第十二巻 来家の悪巧み

「――なに? 返り討ちにあっただと? ……バカ者っ! 貴様らは何をやつておるかっ!」


 今は来家の住まいである遮威安寺に、主人の怒号が雷のように轟く。


「も、申し訳ございませぬ!」


 屋敷の庭で鬼の如く顔を真っ赤にした来家を前に、栗栖は平身低頭、地べたへ額を擦りつけて謝っていた。


「まかりなりにも武門の郎党ともあろう者が、百姓や牧人の集まりごときに手も足も出せずに敗れたと申すのか!」


「い、いえ、それが予想外にも恐ろしく弓の腕の立つ者が向こうにはおりましたもので……それから妙に凶暴な馬も……あ! も、申し訳ありませぬ!」


 栗栖は思わず顔を上げて弁明するが、無言で威圧する来家の眼光に再び平伏する。


「うま? 馬がどうした? いや、それより恐ろしく腕の立つ者じゃと? 簾戸のもとにはそれほどに弓の名手が大勢おるのか?」


「いえ、腕の立つ者は一人だけにございまして……」


「なに? 一人? ……たった一人におめおめとやられて帰って来たと申すのかっ!?」


「そ、それが一人と申しましても、それはもう目にも留まらぬ早業で射る矢はすべて百発百中ストライクの鬼神が如き者でして、あっという間に郎党達はことごとく射倒され……かろうじて矢傷を免れたのは、それがしと具覧殿ぐらいの者にございまする」


 栗栖は地に伏したまま、主人の怒りを恐れながらも切々とその時の恐ろしき様を来家に報告する。そのあまりにも真剣に訴える彼の様子に、それがけして嘘や冗談ではないとようやく気づいた来家は、わずかばかりその声の調子を下げた。


「まさか、まことにただ一人の者にそなたら全員やられたと申すのか? まことに、たった一人で郎党全員を相手にするような剛の者が……」


「まことにございまする! ……まあ、馬に蹴散らされたという者もおりまするが……」


「馬? だから、さっきからなんなんじゃ? その馬というのは? 馬のことなどどうでもよいわ。それよりも何者じゃ、そやつは!? それほどに弓の使える者、百姓どもの身内ではあるまい?」


「ハッ! それが詳しくは存じませぬが、具覧殿の話によると、どこぞの牧人の家に逗留する旅の者のようにございまする。大柄の男でして、見てくれはこう髷も結わず、烏帽子も被らず、毛皮なぞを着た山賊らしき恰好で……そう! それから右の頬にこんな大きな矢傷がございました!」


 栗栖は遠目に見たその男の姿を思い出しながら、大仰に身振り手振りを交えて説明するのであったが。


「なんじゃと!」


 その特徴を聞くと、来家は突然、大声を上げる。


「その話、まことのことか!?」


「は、はあ……」


 いきなり喰いつきのよくなる来家に栗栖は「今さら何を…」というような顔で答える。まことも何も、さっきから何度も本当だと栗栖は訴えている。


「目にも留まらぬ早さで射る弓の腕……大柄で右頬に矢傷のある風体……間違いない。早射りだ。早射りの蔵人だ……」


 ポカンとする栗栖を無視し、来家は幽霊にでも会ったかのような表情をその脂ぎった丸顔に浮かべて小声で呟く。


 昨日、阿布脇按頭に見せられた彼自作の人相書がアレ・・だったため、来家は恐る恐る阿布の癇に障らぬよう言葉を厳選しながら、苦労して〝早射りの蔵人〟――東木蔵人介張威の人相風体をなんとか聞き出していた。


 まあ、その時は一応、探索のために聞いておかねばならん程度の考えで、よもやそれほど役に立つ情報とも思っていなかったのであるが……今、栗栖が話したその人物の特徴は、阿布から聞いた早射りの蔵人の姿そのままだったのである!


「……ククク。苦労して阿布に聞いておいた甲斐があったわい。これは思わぬ獲物が飛び込んできたようじゃな……栗栖! その者の居場所わかるか?」


 来家はそのイヤらしい顔にさらにイヤらしい笑みを浮かべると、どこか嬉々とした声で栗栖を問い質す。


「ハッ! 先刻もう一度、簾戸の酒場の様子を見に行かせたところ、簾戸や名主ともども、その者の姿も最早なかったようにございまするが、おおよその行き場所ならば見当がついておりまする。おい! その方ら出て参れ!」


 栗栖は気を取り直し、ハキハキとした声で答えると振り返って何者かを呼ぶ。


「へ、へい! 失礼いたしやす……」


 すると、出て来たのは顔に歯型や蹄型の痣をいっぱいに付けた、道化のような三人の郎党だった。


 そう……白銀に二度もコテンパンに叩きのめされた、あの哀れなゴロツキ三人組である。


「なんじゃ、この愉快な顔の者どもは?」


 来家は現れた三人の郎党達を、なんとも訝しげな目つきで見つめる。


「ハッ! これは先程から申しております、馬に蹴散らされたという郎党らにございまするが、じつは昨日もその馬に出くわしたらしく、こやつらの話によりますと、どうやらその馬と一緒にケイルなる牧人の娘がいたようでして……そうじゃな?」


「へ、へい!」


 尋ねる栗栖にゴロツキ其之一が、緊張した面持ちで答える。


「あの化けもんみてえな馬と一緒にいたのは、確か螺競らせるとか呼ばれてる牧人の家のケイルっていう娘だったかと……」


「おい、待て待て! なんでまた馬の話になるのじゃ? その方らの話はまったく筋が読めぬぞ? わしが知りたいのは馬ではなく、その弓の腕の立つ者の居場所じゃ」


 要領を得ぬ彼らの説明に、事情を知らぬ来家はますます訝しがって眉根をひそめる。


「いえ、その馬が手掛りなのでございまする。今、殿が興味をお持ちになりました者と呼応して、その馬が我らを退けた働き……おそらくは、かの者の馬ではなかろうかと。となれば、その娘の家にそやつが逗留していることも充分考えられまする」


 よくできた家人の栗栖は、チンプンカンプンな主人にもわかるよう、三人組の話を補足する。


「……なるほどの。先程から馬、馬としつこく申しておったのはそういうことか……そういえば、阿布も早射りは〝白銀〟とか申す銀色の毛をした名馬に乗っていると言っておったな。その方の説、確かにありうる話ではある」


 来家は栗栖の推測に、ぶつぶつと呟きながら頷いた。


「銀…ですか? それがしの見たのは銀色というより煤けた灰色の馬でしたが……」


「ん? 灰色? 妙じゃの。わしの聞き間違えか? ……まあ、別によいか……いや、それはともかくとして、話が逸れたが逃げた簾戸の方じゃ! そちらはどうなっておる?」


 思わぬ恩賞を得る機会に目が眩んでいた来家は、忘れそうになっていたその本題を思い出す。


「ハッ。じつは簾戸の方も今申したケイルなる娘とは懇意にしている様子。その娘とかの者が一緒にいるとなれば、簾戸もおそらくはそこに逃げ込むのではなかろうかと」


「ほう! まことか! それはますます好都合じゃの」


 なんという好機到来! その思いもよらぬ一石二鳥な話を聞くと、来家はさらに悪徳な顔を嬉々とさせる。


「栗栖。その、そなたらを返り討ちにしたと申す者はほぼ間違いなく、あの阿布らが追っているという東木蔵人じゃ。〝早射りの蔵人〟の異名を持つあの男じゃよ!」


「なんと! あの〝早射り〟でございまするか!?」


 来家の口を吐いて出た予期せぬ名に、思わず栗栖も驚きの声を上げる。


「ならば、あの恐ろしいまでの弓の腕もわかりまするが……それはまことで!?」


「まこともまこと、大まことよ。フハハハハ! 簾戸め。我らの手を逃れたはいいが、どえらい厄介者を抱え込んでしまったようじゃの」


「なんたる奇遇……かの有名な早射りが、簾戸とともにおりますとは……」


「早射りは平家の落人にして、詳しくは知らぬが大罪人と聞く。これであやつも正真正銘の謀反人よ! 大手を振って没官刑ができるというものじゃ! 栗栖! 今度はわしも行く。明日、再度兵を率い、簾戸とその早射りの蔵人を捕らえに参るぞ! いや、この際、簾戸などもうどうでも良いわ。早射りさえ捕えれば、鎌倉様からの恩賞は我らの思うがままじゃ! フフ…ファッハハハハっ!」


「ハハッ! 次は早射り相手と心得、必ずや此度(こたび)の汚名を拭ってみせまする」


 獲らぬ狸の皮算用に高笑いする主人の来家に、栗栖も気合の籠った声で再戦での雪辱を誓ってみせた。


「来家殿!」


 そんな時、屋敷の方から来家の名を呼ぶ声が聞こえて来る。


「ああん?」


 話の腰を折られ、邪魔くさそうに来家達がそちらへ目を向けると、それは何やら一人の武士を連れて、廊下を歩いて来る阿布脇按頭であった。


「こ、これは阿布殿!」


 阿布の姿を見るや、来家は表情を強張らせ、驚いたように声を上げる。


「来家殿、ずいぶんと愉しそうでしたが、いかがなされましたかな?」


「い、いいえ別に……なに、取るに足らぬことにございまするよ」


 尋ねる阿布になぜか「マズイ…」という表情で来家は答え、栗栖達にも「何もしゃべるな」と目配せアイコンタクトする。


「そ、それよりもそちらの方は?」


 そして、なんとか話を逸らそうと、阿布の背後に控える見慣れぬ武士の方を見て尋ねる。


 阿布同様、目つきの悪い危険な顔をした、墨色の直垂ひたたれを纏う武士である。


「これなるは我が配下の脇按使、鵜入孫二郎ういるそんじろうにござりまする」


 紹介された鵜入なるその武士は、威圧的な視線を来家から離さぬまま頭を下げた。


「じつは先刻、国地頭の梶原景時殿よりこの者が遣いとして参りまして、この播磨国内に九郎判官らしき者が潜伏しているとの伝聞を得たゆえ、至急、それがしにも国衙へ参じるようにとの由にござりまする」


 九郎判官……言わずと知れた最も有名な源平合戦のヒーロー・源九朗判官義経である。


 義経はこの年の前年――平家を壇ノ浦に滅ぼしてよりわずか七ヶ月後の文治元(1185)年九月に、兄・頼朝への謀反の疑いありとして、叔父の新宮行家しんぐうゆきいえとともに追討の院宣いんぜん(※院の命令書)を出され、都を落ち延びた義経一行は全国的なお尋ね者となっていたのだ。


 ちなみにちょうどこの年、全国に守護・地頭を設置することを頼朝は朝廷より許されるのであるが、これも名目上の理由は義経・行家の一党を追討するためということになっていたりする。


 そして現在、この守護・地頭を設置した年を持って〝鎌倉時代〟の始まりとしているである……受験生の皆さんは、よく憶えておくように!


「早射りの探索に専念したきところではござりまするが、脇按使として世を乱さんとする九郎判官を追捕するのも我らの大事なお役目。それがしは国衙へ行かねばなりませぬ」


「おお、左様ですか! …あ、いや、それは残念」


 阿布の言葉に来家は心とは裏腹な、まるで残念そうではない・・・・顔でそう答える。


「そこで、この荘の探策方には、これなる鵜入をそれがしの代わりに残していこうと思いますゆえ、以後、よしなに」


「ええっ! …あ、いや、それは頼もしゅうございまするな。鵜入殿と申されるか。こちらこそ、どうぞよろしゅう。ハハ…ハハハハハハ…」


 そして、今度は露骨に嫌そうな声を上げると、慌ててそれを取り繕うかのように笑った。


「どうぞ、よろしくお願い致しまする」


 そんな腹の内を見透かしてでもいるかのような目つきで、鵜入は来家の顔を見据えながら無愛想に挨拶する。


「いや、まことに頼もしそうなお方で……これで早射りの捜索も万全ですな…ハハ……ハハハハハハ…」


 刺すような鵜入の眼差しに再び愛想笑いをする来家だったが、鵜入も阿布も顔色一つ変えず、その表情は険しいままである。


「それでは来家殿。それがしはこれにて失礼いたす。早射り探索の件、くれぐれもよろしくお願い申しまする。ただし、もしもやつを見つけたならば、間違っても独断で捕えようなどとは考えず、この鵜入に報告なされるように。よろしいですな?」


「ええ、ええ。それはもう、充分に心得てございまする」


「……では、御免」


 相変わらず張り付けたような愛想笑いを浮かべ、嘘くさい相づちを打つ来家に侮蔑ともとれる視線を送ると、阿布はくるりと背を向けて、足音もなくその場を立ち去って行く。


「お頭、それではそれがしも出立のお手伝いを」


 その後について鵜入も踵を返し、二人は静かに廊下の角へと消えて行った。


「フゥ……危ない危ない。危うくやつらに早射りのことがバレるところだったわ」


 二人が完全に姿を消したのを確認した後、来家は大きく息を吐きながら呟く。


「明日の早射り捕縛のこと、けしてあの鵜入とか申す者に知られぬようにな」


 そして、栗栖の耳元に口を寄せると、なおも周囲を警戒しながら彼に小声で囁いた。


「あの……お知らせしなくともよろしいのですか?」


 栗栖は心配そうな顔で、やはり声を潜めて訊き返す。


「フン! 構うものか。あやつの力など借りずとも、わし一人の手柄にしてやるわい。誰がこの大手柄を譲ってやるものか」


 そんな生真面目な家臣に鼻を鳴らして答えると、来家は独り、この上なく悪どい顔をまたもニタニタとニヤけさせた――。




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