第二十二巻 許されざる者

 ――パカラッ、パカラッ、パカラッ、パカラッ…。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…」


 その頃、来家は蔵人の読み通り、卑怯にも一人だけ密かに逃走を図っていた。


 息急く馬に鞭打つ彼は、もう既に遮威安寺が小さく見えるほどの距離にまで逃げて来ている。

 

 ぢつは蔵人が庭で来家の兵達と戦っている最中、来家は母屋の物陰から彼らの戦いをそっと眺めていた。


 しかし、鬼神の如き蔵人の戦振りにとてもじゃないが敵わぬと見るや、郎党達も置きざりに自分一人だけこっそり母屋を抜け出すと、厩に繋いである馬に乗って裏口から一目散に逃げ出したのである。


「フン! 命あっての物種じゃ。誰があのようなバケモノの相手などするものか。あの鵜入なる者とて一人では敵うまい。このまま国衙こくがに行き、早射りと簾戸が共謀して我が屋敷を襲ったと国地頭の梶原様に訴えてやるわい!」


 そんな負け惜しみを口にしつつ、馬を必死に走らせる来家だったが、こちら同様、前方より馬で駆けて来る者の姿があることに気づく。


「んん……?」


 近づいて来るその人物に来家は目を凝らす。


 すると、どこか見覚えのある黒い直垂に黒い馬……それは、誰あろう、あの阿布脇按頭である。


「ハァっ! ……ドウ、ドウ!」


 どうやら向こうもこちらに気づいたらしく、傍まで来ると手綱を引き絞り、荒ぶる馬の脚を高々と持ち上げて無理矢理に止める。


「おお! これは阿布殿っ! ドウ、ドウ……」


 これはよい所で会ったというように、来家も自分の馬を止めて声をかける。


「来家殿、如何なされた? その様な格好でかような場所に?」


 一方の阿布は来家の鎧姿を覗うと、外からではわからぬ程度の微かな驚きの表情を浮かべて尋ねる。


「早射りの潜伏先を突き止めたとの知らせを受け、それがし、急遽こちらへ戻って来たのでござる。他にも伝令を出したゆえ、近くの戸櫓羅土荘ころらどのしょう相田保あいだほうに派遣してある脇按使もその内参るはず……だが、かように慌てて、どこへ参られるおつもりにござる? もしや、またお一人で早射りを捕えに行くのではあるまいな?」


 そして、自分がここへ来た経緯を簡単に説明すると、疑いの目を持って来家の顔をまじまじと見つめる。


「いや、聞いて下され! それが我らが召し捕りに参るよりも前に、大胆にも早射りの方から我が屋敷へ討ち入って来たのでござる!」


「なんと! まことにござるか!? して、早射りは? もしや捕えられましたか?」


 ひどく興奮気味に告げる来家に、今度は阿布の方も目で見てわかるくらいの驚いた顔をいつになくしてみせる。


「い、いえいえ! とんでもない! あのようなバケモノ、到底、我らの手には負えませぬ。あっという間に我が兵は壊滅状態。わしもこうして命からがら逃げて来たところでして……」


「…!? ……つまり、早射りに敗れ、ここまで逃げて来たと申されるか?」


 汗をかきかき必死に我が身の惨状を訴えかける来家だが、その話を聞くにつれ、阿布の表情がみるみる内に曇ってゆく。


「はい左様で。今頃きっと、我が郎党達も鵜入殿も、皆、哀れ早射りの矢の餌食となっていることでございましょう。もうちょっと逃げ出すのが遅ければ、危うくわしもそうなってるとこでしたわい」


「ほう…配下の者達は全滅したが、そこもと一人だけはお逃げになって参られたと……そう仰せられるか?」


 普段から無愛想なためにわかりづらいが、さらに阿布の表情は険しさを増し、その猛禽の如き鳶色の瞳は来家の顔を鋭く睨みつける。


「ええ、ええ。その通りにございまする……あのう、これほどまでに犠牲を払って早射り捕縛に手を貸したのですから、やはり、それ相応の恩賞は鎌倉様よりいただけるので?」


 しかし、来家は阿布の表情の変化にまるで気づいてはいない……この後に及んでまだ自分の犯した罪を解さず、それどころか身の程知らずにも恩賞の話まで持ち出して、いつものイヤらしい欲深な笑みをニヤニヤとその顔に浮かべている。


「何が恩賞ぞっ! 早射りを見つけておいて放置したばかりか、あまつさえ、自らの郎党を置き去りにして一人だけ逃げ出して来るとはいかなる了見ぞっ!」


 そんな龍の逆鱗を逆撫でするかの如き来家の言動に、阿布の怒りがついに爆発した。


 突然、激昂する阿布を前にして、来家は口をだらしなく開けて呆けた顔をする。それからわずかの時を置いて、ようやくにして気づく……自分が今、非常によろしくない状況に置かれているのだということに。


「敵に背を見せ、郎党を見殺しにするなど武士にはあるまじき所業……貴様など御家人の風上にもおけぬ恥晒し者だ! 鎌倉様の御恩を忘れ、奉公を怠るような者は万死に値する! 今ここで我が矢を食らいたくなくば潔く自害せいっ!」


 阿布は来家にそう宣告するが早いか、背負っていた自分の愛弓・古流堂の「拝尊パイソン」を手に取り、箙から抜いた三寸五分七厘の魔具南無鏃の矢を番える。


「ひ、ひええええっ! お、お助けえ……」


 その必中必殺の獲物を目にした来家は悲鳴を上げると、顔を真っ蒼にして慌てて馬に鞭を入れる。


「愚かな……」


 だが、今更逃げたところで阿布の強弓から逃れられるはずもない。


 阿布はギリギリと重い弦を引き絞ると、馬で走り去る来家の背に狙いを定め、なんの躊躇いもなく矢を引き放った。


 ドッ…!


 蔵人の弓と同様の衝撃波を放ち、三寸五分七厘の魔具南無鏃の矢は来家目がけて飛んで行く。


 ザシュッ…!


「ぐぎゃぁあっ!」


 そして、来家の背のど真ん中に超高速で突き刺さると、頑丈な鎧もろともその身体を表側にまで刺し貫いた。


 今日も来家は用心深く鎧の下に腹巻まで着込んでいたのであるが、昨日、蔵人に遠矢で射られた時と違い、今度は至近距離からの一射である。


 蔵人とほぼ同じ強さを持つ阿布の弓の前では、その二重の防備もまるで役には立たなかったらしい。

 

 あっさりと息絶えた来家は、そのまま走り続ける馬の背からドサリと地面に転げ落ちる。


「言ったはずだ。今度ふざけた真似をしたら、我が愛弓をお見舞いする……とな」


 その無残な姿を馬上から見下ろし、阿布は無表情に冷たく呟いた――。

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