第二十一巻 一騎打ち
「――おーい! 来家ーっ! どこに隠れてやがるーっ! この武士の風上にもおけねえヘタレ腰抜け野郎がーっ! 悔しかったら早く出来て、俺のケツに接吻しやがれ~っ! でないとーっ! これからはウンコッタレ野郎って呼ぶぞ~っ!」
大声で来家を挑発するような台詞を叫びながら、しんと静まりかえった館の中を蔵人はあちこち探し回る。
「くそう。出てこねえな……これでもまだバカに仕方が足りねえか。なんせ、俺は口がいいからな。なかなか汚ねえ言葉は吐けねえぜ」
しかし、蔵人の口汚い挑発作戦も虚しく、来家は一向に現れないし、探してもその姿は母屋のどこにも見当たらない。
「モゴモゴ……ったく、どこ隠れてやがんだ?」
ちなみに今、蔵人の右手には握り飯が握られている。
ぢつは先程、母屋と近接する
付け加えると、厨にはその飯を炊いていたと思しき使用人の女衆も隠れていたのだが、蔵人の山賊のように恐ろしい顔を一目見た瞬間、全員悲鳴を上げて一目散に逃げて行ってしまった……蔵人、もう完全に押し込み強盗だ。
「モゴモゴ…おかしいな? ……母屋じゃねえのかな?」
盗んだ米で作った握り飯を頬張りながら、母屋から伸びる渡り廊下の方へと蔵人は向う。
渡り廊下に出ると、母屋とその廊下で繋がれた御堂のような建物の間に、それなりの広さを持つ中庭が設けられている。
蔵人は知らぬことだが、先程まで来家達がたむろしていた場所だ。
「さっきまで人のいた気配はするが……ここにもいねえか」
しかし、今は郎党や具覧達はもちろんのこと、来家の姿もまるで見当たらない。
蔵人の外、誰一人としていないので、辺りは逆に落ち着けぬくらい、異様なほどの静けさに包まれている。
「ったく、どこ行きやがった……あっちの建物はなんだ?」
来家捜索に手こずる蔵人は、次に廊下を渡って、そこにある仏堂らしき建物へと足を向ける。
よく見れば、戸が閉め切らたその御堂はいかにも隠れ場所的な雰囲気を醸し出しているではないか!
「見つけたぞ! 来家っ!」
希望的観測でとりあえずそう叫びながら、蔵人は入口の戸を勢いよく観音開きに開く。
「…………おや?」
しかし、開かれた戸の向こうに蔵人が見たものは、来家のような低俗な者ではなく、その正面に坐す等身大ほどもあろうかという金銅の阿弥陀如来坐像であった。
「思わず手を合わせたくなるようなありがたき御姿……ああ、そういや、ここはもともと慈耀の坊さんの寺だったな」
弥陀の御前で、蔵人はふとそのことを思い出したのであったが。
「…!」
突然、背後に鋭い殺気を感じる。
バシッ…!
そして、振り返った蔵人の右手には、今、自分目がけて飛んで来た矢が一瞬の内に握られていた。
「バカ野郎っ! ありがてえ阿弥陀さまに当たったらどうすんだ!」
避けていれば仏像に当たっていたであろうその矢に、蔵人は矢の飛んで来た方向を見据えて文句を付ける。
「チッ…外したか……ま、貴様ならば想定の範囲内のことだがな」
蔵人が見つめるその先――闇に沈んだ廊下の奥には、弓を構えて舌打ちをする鵜入孫二郎の姿があった。その身から発せられる暗く影のある殺気に蔵人は何かを感じ取る。
「てめえ、来家じゃねえし、やつの郎党でもねえな……そうか。阿布の手下の脇按使だな? どうやら阿布はまだ来てねえようだが、てめえ一人か?」
「いかにも。それがしは侍所所属の脇按使・鵜入孫二郎にござる。お頭はまだ到着せぬが、貴様の相手などそれがし一人で充分。早射りの蔵人こと平東木蔵人介張威! 今日こそおとなしく我らの縛につけ! さもなくば命の保証はせぬ!」
鵜入は丁重に挨拶を済ませると、冷たい狂気を帯びた眼でさらに蔵人を威嚇する。
「ヘン! その言葉、もういい加減、聞き飽きたぜ。誰が〝はい。そうですね〟って素直に捕まるかよ!」
「フッ…そんなことは百も承知。なに。ただ一応、役目がら言ってみただけのことよ。貴様の生死は問わぬと、お頭より許しは出ている。生け取りなど面倒だ。小細工などせず、ここは単純明快に死んでもらうぞ……」
ビュン…!
蔵人の不遜な物言いにも負けず劣らず、鵜入は
「チッ…!」
ガタ……ダンッ!
蔵人は咄嗟に戸を引き、その戸板で鵜入の矢を受け止める。
「さすが脇按使。相変わらず容赦ねえなっ!」
ドンッ…!
そう独白して蔵人も、戸の陰から顔を出すと鵜入目がけて矢を放ち返す。
…シュ……ドガッ!
だが、鵜入も素早く廊下の角に隠れ、その強弓の矢を紙一重のところでやり過ごした。
「くそっ! 俺の矢を避けやがったな!」
珍しく獲物を外し、母屋の板壁を粉砕する自分の矢に蔵人は悔しがる。
「……フッ…」
一方、廊下の角に隠れる鵜入は、なぜかその冷徹な顔に不気味な笑みを浮かべていた。
「思った通りだ。強弓を使う上に馳射戦に長けた坂東武者の早射りと野外で戦おうなど愚が骨頂……だが、馬にも乗れず、狭く障害物も多い屋内ならば俺のような船戦に慣れた西国武士の方にこそ有利。それに愚かな来家の兵達のお陰で、あやつの矢と体力もだいぶ消耗させることができた。あとはこの屋内戦で翻弄し、一気にやつの弱点を突いてやる……」
鵜入は心の中でほくそ笑むと、廊下の角から腕だけを突き出し、再び蔵人目がけて矢を射かける。
ビュン…! ……ダンッ!
今度も蔵人は戸の陰に身を退き、矢は軽快な音を立てて戸板に突き刺さる。
「その飾り気のねえ無骨な黒い弓身……
戸板の裏に隠れつつ、蔵人は束の間に見た鵜入の弓の特徴からそう判断を下す。
「いかにも! 長年愛用している我が相棒だ」
同じく廊下の隅に隠れる鵜入も、蔵人の呼びかけに場違いな長閑さで返事を返す。
「随分と古風なもんを使ってんじゃねえか。だが、そんな旧式の弓じゃ、俺を射抜くことなんてできねえぜ?」
「フン! 確かに旧式ではあるが信頼性は高い名品だ。癖の強い貴様の魔之二九などより、よっぽど正確な射撃ができるというものよ。早射り! その
鵜入は蔵人を挑発すると、母屋の奥の方へ向かって不意に走り出す。
「ぬかせっ! てめえの土手っ腹に風穴開けてスースー言わせてやらあっ!」
その挑発に乗ったわけでもないが、蔵人も戸の陰から飛び出すと渡り廊下を走り抜け、続く屋内の廊下の角を曲がって鵜入を追いかける。
「フン!」
が、曲がった廊下の奥には、膝を突いた鵜入が弓を構えている。
「やべっ…!」
ビュン…!
勢いよく角を曲がって現れた蔵人に、間髪入れず鵜入の矢が放たれる。
「おわっ! ……このっクソったれがっ!」
ドンッ…!
蔵人は慌てて後方に倒れ、間一髪その矢を避けると、尻餅を搗いた無理な体勢からこちらも鵜入に矢を射返す。
しかし、狭い屋内で、しかも無理な体勢からということもあって、鵜入は難なくそれをかわし、さらに母屋の奥へと高笑いを上げながら逃げ去ってゆく
「ワハハハハハ! どうした早射り! まるで当たらぬではないか。それでは〝早射り〟の名が泣くというものぞ!」
「……っきしょう。もう、許さねえぞ! 待ちやがれっ!」
二度も的を外し、さらに挑発的な鵜入の物言いにいい加減ぶち切れた蔵人は、怒髪天を突く形相で鵜入を追って走り出す。
「フッ…バカが!」
ビュンッ…!
だが、次の角を曲がるとまたしても鵜入が待ち構えていて、飛び出して来る蔵人めがけて先程同様、矢を放ってくる。
「うおっとっと! ……せやっ!」
ドンッ…!
今度も動物的反射神経でなんとかかわし、鵜入に矢を射返す蔵人だっが、それも先程同様、またもや矢は的を外してしまう。
加えて馬にも乗れず、死角も多いこの室内では、さすがの蔵人もなかなか鵜入に追い付くことができない。
そんなことが何回か続き、蔵人の冷静さも、そして、彼の箙に差さる矢の残数もみるみる内に失くなっていった。
「チッ! 使いすぎたか。もう一本しか矢が残ってねえ……」
箙に手をやつた蔵人は、掴んだ最後の一本にその状況を認識する。
「こいつで最後だ。こりゃ、慎重に狙ってかなきゃいけねえな……が、こっちもあの野郎を追い詰めたぜ」
蔵人に追われる鵜入は、最後に母屋の一番奥にある来家の部屋へと逃げ込んでいた。
「野郎、覚悟しな……!」
開け放たれた戸の陰に身を潜めていた蔵人は、愛弓に最後の一本の矢を番えると、飛び出して部屋の中にいる鵜入に狙いを定めようとする。
が、そこにいた鵜入はどこか様子がおかしい……なぜか弓も箙も床に投げ捨て、帯に差していた腰刀だけを引き抜き、それを右手にだらりと下げている。
「んん…?」
その異様な行動に、蔵人は訝しげに眉をひそめると、さらに強く鵜入を睨みつけた。
「そろそろだと思っていたが、やはり、それが最後の一本か……」
鵜入は不気味な笑みを浮かべ、蔵人に言う。
「……どういうつもりだ?」
蔵人は弓を構えたまま、さらに睨みつけて訊き返す。
「なあに。これが貴様を最も確実に仕留められる兵法だ。貴様の残り矢をなくし、弓ではなく腰刀による近接戦で仕留めるというな」
「ハン! 弓相手に腰刀一本たあ、大した自信だな。貴様を射殺すのには矢一本でも多いくらいだぜ。それに、ずっと気になってたんだが、その半端な武装はいってえなんだ? そんな片袖と片籠手だけで俺様の矢を防ごうなんざ、まったく舐められたもんだぜ」
蔵人は悪態を吐くと、ついでに左袖と左籠手だけを着けるという鵜入の奇妙な格好のことも問い質す。
「フッ…思ってもおらぬことを申すな。半端だろうがなんだろうが同じこと……例え完全武装であろうとも、貴様の強弓の前では鎧も楯も無意味なことはこれまでの戦闘で痛いほど存じておる」
「ケッ! よくわかってんじゃねえかよ」
「なれば重い鎧など着けず、防御を犠牲にしてでも俊敏さを高めることこそが得策。この袖と籠手は身を守るためではなく、貴様を仕留めるための時間稼ぎ。そして、貴様は弓こそ並ぶ者なき腕前だが、太刀での斬り合いや腰刀での組み打ちは不得意と聞く……さあ、早射りの蔵人。今日で貴様の悪行も最後だ!」
鵜入はご丁寧にもそう長々説明すると、右手に提げた腰刀をゆっくりと持ち上げ、なぜか武器を持たぬ左半身を前にして構える。
「なるほどな……だが、そう、うまくいくかな?」
ギリリッ…。
蔵人も引き絞った弓に力を込めて、数歩先の鵜入を見据える。
「………………」
二人の間にぴんと張りつめた空気が流れた。
そして、しばしの後、お互いの瞳に殺意の光が煌めいたその瞬間!
「参るっ!」
鵜入が蔵人目がけ突進する。
ドンッ…!
それと同時に蔵人も、魔之二九から最後の矢を放つ。
その矢は狙いを外すことなく、真っ直ぐ鵜入に向かって飛んでゆく……。
だが、左
生身ならば貫通しているところだが、どうやら鉄札のみで作られた頑丈な袖であったらしい。
「ぐっ……これぞ、肉を射らせて骨を断つ! 最早、貴様に射る矢は残っておらん! 死ねえい早射りっ!」
左腕を射られた鵜入は一瞬、苦痛に顔を歪めるも、その痛みをものともせぬように
腕一本を犠牲にしてまでの決死の刺突――それこそが、鵜入の考えた必勝戦法だったのである!
「な……!?」
さすがの蔵人も目を見開き、心底、驚きの表情を顔に浮かべるが、その刹那の内にも鵜入の凶刃は遮るものの何もない蔵人の腹へと容赦なく迫る。
もらった……。
鵜入のその心の呟きとともに、蔵人の肉体は鋭利な刃によって貫かれたかのように思われた。
ガキィィィィーン!
……だが、予期していなかった金属音が静かな屋敷内に響き渡る。
「な、なんだと……」
鵜入は思わず声を漏らす。
ギリリリリリリ……。
見ると、鵜入の渾身の力を込めた一撃は、右の手で逆手に持って抜かれた蔵人の腰刀によって、見事、受け止められていた。
「あっぶねえ……さすがに今のはビビったぜ……」
蔵人はいつになく蒼白な顔で、深い溜息を吐くようにそう述べる。
「だがな。てめえは一つ勘違いしてるぜ……確かに俺は弓に比べて斬り合いや組み打ちの方が不得意だが、だからって、からっきしダメってわけでもねえ。武士たる者、弓による射撃戦から腰刀での組み打ちまで、一通りすべてできて一人前ってもんだからな」
「そ、そんなバカなことが……」
不敵な笑みを浮かべて語る蔵人に、鵜入は皮肉の一つも返すことができない。
「とはいえ、てめえが言うのにも正しいとこはある……やつぱり俺は、腰刀よりも弓の方がお似合いのようだぜっ!」
ギリィィン…!
そう叫んで蔵人は腰刀を弾き、鵜入の腕の下を潜って前転すると、床に放ってあった鵜入の箙へと猫のように飛びつく。
その箙には、まだ使い切らぬまま彼の矢が残っているのだ。
「しまった!」
すぐさまそれに気づいた鵜入は、射られた左腕もそのままに、再び腰刀の鋭い刃先を蔵人の背中目がけて突き出す。
「矢を射る間など与えてやるものかっ!」
蔵人と鵜入の距離はわずかに人一人、その間に入るか入らないかという程の近さである。とても弓に矢を番え、狙いを定めて射れるような間隔ではない。
…………しかし。
蔵人は振り返り様、すでに番えていた矢を手が触れるほどの位置にまで迫った鵜入の胸目がけて引き放つ。
〝
そう、鵜入が心の中で思った瞬間。
ドンッ…!
彼の心臓は貫かれ、その矢は天井の板に突き刺さって小刻みにブルブルと震えていた。
………………ドサ…。
鵜入は口を聞く間もないまま絶命し、伐られた大木のように床へと横倒しになる。
「フゥ……いや、今回はマジで危なかった。さすがに脇按使ともなりゃあ、気い抜いてると
蔵人はその場に跪いたまま、額に浮かんだ嫌な汗を薄汚れた衣の袖で拭う。
「さてと、それはともかくとして、肝心の来家の野郎はどこだ? 屋敷中どこ探してもいなかったが……ああっ! もしかしてあの野郎、郎党置いて一人だけ逃げやがったな!?」
立ち上がった蔵人は付近を見渡し、ふと、その可能性に気づく。あの来家ならば、そんな武士の風上にも置けぬ卑怯なことも十二分に考えられなくはない。
「ちっくしょう……やられたぜ。だが、これ以上手間どってると阿布の野郎どもも来ちまいそうだしな……ま、ここまで叩いときゃあ、来家も慈耀の坊さん達を襲えねえだろうし、後は坊さん達が俺とは無関係だと口裏合わせてくれりゃあ、なんとかなるか……んじゃ、そうと決まれば早々に撤収だ。おおーいっ! 白銀ーっ!」
差し迫る
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