第二幕 鎌倉時代の土地事情

「――んん……っててて!」


 次に男が気づいたのは黄色い土壁で覆われた板敷の間の、床に敷かれた筵の上だった。


 混ぜられた藁が所々飛び出している荒々しい土壁や、天井の梁がまる見えの粗末で飾り気のないその作りからして、どこかの百姓の家か何かであろうか?


「ああ、気づいただな! ホッ…死んでなくてよかっただあ……」

 

 まだ朦朧とする意識の中、ぼんやりと天井を見上げていた男の視界に、どこか見覚えのある若い娘の顔が映り込む……。


 だんだんと頭がはっきりしてくるにつれて思い出してきたが、それは先程、自分の頭をおもいっきり背負子でぶん殴ったあの娘だ。


「……ああっ! てめえっ…痛つっっ……死ななくてってなあ、あんなもんで人の頭殴っておいてどんな言い草だ! 普通なら俺は本気ガチで死んでるぞ! 本気ガチで!」


「だって、さっきは山賊かと思ったから……んでも、よくよく考えたら、おらを助けてくれた馬の飼い主だし、見た目は山賊でもじつはいいやつなのかなと思い直して……ほら、だからこうして助けてやつただよ」

 

 彼女とわかるや怒鳴り声とともに跳ね起きる男に、娘はやや後ろめたい様子でぐじぐじと言い訳をする。


「ったく、ちゃんと落ち着いて見りゃあ、すぐにわかるだろ? 俺のどこが山賊なんだよ?」


 と、包帯の巻かれた頭を痛そうに押さえつつ、眉間に皺を寄せる男の顔を娘は改めて覗ってみる……だが、やはりその凶悪な人相や格好は山賊以外の何者にも見えない。


「うん。そうだ。そもそも、おめえがそんな山賊みてえななりしてるからいけねえだよ。それにあいつらの身ぐるみ剥ごうとしたりして……やつぱ、ほんとは山賊なんじゃねえだか?」


 どこからどう見ても山賊にしか見えないその男に、娘は再び思い直したのか、冷やか視線を向けて尋ねる。


「なんとも無礼な小娘だな。だから、山賊じゃねえって何度も言ってんだろ? 俺は逆にその山賊やら盗賊やらを退治して礼をもらったり、そいつらが悪行で貯めた金品を奪ってやつたりして生計を立ててるんだ。ま、いうなれば〝山賊狩り〟ってとこだな。つまりは正義の味方っつーことだ。フン。どうだ? 尊敬したか?」


 腕を組んで胸を張り、少々自慢げにそう嘯く男であるが、娘は相変わらずの冷たい視線を彼に送り続けている。


「……ようするに山賊の上前はねてるってことだろ? むしろ山賊よりひどくねえだか?」


「うっ……けっこう手厳しい小娘だな」


 核心を突くその言葉に、男はとっても渋い顔を作って見せた。


「ああっ! そうだ! そういや、いただいた腹当や腰刀はどうした!? それに俺の弓や白銀…ああ、白銀ってのはお前を助けた俺の馬だ。俺の馬はどこやつた!?」


 だが、そうこうする内にも混濁していた頭がだいぶはっきりし、不意に大事なことを思い出した男は忙しなく首を振って部屋の中を見回す。


「ああ、あいつらの鎧や刀だったら山に置いてきただ。重かったからな」


「はぁっ!? 置いてきただぁ?」


「あと、あんたの持ち物はそこにまとめて置いてある。馬は外に繋いであるだ」


「そんじゃ、今頃はもう息吹き返したあの野郎どもがとっくに持ち帰ってやがるだろうな……ハァァァ…せっかくの獲物が……あれを売れば当分飢えなくてすんだのに……」


 どうやらかなりの衝撃ショックを受けたらしく、荷物と馬の在処を教える娘の声も耳に届いていない様子で、ガックリ項垂れた男はものすごく深い溜息を吐いている。


「男のくせに未練がましいだな。諦めるだ。それにいくら悪人の物でも盗みはよくねえだよ。ま、その代わり、おらを襲おうとした罰として、伸びてるあいつらの鼻の穴に焚き付け用の細い枝を目いっぱい突っ込んできてやつただがな」


「なんか、そっちの方が悪人といえど、ひどい仕打ちのような気もするが……まあ、それはそうと、なんなんだ、あいつらは? ここらを根城にしてる山賊かなんかか?」


 娘の無慈悲な報復に思わず逃した魚のことも忘れ、男は苦笑を浮かべると気を取り直して彼女に尋ねる。


「いいや。あれは山賊じゃねえ。山賊みてえな無法者だが、地頭じとう来家留奉らいかるぶの郎党どもだ。あいつら、地頭の威を借りていつもやりたい放題なんだ」


「なに? 地頭だと!? おい、ここには地頭が置かれてるのか!? だとしたら、そりゃあ、おめえ……あんましよろしくねえな……」


 苦々しい表情を浮かべて説明する娘に、男は突然大きな声を上げる。そして、小声で何かぼそぼそと呟いたかと思うと、続けて娘に再び質問する。


「いや、その前にここはどこだ? 播磨国(※現在の兵庫県南西部)だってことぐらえはわかるんだが、地頭がいるってことは荘園か? それともごうか?」


「なんだ、知らなんでここへ来ただか? ここは京の下鴨社しもがもしゃの荘園で輪囲尾民倶荘わいおみんぐのしょうっていうだよ。今の地頭が来るまでは簾戸慈耀すだれどじようさまが下司げしとして治めていただ」


 この頃の土地制度はかなり複雑なので、ここで少し解説を加えておこう。


 当時、日本国内の土地は朝廷が支配する公の土地――国衙領こくがりょうと、天皇家や有力貴族、大寺社などが所有する私の土地――荘園の二つに大きく分かれていた。


 その内、公領である国衙領は朝廷に任命された地方――〝国〟の最高責任者「国司」が政務を行う役所「国衙」の支配下に置かれた土地で、各国の国衙領はさらに郡・ごうほうという行政区分に分かれ、それぞれの責任者である郡司・郷司・保司が、そこに住む民から朝廷に納める年貢を徴収していた。


 一方、私領である荘園の方はもともと在地の有力者が資財を投じて自ら開墾し、自分の持ち物としていった土地であったが(自墾地系荘園)、そうした私有地でも基本的には年貢を国衙に納めなければならず、場合によっては土地を奪われる危険性もあったため、荘園領主達は自分の土地を守るべく、力のある中央の院や天皇家、有力貴族、大寺社などに名目上、荘園を寄進して保護してもらう対策をとった(寄進地系荘園)。


 そして、その代わりに自分達は現地で荘園を管理する「下司げし」という地位につき、そうした寄進先「本家」の代理として朝廷に納める年貢を集め、加えて「公事くじ」という私的な税や労働力も本家のために徴収するという義務を担ったのである。


 ここ輪囲尾民倶荘でいえば、簾戸慈耀が在地領主である下司、京の下賀茂社が寄進先の本家に当たるというわけだ。


「なるほど。下鴨社の領地か……だが、前の下司だったその簾戸なんとかいうのが地頭になったんじゃねえっつーと、平穏無事に地頭が置かれたってわけでもなさそうだな。なんだ、もとは平家の没官もっかん領か? それとも下司が平家方について謀反人跡地にでもなったか?」


「慈耀さまはなんも悪いことはしてねえっ! 奥様の摩利庵まりあんさまともども仏道に帰依なさっている、とっても優しいお方だ!」


 男が興味本位に軽く尋ねたその言葉に、なぜか娘は不意に血相を変えて声を荒げる。


「な、なんだ、いきなり……」


「この前の戦の時だって、武士じゃねえから戦には参加してねえだ。平家とよしみを通じていたわけでもねえ……ただ一度、平家の落ち武者がこの荘を通りかかった時、不憫に思った慈耀さまは黙って見逃してやつただ。ただ、それだけのことだ……それなのに、となりの門棚もんたな郷の郷司だった来家がそれを鎌倉さまに対する謀反だといちゃもんつけて、突然、兵を率いてこの荘へ乗り込んで来ただ!」


「つまり、没官刑もっかんけいを食らったってわけか……」


「そんで、慈耀さまや摩利庵様さま、お子さまの浄意じょうい坊ちゃんまで捕縛して、住んでいた遮威安しゃいあん寺や資財もすべて没収しやがった。しかも、そんな盗賊まがいのことをしておきながら、それを鎌倉さまへは謀反人を捕縛しただなんて報告して、その褒美にまんまと地頭職におさまっちまっただよ!」


 語る内に押さえていた感情が爆発し、娘はさらに語気を強くして一気にまくしたてる。


「……そうか。そいつぁ、その簾戸という下司も災難だったな」


 娘の勢いに気押されたのか? 男も表情をどこか暗くすると、今までにない真面目な声色で頷くようにそう答えた。


 ……まどろっこしくてなんだが、ここら辺も複雑なので再び解説を加えておきたい。


 「地頭」というのは鎌倉の源頼朝(幕府)の命により、治安維持の目的から全国の荘園・郷(一時期、国にも)に設置することが許された役人であるが、その設置の仕方には大きく分けて二つのパターンがあった。


 一つは「本領安堵ほんりょうあんど」というもので、鎌倉の将軍に忠誠を誓った武士が幕府のために働く義務=奉公の代わりに、先祖伝来の自分の土地(といっても、その多くは寄進して自分は下司などの在地領主となっている)の地頭職に任じられ、その土地を安堵してもらう=御恩というパターンである。


 これがいわゆる「御恩と奉公」というやつで、これにより地頭となった武士が「御家人ごけにん」と呼ばれる。

 

 もう一つは「新恩給与しんおんきゅうよ」、つまり、新たに恩賞として土地を与えることだが、この新たな土地を与えることも、その土地の地頭職じとうしきに任命するという形で行われた。


 ただし、こちらの場合はすべての荘園・郷に地頭を設置できるわけではなく、原則として「平家没官領へいけもっかんりょう」か「謀反人跡むほんにんあと」に限るという条件付きである。


 「平家没官領」というのは字を見てもわかる通り、もと平家の領地で没落後に後白河法皇から頼朝へ一括贈与された土地である。


 一方、「謀反人跡」というのは鎌倉方に敵対する〝謀反人〟が所有していたものを没収(没官刑もっかんけ)した土地のことをいうのであるが、これは幕府の命で没官刑が行われた後に地頭が設置されるというより、現実はむしろその逆で、事後承諾的に地頭に任命されるというケースが圧倒的に多かった。


 即ち、もし謀反人がいた場合、まずその近くに住んでいる武士が独自の判断で勝手に没官刑を行い、相手の土地を奪った後に幕府へと報告して、その恩賞にその土地の地頭職へ任じられるのである。


 そんなわけで、この「謀反人跡への地頭の設置」という行為は、敵の本拠地を征圧し、鎌倉方の支配下に置くという軍事的・治安維持的手段の一つであった一方、欲深な武士が自らの領土を広げるためだけに用いることもけして少なくはなかったのである。


 あ、ちなみに誤解されがちなので言っておくと、地頭に任じられたからといって完全に自分の土地になるわけではない。


 名目上の領主はもともとの在地領主が寄進した相手―本家のままであり、基本的には地頭も本家に代わって年貢を徴収し、本家に公事を納めなければならない。


 言うなれば、下司や郷司がいた位置にそっくりそのまま地頭が入れ代わったといった感じだ。


 もっとも、地頭の任命権は鎌倉の将軍にあり、御家人達は実質的に本家や国衙の支配から解き放たれることになったため、本家に年貢や公事を納めないけしからん輩も出てくるのではあるが……。


「……ま、だが、最近じゃよく聞く話だぜ。そうした地頭の横領行為ってのはよ」


 その斜に構えた言葉とは裏腹に、男はなぜか淋しそうな目をして遠くを見つめながら呟く。


「そんだけじゃねえだ……慈耀さまが下司だった時はそりゃあよかっただが、来家が地頭になってからってもの、年貢や公事は必要以上に取られるし、なんやかやと来家のために無理矢理働かされて、荘の者はみんな困ってるだよ」


 娘は薄汚れた古い床板をじっと見つめ、膝の上で握った拳をぷるぷると震わせながら続ける。


「おまけに来家の郎党達もその威を借りて乱暴狼藉のし放題だ。来家に郎党の悪さをやめさせるよう訴えてもまるで聞こうとはしねえし、もう誰の手にも負えねえだ」


「なるほどな。それがさっきのゴロツキどもっていうわけか……ところで娘」


 そうして娘が溜めていた愚痴を吐露する中、男は不意に視線を戻すと、いたく真剣な目つきになってじっと彼女の顔を見つめる。


「ん? な、なんだ? 急に改まって……」


 まるで猛禽のような鋭い目つきで凝視され、娘はヘビに睨まれたカエルのように身体を強張らせて息を呑む。


 それに無精髭を生やした小汚い顔ではあるが、よくよく見れば精悍な男前の顔立ちをしていなくもない。娘もやはり年頃の女子おなご


 そんな殿子とのごにじっと見つめられては、なんだか胸がドキドキして変な気分に……。


「その悪い郎党どもから救ってやつたんだ。礼として俺に何か食いもんをよこせ」


「…………おめえ、やっぱ山賊だろ」


 娘は冷ややかな視線を男に向けた――。

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