第15話

 門を後にした途端、馬の嘶きと共に石畳を走る蹄鉄の音が聞こえた————そしてセーレの嘲笑いも。

 門が開かれているのを良い事に車両ごと突進してきたのかもしれないが、あの巨体を持つ黒馬が押し負けるとは到底思えない。見た目通りの重さの筈がない人智の域を超えた悪魔の使い魔に、こちらの人類はまだまだ無力だった。

 セーレの言っていた艦砲射撃でなければ、という話は真に嘘ではなかったようだ。

「気にすべきは自分だ。庭園へは斥候、門へは主力」

 ならば何故庭園に密偵を放っていたのか?門だ玄関だに工作員を放ち、爆撃でもして無理にこじ開ければ良かったものを。無論、そこには意味があるからだ。玄関の鍵を出来る限り静かに開け寝首を掻くように寝室に入り込む————しかし、相手はあの教授でもある。

「部隊を屋敷に引き込んだのは全てを知った上で罠にかける為、そしてアビゲイルと客人達は庭から逃がす」

 どの影に引きずり込めば確実に確保できるか。どの影ならばアビゲイル以外を始末出来るか。どうすれば大人しくアビゲイルは従えられるか。

 自分の育てた草花が芽を開けた庭で、自分以外の友人達が屈強な男達に押さえつけられれば日常と非日常の妄想に囚われてしまう、その時こそアビゲイルは傀儡のように操れてしまう。家族や友人を人質に取って、目の前で始末するのはよくある手法でしかなかった。

「だから、もう一度庭に入り込んだ人間こそが指揮官であり尋問官。本当に意味でアビゲイルを欲する人間」

 屋敷の屋根から屋根に飛び移り、最後のひと越えに当たり空から中庭を眺めた。

 そして自分の想像は的中していたと察する。

「‥‥大佐」

 そこには長大な軍服を纏う男性が、工作員達を侍らせていた。

 悪魔の身体でパラシュートを模し、庭に入り込む寸前で屋根の影に逃げ込む。

「元からアビゲイルを欲していたのか?」

 声に出すこの時間すら惜しい。今は粛々と彼らの話に耳を傾けるべきである。しかし、またも雨が降り始めてしまう。草木に当たる雨音の所為で声はかき消され、軍帽と特殊な仮面の所為で口元は読めず、全員を見失わないように神経を尖らせる事に脳を振り切った。

「足りない———マキナ、」

 ————無駄な時間だ————

 そう言ったかと思うと突然視界と聴覚が異常を示した。視界が黒に染まり、頭蓋が砕ける耳鳴りが自分の内から感じられた。冷たいかぎ爪で両耳と両目を抉られたかと思う激痛に襲われる。瞬く間に引きちぎられる。ただの幻覚だと自分に言い聞かせながらも、飛び出さぬように手と瞼で押さえつけてしまう。

「なんのつもりだ‥‥」

 目を僅かに開けた瞬間だった。視界が全く別の場所に飛ばされている。雨に覆われた庭にいる黒ずくめの男達と大佐を中心とした部隊の一人の視界をクラッキングでもしているように、登場人物のひとりとして自分が立っていた。

「マキナ」

 ————言った筈だ。私は観測機のひとつ。力を模すなど力を授けたお前でも可能だ————

 その後は何も言わずに雨粒の音に隠れてしまう。だからこちらからも何も言わずに、彼からの珍しい贈り物だと甘んじて受け入れる。

「首尾はどうだ?」

 大佐が背を向けながら問い質した。それに対して集団に嗚咽でもしかねない緊張感が走るのを肌で感じられた。

 どうやら心理的な模倣すら可能らしく、今の自分は確かに集団のひとりとしてここに立っているのがわかる。そして、そんな何も言わずに怖気づいた工作員達に対して大佐は振り返り様に更に問い質す。しかし、その視線は自分達ではなく自身の懐の膨らみ向けられていた。

「聞こえなかったか?なんの為に貴様らはここにいる」

 震える軽機関銃を掴み取る腕が、身体に当たることで更に音を拡大させる。しかも振り子のように感染していく。

「役立たず共が。あの捨て子ひとりにもこの様か。先遣隊からの連絡、置手紙の類は」

「ありません‥‥」

 口を衝いた言葉に違和感を覚えた。それも当然だ、自分の声とはまるで違うからだ。

「この雨の中、私自ら出向いたというのに。あの卑しき黒髪が、ただでは済まさない」

 軍服の中に手を入れた大佐はタバコ————ではなくアンプルにそのまま針でも刺したかのような注射器を取り出す。何をするのか?そしてまた打つのか、という自分の意識とは違う身体の持ち主の意識が脳に流れ込んでくる。ちらりと自分が隠れている屋根に目をやるが、ただの人間の眼球では何も捉える事が出来なかった。

「全く忌々しい!!」

 左腕で握り締めた押し子もない注射器を、左肩と首の間に位置する動脈に突き刺す。深々と刺されたそれを左右に振り続けて血と肉を更に傷つけていくかの様子に、工作員達は更に震えを増していく。だが当の本人は、恍惚な表情を浮かべたかと思うと自分の記憶では決して浮かべない喘ぎ声にも似た————違う、獣の声を発する。

「帝都の獣」

 口を操ったのは自分だったのかもしれない。

「———誰だ」

 注射器を投げ捨てたかと思うと、その身体ではあり得ない腕力で首を持ち上げられる。息の詰まる宙吊りに咳すら出来ず、溢れる唾液が泡を造り出すのがわかる。そして雨粒を求めるように口を開け続けるが、片手から両手に移った瞬間には死の恐怖を覚える。

「誰だ、その名を呼んだのは。あの行いは正しき秘蹟。愚劣な民達を我らが血に取り込む洗礼。この世でも最も清い正しき血の一部と成れたのだ、誰よりも栄光と掲げるべきだ。獣だと?それはあの浅ましき猿に向けるべき仇名————貴様の血が穢れていなければ、ここで洗礼を施してやっていた」

 ようやく理解した。この大佐は別人だと。別人の皮を被っただけの偽物であると。

「私から送られた洗礼に殉じるは名誉だ。何もかもが理解出来ない、何故我々の正しき行いが理解出来ない、我々が生き残り、我々に血と肉を捧げるがこの世で最も価値ある巡礼だというのに。何も考えずに盲目に生きるのなら私に全てを捧げるべきなんだ!!」

 一瞬視界が途切れた。そしてすぐそばの別人に意識が飛ぶ。

 入れ替わった途端に見えた光景は、大佐の姿をしながら人間とは思えない巨木を思わせる腕で工作員の首を掴み上げる姿だった。

「何もかもが邪魔をする。帝国は我らの先祖が作り上げた礎であり土台、ならば我らが使って何が問題だというのだ。あの愚者が私の名を上げなければ————私が正しくない?私は罰せられるべきだと?ふざけるな!!この国で最も崇拝されるべき国父に何たる無礼か!!」

 死んだだろうか?頭が真横を向きながら床石に叩きつけられた工作員は身じろぎの一切をしない。

 肩で息をする生き残った深紅の貴族は、なおも声を荒げる。しかし、それはもはや人の声ではない。咆哮でしかなかった。

 人としての理性を完全に失った声が庭に木霊するが、呼応するように豪雨となった空が掻き消してしまう。

「二度と私を獣と呼ぶな。こんな姿しか取れない私を、これ以上侮辱するな」

 悠然とコートを翻した姿を認識した時、意識が元の身体に戻る。

「‥‥お前は獣だよ。ただ血を啜るしかない、ただの獣だ」

 息を整えた屋根から頭を出すが、そこは先ほどと何も変わらない現実が広がっていた。工作員は5人。あの男性は一匹と言った所か。

「屋敷で殺し合いたくない。血で汚れる」

 この距離から一歩的に砲撃でもしてしまえば、一旦の頭数は減らせる。しかし、あの男性が頭上からの一撃を受けようものなら激情に任せて、自身の身体の頑丈さに依存しながら屋敷に押し入るかもしれない。この状況で避けるべきはアビゲイルに勘付かれる事、このような事態に陥っているとわかれば彼女は早々に姿を晒してしまう。そして護衛対象に気付かれずに襲撃者を始末するのなら、

「屋敷から出来る限り離れる。だけど、それが可能なのは庭まで」

 砲撃は避けるべきだ。しかしこの感知されていない状況で距離と取れているという環境では、有効な一手だという事実は変わらない。

 よって————身体中に悪魔の身体を纏わせる。関節に筋肉に骨を悪魔の身体で補助した瞬間、屋敷の斜塔の先端まで駆け上がる。暗く広がった空に守られているのはあちらではない。この血に塗れた悪魔こそが相応しい。

「二度目だ————」

 人体の形跡を全て覆い尽くした身体は砲弾と化す。ただの重力を加算した悪魔の砲弾は空気を破り続ける。

 あと一息で着弾する距離に成っても誰も此方に視線を向けない、なぜなら砲弾や弾丸が飛来する音は意外な程小さいからだ。イメージ通りに甲高い耳をつんざく銃声があるのは間違いではない、しかしそれは狙われていない時にのみ鳴り響く通り過ぎた音だ。

 真に狙われた時、砲塔が十字を切って撃ち出された一撃はあっけない程音が軽い。

「覚えてるか?」

 空気を破る度に背後に携えた空気と風の勢いもまとめて着弾の衝撃とする————そして火薬を用いないただの鉄塊、弾丸と化した衝撃を使い潰し四人分の人肉が吹き飛ばす。しゃがみながら作業をしていた一人は風圧を逃れたが、着地と同時に悪魔の腕で掴み上げ深紅の貴族に叩きつける。しかし、衝撃に耐えた事でまともな人体構造をしていないと逡巡していた。

「猿が‥‥ッ!!」

 紛れもなく獣の腕をしていた。

 雨粒を弾かず、むしろ吸収する穢れた毛皮を持つ腕が頭に振り下ろされる。だから一歩下がる。

「白兵戦は苦手か?」

 獣の膂力とは言え、頭蓋を打ち砕かれたのが堪えたようだ。戦闘などろくに経験していない、何も知らない帝国民を騙し襲い続けた卑怯者、表面上は人体を模している身体からの一撃は研ぎ澄まされた暗殺者の一撃とは比べるべくもない。避けるには容易かった。

「遅い遅い」

 避けるのは得意でも避けられるのは初めてだったようだ。

 前のめりに態勢を崩した脇腹に悪魔の爪を突き入れ、生暖かい血を脇腹から噴き出した身体を石床に転がす。あの時とは真逆の状況に男性は跳ね上がらずに倒れながらこちらを睨むに留める。まるで状況が理解出来ていない、屋敷を訪ねてきた威圧感などまるで持ち合わせていない。

「前線には立つべきじゃなかったな。今度こそ仕留めてやろう」

「待って」

 背後から聞こえる声に、仮想途中だった腕を止める。

「終わったか?」

「終わりがないから、お引き取り願ったの————少しだけ痛めつけてしまったかも」

 馬を背後に携えた姿を横目に再度左腕を完成させる。仕留めきれなかったスラッグ弾ではない、確実に人体を破壊することを念頭に置いたある土地の名がつけられた弾丸を模す。それは身体に着弾、体内に潜り込むと同時に花弁が開くように鉄の刃を広げる殺害と激痛を与える為だけに造り出された禁止された弾丸。

「邪魔をするのか?」

「いいえ。この眼で見たいと思っていたの、だけどそれも叶いそうになさそう」

 足音は三つあった。馬の蹄鉄は独特な為すぐさまわかったが、セイルに傘を差す紳士に肩を叩かれる。「十分だ」と言いたげに前へ躍り出た教授に、傘を渡されてセイルと守れと語外の意志を伝えられる。だけど自分にとって見逃せる筈もなかった。

「教授———父さん」

「今は耐えてくれ。君の覚悟を蔑ろにさせられない、どうかアビゲイルを抱く腕を汚さないでくれ」

 静かに左腕を人体に戻し、セイルと共に待機する。

「良い姿だな。その姿なら彼が油断すると思ったか、それとも年齢の近しい人間しか模せないのか」

「‥‥何が言いたい」

「その姿では大佐に迷惑だ。速やかに元に戻って貰う」

 向けられた手には拳銃が握られていた。オートマチックが顔を見せ始めながらも、古式のそれは使い込まれた長年の趣があり教授は手足を扱うように自然な動作で向ける。

「死にはしない。これは君の為に用意した弾丸だ」

 言うな否や、注射器を刺した首元に撃ち込まれた弾丸を皮切りに今も倒れている深紅の貴族の顔が修正されるように変貌していく。それは数度も弾丸を撃ち込まれた顔と頭蓋を持つ、赤い傷だらけの顔付きだった。貴族というには痛々しい傷跡にセイルが「見れる顔になったのでは?」と鼻で笑うように告げる。

「ああ、その通りだよ。ようやく見れる顔になったではないか。———我が息子よ、彼の目的は知っているか?」

「アビゲイルを連れ去る」

 頷いた教授は薬室に改めて弾丸を差し込む。この雨の中では湿気るという事実を嘲る倒れたままの貴族は腹部を抑えて血を止めるに掛かる。

「彼らの目的は我が妻とアビゲイル。踊らされているとわかっていても、妻との時間は捨てられなかった。後幾ばくも無い命だと知った時から————いや、知る前から離れられなくなっていた。出会いから出産まで全て作り上げられた偽りの時間だとしても」

 詰め終わった拳銃を再度向ける姿に、目を奪われる。

「しかし彼らと彼とは意識の乖離があった。遺伝子の向上を主目的に、同時に欠陥を補う為に送り出された嬰児の筈だったが、深紅の貴族の習性である近親者を好み性質を向けるとは————そしてアビゲイルにも。完全なる遺伝子の一致、一部の欠落さえなければ完璧に完成された血だというのに。その規範こそが崩壊を招いたと今まで気付かなかったとは」

「選ばれし血同士で惹かれ合うのは摂理だ。我ら帝国を崩壊させたのは貴様ら愚民の責任だ」

「摂理、責任か」

 呟いた教授に———跳ね上がって跳び掛かろうとした深紅の貴族の腹部から再度血が溢れる。袋でも破ったのかと思わせる血の濁流にセイルが微笑んだのがわかる。

「妻から聞かせて貰っていた。私が死したのなら必ず君達が訪れると。私の死体を決して渡してはならない、彼らの食指は屍だけには止まらない。必ずアビゲイルの母胎と死んだ後の身体を求めると。狂った君達から、私はどうすれば娘を守れるか考えていた」

 二発三発と放たれる銃弾を受ける度に、貴族の口から血が迸る。

「遂に彼女に手が伸びた時だ。彼が守ってくれた———私はアビゲイルに向ける顔が無いんだ、彼女を守る為に彼女を囮にした。犯罪界に慣れ過ぎた所為だ、毒を以て毒を制すを使ってしまうなんて。そんな汚れた私に身を以って守るという妙案を我が息子が見せてくれた」

 眼球しか動かせなくなった貴族に、教授は見降ろしながら近づく。

「最初は君さえも深紅の貴族の手先かと思っていた。だがアビゲイルがあそこまで懐いたのを見て悟った、君は欠落した、アビゲイルが癒すべき欠陥品なのだと。あの子が造り出された目的は損なわれた遺伝子を修復する揺り籠となる事」

 自分にもわかった。自分の劣化が停まったのはアビゲイルが傍にいてくれたからだと。むしろ徐々に成長、修復されつつある理性を心地よく感じていたのはアビゲイルのお蔭だったのだと。マキナと交わした契約は、あくまでも壮絶な終わりを見せる事だけなのだから。

 教授の頭脳は計り知れない。惹かれあった自分とアビゲイルの関係の気付いたとしても、

「‥‥確証もない、そんな直感で」

「奪うべき対象と恋に落ちるとは、君の性格上あり得ないと思っていた。それに君がアビゲイルと培ってきた感情こそが、私が妻と作り上げた感情だ。言っただろう?君は私と似ている、自慢の娘に恋心を抱く少年に気付かないと思ったか?」

 最後の銃弾を眉間に突き付けた教授は、一切の瞬きをしなかった。

「我が妻の同位体よ、君が入る余地など無かったのだ。造り出された遺伝子には抗えないとしても、新たに生まれた感情と造り出した使命は命の中でいがみ合う。そして————意外とそれは簡単に抜けられて超えられる。私が恋に打ち負けたように」

 軽い撃鉄を起こした拳銃は雨に濡れて湿気った、或いは元から水に浸していた弾丸を放つことはなかった。

「去るが良い強者。遺伝子の求めに従った勝者よ。この屋敷は恋に敗北した者達が集う背信者の屋敷だ。君には相応しくない」

 踵を返して歩み寄ってくる教授は、何も言わずに屋敷へと戻って行く。

 セーレに視線を投げるが、何も言わずに首を振られる。背後の馬さえ嘶きと足踏みをしていない。

 自分と彼の関係はこれで断たれる。だから最後の言葉を送った。

「アビゲイルは守り続けます。さようなら」

 傘で腕を組んだセーレと共に自分も屋敷へと戻る。そして同時に幾つもの車両のエンジン音が聞こえる。

「私が呼び寄せた軍だから気にしないで。帝国の工作員を好きに使った罰を受けて貰います」

「‥‥いいのか」

「死んだと思っていたら私兵を連なって屋敷を占拠しようとした。ただそれだけ、どのような言い訳をするか楽しみね」

 屋敷へと戻った時には教授は姿を消していた。湯を浴びに行ったのか、それとも寝室で酒を呷っているのだろうか。

 セーレが話があるというので再度遊技場へと足を向けると、部屋は誰いなくとも灯りが付けられ少しだけ寂しげだった。

「話って?」

 ビリヤード台と背後に一人掛けソファーに座ると、向かいにセーレが腰を下ろす。

「まずあなたに対して軍は不法侵入としての罪があると」

「そんな証拠はない」

「ええ、その通り。それに兵舎の防備を捨て去っていた彼らに責任があります。だから、この話はここまで。あの男に対して銃撃だって結局は身を守っただけ。今も戦争の面影がある帝都で裁かれるはあの男だ。だから。この話もこれで終わり————だけど、」

「それをセーレの本家、深紅の貴族の当主が許す訳がない」

 深く頷いたセーレは軍靴のする外を気にした。深紅の貴族は帝国建国の礎だと聞いている、そんな彼らの次期当主が帝都を震撼させた獣の正体だと大々的に発表される————まずそれはあり得ない。帝国の上層が悪魔の力に頼っている以上、矢面に立たされる訳がない。

「今回の責任を俺に取らせに掛かる」

「まず間違いなく。だからあなたには私の悪魔に成って貰った。倫理だ規律を一切気に留めない卑怯者には丁度いい手打ちでしょう」

「どういう意味なんだ?」

「あの男が消え去る以上、私は間違いなく当主に選ばれる。しかも私は新生代の悪魔、敢えて今までの規律を無視して個人的な規範を敷ける。そんな私に異を唱える事など出来る?知らないかもしれないけど、あなたは私達悪魔の世界では有名なの。そんなあなたと関係を造った私には誰も逆らえない。よく理解しておいて、アビゲイルだけではない、今後はあなたもつけ狙われるって」

「アビゲイルじゃなくて俺に意識が向けられるなら」

「折れないヒト」

 立ち上がったセーレは何も告げに出て行ってしまった。部屋へと戻ったのだろう。

「‥‥マキナ、これもお前の望んだ通りか」

 ————さてな。私にとってもこれは意図としない出来事だ。よくよくお前は人々に嫌われるようだ—————

「望むところだ。お前もその方が都合がいいんだろう」

 ————否定はしない。だが今の私では、更に未来を摘み取ったお前を平らげるには時間が掛かる。楽しませてくれる。気まぐれに加えてやった私を従えるという契約を達成するやもしれぬとは。やはり貴様は生まれ以っても悪魔か—————

「これから俺はどうなる」

 ————貴様の存在は、我が演算器を用いても処理に時間が掛かる。数億と繰り返した仮想世界の中でもこのような出来事は数える程もない————あくまでも私はこの世界に対しての仮想観測を主として来た。外宇宙からの侵略と相対した貴様、しかも始末して血を浴びたお前は測定外の世界の住人。お前の存在を世界が忌避するのも当然だ、あってはならない存在と化したお前はただただ邪魔なのだから————

「宇宙からの侵略者。本当に俺は世界を滅ぼしてきたのか」

 ————軽く考えているようだ。忘れるな、あの者達は世界の壁を貫通する———しかし我ら真なる悪魔にはまるで歯が立つまい。悪魔を恐れ逃げ伸びて、消え去るまで隠れ住んでいた雑魚が総じて他世界に侵略目的で近づく弱者なのだから。未だに質量に頼っている臓物共には貴様の弾丸は痛かろうよ————

「褒め言葉として受け取っておく。お前も戦った事があるのか?」

「観測の邪魔であったのでな。そして集めた力の一端が、どの程度まで通ずるか調べ上げたかったのだが、まさか第一装甲解放条件すら整わなう内に退去するとは。失った時間の無駄だと断じて針を数度取り返させて貰った、無論奴らの時間を奪ったのだが」

 目を開ける。先ほどまでセーレが座っていた席に無表情で口すら開けない機械仕掛けの悪魔を見つめる。

「その時が来れば見せてやろう。第一世界から現在の第五世界までを見据える為に造られた我が電子の矛を。貴様が望めば星ひとつも穿てる」

「世界って意外と小さいんだな」

「神の名を受けて生誕した我らにとっては、それも致し方ない。そもそも造り出された目的がそれだ。しかし彼らの崇高な思想には敬意を払うが、もはや神など意味がない。何かを造り出すには前例ばかりで意味がない、ならば我々は悪魔としてここにいるしかないのだから」

 静かに目を閉じる。長い時間、雨に当たり続けてしまった所為だ。睡魔に襲われ始めた。

「眠るのか?それもいい。———お前には楽しませて貰おう、次の仮想世界では貴様の存在を誘発剤として使わせて貰う。ウツシミ、なかなかに使えそうではないか。しかも創設者が欲しいと口を揃えていた外宇宙の血を混ぜているなんて。彼らすらも呼び寄せる餌にしてくれよう」

 脈打つ肌と暖められた電子回路で身体を覆ってくれるマキナが、無感情に声を聴かせてくれる。

 この悪魔は何処まで行っても悪魔にしか成れない。神として星造りの権能すら持ち合わせている筈なのに、悪魔らしく混沌の方が観測し甲斐があると言って憚らない。きっと次にマキナが観測する近い宇宙の存在達も————人間に狂わせられる筈だ。

「与えられた遺伝子とは隔絶された命を育てるのもまた価値がある。必要なのは無地の土地に無色の水。そして種として————」




 ベットの中で縮こまるアビゲイルの頬を軽く撫でる。

「もう少し‥‥」

 と返す婚約者を抱えて無理に椅子に座らせる。

 膨れ上がった胸を抑えるボタンを外し、彼女のお気に入りのオレンジのブラウスを着せる。甘えるように倒れ込んでくるアビゲイルの頭を肩に、靴下や髪留めを整えて一杯の水を渡す。そこでようやく覚醒した頭が水を受け取り、口に運び込んでいく。

「ごめんね、また君に頼ってばかりだね」

「いいよ。俺もアビゲイルに頼られて嬉しいから。ずっと傍に置いてくれるか?」

「もう君がいないと私は生きられないから。絶対傍にいて」

「仰せのままに」

 抱き上げたアビゲイルを朝日の差す窓へと連れて行く。庭で転がっていた筈の工作員たちは姿を消し、血塗れであった床石も雨で洗い流されていた。そして雨が消えて快晴となった空から温かな風が吹き込むのが、顔に当たる空気で分かる。

「暖かいね」

「アビゲイルとの初めての春だ」

 庭を見降ろせば、そこには朝から花と植物の世話をしてくれるミシュレさんが立っていた。昨夜の雨で気になったといっていたが、実際は最近の襲撃の所為で植物に触れられず寂しかったのだろう。こちらに気付いた年上の友人に手を振られて、思い出したように腕から降りて手を振り返す。

「そうだ!!約束してたのに!!」

「ごゆっくり~」

 と言い返され、慌てて寝室から出て行こうとする足が停まる。そして申し訳なさそうに靴に足を通しながら「ずっと話してた所為だ‥‥」と嘆くようにベットに座る。再度外を見ると黒馬を車両に戻したセーレは余裕のある表情で、テラスにて甘い紅茶を啜っている。

「焦らないで行こう。まだまだ朝だから」

「‥‥うん。やっぱりあなたがいないとダメみたい」

 差し出した手をおずおずと取るアビゲイルに胸を貸して、朝の抱擁と口づけを交わす。下を向いたままのアビゲイルと手を繋ぎながら外に出る寸前、扉を叩かれた。「少し出て来る。夜には帰るから」と告げる教授の声に慌てて飛び出すアビゲイルだが、その時には甘い香りだけを残して消え去っていた。

「折角セーレを紹介しようと思ったのに」

 どうやらセーレとは親しい間柄にのみ許す名であるらしい。

 そして不機嫌になったアビゲイルと共に手を引いて一階に続く階段へ向かう。廊下に走る空気はまだ冷たいとしても温かな日差しに晒された事で徐々にだが春の香りが漂い始めていた。そして何故だろうか。大きく背伸びをして眠気を晴らしたアビゲイルが突然振り返る。

「あのね。昨日君の夢を見たの。聞きたい?」

 一歩前に出て隣に並びながら頷く。上機嫌に微笑んだアビゲイルは、窓の外を眺めながら教えてくれた。

「君と私の遠い子孫は姉妹なの。2人は一度離れ離れになってね、だけどずっとお互い、心の中では思い合ってて」

「うん、それでそれで」

「ふたり共同じ男の子を好きになるんだけど、その子が遠い星の彼方から来た子でね」

 どうにも深宇宙の彼方に意識を飛ばしていたらしいアビゲイルが更に「それでねそれでね、少し離れた親戚にすごい魔法使いのお姉さんが居て、そのお姉さんに二人で弟子入りするの。ふたりでそれぞれ全く違う世界の魔術を修めて、すっごい魔法使いになって。妖精たちの世界で」

 未だ夢の中でいるらしいアビゲイルが楽し気に話を続ける中、ふと笑ってしまう。

「ん?どうかした?」

「アビゲイルとの間に子が生まれるのは、もう決まってるんだと思って。すごく嬉しいんだ」

「うん!!だって、もう君と婚約してるんだから、そうなるって決まってるよ!!」

 腰に抱きついて胸に頬ずりする姿に再度笑みが零れる。きっとアビゲイルは悪魔であるのは間違いない。しかも未来を予言して必ず叶わせる恐ろしき悪魔なのだ。心を読めるのは未来も現在も読めるからだ、そして傷ついた心を癒す為でもある。

「君と出会えてよかった。レンサ———」

「ありがとう。同じ気持ちだよ」

 言い訳を考えておかなければならなくなった。このままふたりだけの時間、世界に入ってしまうのは避けられそうにない。

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悪魔の形 一沢 @katei1217

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