第十巻 罠

「――よーし。それじゃあ、各人の配置はわかったかと思うが、持ち場を離れず、その場でしっかり警護に当たってくれ。今日のことは極秘裏に進めてきたとはいえ、もし慈耀殿や名主の皆さんに何かあっては取り返しがつかぬからな。あと、来家達がこの近くを通ったとしても、怪しまれぬよう、物陰に隠れて待機しているように。ま、ここは遮威安寺からもだいぶ離れているし、こんな朝早くでは万が一にもあるまいがな」


 狩猟用の弓や鋤鍬、腰刀などで武装した即席の警護隊を前に、土鋳物師だという具覧なる男が朗々と訓示を述べる。


 さすが運送業に携わる者だけあって、眼つきが鋭く髭モジャの、蔵人にも負けず劣らず、いかにも〝荒くれ者〟といった風情の男だ。


 対して彼の話を並んで聞く他の面々はといえば、まあ、中には気骨のある牧人や杣人のような者達も幾人かはいるが、押し並べて皆、緊張感のない、警護のような仕事には不向きの長閑のどかな農村の住人達である。

 

 そんな一群の男達に混ざって、これまたまるでやる気のなさそうな蔵人と、ついでに白銀の姿もあった。


「よし! では全員、持ち場につけ!」

 

 覇気ある具覧の号令で、皆、それぞれの持ち場へと歩き出す。


「ふぁ~あ」


 蔵人も大あくびを上げながら白銀を連れて移動する。他所者の彼が任されたのは、あまり重要視されていないらしい酒場の裏手である。街道沿いとはいえ、店の裏には鬱蒼とした林が迫っており、建物の影とも相まって、なんとも淋しい場所だ。


「目立たねえ裏側とは好都合だぜ。しかも、こっちは俺一人のようだから、こいつあ、朝寝がよくできるってもんだ。なあ、白銀?」


「ブヒヒン」


 尋ねる蔵人に、白銀は「おい、いいのかよ?」というような目をして嘶く。慈耀には調子のいいことを言っておきながら、やはり真面目に警護をするつもりはさらさらないらしい。


「と、その前に。そういや朝飯もまだだったな。くたびれちゃあいるがここは酒場だ。さすがになんか食いもんあんだろ? よし、探しに行こう。白銀、つーことで後は任せたぞ?」


 さらに蔵人は白銀一人…いや一頭をその場に残すと、さっさと建物の裏にある勝手口の方へ行ってしまう。蔵人、やることがもう完全に盗賊である。


「ヒヒーン…」


 そんな蔵人の背中に、白銀は深い溜め息のように嘶きを漏らした。


「さあて、食いもん、食いもん。食いもんはどこだ~っと…」


 困った主人に仕える馬の気持ちなど露知らず、勝手口から台所へ潜入した蔵人は早速、辺りを物色し始める。


 幸い台所に人影は見えず、これなら漁りたい放題である。


「……チっ…なんだ、瓶ん中、空じゃねえか……シケてんなあ、これでも酒場かよお……」


 しかし、酒場であるにも関わらず、土間に置いてある酒瓶の中はカラッポであり、壁に設けられた棚や竈にかけられた鍋の中を見ても、食べ物らしきものは何も見当たらない。


「酒場と聞いて、そんだけは期待してたんだがな……鍋ん中も空か……ま、来家のせいでみんな暮らしが苦しいようだからな。ここもご他聞に漏れずってやつか……クンクン…おお! いいもんあんじゃねえか!」


 残念そうにシカメっ面でさらに物色を続ける蔵人だが、すると土間の隅に置かれた漬け物樽から漂う臭いを、彼の獣が如き鋭い嗅覚が逃さず察知する。


 早々歩み寄り、重しの石を退けて蓋を取ると、案の定、中にはうまそうな大根が丸のまま漬けてある。


 大根を粟の粉と塩で漬けた、ぬか漬けの原型である「須々保利すずほり」だ。


「こいつを肴に酒も飲みてえところだが、ま、贅沢は言わないでおいてやろう……こうして我ら警護の者のために慈耀殿がわざわざ用意しておいてくだされたのだ。これを辞しては武士の礼に背くというもの……うん。遠慮なく頂戴くこととしよう」


 そして、そんな身勝手な解釈を下すと大根を一本、躊躇なく樽の中から引っこ抜く。


「んでは、御馳になります…」


 と、蔵人が大根の尻に噛り付こうとしたその時。


 ガタ…。


 台所に続く酒場の表の方から何やら物音が聞こえてきた。


「やべっ!」


 蔵人は大根を持ったまま、咄嗟に漬物樽の横に置かれていた大きな水甕の影に隠れる。


「………………」


 さすが、ほぼ盗賊。こうした状況にも慣れっ子の蔵人であるが、間一髪、隠れるのと同時に誰か台所へ出て来る者がいる。


 水甕の影から蔵人が息を殺して覗うと、それは警護の者達を束ねている土鋳物師の具覧だった。


 ……危っねえ~…警護さぼって盗み食いしようとしてたのがバレるとこだったぜ……


 水甕の冷たい胴に背中を張り付かせ、心の中で呟きながら蔵人は冷や汗を流す。ほんとギリギリだったが、なんとか見つからずにすんだようだ。


「…………?」


 しかし、怪しいのは蔵人ばかりでなく、なんだか具覧の方も様子がおかしい……キョロキョロと当たりを警戒して誰もいないことを確認すると、なるべく音を立てぬよう勝手口から外へと出て行くではないか。


 ……ん? なんだ?


 具覧は酒場の表で皆を指揮する役目なのに、その具覧が持ち場を離れて、いったいどこへ行くつもりなのだろうか?


 ……いや、待てよ? そう言われてみりゃあ……。


 それに不審な行動をとる具覧の様子を覗き見ていると、蔵人はふと、この警護の人員配置についても疑問を抱く。


 もしも万が一、敵が屋内に侵入しようと考えたならば、勝手口など一番好都合な場所である。


 それなのに、なぜだかこの辺りには蔵人の他に…いや、その彼も持ち場を放り出しているのだが、他に警護の者の姿は誰一人見当たらない。蔵人が見咎められずに大根へありつけたのもそのためだ。


 先程の役割分担の折には聞き流していたが、よくよく考えてみれば、おかしな話である。


「どうにも引っかかるぜ……」


 そう思い至った蔵人は具覧が出て行くのを静かに見送ってから、気づかれぬよう、密かに自分もその後を追って外へと出た。


「………………」


 具覧はなおも周囲を気にしながら、酒場の裏に広がる林の中へと分け入ってゆく……その後を、蔵人も木陰に隠れながら忍び足で追いかける。


「ピーヒョロロロロ…」


 そして十数歩。


 林の中へ入った所で具覧はふと立ち止まると、何を思ったのか、口に指を当てて鳥の鳴き真似をしてみせた。


「野郎、何してんだ?」


 その様子を訝しげに顔を歪めて凝視する蔵人だったが、次の瞬間、鳴声と呼応するかのように林の木々がガサガサと揺れ出し、暗い茂みの影から白い袖細の衣に腹当、弓、長刀で武装した二十名ほどの者が一斉に姿を現す。


 その服装や雰囲気からして野党や山賊の類ではない。


 おそらくは武家の郎党……となれば、答えは一つしかない。


「ほおう…なるほどね。そう言うことか……ガリッ…慈耀の坊さん、人はいいが、どうやらちょっと甘ちゃんだったようだな」


 なんだかとってもヤバそうな状況ではあるが、蔵人はまるで動じることなく、暢気に大根をかじりながら木の陰で呟く。


「モゴモゴ…こいつは朝寝なんかしてる場合じゃなくなっちまったな。ケイルのやつ、ただ見張ってるだけだとかなんとかぬかしておいて、ぜんぜんそれじゃすまねえじゃねえかよ……んま、あの小生意気な小娘のおかげでだいぶ鬱憤も溜まってたとこだ。ここは遠慮なく憂さ晴らしをさせてもらうぜ……」


 続いて不敵な笑みを浮かべると、蔵人は足音を立てぬよう細心の注意を払いながら、再び忍び足で酒場の方へと戻ってゆく。


「さてと、白銀、急いで弓を張るぞ。俺の弓は……って、しまったあああっ! 気ぃ失ってたんで弓も太刀も置いてきちまったんだ!」


 勝手口まで戻り、白銀にそう声をかける蔵人だったが、今更ながらにその重大な問題点に思い至る。


「昨日、差したまま寝たんで、かろうじて腰刀だけは持って来てるが……組み打ちはあんまし得意じゃねえしな。しゃあねえ。誰かそこいらのやつの弓借りるか。白銀! 手筈はだいたいわかってるな?」


「ブヒヒーン!」


 何やらブツブツ言ってから尋ねる蔵人に、白銀は馬ながらに「任せておけ」と景気よく嘶く。


「頼むぜ、相棒」


そんな頼もしい愛馬に嬉々と八重歯を見せて答え、蔵人はもう一度、勝手口から酒場の中へと入って行った――。




「――それ、屋敷を普請するから人足を出せ、やれ、戦に備えるために兵糧が必要だと、来家は何かどうか理由をつけて、必要以上の公事を要求してまいりまする!」

 

 蔵人が再び裏の台所へ足を踏み入れたその頃、表の土間に粗末な机と長椅子の並べられた酒場の広間では、集まった名主達が付け台カウンターの前に立つ慈耀を取り囲み、白熱した議論を声高に繰り広げていた。


「先日も追討令の出ている九朗判官義経探索のためと称し、臨時の地頭銭を徴収すると言ってまいりました。これほどまでに公事を求められては、最早、我らは飢え死にするしかございませぬぞ!」


 痩せこけた一人の名主が、朽ちた机の板をぶち破らんばかりに叩いて声を荒げる。


「本家への年貢や公事にしても来家が勝手に水増しし、その上前を撥ねているのは明白にございまする」


「それに、来家の郎党どもの乱暴狼藉。荘内の百姓、牧人、杣人を問わず、皆、困り果てておりまするぞ」


「かくなる上は皆一丸となって、逃散するしかありますまい!」


 そして、興奮し切った名主達の間から、ついに百姓の領主に対する最終手段――〝逃散〟の声が上がり始める。


「慈耀さま。いざ逃散となれば、こちらも田畑や家すべてを失うこととなりまするが、ここにいる者達は皆、もうすでにその覚悟できておりまする」


「その通り。このまま絞り取られるよりは、いっそ逃散してしまった方がまだマシじゃ」


「そうです! 逃散です!」


「そうだ! 逃散だっ!」


 感情高まる名主達は椅子から立ち上がると、熱を帯びた眼差しで慈耀に迫る。


「……わかりました。皆さんにその覚悟がおありならば、最早、問題はありますまい」


 名主達の心の叫びに、もと下司である慈耀は目を瞑ってしばし黙すると、決意を固めてそう静かに口を開いた。


「しからば、もし来家を本荘の地頭職より外さなければ、我ら一同ことごとくこの地より逃散する旨を記した書状をしたため、私はそれを持って本家である京の下賀茂社と京都守護・一条能保様に訴えたいと存じます。つきましては皆さん、この書状に名主として署名をお願いしとう存じます!」


 高らかにそう宣言した慈耀は一通の書状を懐から取り出し、勢いよくそれを手前の机の上に広げる。


「おおう!」


「喜んで署名いたしまする!」


「皆で来家を追い出せえっ!」


「そだっ! 来家を追い出せえいっ!」


 己が命運を握るその書状を目にした名主達の熱狂は、ここへ来て最高調に達していた。


「盛り上がってるとこ悪いんだが、そいつあ後回しだ!」


 だが、その時。


 この決定的場面に水を差すかのようにして、付け台カウンターの向こう側にある台所の方から、そんなドスの利いた男の大声が聞こえて来る。


 恫喝するような突然のその声に、高揚した名主達も不意に押し黙り、一斉にそちらへと視線を向ける……。


 すると、そこには雲を突くような大男が、かかっている暖簾を押し退けて仁王立ちしていた。


 他でもない。先程見た不穏な一団の襲来を知らせに来た蔵人である。


「ひ、ひい、山賊っ!」


 しかし、そのどう見てもカタギじゃない・・・・・・・姿を目にし、名主の一人が悲鳴を上げる。


 確かに毛皮を着た荒くれ者な格好の上に、頬には傷のある凶暴そうなその顔は山賊以外の何者でもない。


「誰が山賊だコラッ! …って、そんなこと言ってる場合じゃなかったな」


「どうしたのです? 蔵人殿、そんな怖い顔をして」

 

 名主達の中に混じる慈陽も蔵人を見上げ、いたく怪訝そうな顔で尋ねる。


「誰が怖い顔だ! この顔は生まれつき…ってそうじゃねえ! 大変だ! 武装した妙なやつらがすぐそこまで迫ってる! およそ二十ってとこか。恰好からしても、おそらくは地頭の郎党どもだ」


「ええっ!」


 何度か脱線しつつもようやく蔵人が伝えたその本題に、場は一瞬にして動揺に包まれた。


「来家の手下が!?」


「なぜだ? なぜバレた!? 今日のことは我ら以外、誰にも知らせていなかったはず……」


「もしや、この中に内通者が?」


 皆、各々に不安や疑念をその口にし、疑心暗鬼にお互いの顔を見回す。


「あの具覧って野郎だ。今さっき、やつが酒場の裏で手引きしてるのを見た。もとから地頭に通じていて、寄り合いの場所を知るために警護を買って出たのさ。で、そこへ地頭の兵を呼び寄せて、あんたらを一網打尽にするって寸法だ」


「なんと! あの具覧殿が!? ……不当に交易の税を取られて、来家には恨みを持っていたはずなのに……まさかそんな……」


 血の気の失せた顔の慈耀は、とても信じられないという様子で蔵人を見つめ返しながら呟く。


「なあに不思議なこたあねえさ。きっと向こうについた方が都合よくなったんだろうよ。ま、それが人の世ってもんだ。昨日の友は今日の敵ってね」


 そんな半信半疑の慈耀に、何か世の中を達観しているかのような口ぶりで蔵人が嘯く。


「それよりも慈耀さま、早くお逃げください。やつらの狙いはあなたです。わしらはまだいいが、あなたは今度捕まったら殺されるやもしれませぬ」


 そうした中、名主の一人が心配そうな面持ちで呆然と立ち尽くす慈耀を急き立てる。


「そうです。いくら没官刑で謀反の張本ちょうほん以外を殺すことは非法とされているとはいえ、あの来家ならば、どさくさに紛れてやりかねませぬぞ? わしらを束ねるあなたがいなくなっては、今度の企てもすべて水泡に帰しまする」

 

 もう一人、他の名主も深刻な表情で、自分達の要である慈耀に訴える。


「いや。もう無理だ」


 だが、そんな名主達の意見を、蔵人の容赦ない声が一蹴した。


「すでに周りは敵に囲まれてるだろう。今から外に出る方がかえって危ねえ。ここはおとなしく、騒ぎが収まるまで家の中に隠れてた方が安全だ」


「しかし、隠れていろといわれても、果たしてそれで助かることができましょうや? こういう時のために警護の者を用意しておいたとはいえ、戦は皆、素人。それに具覧殿…いいや、具覧まで向こうについたとなれば……いつまでも来家の手勢を防ぎきることはできませぬぞ?」


 また別の名主が、蔵人のその意見にもっともな論理で反論する。


「フン。まあ、他のやつらならそうだろうな……」


 ところが、蔵人はなぜか愉しげに鼻で笑うと、余裕しゃくしゃくな表情でその名主に答える。


「でもな、皆さん。一つお忘れになってることがありやすぜ? ……即ち、この俺様がここにいるってことをさ。なあに、あんなやつら俺一人でも全員コテンパンにぶちのめしてやるぜ!」


「バカな! 来家の郎党は二十もおるのであろう? それをたった一人で倒せるとでも言うおつもりか!?」


 俺様な・・・蔵人の発言に、さらにまた別の名主が声を荒げる。


 しかし、それでも蔵人は何食わぬ顔で、居並ぶ名主達にさらっと言い切るのだった。


「ああ、言うつもりだ。この程度の状況は日常茶飯事に何度も掻い潜って来てるんでね。それに正確に言やあ俺だけじゃなく、裏には相棒も一人…いや一頭いることだしな……なあ、慈耀の坊さん。ここは一つ、俺を信じてみちゃあくれねえかい?」


 蔵人は不意に真顔になると、慈耀の目を真っ直ぐに見据えて訴える。


「…………わかりました。あなたに賭けてみましょう」


 慈耀もしばし蔵人の瞳を見つめると、静かにそう答えて頷いた。


「慈耀さま、しかし…」


「確かに蔵人殿のおっしゃられる通り、逃げようとしたとてもう手遅れでしょう。となれば、我らが助かる道は武を以てやつらを退けるのみ。どの道、非力な我らは蔵人殿のお力に頼るしかありますまい?」


 いまだ不服を申し立てようとする名主達の顔を見回すと、慈耀はすべてを天に任せたというように微笑みを浮かべる。


「ま、そう言うこった」


 対して蔵人も、返事を返すようにニヤリと口元を歪めた。


「確かに。最早この者に任せてみるしか手はないか……」


 そんな二人のやりとりに、ようやく腹を括ったらしい一人の名主が呟く。続いて反論していた名主達も、お互いに顔を見合わせながら次々にコクンと黙って頷き出す。


「おうよ。任せときな」


 それでもまだ不安げな表情を残している名主達に、蔵人は右手の親指を立てて突き出すと、歪めた口の端に獣のような八重歯を不敵に覗かせて見せた。



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