第三巻 鎌倉時代の戦事情
「――モゴモゴ…いやあ、これでようやく人心地着いたぜ。なにせここ二、三日、食い物らしい食い物は何も食ってなかったからな」
それでも義理堅い娘は仕方なく、例え山賊といえども自分を助けてくれた恩人…というか、恩馬? の主人へのもてなしにと、今朝、山で採れた春の山菜入りの温かい雑炊を男に作ってやつた。
「…モグモグ……そういや……モゴ…まだ名前を聞いてなかったな……モグ…娘、おまえ、なんていう名だ?」
男は口いっぱいに山菜雑炊を掻き込み、それを飲み込む間もなく行儀悪く尋ねる。
「おらはケイルっていうだ」
「ケイル? ずいぶん…モゴ……変わった名だな」
「
「清く美しくねえ……」
男は目を細めると、ケイルなる娘の顔を何か言いたげな様子で眺める。
「なんだその目は? なんか文句でもあるだか?」
「いや、別に……」
娘に睨まれ、今度は目を逸らすと、誤魔化すようにそう答えた。
「なんか気に障るだが……まあいいだ。んでもって、みんなは
「ほおう。んじゃ、おまえも牛飼いの娘ってわけか」
「ああ。そうだ。ここは下鴨の神さまの御領だからな。神さまのために馬や牛をお納めしたり、社殿を建てる木材も年貢や公事として納めなくちゃなんねえ。だから、おら達のように牧で働くもんや木材を切り出す
「モグモグ…ところで、さっきから家族の姿をまるで見ねえがどこ行った? おっ
いまだ野獣の如く雑炊にがっついている男であるが、ふとそんな疑問に捉われて、あまり広くはない家の中を見回す。
「おっ父はおら知らねえだ。じっちゃんの話だと、やつぱり杣か猟師のような山の民だったらしいけど、おらが生まれる前にどっかに行っちまったそうだ。おっ母もおらが小さい時、流行り病で亡くなっちまった」
ケイルという少し変わった名前の娘はその綺麗な透き通る瞳を伏せ目がちにすると、しんみりとした声で、だが淡々とした調子で男に答える。
「そっか……そいつは悪いこと訊いちまったな。んじゃあ、この家にはじっちゃんと二人暮しか?」
その思ったよりも重たかった返事の内容に、さすがの男も気まずそうな顔を作り、話題を変えようと当り障りのないことを再び娘に尋ねる。
「………………」
だが、何気なく口にしたその質問に、ケイルは首をゆっくりと横に振った。
「じっちゃんもこの前の戦で死んじまっただ……」
むしろ、もっと重たかったその答えを聞いて、男は鷹のような目を大きく見開く。
「この前の戦……って、
「ああ。この近くで源氏方と平家方の戦があった時、この荘の牧人や杣人も、源氏方になった国衙の命で
城砦――それは今でいう城や砦のようなものではなく、切り倒した木の枝を刈ったトゲトゲした丸太「
その城砦を築くため、または逆に相手方の城砦を切り崩すために、当時、杣人などが工兵として戦に動員されることは常であった。
また、荷物を運ぶ人夫として農民などが動員されることも多々あり、こうした非戦闘員のことを「足軽」と呼んでいた。
そして、こうした非戦闘員は兵糧米とともに、国衙領や荘園の領民が当然納めるべき税として、事あるごとに負担を強いられていたのである。
「でも、本当なら攻撃しちゃならねえはずのじっちゃん達足軽に、敵方についた地元の武士達が矢を射かけてきただ。それで、じっちゃんや他のみんなも大勢命を落として……」
俯くケイルの暗い影に覆われた顔には、悲しみとともに怒りの色も浮かんでいる。
「そっか。そいつは気の毒に……まったく、武士の誉れも地に落ちたってもんだぜ。昔は足軽を射ちゃならねえってのが、言わずと知れた戦の礼儀だったんだがな……」
男はますます気まずそうな、そして、どこか淋しそうな表情を浮かべて、窓の外に視線を向けると独り言のように呟く。
「だが、
先程からちょいちょい話に出てきている〝前の戦〟・〝前の内乱〟というのは、平清盛の跡を継ぐ平家一門と、源頼朝・義経・木曽義仲ら源氏の反乱軍が戦った「治承・寿永の内乱」――世にいう「源平合戦」のことである。
そう……今、この時は、その源平の争乱で平家が壇ノ浦に滅んでより、およそ一年後の時代なのである。
「……んん? おめえ、なんか、やけに前の戦のことに詳しいだな?」
それまで暗く沈んだ表情でじっと男の話に耳を傾けていたケイルだが、ふと、そんな疑問が頭を過り、見ようによっては零落れた武士のなれの果てのようにも映る男の姿をしげしげと見つめる。
「ハッ! もしかしておめえ、平家の落ち武者かっ!?」
「ブーッ…!」
ケイルの不意に上げたその大声に、男は口いっぱいの雑炊を勢いよく噴き出した。
「な、何をバカな! そ、そんなこと、あ、あるわけない…だろ……お、おもしろい冗談だな……ハ…ハハ……ハハハ……」
ケイルのその疑いを男は速攻で否定する……が、どう見ても明らかに動揺しており、引きつった笑顔で誤魔化そうとはしているものの、けして彼女と目を合わそうとはしない。
「間違いなくそうだだな……」
そんな挙動不審極まりない男を、ケイルは再び冷ややかな目で見つめた。
「ま、落ち武者だろうがなんだろうが、そんなのおらには関係ねえことだ。届け出れば褒美がもらえるかもしんねえけど、あの来家の手柄になるようなことに手は貸したくねえからな」
「ホッ……あ、いや、俺は別に落ち武者ってわけじゃねえが、面倒ごとは嫌なんで安心したぜ」
男はケイルの言葉に思わず安堵の溜息を吐き、その後すぐにバレバレの言い訳を入れる。
「それよりもおめえの名前はなんて言うだ? 相手の名を聞いておいて、自分は名乗らないってのは武士として礼に反するじゃねえだか?」
「ハハ、言われちまったな。そいつぁ違えねえ…あ、いや、俺は別に武士じゃねえけどな。俺の名は
と言いかけた男だったが、そこでなぜか言い淀む。
「アヅマギ?」
「あ! いや、そうじゃなかった……本名はさすがにマズイな……」
そして、彼女には聞こえないよう、横を向いて何か小声でごにょごにょと呟いている。
「マズイ?」
「ああ、えっと、そうだな、俺の名前は……」
そうして視線を部屋の中に泳がすと、囲炉裏から立ち上る淡い紫がかった煙がふと男の目に留まる。
「おお! そうだ! 俺の名は
「そうだ! …って、自分の名前なのにすぐに出てこねえだか?」
ケイルはさらに疑いの眼差しで男の顔を見つめる。
「うん。そうだったそうだった。ま、気軽に〝シェーン〟とでも呼んでくれ」
完全に嘘を見抜いている彼女の反応も気にせず、男は今思い付いたばかりの偽名をいたく気に入った様子で、うんうんと満足げに頷いている。
「ま、なんだっていいだ。んじゃ、
「あ! いや、そう略されたらもっと困る! …っていうか、おまえ、今の俺の話、まったく聞いてなかったな?」
「ん? 何が困るだ? 何か困るようなことでもあるだか? あ! もしかしておめえ、落ち武者な上にお尋ね者か!?」
「い、いや、そうじゃないんだが……ハァ、ま、こんな片田舎なら、そこまで警戒する必要もねえか」
ますます墓穴を掘っていく男は鋭くツッコミを入れてくる牧の娘に、もうそれ以上、何か言い返すことを諦めるのだった。
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