4,弟
「ただいまー! 二人とも、ちゃんと見てたー?」マイが笑顔で走り寄って来る。ヒカルとレトはそれを引き攣った顔で迎えた。
先程の戦闘――と言うよりほぼ一方的な嬲り殺し――は彼らの想像以上だった。あの後マイは短剣を操って敗者の胸から腹にかけてを切り開き、空いた方の手で臓物を引っ張り出すと観客に向ってそれを掲げて見せた。
場内は彼らを賛美する声で溢れていた。今も歓声や怒号が外まで漏れ聞こえている。次の試合が始まったのだろう。
マイにやや遅れて、イライアスが武器を担いで歩いて来た。こちらは得物のリーチの長さもあって然程返り血が付いていなかった。
「終わりだ。帰るぞ」最早見慣れた仏頂面である。
夕食の時、食堂で席に着いたレトが突然口を押えて立ち上がった。イライアスは何も言わず窓の方を指差した。レトは窓目掛けて走り、外に顔を出した。
彼女の
先輩二人は眉一つ動かさずそれを食べている。
青い顔をしたレトがふらふらと席に戻って来た。ヒカルは彼女の背をさすってやる。器の中身を見た彼女が唇を噛んだ。
「食べなきゃダメだよー、二人とも。お腹空いて夜中に起きてもごはんはないんだよお?」
「とっとと慣れろ。今度はあれをお前達がやるんだ。その度に飯が食えなくなってたら相手にやられるぞ」他人事のように言う二人をレトがきっと睨んだ。
「あそこまで酷い事をする必要がどこにありますか。いくら何でもやりすぎです」
「必要ならあるとも。観客と興行主は少なくともそれを望んでいる」
「お客さんのウケが良ければおひねりが貰えるよ。レトはお金が嫌い? ここから早く出て行きたいと思わない?」
「お二人は……」レトの目に怒りが宿る。「お金のためなら何をしても平気なんですか?」
「マイは別に平気だけど」そう言って彼女は首を傾げた。「イライアスみたいなやり方はオススメしないなあ」
「イライアスさんみたいな?」そう訊いたのはヒカルだ。
「イライアス、でいいと言っただろう。奴隷同士で敬いは必要ない。俺は相手を殺さないから人気が出ないし、その所為でこんな奴と組まされてる」横に座るマイを指した。
「マイの動きを見て勉強しろって言われたんだってー」彼女はにっこり笑う。
「殺さなくてもいいんですか?」レトの表情が少し明るくなる。
「ルール上はな。さっきも言った通り客のウケは良くないし、雇い主の機嫌も悪くなる。それでも俺は人間の命を弄ぶような真似をしたくない」
「ほんと、向いてないよねえ」マイはため息を吐いた。「元が戦闘民族だからそんなの気にしないと思ったんだけど」
「必要なら戦うだけだ。四六時中敵を惨殺して回るわけがないだろう。命の遣り取りはもっと神聖であるべきだ」イライアスは空の器を匙で軽く叩いた。
「あのー」四人の物ではない声がした。ヒカルが振り返るとシオンが遠慮がちに立っていた。「もう時間なんだけど。食器下げてくれない?」
見れば食堂に残っているのは彼らだけだ。ヒカルは慌てて粥を口に詰め込んだ。また眠れなくなってもマイはもうショコラを分けてくれないだろう。
「明日は休みだってー! ひゃっほー!」秘書の男に呼ばれていたマイが戻って来るなり歓喜の声を上げた。
「マジ!? やったー!」ヒカルも思わずそれにつられる。
「お前達は休みじゃないぞ」
「えぇー……」イライアスのつっこみでテンションががくんと落ちた。
「お散歩行って来るねー! おやすみー」マイは不規則なステップを踏みながら部屋から出て行った。
「散歩って、どこ行くんでしょう?」レトは首を傾げた。
「本人に聞け。大方敷地内をうろついてるだけだろうがな」イライアスは寝台の下段に――上段はマイが使用している――腰かけていた。
「あっ、そうだ。訊こうと思ってた事があるんですけど」
「何だ」
「その、イライアスとマイはどこから来たのかなって」
「……俺についてだけなら話してやる。ここより北に行くと、カレドニアって名前の島がある。俺達の言葉ではアルバと呼んでいた所だ。俺は島の中でも小さい部族の生まれだ。ある夜突然帝国軍が襲撃を掛けて来て、夜明け前に制圧された。生き残りは奴隷商人に引き取られてそれぞれ売られた。終わり」
「うーん……、何と言ったらいいやら……」
「同情はいらない。奴隷なんてどいつも似たような生い立ちだろう。俺が特別悲惨と言う訳でもあるまい」
「そういや、武器は槍じゃないんだ? 何か理由でもあるの?」
「当時支給用の槍が足りなかったらしい。武器庫を漁ったら出て来たんだと。それをそのまま持たされてるだけだ」
「ここを出たら何をしたいですか?」
「……そんな事訊いてどうする」イライアスの目に剣呑な光が宿る。
「あなたは食堂で『命の遣り取りは神聖であるべきだ』と言ったでしょう。何か自分だけの信条があっての言葉だと思いました。そういう物があるとしたら、ここにいるのも理由があるからだとお見受けしたのです」
イライアスの目が力を込めてレトを見据えた。「弟がいる。俺とは違う所に売られた奴だ。弟と二人で自由市民の権利を手に入れて故郷に帰る。俺はその為に戦っている」
「弟さん、ですか」
「あいつは生まれつき脚が悪かった。普通の奴隷として働けない分劣悪な環境に置かれているかもしれない」
「どこにいるか、とかは分かってるの?」ヒカルはその話題に興味を惹かれていた。
「分からん」実にあっさりと言ってのけた。彼は自分の手に目を落とした。
「えっ」
「奴隷階級じゃ人探しだって出来やしない。俺はそれでも弟は生きている方に賭けている。二人分の市民権を買おうとしたら今の俺にはこれ以外金を稼ぐ方法がないんだ。引退して訓練士になると貰える額がごっそり減る。落ち目だろうと今辞める訳にはいかないんだよ」
「……」今度こそ掛ける言葉が出て来なかった。
「無駄話が過ぎたな。もう寝ろ。マイはどうせしばらく戻って来ない。いつもの事だ」
――あなたに会えるのが楽しみ。
声の持ち主は明らかに上機嫌だった。こちらに来てからというもの、夢の頻度が上がっている。
――見てて。どんどん大きくなるから。
ヒカルがその意味を知るのは大分後になってからの事である。
翌日、朝。
最早日常になりつつある四人での食事を済ませるとマイはぴょこぴょこと跳ねて何処かへ行ってしまった。
「イライアスは今日どうするんです?」
「特に予定はない。寝る」
訓練サボるなよ、と言い残して彼は踵を返した。
ヒカルとレトは訓練場に向かう。
「ヒカルはどう思いますか?」
「え?」突然どうと尋ねられても答えに困る。
「昨日の話。評判が悪くても相手をなるべく殺さずに戦うやり方を聞いたでしょう」
「ああ、それか」
「私もそれをやってみようと思うんです」
「そうなんだ」
「あなたはどうですか? やっぱり観客のウケが悪いのは嫌ですか?」
「それは――」
「もし嫌だったら言ってください。他の人と組んでもらえるように私からアントニウスさんに頼みますから」その目には決然たる光があった。
「そんな事――」自分はどうだろうか。状況に流されるばかりで信念の類もない。他のパートナーを求める段階にすら立てていなかった。それでも、言葉を返さなくてはと思った。
「……僕も、誰かを殺すなんて嫌だ」足を止めたその位置。レトの頭頂部と昇る途中の太陽が重なって、彼女の表情は見えなかった。
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