第十七巻 お尋ね者

「慈耀さま~!」


 牧外れの草原をこちらへ向かって来る慈耀達親子に、ありったけの力でケイルは大きく手を振る。


「おお~っ! ケイル~! 蔵人殿~!」


「ケイル~! 蔵人さま~!」


「ケイルねえた~ん! 山賊のおいた~ん!」


 それに答え、慈耀と摩利庵、それから慈耀の背に負ぶさる浄意も、蔵人達に向かって笑顔で手を振り返す。


 急いで裏山を下った蔵人とケイルは、無事、来家の魔の手から逃れた慈耀ら親子と牧の山際で落ち合った。


「ンモ~!」


 ちなみにケイルが逃走に使った〝アカ〟も繋いでおいた山麓で回収し、今は彼女の傍らで長閑な鳴き声を牧の朝空に上げている。


「坊さん、怪我はねえか?」


 お互い傍まで近寄ると、蔵人がぶっきら棒に尋ねた。


「ええ。おかげさまで助かりました。昨日といい、今日といい、蔵人殿には二度も助けていただき、なんとお礼を申せばいいものか」


「ほんに。蔵人さま。主人ばかりか、わたくしども親子の命まで救っていただき、ほんとにありがとうございます」


 深々と頭を下げる慈耀に続き、言葉では言い尽くせないほどの感謝の意を摩利庵もなんとか表そうとする。


「山賊のおいたん、ありがとう!」


 さらには慈耀の背中から下ろされた幼い浄意までもが、大人を真似してペコリと彼にお辞儀をする。


「フフ…浄意坊っちゃんは蔵人と違って礼儀正しいだなあ」


 そんな幼子のオカッパ頭を、ケイルは満面の笑みを浮かべて優しく撫でてやった。


「いや、しかし、まことに大した弓の腕ですなあ。昨日の早射りでも驚きましたが、あの距離からの正確無比な遠矢!あれほどの腕、蔵人殿は本朝一のつわものにございまする!」


「すまねえ、坊さん……」


 助かった喜びと再び目の当たりにした蔵人の弓の妙技に、やや興奮気味に褒め称える慈耀であったが、普段なら図に乗って偉そうに胸を張るはずの蔵人が、なぜか、らしくもない物憂げな表情を作って頭を下げる。


「いきなりどうなされたのですか? むしろ、こちらが助けてもらった礼を言わねばならぬところなのに、そんな、蔵人殿が頭を下げられるなど……」


 その予期せぬ態度に得心がいかぬという様子で、慈耀は蔵人に訊き返す。となりにいる摩利庵も同じく訝しげに眉をひそめている。


 一方、ケイルの脳裏には、先程、山の上で蔵人が見せた、やはり今と同じように深い淋しさを湛えたあの顔が蘇っていた。


「あんたらも来家が俺を捕らえようとしているのを見ただろう? 今日、やつらがここへ来ちまったのは俺のせいなんだ……」


 慈耀の問いに蔵人は暗い目をして、地面に生える雑草を見つめながら、どこか力ない声でそう答える。


「ふーむ……どうやら深い事情がおありのようですな。よかったら、この貧乏坊主にもお話くださいませぬか?」


 いつにない蔵人の様子に、慈耀は優しく微笑むとそう声をかけた――。




「――慈耀の坊さん。さっき来家達から俺のことはなんか聞いたか?」


 ケイルの家に上がり込み、囲炉裏端で耳を傾ける慈耀達に蔵人は口を開く。


「はい。あなたの本当のお名前が東木蔵人介ということと、あなたが鎌倉より追われている平家の落人であるということは」


 尋ねる蔵人に、慈耀は包み隠すことなく、率直な言葉でありのままを伝える。


「鎌倉から追われてる!? ……そっか。だから、おめえは……」


 その驚くべき事実にケイルは思わず声を上げるが、それとともに彼女はすべてを理解した。


 なぜ、蔵人が山賊のような恰好で旅をしているのかということも。なぜ、彼がこの荘からなるべく早く立ち去ろうとしていたのかも……。


「そこまで聞いたんなら話は早え。ま、そういうこった。だから俺がここに長居をしていると、あんた達に迷惑がかかるって言ったんだ…って、もう充分迷惑かけちまったから今更だがな。すまねえな。こんな厄介者と関わらせちまって」


 そう言うと、淋し気な色を瞳に浮かべたまま、蔵人は自嘲するかのように口元を歪める。


「いえ! 迷惑などととんでもない! おかげで私達家族はこうして来家の手を逃れることができたのですから。それに来家は私を是が非にでも謀反人に仕立て、自らの行った没官刑を正当なものにしようとしているのです。あなたが平家の落人だろうとそうでなかろうと同じこと。もし、あなたがいてくださらなんだら、今頃きっと、私は本家や京都守護に訴えられないよう、あやつに口を封じられていたことでしょう」


「そうですわ、蔵人さま。あなたは厄介者どころか、わたくし達家族の…いいえ! この荘の領民皆の恩人です!」


 いつになく神妙な態度で謝る蔵人だったが、慈耀も摩利庵も彼を批判するどころか、むしろ恐縮して改めて礼を述べる。


「いいや。結果はどうあれ、あんたらを謀反人の仲間にしちまったのは事実だ。やつぱり俺はどこへ行っても厄介者さ……」


「違う! おめえはぜんぜん厄介者なんかじゃねえだ! おらもおめえがここへ来てくれてよかったと思ってるだよ!」


 普段とは違う蔵人の淋しげな姿を目の当たりにすると、思わずケイルもそんな言葉を叫んでしまう。


「ケイル……」


 突然の大声に、蔵人は目を丸くして彼女の顔を見つめる。


「……コホン。ま、まあ、おらじゃなくて、この荘のみんながそう思ってるってことだ」


 勢い余って素直な気持ちを吐露してしまったケイルは、思わず自分の口を突いて出た言葉に後から気付き、顔を真っ赤にすると慌ててそれを誤魔化す。


「しかし、来家があれほど躍起になって捕らえようとしているところを見ると、蔵人殿は余程、名のある平家の公達か何かなのでございまするか? あ、いや、差し障りがあるのでしたら、おっしゃられなくても結構なのですが……」


 頬を赤らめ、気恥ずかしそうにそっぽを向くケイルに代り、今度は慈耀が気になっていたことを遠慮がちに尋ねる。


「いや、そこなんだがな、どうにも俺自身せねえんだよ」


 すると、それまでとは打って変わり、蔵人は身体を前に乗り出して、隠すどころか饒舌にそのことについて語り出した。


「俺は平氏といっても京で栄華を極めた平家の御一門とは違い、もとは武蔵国に小さな領地を持つ、ただの貧しい田舎武士の家の出だ。おまけに今じゃ、その領地さえ叔父おじきに奪われちまって、こんな宿なしの流れ者とくらあ」


「おお、そうでしたか。蔵人殿ももとは在地領主のお家で……なんだか、その辺の事情が我が身とかぶりまするな。いや、そうと知ると、よりいっそう親近感が湧きまする」


 自分とどこか似通った蔵人の境遇に、思わず慈耀は感嘆の声を漏らす。


「ああ。確かにどっかで聞いたような気もするが、ま、今のご時世、どこにでも転がってるようなよくある話だぜ……」


 そんな慈耀に対して、蔵人は世を斜に構えて見るような苦笑いを浮かべると、特に感慨もないように先を続ける。


「それはそうと、家系はまあそんなだし、一時、武蔵守だった平知盛たいらのとももり卿を頼って京で蔵人所の下っ端役人やってたこともあったりはするんだが、それだって、それほどの官位でも官職でもねえ。言ってみりゃあ、ただの使いっ走りだ」


「でも、蔵人さまにはあの弓の腕がございますわ。前の戦ではさぞかし勲功を立てられたことでしょう。そんな敵方のつわものでしたら、鎌倉が捕えようとするのも考えられなくは……」


 今度は摩利庵が、そこまで聞いて思ったことを口にする。


「ヘヘ…ま、まあな……確かに武芸についちゃあ誰にも負けねえ自信はあるが、その割にはなんかこう、天に見放されてると言うか運がないと言うか……じつは戦でもそれほど大した手柄は立ててねえんだよ」


 摩利庵の褒め言葉に一旦は照れるも、その後、ちょっと恥じらいながらそう言って、蔵人はひどく不満げな表情を作ってみせた。


「ま、良くも悪しくも弓の腕で名だけは広く知られてるようだがな。んでも、ただそれだけのことで、今更、俺を捕らえたところで鎌倉にはなんの得もねえはずなんだ」


「なるほど。それで彼らが必死になるのが解せないと……ですが平家の落人を捕えれば、それだけで鎌倉への奉公となります。来家がそうするのもわからなくはないかと……」


 納得いかぬという様子で語る蔵人だったが、慈耀もそう言って消極的な反論をする。しかし、蔵人は首を横に振ると間髪入れずに先を続ける。


「いや。来家ぐれえの輩が俺を平家の落人と知って捕らえようとするのならわかる。だがな。俺を追ってるのはそんな小者なんかじゃねえ。阿布脇按頭って野郎が率いる、脇按使とかいう鎌倉の隠密だ。来家が躍起になって襲って来たのも、大方そいつらに俺のことを聞いて恩賞欲しさに…ってとこだろうよ」


「隠密? ……そのような者達がなぜ蔵人殿を!?」


 なんだか予想外に大きくなってきた話に、慈耀は頓狂な声を上げて訊き返す。傍で聞いている摩利庵やケイルも目を見開いて蔵人の顔に注目する。


「だからわからねえって言ってるだろ? なんでも、その脇按使とかいうのは天下を揺るがす一大事を裏で解決するのがお勤めらしいんだが、そんなご大層な連中が俺を必死に追いかけてくる理由が皆目見当つかねえ。もと平家方の武士っつっても、俺はもう鎌倉に弓を引こうとか、そんな気もさらさらねえしな」


「おめえのことだ。憶えてねえだけで、なんか恨み買うようなひでえことしてるんじゃねえだか? 鎌倉様の兵糧米を全部盗み食いしちまったとか、その阿布とか言う人の弁当かっぱらったとか……」


 肩をすくめ、困惑した顔で訴える蔵人を横からケイルが疑いの目で見つめる。


「いや、それが全く身に憶えがねえんだよ…っていうか、またおまえは失礼な小娘だな。誰がそんなアホなことするかっ!」


「実際、似たようなことしてるでねえだか。おらん家の粥全部食っちまったし」


「ええい、うるさい! とにかく! 俺には一切、あいつらにつけ狙われるような憶えはねえんだよ!」


 疑惑の眼差しを向けるケイルといつもの如く夫婦漫才を演じつつ、蔵人はこれまでの不平不満を勢いついでに爆発させる。


「それなのにだ! どうにか壇ノ浦を落ち延びて鎮西の山奥でのんびり猟師でもしようかと思ってたってのに、いきなりあの野郎どもが現われて、どこまでもしつこく追ってきやがる。んで、そのまま今日まで、したくもねえのにこんな逃亡暮らしってわけよ。やつらに訊いても、〝仁義・・〟がどうのこうのって言うだけだし、誰もてめーらに仁義切られる筋合いはねえっつーの!」


 この一件、どうやら蔵人と阿布の間には、何か大きな認識の齟齬があるらしい……。


「そういうことでしたか……それは確かに解せぬ話ですな。いったい何が原因なのやら」


 不貞腐れる蔵人の話を大方聞き終えた慈耀は、不思議そうに腕を組んで考え込む。


「だろう?」


「うーん。そうですわねえ……」


「そうだだなあ……」


 当の蔵人をはじめ、摩利庵やケイルも同じく考え込んでしまう。


「うーん。そうでしゅなあ……」


 そんな大人達を真似て、それまで詰まらなそうに話を聞いていた浄意も腕を組んでみせる。


 そうして、ゆるやかに煙の立ち上る囲炉裏傍はしばしの沈黙に包まれた。


「ま、いくら解せねえ話でも、俺がそんなヤベえ奴らに追われてるお尋ね者だってことだけは確かだ。もとよりこの世の中、そんな理不尽なことばかりだぜ……さあ、これでわかっただろ? 俺がいつまでもここにいちゃあならねえ人間だってことがよ」


 その沈黙を破ったのは、当事者である蔵人本人だった。


「つーことで、これ以上迷惑がかからねえよう、俺は早々にここを立つことにするぜ」


「え……」


 あっさりと何の未練もないかのようにそう宣言する蔵人に、ケイルは前から充分わかっていたであろう、その悲しい結末を今更ながらに思い出す。


「いや、しかし、それこそ、もうこうなってしまったからにはそう急がなくとも……何度も言いますが、私どもはけして迷惑などと思っておりませぬし。なんとかこの荘に匿うこととて…」


「いや。気持ちはありがてえが、あいつらはそんな甘えやつらじゃねえ。さっきは姿を見せなかったが、すでにこの近くにも阿布かその配下の脇按使が来てるはずだ。急がねえと来家の郎党なんか比べ物にならねえくれえのつわものどもがすぐここへもやつて来る。これはあんたらばかりじゃなく、俺自身のためでもあるんだ。俺もまだ、そう易々とはくたばりたくねえんでな」


 そこまで聞いても、なお恩義ある彼を引き留めようとする慈耀に、蔵人はその言葉を遮るようにして、きっぱりとその申し出を断った。


「蔵人……」


 このままでは自分達の前から立ち去ってしまう蔵人に、ケイルも何か言葉をかけようとする。だが、言わねばならぬと思うことは山ほどあるのに、どうしてもうまく自分の感情を言葉にすることができない。


「……だが、ここを去る前にもう一つ。やっておかなきゃならねえことがある」


 そんなケイルを気にかけることもなく、蔵人は不意に真剣な顔つきになると、傍らに置いてあった愛弓を手元に引き寄せる。


「と、申しますと?」


「なあに、あいつら俺にケンカを売るばかりか、あんたらにまでちょっかい出しやがったんでな。この落とし前はきっちりつけさせてもらうぜ……」


 訝しげな顔で尋ねる慈耀に、蔵人は不敵な笑みを浮かべながら、弓を杖代わりにしてスクっと立ち上がった――。



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