第十一巻 酒場の用心棒

「……さてと。んじゃあ、おっ始めるとするか。ああ、念のため言っとくが、事がすっかり収まるまで、くれぐれも外に出てくんじゃねえぞ? 流れ矢に当たって死んじまっても、そこまでは面倒見きれねえからな。なあに少しの辛抱だ。ほんの少し家の中で静かにしてりゃあ、すぐにすむから安心してな」


 それから蔵人は準備体操とばかりに背伸びをすると、名主達を掻き分けて酒場の入口の方へと向かう。


「後は俺の弓だが……確か、警護の連中に弓持ったやつがいたな。ついでにあいつらも危ねえから中に入れておくか」


 さらにぶつくさと独り言を呟きながら観音開きの戸を乱暴に押し開け、まるで敵のことなど眼中にない様子で外へと出て行く。


「んんと、弓持ったやつはどこだったかな? 具覧の野郎、身を隠してろなんてふざけた指示出しやがって。ったく、見つけにくくていけねえぜ……おお、そこにいたか!」


 と、表に出た蔵人は、それぞれ物影や建物の裏に隠れている警護の者達の中から、弓を持った杣人風の男を一人見つけ出した。


「ああ、おい、そこの兄ちゃ…!?」


 だが、次の瞬間。


 鷹のようによく利く彼の眼の隅に、道を挟んで反対側の木陰に隠れる、表へ回り込んだ郎党達の姿が映ったのだった。


「チッ! やつぱり回り込んいやがったか!」


 蔵人はその一歩出遅れた感のある光景に舌打ちする。


 しかし、気付いているのは蔵人一人だけであり、他の警護の者達はいまだその危機すら知らずにのほほんと佇んでいる。物影に身を隠したことで、図らずも敵の姿が見えづらくなっているのだ。


 それに引きかえ、その指示を出した具覧と彼が手引きした来家の郎党達からは、警護の配置が丸わかりである。隠れている意味がないどころか、むしろ不利な点しかないと言っていい。


 初めから、すべては具覧の仕組んだ巧妙な策略だったのだ。


「よし! 全員よく狙え!」


 そうこうしている間にも、来家の郎党達は速やかに酒場の周囲へと展開し、各々弓に矢を番えて構える。


 それを差配するのは、酒場正面に生えた木立の影に潜む栗栖伽郎衛である。


「栗栖殿、仰せの通り仕事はいたしましたぞ? この荘と門棚郷内における鋳物の商い独占のお約束、本当に守ってくださるのでございましょうな?」


 その栗栖の傍らには件の裏切り者――具覧もおり、不審そうな目つきで彼に見返りのことを念押ししている。


「ああ。殿もちゃんとお約束されておるゆえ、ご安心召されよ。よくぞ知らせてくだされた具覧殿。フッ…簾度とその一味どもめ。今日こそ思い知らせてくれるわ」


 栗栖は具覧の方も振り向かずにそう答えると、真顔になって静かに右手を挙げた。


「放てっ!」


 そして、掛け声もろともその手が振り下ろされ、矢が一斉に警護の者達目がけ放たれる。


「敵襲だっ! みんな伏せろっ!」


 その刹那、蔵人が叫ぶ。


「……え!?」


 …ダダン! …ダダ! …ダダン!


 次の瞬間、咄嗟に伏せた彼らの頭の上で、酒場の板壁や水飲み桶に幾本もの矢が同時に突き刺さる。


「ひ、ひゃあああ!」


 蔵人のおかげで命拾いした警護の者達ではあるが、いかんせん、こうした場には不慣れな百姓や牧の面々。皆、一瞬にして混乱パニック状態に陥ってしまう。


「チッ! 気づかれたか……第二射だ! 全員、速やかに矢を番えい!」


 一方、的を外した栗栖は悔しげに眉根を寄せ、もう一度、一斉掃射の指示を飛ばす。


「ひ、ひええぇ~…ら、来家達だ。来家達がほんとに襲ってきやがった!」


「ま、まさか、本気で矢を射かけてくるなんて!」


「やっぱし戦にゃ不向きの連中だな……おい! お前ら、怪我したくなかったら家の中へすっ込んでろ!」


 慌てふためくド素人・・・達に、開けっ放した扉の中を蔵人は顎で指し示す。


「ひやああああっ…!」


「あ、ちょっと待て!」


 蔵人の指示通り、素直に酒場の中へと逃げ込んで行く者達であったが、その中の一人、先程見かけた弓を持っている杣人風の男の肩を蔵人の太い腕がむんずと掴む。


「あんた、悪いがその弓、ちょっと貸してくれ!」


「…ひっ……ゆ、弓? ……へ、へえ! こんなのでよかったらよろこんで!」


 男は一も二もなく弓を手渡すと、慌てて先に行った仲間達の後を追う。


 残る者達も転がるようにしてそれに続き、外には蔵人ただ一人だけが残された。


「よし。これで準備万端整ったな。んじゃ、悪りぃが狩りを楽しませてもらうとするぜ!」


 ビン…!


 蔵人は全員屋内へ入ったのを確認すると、観音開きの戸をぴしゃりと閉め、弓の弦を軽く弾いて、その張りの強さを確かめる。


「なんだ、あの者は? 見たところ百姓のようではないが……慈耀が雇った山賊か何かか?」


 そんな、独り締め切られた扉の前に立つ蔵人の姿を、栗栖はひどく怪訝そうな顔で木の影から覗う……やはり、彼にも山賊に見えるらしい。


「よくは存じませぬが、なんでも牧人の家に逗留している旅人だとかなんとか……」


 となりで栗栖にそう説明する具覧であったが、彼自身、蔵人のことはよく知らないため、同じく訝しげな表情を浮かべている。


 ヒュゥゥゥゥゥゥ~…。


 狩猟用の弓を手に、酒場の前に陣取る蔵人と、それを殺気に満ちた眼で注視する郎党達……。


 両者を隔てる広い一本道を春の木枯らしが吹き抜けてゆく……その風に吹かれ、飼葉くずの丸まったものがコロコロと乾いた地面の上を転がってゆく……。


「……まあ、なんでもよい。まずはあやつが最初の餌食だ。皆の者、放てえい!」


 だが、相手が何者であれ、そこに立ちはだかっているということは自分達の敵に違いない。


 わずかの後、栗栖は声を張り上げると、再び挙げた右手を躊躇なく振り下ろした。


 …ビュッ! ……ビュッ…ビュッ…!


 その号令とともに、無数の矢が一気に蔵人目がけ飛んで行く。


 ……ダ、ダン! …ダ、ダ、ダン…!


 しかし、矢は一つとして的には当たらず、今しがた彼の頭のあった場所の背後で、軽妙な音を立てて木の扉に突き刺さる。


「おっと残念」


 そのハリネズミのように矢が生えた板戸の下、身を屈めた蔵人がふざけた口調でそう呟く。


「あ~あ、こんなに矢を無駄にしちゃって。もったいないから使わせてもらうぜ?」


 そして、その刺さった矢に手をかけると素早くそれらを抜き取り、大胆にも自らが使うために幾本か集める。


「くっ、外したか……何をしておる!? 続けて放てい!」


 そんな太々しい標的の態度に栗栖は苦々しげな声を上げ、郎党達はそれぞれに矢を番えると、順次、蔵人目がけて再度引き放とうとする。


 ビュッ…!


 その内の一番早く射た者の矢が、またしても蔵人のもとへと迫る。


「遅えぜっ!」


 ザス…!


「ぎゃあっ…!」


 だが、次の瞬間。どうした訳か、今、弓を射たその郎党の利き腕の方が逆に矢によって貫かれていた。


 一方、蔵人に向かって放たれた矢は狙いが狂い、その顔面わずか右の板戸にブルブルと震えながら突き立っている……郎党が射るのと同時に、蔵人も矢を放っていたのだ。


「いや、遅えのは俺の方だな。相手が放つ前に射たつもりだったんだが……さすがにこの狩猟用の丸木弓まるきゆみじゃ、速度も威力もこんなもんか。こいつはちいとばかし気合い入れていかねえと、こっちも危ねえかもしんねえな」


 蔵人はそう独り嘯くと、ビンともう一回、弓の弦を引いてその感触を確かめる。


 …ビュ、ビュン! ……ビュ、ビュ、ビュン…!


 その間にも蔵人目がけ、郎党達の矢が次々と放たれる。


「が、そんなに遅え矢相手なら、この弓でも十二分だぜっ!」


 そう叫ぶや蔵人は、迫り来る幾本もの矢を横っ飛びに飛んで避ける。


 そして、くるりと地面を一回転して態勢を整え、こちらも素早く矢を射返した。


「はぐっ…!」


 刹那の後、郎党の一人の腕には音もなく矢が突き刺さっている。


「続けてバシバシ行くぜいっ!」


 ザス…!


「うぐっ…!」


 ザス…!


「ぐあっ…!」


 ザス…!


「ぐおっ…!」


 続け様に蔵人は、目にも止まらぬ速さで矢を連射する……その矢は木陰に潜む郎党達の身体に、まるで吸い寄せられてでもいるかのように次々と突き刺さってゆく。


 しかもすべて正確に、相手の腕や足など急所を外した所へである。

 

ザシュ…!


「うがっ! ……くうぅぅぅ……」


 また一人、腕を射られた郎党が弓を落とし、その痛みに堪えかねて地面へと崩れ落ちる……瞬く間に郎党達は残らず討ち取られ、残るは咄嗟に身を隠した栗栖と、同じく災難を逃れた具覧の二人だけになっていた。


「ば、バカな。わずかの間にこれだけの者が……やつは鬼神かバケモノか?」


 大きな幹の裏で蔵人の様子を覗いながら、栗栖は驚愕の相を浮かべる。


「まさか、これほどの腕を持っているとは……もしや、どこぞの名ある武士もののふか?」


 具覧も予想外の展開に、度肝を抜かれたという顔である。


「おのれ簾戸めが。かような者を用意しているとは……だが、戦の勝敗を決めるのは個人の力量だけにあらず。戦術なくして勝利は得られぬものよ」


 思いもよらぬ蔵人の弓の腕に、一旦は気をそがれた栗栖であったが、すぐに気を取り直すとその口元に不気味な笑みを浮かべる。


「……ああ、違えねえ。戦術もなくちゃあな」


 しかし、そんな栗栖の声が聞こえているわけでもなかろうが、蔵人もそう呟くと、なぜか不敵に独り笑ってみせた――。




 一方その頃、酒場の裏手では……。


「――ぎゃあぁっ…!」


「おうおう、向こうじゃ派手にやつてるようじゃねえか」


 表側から聞こえて来る叫び声に耳を澄ましながら、頭に包帯を巻いた一人の郎党が愉しそうに口を開く。


「ヒャヒャヒャヒャ…まさか裏からも攻めて来るとは、お釈迦様でも気付くめえて」


 もう一人、額に歯形の付いた間抜けな顔の郎党も、そう下品な笑い声をイヤらしく歪んだ口元から洩らす。


「んじゃ、こっちもそろそろ始めようぜ。表で仲よくちちくり合ってる間に、中のやつらは全員お陀仏ってな。ヘヘヘヘヘ…」

 

 今度は顔の真ん中に大きな蹄型の痣を持つ男が、やはりお下劣に笑いながら、他の二人を交互に見つめて言う。


 どこか見憶えのあるこの品のない風体をした郎党達――昨日、ケイルを襲おうとしたところを白銀に叩きのめされた、あの間抜けなゴロツキ三人組である。

 

 だが、裏手にいるのはこの三人ばかりではない。


 さらにその背後にも、数名の郎党達がぞろぞろと続いていた。各々手に手に長刀や太刀などの近接戦闘兵器を持って武装している。


「野郎ども、行くぜいっ!」


 包帯を巻いたゴロツキ其之一の合図で、彼らは勝手口の方へと進む。


 表側で警護の者達が交戦している隙に手薄な勝手口から別動隊を突入させ、抵抗の術を持たない簾戸や名主達を易々と捕縛する……それが、栗栖の当初からの狙いだったのである。


「こんな重要な役目を仰せつかったんだ。簾戸を捕えれば、ご褒美もたんまりいただけるってもんだぜ」


 歯形の付いたゴロツキ其之二が、勝手口の戸に手をかけながらニタニタと皮算用をして呟く。


「おう、その通りよ。昨日は変な馬に蹴られるは、鼻に枝突っ込まれるはで最低の一日だったからな。その分、いい思いをさせてもらわなきゃ割に合わねえってもんだぜ」


 ゴロツキ其之一もそれに答えると、まだヒリヒリするのか赤くなった鼻の穴を押さえる。


「ちょうどムシャクシャしてたとこだ。せっかくだから捕える前に、簾戸と名主どもをちいとばかし痛い目に合わせてやろうじゃねえか」


 蹄の痣のあるゴロツキ其之三も、そう言うと握った太刀の柄に力を込める。


「あの馬と小娘にやられた分まで、たっぷりと憂さ晴らしさせてもらうぜっ!」


 そして、勝手口の引き戸を静かに開け、いよいよ中に入ろうとしたその時。


「ブヒヒヒーン!」


 彼らの耳に、どこか聞き憶えのある馬の嘶きが響く。


「そう。こんな風に鳴く馬にやられた憂さ晴らしを……えっ? ウマ?」


 三人と他の郎党達はピタリと動きを止め、それの聞こえて来た方向へと揃ってゆっくり首を回す。


「ブルルルル…」


 すると、そこで彼らが目にしたものは、眼前に黒々と小高い山のようにして立ちはだかる、昨日見たのと同じ巨大な馬の姿だった。


 しかも、逆光で全身影シルエットとなった馬のつぶらな瞳だけが燃え盛る炎のように赤々と輝き、遥か地の底の地獄より亡者を迎えに来た獄卒の鬼かと見紛うばかりの恐ろしさである。


「……う、う、う、馬だぁぁぁ~っ!」


 血の気の失せた顔のゴロツキ三人組は声を揃えて絶叫した。


「ヒヒィィィーン!」


 と、それを合図とするかのようにして白銀の情け容赦ない攻撃も始まる。


 ……ドカ! …バキ! …ボゴ! ……ボカボカ…!


 その草食動物とは思えぬ凶暴極まりない仕打ちを前にして、あっという間に来家の郎党別動隊は一人残らず叩きのめされた。


「ひゃあぁぁぁ~! また馬だあぁぁ~!」×三。


 そんな仲良く叫ぶ三人組を先頭に、歯形と蹄の痕だらけの郎党達は我先にと逃げ出して行く。


「ブヒヒィィィーン!」


 その後方を、なおも白銀が雄叫びを上げながら追いかけて行く――。




「――な、なんだ? いったい何が起こった?」


 一方、酒場の表側で木の影に隠れていた栗栖と具覧は、突如、建物の裏から大挙して転げ出て来る郎党達の姿を目にし、唖然とした顔を見合わせていた。


「さ、さあ? よくはわかりませぬが、裏の連中が馬に追いかけられているようで……」


 続けて駆け出して来た白銀の後を目で追いながら、具覧がご丁寧にも見たまんまのわかりきった解説を加える。


 表側の郎党達は蔵人にことごとく射抜かれ、裏の別働隊も白銀の乱暴狼藉に蜘蛛の子を散らすが如く逃げ出し、あと、まともに戦える者といえば栗栖と具覧の二人ぐらいしか残っていない。


「ううぬ……なんだかよくわからぬが、最早これまでだ。皆の者、退けえい!」


 ここに至り、ついに自軍の圧倒的な劣勢を悟った指揮官の栗栖は、撤退の号令をかけるとともに負傷した者達を引き連れ、早々、夜逃げでもするようにその場を後にして行った。


「フゥ……あっけなさすぎで物足りねえが、んま、これにて一丁上がりだな」


 完膚なきまでに叩きのめされ、ほうほうの体で撤退して行く来家一党を眺めながら蔵人が一息吐く。


「さてと。一仕事終わったことだし、お礼に朝飯でも食わせてもらいに行くか。なあ、白銀……あれ? 白銀どこ行った? あ、もしかして、また獲物追うのに夢中になってやがるな。ったく、てめーは狼じゃなくて馬だってのにしょうがねえ暴れ馬だな……おおーい! 白銀~っ!」


 一時ひとときの争いが終わり、再び平穏を取り戻した静かな早朝の街道に、蔵人の愛馬を呼ぶ声が木霊のように響き渡った。


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