第11話

 よく知ってる天井だ。

 俺はベッドの上の薄い掛け布団のタオルケットの中にいた。

 時計を見ると5時少し前……でも、部屋の中は明るい。それは朝の明るさではなかった。

 夕方の5時だ。俺はどうも昼寝してしまったらしい。

 しまった、「夕ぐれニャンニャン」が始まる!

 俺は飛び起きた。

 あれ? 俺、ついさっきまで国鉄本八幡駅の改札内にいたはず。でも今、ベッドの上で目を開けた。

 え? どういうこと?

 俺はそれこそ狐につままれた感じだった。

 今まで昼寝してて、本八幡にいたってのは夢?

 それにしても、その記憶はあまりにも鮮明だ。まるで本当に本八幡の駅にいたとしか思えない。

 俺はベッドのふちに腰掛けたまま、部屋の中を見渡してみた。

 部屋は昨日までと同じ部屋だけど、まるで数ヵ月間旅行にでも行っていて帰ってきた時のように懐かしい。いや、なんか変だ。

 壁のポスター……きゅんきゅんが笑って、最近貼った子ねこクラブの特大ポスター……え? きゅんきゅんではなくなぜか懐かしいきゅんこ?……それにHNZやMCZの巨大ポスターにアニメキャラのポスター……「俺妹」「はがない」「さくら荘」「デレマス」「エロ先」「バンドリ」etc……。棚の上にはフィギュアとコミケの会場でしか買えない萌えキャラペットボトルが並ぶ。

 なんだか頭が変になりそうだ。

 令和に帰ってきたのか……あるいは、帰ってきたというよりも……本八幡の駅にいたことだけではなく17歳の高校生として昭和の時代で暮らしていたことすべてが夢だった……???

 いや違う! 夢だったらすべての出来事をこんなに鮮明に覚えているはずはない。

 今日は学校で授業を受けた。午後は北川優子に京成八幡の改札で会って文化祭の券をもらい、その優子から絶交を宣言された。そして星司がSHAPOで優子と同じ鴻池女子学院の女の子をナンパして、あさっての文化祭で会う約束をした……こんなにはっきりとした記憶のある夢なんかあるものか……

 いやいやいやいや、でも状況的に…………

 この部屋は間違いなく令和の時代だ。その証拠に、ベッドの隣の机の向こうにはしっかりと、デスクトップ型のパソコンが鎮座している。

 可能性としてやはり自分は本当に昭和の時代で暮らしていて、そして令和の時代に今戻ってきた?

 すると、どんどんと階段を駆け上がる音。いくら静かに階段をあがれと言ってもどたどた音を立てないと階段を上らない息子がまた上がってきたか。つまり、やはり令和の時代に戻ってきたのか。

 そして部屋のドアが開く。顔を出したのは…………ん?……彩乃? 中学の制服を着た妹の彩乃?……

 え? 令和の時代に戻ったはずじゃ……? それなのに、なぜに彩乃はいまだに中学生?

「え? お兄ちゃん、帰ってたの? 今日、ユッキーノの生誕祭って言ってなかったけ?」

「え?」

 ユッキーノって俺が令和の時代で推してたアイドルグループのAO団の推しメン? 生誕祭?

「渋谷のライブハウス行くから遅くなるって。あれ? 今日、何曜日?」

「木曜」

「ああ、そうか、明日かそれ。ごめん。じゃあねバイバイ」

 彩乃はまたどたどたと階段を下りて行った。

 なんだ、あれ?

 無事令和の時代に帰還、ってわけじゃなさそうだ。でも、令和には帰ってきている。

 なんか変だ。

 とてつもなく異常な状況はまだ終わっていないようだ。まずはこの部屋の外の様子も知るべきだ。そう思って俺は階段を下りた。

 階段の途中では、これまでの日常と同じ感覚だった。

 下のダイニングのドアを開ける。テーブルはいつもと同じ。でもその向こうの食器棚は前に見慣れていた令和のもの。ついていたテレビも横に長い大型液晶画面のデジタルテレビ。今朝…俺の感覚では…まであったアナログの画面の幅が小さいブラウン管テレビじゃあない。ソファの配置も俺が今朝見たのからウン十年の歳月が流れたあとの状態になっている。

 でも台所で夕飯の支度をしているのは……

「お袋……」

「お袋って?」

 母は笑った。

「ママのことお袋って呼ぶなんて、今日はどうしたの?」

「ねえ、今、何年?」

 俺は慌てて、母に聞いた。

 母は鼻で笑った。

「何言ってるの。今はね……」

 俺が昭和に戻る前にいた年だ。間違いなく令和だ。

「お袋…ママは何年生まれだっけ?」

「こら、親の生まれ年くらい覚えとけ、昭和44年」

 え? お袋は昭和ひと桁台生まれだったはず。それじゃあ、俺より年下じゃんかよ。

 俺は慌てて、洗面所に駆け込んだ。そして洗面台の上の鏡を見た。

 しばらくは言葉が出なかった。ここは令和の時代なのに、令和の時代に戻ったはずなのに、鏡に映っている自分は紛れもなくさっきまでいた昭和のころの高校生の俺。

 俺はまた階段を駆け上がって、自分の部屋に戻った。そして壁にかけてあった学校の制服のズボンから財布を取り出し、その中にあるはずの保険証を見た。

 確実に俺の名前の保険証。でも俺……平成生まれ? 俺、昭和生まれだったはずなのに、平成生まれ?

 もう異常な状況に慣れ過ぎていたので、かつて昭和の時代に飛んで行った時ほどは驚いていない。

 ただ、これがまた夢ではなくリアルだと知るためには……俺は机の上で充電された状態のスマホを見た。すぐにそれをとると、手動である電話番号をタップした。いつも宅電か公衆電話からしかかけていなかったから、番号は暗記している。

 相手が出るまでだいぶ時間がたち、いつもの声だけどなぜかよそ行きの様子で相手は電話に出た。

「はい、もしもし」

 いつもならすぐに「あ、じゅんく~ん?」って感じの弾んだ声のはずだ。それ以前に、いつもならかけたら呼び出し音が鳴るか鳴らないかくらいですぐに電話に出るのに、今日はだいぶ待たされた。

 なんか俺、緊張してる。

「あ、美緒?」

「え? もしかして……じゅんくん? 誰かと思った」

 よかった! もし、「どちら様ですか?」なんて言われたら、どうしようかと思った。一気に緊張は解けた。

 美緒はおれの宅電の番号しか登録していないから、初めてかけた俺の携帯番号が表示されても誰からの電話か分からなかったのも当然だ。だから出るのもためらって、つながるまで時間がかかったのだな。

「この番号、俺の携帯の番号。登録しといて」

「え~~っ! じゃあ、スマホ使えるようになったの?」

「うん、やっとだよ」

 美緒とのやりとりだけはおとといの…俺にとってはおとといの夜に話した時と変わらない。そしてそれは、美緒にとってもおとといの夜だったはずだ。

「ねえねえ、やっぱ、文化祭来てくれるとか?」

 美緒がそう聞いてきたことが、やはりおとといの夜に美緒と話していたことの証明になった。

「うん、行くよ。絶対行くよ」

「まじ? やったぁぁーー!!」

 もう、美緒の学校の文化祭に行くのをあきらめなければならない理由はない。逆に、鴻池の文化祭には行かなくて済む。ていうか、そっちの方こそ行く理由がない。行っても北川優子も今村博子もとっくの昔に卒業してもういない……はずだ(我が家と自分の状況を考えたら断言はできないが、でももうどうでもいい)。

「でも、土曜日学校じゃない?」

「学校だけどそんなのぱっくれて、行く! って、日曜は?」

「日曜はやってない。明日の金曜日が内部公開で、あさっての土曜日が一般公開だから」

「分かった。またLINEするよ」

「ねえ、あんなに渋ってたのに、なんで急に来る気になったの?」

「別に渋ってねえし」

「本当は別の学校に行くつもりだったとか?」

 美緒はいたずらっぽく言うけど、俺、内心ギクッ。

ちげえよ」

「それよか、じゅんくんのLINE、登録してないよ。てか、LINEやってないって言ってなかった?」

 確かに、以前はずっとSNSのDMで連絡取ってたんだ。だから今回もLINEの無料電話じゃなくって、普通の携帯番号に自然とかけた。

「スマホが戻ってきたから始めることにしたんだ」

 適当な嘘言って、

「この今かけてる番号で登録しといて」

「分かった」

 今までずっと下の居間から電話機を隣の部屋に引いて電話線の分だけはさむ形でドア閉めてか公園の公衆電話で美緒には電話してたのに、自分の部屋から携帯で電話してるってのがなんか不思議な感覚だった。

 とりあえず美緒との電話を終わって、夕食にはまだ間がありそうだから、約三ヶ月の自分の身の上調査をすることにした。

 さっき保険証を探った時に、同じ財布に学生証が入っていた。それを見てみると……俺は竹川高の生徒ではない。うっすらとしか聞いたことがないような学校名。でも、隣の市の名前が冠されているからだいたいの場所は分かる。だけれどもその学生証を見ているうちに、その学校の情報、自分のクラスやクラスメート、担任はじめ各教科の教師の顔など、当然持っているべき記憶が怒涛のように俺の中に入ってきた。竹川高校に負けないくらいの生徒数のマンモス校だけれど、共学だ。確かに今の俺の頭では、昭和のころの竹川高ならいざ知らず、共学になって偏差値うなぎのぼりの現在の竹川高校になんか入れるはずはない。

 そしてこの三ヶ月、死ぬほど渇望していたこと……それはネットである。早速パソコンを立ち上げたけれど、なかなか立ち上がらないのでスマホでいつものSNSにアクセスした。

 TLにはHNZ46の、MCZの、AO団の、そしてアニメの情報が洪水のごとくあふれていた。ただ、自分の発信履歴を見ても、六月中旬以降は何のツイートもしていなかった。LINEも同じく三ヶ月間は誰ともやり取りしておらず、メールの発信もない。メールボックスにはとっていたメルマガとあとはSPAMゴミメールが山のようにたまっていただけだった。

 そういえば妹の彩乃が、明日俺はAO団のユッキーノの生誕祭に行くことになってるみたいなこと言ってたっけ……。

 そこでチケットをいつも保管している引き出しを見ると、コンビニの袋に入って明日の生誕祭のチケットが入っていた。ちゃんとGETしてたんだ。他にもAO団の4thツアーの埼玉公演と来年のファイナル東京公演のチケットもGETしてる。パソコンも立ち上がったのでパソコンのメールソフトを見てみると、10月のMCZのFCイベントの当選メールも来ていた。

 支払いはクレジット払い。そう、三か月前までの俺は大人だったからクレジットカードを持っていた。今は高校生だからそんなもの持っているはずもないけれど、今後支払いはどうなるんだろうと思う。でも、気にしないことにした。

 そこで「!」となって、スマホの電子チケットのアプリを見てみた。こちらも来週のHNZのワンマンライブのチケットがもう入っていた。

 やった! 美緒が言っていた来週のHNZのワンマンライブ、俺、当選してたんだ。

 こうなると、子ねこクラブの日比谷野外音楽堂のライブなんか、もうどうでもいい。道理で、チケットは買ったものの俺の中でかつて子ねこのライブに行った記憶が全くなかったわけだ。

 ただ、パソコンの音楽ソフトを開いてみると、子ねこの1stアルバムの「キックオフ」はちゃんと買っていたようで、カセットテープ経由でパソコンにデジタル化して取り入れられていた。もちろんそれは前から知っていたけど。

 でも不思議だ。今の俺の年齢なら、そのころはまだ生まれていなかったはずなのに……。つまり、ついさっきまでいたはずのあの昭和の時代に俺はいなかったことになる。

 そして俺の親父とお袋があのころ高校生? 本当だったら親父やお袋が高校時代はまだ戦時中で、小さい頃から戦争の話ばかり聞かされて育ったんだけどな……。

 それを考えると頭が変になりそうなので、もう変になっているけど、とりあえず考えるのをやめた。

 次はアニメだ。

 今何をやってるかってところだけど、もうそろそろ夏アニメの最終回の週で、今さら最終回だけ見てもしょうがないので次の期からまたいいアニメを探してみることにした。

 パソコンのアニメ紹介サイトでチェックすると、「のうきん」「超余裕!」の異世界ものや、学園ものでは「俺好き」や「ぼく勉!」、そして「FGO」や「SAO」の第3期第2部などがチェックできたけれど、だいぶ少なくて不作なのかなと思う。

 そんなこんなで時間は過ぎて、彩乃が夕食だと呼びに来た。

 時代は令和なのに、夕食は昨日までと同じ両親と祖父母、妹と六人でテーブルに着く。その光景は昨日までの、つまり昭和の時代と変わっていない。変わっているのは家具の新旧と配置、そしてテレビくらいだ。

 テレビではうっちゃんがMCの「激突ファイル」のスペシャル番組などやっている。

 その時俺の中に、ある疑惑が生じた。

 令和の時代に戻ってきたのに、なぜこの家族だけが昭和60年当時のままなのか……。まさかあの某国民的アニメの家族のように、昭和60年から時の流れがピタッと止まってしまって、家族の皆がそのままの年齢で令和を迎えたのか? つまり俺はウン十年間も17歳をやり続けているのか……。確かに以前は「永遠の17歳」などと自称していたけれど、それとは意味が違う。

 でも、母は自分が昭和44年生まれだと言った。そうすると、毎年ちゃんと年をとって今に至ってることになる。

 食事の後に早々に自分の部屋に戻ると、もう一度部屋を見渡した。

 すると、コミケのペットボトルが並んでいる隣の棚の上には、かなりの数のポケモンのミニチュアがあった。さっと、その記憶が入ってくる。そうだ、小学校低学年の頃、俺はポケモンにハマっていてそれらを集めていたのだ。

 そしてたんすの上にはなんとアンパンマンやしまじろうのパペット。今朝までいた昭和の時代の俺の部屋には、当然のことポケモンもしまじろうもなかった。つまり俺はちゃんと平成の時代に幼少期を過ごして今に至っている。あの一家とは違う。

 でも不思議だ。

 竹川高校で授業を受けていたのも、京成八幡で北川優子から券をもらったあと絶交宣言されたのも、星司がとともに今村博子と立ち話したのも、全部まだ「今日」のことなのだ。「今日」のことなのに、その日付はウン十年も前なのだ。

 こんな長い一日ってあるものかと思う。

 だから疲れた。俺は久しぶりにもっとネットをしていたかったけれど、疲れたので寝ることにした。


 翌日、俺は学校の制服を着て家を出た。夏服の白いシャツには襟のふちとボタンのところには水色のラインが入っている。かばんは学校の指定だけれどリュックだ。

 久し振りに見るモノレールの通る最寄り駅に着いたけれど、乗る電車は昨日までと反対方向の下りだ。そしてひと駅乗って降りるとそこはもう隣の市で、その駅から学校まで会員バスと呼んでいる貸し切りのスクールバスが出ている。学校の持ちバスではなく、バス会社と学校が提携して貸し切りで運行してくれているのだ。

 乗っているのは当然同じ学校の生徒ばかりで、それほど混んではおらず全員が座れて、学校までノンストップなので途中から乗ってくる人もない。そして皆一様にスマホをいじっているが、もちろん俺もそうしていた。

 ツイートすると、俺が三ヶ月も浮上しないので心配してくれていたFFさんたちがレスくれたりした。

 学校に着いて授業が始まった。

 なにしろクラスの半分が女子なので、かなり戸惑っている自分がいた。昔、竹川高校を卒業して大学の文学部に入った時と同じような感覚だ。

 高校生なのに大学時代を懐かしむ変な感覚……それはこの日の夜もあった。

 渋谷までAO団のユッキーノの生誕イベントに出向いたけれど、渋谷の街の変わりようには驚いた。

 南口から山の手線の内側の方に出て少し歩いた所にある小さなライブハウスが会場で、特にそっちの風景はガラっと変わっていた。

 なにしろ、大学時代以来初めて渋谷に来る。あれは平成二年か三年のころで、それ以来だ。だからここでも、高校生の癖に大学時代を懐かしんでいるのだ。

 屋上にプラネタリウムのドームのあった東急ビルはなくなって、でーんと高い高層ビルが建っているし、何よりも東急東横線のホームがなくなっている。

 久し振りのライブは呼び出し番号はかなりあとの方だったのに、自由席だったため前から二列目に席はとれた。

 ステージも高くなく、ユッキーノが目の前にいる。

 かつても俺は若者に混じってこういう現場にいても、精神年齢が17歳だからすぐに溶け込んでいた。でも、やはりどこかにわずかながらも肉体年齢的に浮いているというアウェー感はあったのは事実だ。ところが今はそんなの全くない。あるわけない。ここではむしろ俺がいちばん若いくらいだ。高校生だと思われるのは他にもう一人いるくらいで、集まっているオタクはみんな大学生以上のお兄さんたちだ。

 不思議なのは、いつも見かける常連オタクの姿が今日もたくさん見受けられたけれど、彼らは以前と同じ年齢だったことだ。俺だけがおじさんから高校生になっている。

 何よりも今日で19歳になるユッキーノもかつてはふとした時に親目線で見てしまうこともごくたまにあったけれど、今は逆に年上のお姉さんだ。

 イベントが終わったあとは、お金もないし明日の朝は早いので特典会はパスして帰途についた。


 新幹線下りの「ひかり」岡山行きの自由席で、俺は二人掛けの右側の窓際に席をとった。10時ちょっと過ぎに東京を発車して、ぴったり一時間で静岡に着く。

 学校には朝、お袋から電話してもらった。

「悪いやつ」

 笑いながらもそう言って、それでもちゃんと風邪で休むと電話を入れてくれるそんなものわかりのいい母親なのだ。

 東京駅に向かう総武線の中から、俺はずっと美緒とLINEしていた。

 間もなく東京駅に着くとか、今新幹線に乗ったとか、ほとんど実況中継だった。

 そして美緒に、俺の自撮り画像を送っておいた。今までどんなんに頼まれても拒否してきた画像を、今堂々と送れる。

〔わー、イケメン〕――

 そんなコメントが来たけれど、あまり額面通りには受け取らないしよう。

 美緒の写真は遠目のものが美緒の垢のアイコンになってるけど、よく顔が見えない。そもそも最初は、本当に本人かも疑っていた。そこはアニメキャラや自分の推しメンの画像にする人がふつうだからだ。

 美緒もあらためて画像を送ってくれた。垢のアイコンは本物だった。そして今日は顔がアップ。

「まじかよ」

 俺は新幹線の中で思わず声を挙げてしまった。なんか超絶かわいいんですけど。

 今までこんなかわいい子と、そうとも知らずに電話で話していたのか…。

――これ、やばい。

 心底そう思った。

  ――〔曇ってて富士山、見えない。君がちょーかわいいんで、富士山も恥ずかしくて顔隠した?……なんちゃって〕

 一応そう打ったけれど、なんだか言い方があまりにも臭いので送信はやめて削除して、富士山が見えないことだけ伝えた。

〔もう、新富士過ぎたんだね。静岡、もうすぐだよ。わー、じゅんくんに会えるんだね。まじでじゅんくんに会えるんだね、わっしょい!〕――

 あとはウサギが喜んでいるスタンプとか押してる。

 で、あっちゅう間に静岡に着いた。

 SNSで絡むようになって、それからDM交換するようになって、その期間は約半年、電話で話すようになてからも三ヶ月。そしてこうして初めてリアルで会う。そう思うから緊張するんで、ただのオフ会だと思えばいいと思うけれど、なかなかそうもいかない。

 美緒の学校は、静岡駅の北口からバスで十分くらいだと言っていた。バス停の名は分かりやすくもどんぴしゃ「県立総合高校」。

 そのバスの中で、俺、なんだか超絶ドキドキしてきたゾ。胸が苦しいくらい。心臓の鼓動が激しくなって、もしかして血圧もあがってんのかなあ?

 優子と待ち合わせした時は、こんなことなかったのに……。

 バス停は本当に学校のまん前。校門にはお約束のアーチが作られてて、けっこうたくさんの人が入って盛り上がっているようだ。

 そんな景色を見ながらバスを降りた途端、聞き慣れた声が響いた。

「じゅんくん!?」

 声の方を見ると、超絶美少女が微笑んでこっちを見ている。さっき送られてきた画像で見ているから美緒に間違いない。リアルで見ると、画像よりも数億万倍もかわいい! ここまでかわいかったらもう反則だよ。

 でも今は俺も高校生だから、こんなかわいい女子高生と歩いてたって誰も通報しないだろうと思うけど、いやそれでも通報されるかもしれないと思えるほどのかわいさだ。

「あ、はじめまして」

 俺はコチンコチンなってぎこちない挨拶をする。

「はじめまして。今日は遠いところ、ありがとうございます。わがまま言ってごめんなさい」

「って、何ゆえ敬語?」

「だって、一応先輩だから」

「ええ? 電話ではさんざんタメ口きいてたくせにw」

「うん電話ではできるけど、やっぱ直接会うと緊張して」

 にっこり笑ってそんなこと言われても、本当に緊張してるのだかどうだか怪しくなる。むしろ緊張してるのはこっちなんですけど。

「前にも言ったじゃん、同じ学校の先輩ってわけじゃないんだから、以後敬語禁止」

「はーい」

「それになんか自分で言っといてなんだけど、今さらはじめましてっていうのも変だな」

 確かにリアルで会うのは初めてだけど、もうネットや電話でさんざん絡んでる。

「そうね。はじめましてじゃないか。とにかく行きましょ」

 人混みをかき分ける形で、校舎に向かう。その前の中庭にも模擬店がたくさん出ていた。俺はあたりをきょろきょろ見回していたけれど、美緒は落ち着いて歩いている。クラスの友達や部活の仲間に俺なんかといるところを見られたら追及されたら、面倒なことになるんじゃないかな? だから美緒の方こそ周りを警戒すると思うんだけど、美緒にはそんな様子は全くない。

「ねえ、おなか減ってない?」

「ああ、たしかに、もう昼だもんなあ」

「じゃあ、ごはん、食べよう。焼きそばとか、パンケーキとかの店ならいろんな部活がいろいろやってるから」

 なんだか、アイドルグループのメンバーと歩いてる感半端ない。しゃべってると後ろからスタッフのお兄さんに「はい、時間です」とか言ってはがされそう。

 校舎に入った。人混みは中庭以上。みんなこの学校の生徒より一般の人の来場者だ。保護者も多いんだろう。

 どの教室も客引きが激しい。たまに客引きがいないと思ったら、そこは飲食店じゃなくて文化系の部活の研究発表の展示だったりする。

 中には逆に入場者で長者の列ができている所もあったりする。そういうところはたいていお化け屋敷かミニライブだ。

「あそこのパンケーキ屋でいいかな?」

 やばい、条件反射的に「いいとも!」と言いそうになった。別に言ってしまっても、美緒には分からないだろうけど。

 食事の後は、また校舎内をぶらぶらした。やはり俺が足を止めたのはアニメ研と、それからアイドル研究会……なんていうとどこかで聞いたことがあるような名前だけど、決してスクールアイドルなどではなく本当にアイドルのいろんな情報が展示されてた。それを見て、また美緒とはアニメやアイドルの話で盛り上がった。

「あ、タピっていい?」

 やたら目についていたタピオカの店の一つに、とうとう美緒もつかまった。

「あ、ミオ、来てくれたんだ」

 中にいたメイド服の女の子たちが美緒に親しそうに話しかけてきた。美緒の友達のようだ。

 一言二言その子たちと話をしてから、ミオは俺を誘ってテーブルについた。すぐに美緒の友達のメイド服の子がタピオカ入りのミルクティーを二つ持って来た。

「俺、自慢じゃないけどタピオカ初めてなんだ」

「まあね、男子はこんなときじゃないと飲まないよね。とりま初タピおめでとう」

 おめでとうって言われるほどのものじゃないだろうけど、もし美緒がいなくて男が一人でタピってたらどんな絵になるんだろうな、なんて想像して草はえた。

 すると美緒の友達たちに、いつの間にか美緒は囲まれている。

「ねえ、彼氏ィ? ずるくない?」

 からかい口調で、友達たちは美緒をつつく。「そんなんじゃないってば」って笑いながら否定する……それがお約束のシーンだよな……なんて思っていると、美緒はにっこりうなずく。

「うん、まあ」

「うわ、何それ!」

 女の子たちの盛り上がりは半端なかったけど、こっちとしてはちょ、ちょ、ちょ、ちょいまちって感じなんですけど。

 ま、美緒の顔を立ててその場はそういうことにしてごまかして、それから外に出た。

 中庭に出ると、花壇があって、その縁に座れるようになっているのでそこに座った。

「ねえ、俺っていつの間にか彼氏なの?」

「だめ?」

「いや、だめじゃないけど」

 だめじゃないに決まってるけど、話があまりにも突然すぎる。心の準備ができていない。

「友達の前では今日一日の彼氏だとか?」

「そんなんじゃないよ! じゅんくんは誰かもうつき合っている人とか、好きな人とかいるの? 推しメンとか二次元嫁とか以外のリアルで」

「いや、いるわけないし」

「私じゃいや?」

「いやじゃない。大歓迎だけどさ」

「じゃあ、決まりじゃない」

 なんだか強引。そういえば美緒って、初めてSNSで絡み始めた時から、こういうところがあったよな。

「なんか、いいんだけど、普通はもうちょっといろいろと手続きとか……順序とか……例えば体育館裏に呼び出して、手紙渡して」

「そんな、学校が違うのに?」

「あ、そっか。それでもまずは、こう、なんていうの? つき合ってくださいとか言って」

「あ、じゃあ……つき合ってください」

 上半身だけ俺の方に向いて顔は正面から俺を見つめて言う。

 ――まじかよ。じゃあ、ってことないだろうと思うけど、でもたしかに断る理由ないな。

「わかった」

「やった!」

 なんと美緒はガッツポーズ。それにしても無茶強引。美緒の学校の制服は普通の紺のスカートの白いシャツだけど、なんか水色の制服でオレンジのヘアバンドの女の子に見えてきた。

「なんだか宣戦布告前に奇襲攻撃食らったみたいだな」

「まあた、時々じゅんくんって難しいこと言うんだから。なんだか先生みたい。そうだ、じゅんくん、将来先生になったらいいんじゃない? 向いてる、絶対」

 はいはい、こう見えても元教師の高校生なんですけど、俺。

「そうと決まったら、体育館で軽音部のライブがあるから見に行こう」

 ライブは大歓迎だけど、なんかあまり脈絡がないような気もする。ま、いっか。

 並んで歩きながら、俺はまた胸が締め付けらっるようにドキドキして来た。隣の美少女はもはやただのネッ友でもオタ友でもない、俺の彼女……。

 軽音部は男子のバンドがほとんどで、結構の迫力だった。たまにガールズバンドもあったけれど、バンド数も多くて、もう外に出た時は薄暗かった。

「後夜祭も出ていくでしょ」

「いいよ」

「遅くなっても大丈夫?」

「東京から一時間だよ。むしろ、東京駅に着いてから自宅までの時間の方が長かったりするけど」

 もうそろそろ来場者たちは、グランドの方へ移動を始めたりしている。

「ねえ、一つ聞いていい?」

 歩きながら、俺は美緒に聞いた。

「昼間に俺につき合ってる人とかいないのって聞いてたけど、美緒の方は誰ともつき合ってなかったの? 共学なのに」

「いない」

 こんな美少女を放っておくなんて、この学校の男子の目は節穴か……って、今は節穴であってくれてよかったと思うけど。

「実はね、入学してから何人かコクって来たのはいたんだけど」

「え? いたの? 断ったの?」

「そうじゃなくて、断る前にうちがドルオタでアニオタだってオタばれして、そんでみんなドン引きして逃げちゃった。だからじゅんくんとも絡み始めた時は、アニメやアイドルのことは隠してた。そしたらじゅんくんもすごいオタクなんだもの。もう、ヤッターって感じ」

「そんなん、俺のツイート見てたらわかっただろ」

 美緒はいたずらっぽくペロッと舌を出した。「テヘペロ」なんて言っていない。なぜなら、リアルでは「テヘペロ」と言いながら舌を出すのは不可能だからだ。

「そっか。それで俺の出番だったてことか」

「そう、じゅんくんは救世主」

「それ、大げさ。じゃあ、美緒は空から降ってきた美少女だよ」

「それ、言い過ぎ」

 二人で声をあげて笑った。本当は地上に降りた最後の天使とか言いそうになったけど、あまりに昭和なのでやめた。

 グランドの中央にファイアーストームの木が組まれていて、さらにステージも設けられていた。

 間もなく点火だというアナウンスがあった。

「ファイアーストームに点火された瞬間に影を踏んでたり、最初の花火が上がった時に手を触れていたカップルは結ばれるなんて伝説はないの?」

 俺は冗談で笑って言った。

「何それ? アニメの見過ぎ」

 美緒も笑っていた。

「だいたい、うちの学校は花火なんて上げないし、学校の後夜祭で打ち上げ花火上げるなんて二次元だけだよ」

「それな」

 ステージの上にバンドが上がって、音合わせとかやってる。もうかなりの人でグランドはいっぱいになっている。この学校の生徒が多いけれど、俺のような他校の生徒も少なくはない。さすがに保護者や近所の人と思われるようなおじさん、おばさんはもうあまりいなかった。

 ステージの方でギターの音が響いた。一斉にステージの周りで歓声が上がる。そのギター演奏をBGMにMCの女子生徒がファイアー点火を告げる。

 俺と美緒のいたあたりからほど近い木組みにボーーと炎が上がった。その瞬間、俺は隣にいた美緒の手をしっかりと握った。

 伝説やジンクスなんかなくてもいい。俺はどうしてもここで美緒の手をとりたかった。美緒もしっかりと俺の手を握り返してきた。

 やがてステージの上で、本格的なバンド演奏が始まった。人々はステージ前に殺到する。俺も美緒の手を引いたまま、その人の流れの中に入った。そしてわりとステージのすぐ前まで割り込んで行った。

 バンド演奏なら先ほど体育館で、いやというほど聞いた。

 でもここではわけが違った。

 曲がロックではない。どう聞いてもアイドル曲だ。そして歓声の中で登場してそれに合わせて歌いだしたのは、女の子のアイドルグループだった。

「あのグループって?」

 俺はかなり美緒の耳元に顔を近づけて聞いた。もう、息がかかるくらいだ。でも、それが自然だった。そうでもしないと、バンド演奏の音でかき消されて声が届かないからだ。

 でも、そこでまた俺の胸はキュンとなる。

「うちの学校の生徒!」

 今度は俺の耳に、至近距離から美緒の息がかかる。

「静岡っていえば沼津もあるし、やっぱスクールアイドルの聖地でしょ!」

「だな」

 グランドの群衆はバンドの音楽に合わせて波打って飛びはね、右手を叩く挙げてリズムを刻む。そしてアイドルグループの歌に合わせてコールし、時にはMIXを打つ。

 俺もみんなと一体となって、隣にいる美緒とともに思う存分にオタ芸を披露した。時々美緒と視線を交わし、微笑みを送り合う。

 声がかれんばかりのコールを続け、飛び跳ねて、汗びっしょりになった。

 もうオタク丸出しだ。もちろん美緒も、隣で女子オタ全開! 二人してオタ充とリア充の同時進行!

 背後ではファイアーストームの炎がもう十分暗くなった空を焦がし、その空にバンドの音は響いてた。

 

 俺、今アオハルだあああ!!!!


(おわり)

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デジタル彼女とアナログ彼氏 John B. Rabitan @Rabitan

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