識が今のままであるうちに、もう一度妃香華と会いたかった。

 赦してもらえなくてもいい。いっそ罵られてもいい。それでも、妃香華に会ってちゃんと謝りたかった。


 しかし、そんな思考が突如として遮られる。凄まじい力が僕の中に入ってきたからだ。

 途端、ほどけかけていた肉体と魂の繋がりが、固く強く結び直されていく。それにともなってだんだんと肉体の感覚も元へ、否、元より鮮明に戻っていき──


 気付けば、僕は目を醒ましていた。

 はっとして辺りを見回すと、まばゆい光が目の中に飛び込んでくる。

 日や月などの自然の光ではなく、かと言って照明などの人工の光でもない──神聖さが宿った、美しい光。


 そんな光の向こうに先ほどの少女がいた。少女は目をつむり、何やら儀式めいたことをしている。

 少し目線を下へ移して自らの状態を確認すると、僕の胴体は消えたままだった。なのになぜ僕はまだ生きているのか。そう疑問に思った途端、


 僕の胴体が、瞬く間に再生した。


 今までの僕だったら驚いていただろうが……不可解なことが立て続けに起こっているせいで、もはやこれくらいでは驚かなくなってきている。というか、いちいち驚いていられる余裕がない。


 結局、僕は一命を取り留めたということだろう。そして、そこに目の前の少女が関わっているのは明白だ。

 だが、逆に言えばそれくらいしかわかっていない。正直わからないことだらけである。一体、僕は何に関わってしまったのだろうか。


 そう疑問に思っていると、僕の周りを包んでいた光がスッと消え、少女がゆっくりと目を開いた。

 丁度いい。一体何が起こっているのか、少女に尋ねよう。


「なあ、いきなりで悪いんだけど、一体、これはどうなっているんだ?」


「ええっと、その、非常に申し上げにくいのですが……」


 続けて発せられた言葉は、あまりに予想外のものだった。


「端的に申し上げますと──あなたを、神様にしてしまいました」


「え……?」


 不可解な事にいちいち驚かなくなったとはいうものの、僕が神になったなんてあまりに予想外すぎて、思わず訊き返してしまう。


「いきなり混乱させるようなことを言ってしまい申し訳ありません。きちんと順を追って説明します。ですがその前に――」


 少女は居住まいを正し、深々と頭を下げた。


「先ほどは、助けてくださってありがとうございました」


 その声色は真剣そのもので、いかに感謝してくれているかがひしひしと感じられる。

 だけど僕は、かぶりを振った。


「いや、別に感謝されるようなことはしてないよ」


 これは本心からの言葉であり、同時に紛れもない事実である。

 僕はただあの状況と妃香華のことを勝手に重ね合わせ、罪悪感に耐えられずに考えなしのまま飛び込んだだけだ。感謝されるいわれなどあるはずもない。


 まあでも、そんなことを言ったって仕方がないか。ここは話の先を促そう。

 そう思ったとき、ふと、僕はまだこの少女の名前を知らないことに気付いた。


「ところで、君のことはなんて呼んだらいいかな?」


「私はかんなぎ御美みみです。巫とお呼びください。ええと、貴方は?」


「僕は麻布あさぬの灯醒志ひざし。呼び方はなんでもいいよ。よろしく、巫」


「よろしくお願いします、麻布さん」


 なんだか僕だけ呼び捨てする形になってしまった。まあ、本人がそう呼んでくれと言っているんだからそれでいいか。


「ああ、よろしく。それで巫、僕を神にしたっていうのは一体どういうことなんだ?」


「できるだけ簡潔に話そうとは思いますが、長い話になってしまったらすみません」


 そう前置きをして、巫は話し始めた。


「この世には霊力、つまり霊的な現象を引き起こすエネルギーのようなものが蔓延まんえんしています。

 普段であれば霊力は丁度良いバランスを保っているのですが、時折その均衡が崩れてしまうことがありまして。

 霊力が乱れると様々な災いが起こる危険性が高まります。ですので、人間の手で霊力の観測と調整を行う必要が出てくるわけです。

 それを担うのが抑霊衆よくれいしゅう。五人の霊能者の集まりであり、私もその一員です。

 しかしつい先日、観測史上前例のないほど大規模な霊力の乱れが観測されました。

 それをなんとかしようとあらゆる方法を試みましたが、どんな手を使っても一時凌いちじしのぎにしかならず⋯⋯打つ手のなくなった私たちは、最後の手段を取ることにしたのです」


 巫の口調が真剣みを増す。おそらくその手段とは、巫にとって相当に重いものだったのだろう。


「それは、私たちの手で新しい神様を生み出すことです。いくら異常な霊力の乱れとは言っても、神様ならば解決できる可能性が高いですからね」


「その……、本当にできるのか? 神を生み出すなんてこと」


「もちろん、本来ならば不可能です。しかし、何事にも例外はあります。

 抑霊衆の頭領リーダーである伊梨いなし炉秀ろしゅうさん――現在は行方不明なのですが、彼は失踪する前、私たちに特殊な御札おふだを残してくれていました。

 そこに、神を生み出す術式とそのための霊力が籠められていたのです。

 彼がどういう経緯でその御札を持っていて、それをなぜ私たちのもとに置いていったのかはわかりません。

 しかし、この緊急事態を解決するためには活用するしかないと私たちは結論付けました。ですが――」


 少し暗い表情になる巫。そこから察するに、試みはあまり上手くいかなかったようだ。


「あとは良い依り代を見つけてそこに御札の霊力を注ぎ込むだけという段階になって、一柱の神様が攻めてきたのです。

 考えてみれば当然のことでした。新しい神様を人間が生み出すなんて、従来の神様からは良く思われないでしょう」


「その攻めてきた神っていうのがさっきの男か」


「はい」


 ようやく状況が分かってきたが、それと同時に疑問も湧いてくる。


「でも、その神に頼むことはできなかったのか?

 霊力の乱れをなんとかしてもらえるように」


「一応お願いはしてみたのですが、駄目でした。

 どうやら神様は、今回の霊力の乱れに対してあまり危機感を持っていないようです。

 神様は、神代かみよという霊力が未だ安定していない時代から生きていました。

 人間にとっては害ある霊力の乱れも、神様にとっては脅威足りえないのでしょう」


 なるほど。結局巫たちは、自らの手で神を生み出すしかなかったわけだ。


「話を戻します。

 私たちはなんとしてでも神様を生み出さなければならなかった。だから私は、抑霊衆の仲間から御札を託され逃げてきたのです。

 しかし逃げきれず、戦闘になったところに麻布さんが現れた」


 そこでようやく、僕は自分の身に起きたことが分かった。つまり――


「巫は、僕を死なせないためにその御札を使ってくれたんだな」


「はい。私達のいさかいのせいで誰かが命を落とすなんてこと、私には耐えられませんでした。

 だから私は後先考えずに御札を使い、麻布さんの体と魂の繋がりが途切れることを防いだのです。麻布さん自身を神にすることによって」


 そう言ってから、巫は再び頭を下げた。


「こんなことに巻き込んでしまって本当に申し訳なく思っています。もちろん、これ以上迷惑をかけるつもりはありません。

 神様の起こした奇跡はそう簡単に消えたりしませんので、肉体が再生している状態で人間に戻ることができます。

 ですので、これから人間に戻す儀式をしさえすれば、麻布さんは何の問題もなく元の生活に戻れるはずです」


 何事もなかったかのように元の生活を送れる。それは僕にとって非常に好都合である。

 先ほど巫と戦っていた神が新たな神の誕生に反対している以上、僕が神のままでいれば確実に命を狙われてしまう。

 逆に人間に戻ってしまえば、神には僕を狙う理由がなくなる。

 神やら霊力やらの得体が知れない現象と無関係の一般市民に戻ることは、願ってもない話だと言わざるを得ない。


 だが、それはあくまでも僕にとっての話。

 巫にとってはどうなのだろうか。


「その……僕が人間に戻ったら、僕を神にする時に使った御札の力は戻ってくるのか?」


「それは……」


「正直に答えてくれ」


 言いよどむ巫にこれ以上聞くのはこくだが、聞かねばならない。僕のやってしまったことをはっきりさせるために。


「――戻ってきません」


「そっか……」


 僕は、巫たち抑霊衆が神と敵対してまでやろうとしたことを台無しにしてしまったのか。なんという取り返しのつかないことを仕出かしたんだ、僕は。

 僕が考えなしに飛び込んでしまったせいで、巫に余計な重荷を背負わせてしまった。


 いや、僕のやってしまったことはそれだけではないかもしれない。何か引っかかりがあるのだ。

 巫は、僕に罪悪感を抱かせるような情報を伏せて話してくれているように思える。

 その配慮はありがたいが、しかしそれに甘えていてはいけないだろう。

 先ほどの話のもう一つの違和感について、訊かなくてはならない。


「なぁ、巫。僕が戦闘に割り込んだあの場所からどうやってここまで逃げて来られたんだ?」


 今、僕たちはあの河原とはまるで違う場所にいる。ということは、巫は僕を連れてあの場所からここまで移動してきたはずなのである。

 しかしあのとき、巫はどう見ても劣勢だった。その状態から男一人連れて逃げ延びるなんて到底不可能だ。


「空間転移用の御札を使って移動したのです」


 つまり瞬間移動のようなものだろうか。だとすればやはり、確認しておかなければならない。


「空間転移なんてできるのなら、ずっとそれを使って逃げ続ければいい。でも、巫はあの男――敵うはずもない本物の神と戦っていた。

 それって、空間転移はそう何度も使えないから温存してたってことだよな? 具体的に、空間転移はあと何回くらい使えるんだ?」


 その質問に対して、巫は申し訳なさそうに答えた。


「その……もう使えません。空間転移用の御札は、あれが最後でしたので……」


 空間転移をもう使えない。つまり巫は、あの神から逃げるための最終手段を失ってしまったということ。

 もしまたあの神に見つかったら、今度こそ巫は殺されてしまう。

 それでも、もし神様を生み出す御札の力がまだ残っていたのなら対処のしようがあったかもしれない。

 しかし、その御札も僕を死なせないために使ってしまった。

 つまり──


「僕のせいで、巫は……っ!」


「わ、私のことは心配しないでくださいっ!」


 これほど追い詰められた状況なのに、こんな状況に陥る契機となってしまった僕に向かって巫は言った。

 心配しなくていい、だなんて。そんなこちらを気遣うような言葉を。


「私のまいた種ですから、自分で片を付けます。それに、麻布さんのせいなんかじゃありません。だって麻布さんが助けてくれなかったら、私は今頃殺されていたのですよ」


「それでも……っ!」


「麻布さん」


 巫は優しく、僕を安心させるように言った。


「もういいんです。私は大丈夫ですから」


 大丈夫なはずがない。

 災いが起きないように霊力の調整とやらを必死に頑張ってきたのに、そのために必要な御札を僕なんかを救う為に使ってしまい、自分が今にも殺されそうになっているのに僕なんかのことを気にかけてくれている。


 そんな巫が殺されることを認められるのか。いや、断じて認められない。

 ならば考えろ。巫は殺されず、巫たちの目的も達成できる方法を。

 それが、考えなしにあの場へ飛び込んでしまった僕にできる、せめてもの償いだ。


「……ない」


「え……?」


 この状況を打開する唯一の方法。それを僕は、遅まきながら宣言した。


「僕は人間には戻らない。神としてあの男を撃退し、霊力の乱れも僕がなんとかしてみせる」


「そんな……麻布さんをこれ以上巻き込むわけには――」


「いいんだよ。こんな状況なんだから、巫はもっと人を頼るべきだ。

 今さらこんなことを言ったって説得力ないかもしれないけど、あとは僕に任せてくれ」


 巫に頼ってもらえるように、僕は精一杯の見栄を張って告げる。

 まあそれでも、多少の頼りなさは否めないかもしれないが。


「……そう言ってくれるのは本当に嬉しいです。

 ですが、これ以上関われば、文字通り命が幾つあっても足りませんよ」


「ああ、わかってる。それでも僕は、巫の力になりたい」


「うう、そこまでストレートに言われるとなんだか恥ずかしくなってくるのですよ……」


 頬を赤く染める巫を見た途端、僕は極度の羞恥に見舞われた。

 冷静に考えれば何故あんな照れくさい台詞を堂々と言えたのか不思議でならないが、しかしここまで格好つけてしまった手前もう後に引けない。

 こうなったら最後までとことん格好つけてやろうと、僕は動揺を隠しながら言葉を続けた。


「ぁ……生憎あいにく、僕は婉曲えんきょくな言い回しなんてできないからな。どうしたって言い方が直球ストレートになってしまうんだよ」


「あ、私が言ったせいで意識させてしまいましたか? すみません、そんなつもりでは……」


「いや、そこで謝られると余計恥ずかしくなるからやめて!」


 結局、恥ずかしさに耐え切れずそう言ってしまった。


「ふふ、麻布さんって面白い人ですね」


「出来れば格好良いイメージでいきたかったんだけどな……」


 そんな僕の反応に巫は少し微笑んだが、すぐに真剣な表情に戻り言った。


「麻布さん。あの神と対峙するのは相当危険です。

 今度こそ本当に死んでしまうかもしれません。

 それでも、それでも麻布さんが私の力になると言ってくれるのでしたら――」


 そうして、巫はゆっくりと頭を下げた。


「どうか、私に力を貸してください」


「ああ、心得た」

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