第一巻 山賊と呼ばれた男

 文治二(1186)年春。播磨国輪囲尾民倶荘わいおみんぐのしょう……。


  ――パカッポ。パカッポ。パカッポ。パカッポ…。


 うららかな春の日差しが降り注ぐ中、あちこちに素朴な山桜の白い花が覗く長閑な山道を、ゆっくりとした脚どりで馬に乗った一人の男がやつて来る。


 〝馬に乗った男〟とはいっても、そう聞いて乙女が妄想するようなそれとは違い、美麗な狩衣(かりぎぬ)を着たどこかの公達きんだちだとか、勇壮な大鎧を身にまとった若武者だとか、そうした見目麗しいカッコイイ類の人物ではない。


 歳は二十半ばくらいか? 一応、腰に太刀を帯びてはいるものの、髷を結わず、烏帽子えぼしも着けず、ぼさぼさの長い髪を後頭部でただ雑に結び、その上から狩りの際に用いる綾藺笠あやいがさを深々とかぶるといった粗野な出で立ちである。


 また、その大柄の身体にはくたびれた熊か何かの毛皮を荒々しく羽織り、これまたくたびれた行縢むかばきという鹿革で、腰から脚にかけてを野暮ったく粗野に覆っている。


 まあ、もとの顔立ちはそれなりに凛々しく、男前だったらしき片鱗も覗えはするのでうあるが、今ではその顔も薄汚れ、無精髭までまばらに生やしているといった体たらくだ。

 

 一言で言うならば「むさい」。他の言葉で表すならば「小汚い」、「むさ苦しい」、「臭そう」。


 とにかく、どう言い繕っても誉め言葉で言い表せない格好である。


 さらに右頬には大きな矢傷があり、いかにも野蛮そうな、パっと見、山賊か野党のように見える…いや、そうとしか見えない、そんな男である。


「……ハァ……このままじゃガチで餓えて死ぬぞ……ここ数日、ろくなもん食ってねえからな……おまけにこの辺にゃあ、山賊はおろか、獣一匹いりゃしねえし……なあ、白銀しろがね、おまえはいいよなあ。草さえありゃあ、食うに困るこたねえんだからよ」


 極度の空腹のためによりいっそう人相を悪くしながら、思わず男は自分の愛馬に不平不満を愚痴る。その馬も「白銀」という大それた名前とは裏腹に、煤けた灰色をした、あまり美しいとはいえない毛並みの馬である。


「ブヒヒヒヒーン!」


 そんな銀ならぬ灰色の馬が「どうだ。草の食える俺達がうらやましいだろう?」というような響きの声色で、嫌味ったらしく背の上の主人に嘶いた。


「くっ……」


 得意げな馬の鳴き声に、男はものすごく渋い表情を作る。いや、それはただ、男が主観的にそう感じただけなのかもしれないのであるが……。


 と、その時のことである。


「キャぁぁぁ~っ! 誰かぁぁぁ~っ!」


 突然、静かな真昼の山中に衣を裂くような乙女の悲鳴が木霊したのだった。


「……ん!? なんだ?」


 男は気だるそうに項垂れていた顔を不意に上げ、木々に囲まれた辺りの景色を見回す。


「ブヒヒヒヒーン!」


 同じく馬も周囲に気を配ると、どうやら声の聞こえて来た方向がわかったらしく、左手の林の中をその長い鼻面を向けて指し示す。


「そっちか……ヘン。なんだか獲物の臭いがするぜ。よし! いくぞ白銀っ!」


「ヒヒーン!」


 それまでの生気のないくたびれた顔からは一変。


 その瞳に猛禽のような色を宿し、男はそう叫ぶや手綱を力強く引くと林の中へ愛馬を走らせた――。




 男と馬が向ったその林の奥……そこには、三人の野党に追い立てられる一人のうら若き娘の姿があった。


「キャぁぁぁ~っ! 誰かぁぁぁ~っ!」


 年の頃は十代半ばくらいの、まだまだ子供っぽい娘っ子である。


 色褪せた草木染めの麻の衣を着て、肌も浅黒い田舎娘ではあるが、束ねた豊かな黒髪は素朴な美しさを湛え、切り揃えた前髪の下に覗く、ぱっちりとした目鼻立ちもどこかカワイらしい。


 薪でも拾いに来たのだろうか? 背中には木の枝をいっぱいに積んだ背負子(しょいこ)を背負っている。


「ヘヘヘヘ、待ちなよ、お嬢ちゃ~ん」


「ヒやつヒやつヒやつ、何も獲って食やしねえからよう」


「そうそう、お兄さん達と仲良く遊ぼうぜえ、ヒヒヒヒヒヒ」


 対してその娘を追う三人の野郎どもは、顔も、姿も、声色も、どこをとっても品のないお下劣な連中である。


 膝までの短い四幅袴よのばかまに「腹当はらあて」という前だけを覆う下級兵士用の甲冑を裸の上半身に着け、腰に巻いた帯には短い腰刀を斜に差している。


 パッと見、武家の郎党のような格好をしてはいるが、こうした連中にはよくありがちなその紋切り型の台詞といい、まさにゴロツキ・・・・という言葉がよく似合う、野蛮で粗暴な下賤の者達だ。


「そんなに急ぐと転んで怪我するぜえ~デヘヘヘヘ!」


 その見るからに悪人のゴロツキ達が、時折、後を確認しながら必死に逃げる娘を執拗に追いかけて行く。


「…ハァ……ハァ……」


 猟師に追われる子鹿の如く、娘も木々の間を縫って素早く山中を駆けるが、如何せん小柄な女子おなごの身である上に、相手は戦が仕事の荒くれ者の大の男が三人。


 バカそうなゴロツキと言えど少しは頭を使えるらしく、三方に分かれたかと思いきや内二人が左右から娘の前へと先回りをし、あっという間に彼女は囲まれてしまう。


「……っ!」


 行く手を遮られ、やむなくその場で足を止める娘の顔には恐怖の色が浮んでいる。


「ヘヘヘ。お嬢ちゃん、もう逃げ場はないぜえ?」


 ゴロツキ達は飢えたケダモノのように、彼らを睨んで身構える娘に三方からじりじりとにじり寄ってゆく。


「逃げるこたねえじゃねえか? この地頭じとう様配下の俺達が、たっぷりかわいがってやるっていうのによう。ゲヘヘヘ」


「………………」


 最早、哀れな娘に逃げ場はない。身構える彼女を取り囲むゴロツキ達の輪は、無慈悲にも徐々に、だが確実に狭まってゆく。


「ヒヒヒ、お嬢ちゃ~ん。おとなしくしな~」


「ひっ……」


 娘は右足を一歩引いて後退るが、背後にもゴロツキがいることを思い出し、またすぐにその動きを止める。


「………くっ…」


「ぐへへへへ……」


 そして、あと一歩でゴロツキ達の汚らしい手が、無力な娘の身に触れようというところにまで迫ったちょうどその時――。




「――白銀、ほんとにこっちで間違いねえんだろうな?」


 娘達からは少し離れた場所の木立の影に、ようやく先程の山賊らしき男と馬が姿を現した。


「お! あれか……ひい、ふう、みい…おお! 三人か。こいつはツイてるぜ」


 遠目に娘と、それを取り囲むゴロツキ達の姿を確認した男は、なぜかうれしそうに背負ったえびら(※矢を持ち運ぶための道具)に右手を伸ばす。


「……ん?」


 だが、そこに差さっているはずの矢は一本もなく、その手は虚しく空を掴むばかりである。


「チッ! ぬかったぜ。そういや、全部使い切っちまってたんだったか。それにうっかりしてたが弓の弦もまだ張ってねえ……よし! こうなりゃ奥の手だ。白銀、思う存分やつてしまえ!」


「ヒヒヒーン!」


 男が声をかけて鞍から飛び降りるや否や、白銀・・なるその煤けた灰色の馬はいななきとともに前脚を振り上げ、一目散に娘達の方へと駆け出した――。




「――ほうら、もうちょっとだ。ヘヘヘヘ……」


 一方、そんなこととは露知らず。ゴロツキ達の卑猥な手は恐怖と嫌悪、加えて怒りに顔を歪ませる娘のもとへとなおもじりじり迫っている。


「ヒャヒャヒャ、もう堪んねえぜっ!」


 そして、ついに欲望を抑えきれなくなったゴロツキの一人が少女に飛びかった…



 ゴン!



 ……のだが、そんな鈍い音がしたかと思うと、そのゴロツキは奇妙な格好のままその動きを止めてしまう。


「……?」


 その奇妙な行動に、不思議に思った他の二人と娘がそちらへ目をやると、なんと、ゴロツキの後頭部には馬の蹄が命中クリティカルヒットしているではないか!


「…うく…………」


 わずかの後、頭を馬に蹴られた彼は白目を剥き、ずるりと地面に崩れ落ちる。


「う……ま?」


 残されたゴロツキ二人はポカンとした顔で、前脚を振り上げてそこにそそり立つ、巨大な灰色をした馬の影を呆然と見上げる。


「…………?」


 それは彼らだけでなく、間一髪難を逃れた娘も同様である。皆、突然のことに何が起きたのかわからないのだ。


「……な、なんだ? この馬は!?」


 ようやく我に返り、ゴロツキ其之二が裏返った叫びを上げたのだったが。


「ブヒヒンっ!」


 馬は武士が名乗りを上げるかの如くいななくと、今度はそのゴロツキの顔面めがけて一気に前脚を振り下ろした。


 ガン…!


「……んぐ!」


 先程の者同様、立ったまま固まる彼の顔には、見事にU字型の蹄鉄がめり込んでいる。


「ブルルルルル……」


 そして、崩れ落ちる二人目のゴロツキを気にかけることもなく、馬はとても優しい目をした・・・・・・・動物とは思えないような眼光で、ギロリとゴロツキ其之三の顔を頭上から見下ろした。


「ひ、ひええええ~!」


 どこからともなく現れた悪鬼羅刹が如き馬に、ただ一人残されたゴロツキ其之三はついにその場から逃げ出す。


「ブヒヒーン!」


 だが、去る者は追わずなどという情け容赦は持ち合わせていないらしく、それでも馬は見逃してくれない。


 カプっ…!


「ギャアァァァーっ!」


 逃げようとするゴロツキの頭に噛み付くと、馬はその頑丈な門歯と顎に力を込め、ぐるんと太い首を振り回して力いっぱいに放り投げる。


「うわああぁぁ………うごっ! …んぐうぅぅ…」


 投げ飛ばれた三人目のゴロツキは、京の五条の橋の上の牛若丸もかくやあらんとばかりに宙を舞い、近くに生えていた大木の幹にそのままの勢いで激突すると、仲良く仲間の後を追って、あえなく地面の上に沈黙した。


「………………」


 それは、一瞬のできごとであった……。


 奇しくも正体不明の馬に助けられた娘は、何が起きたのかまるでわからず、その場に唖然とした顔で立ち尽くしている。


「ガハハハハっ! よし! でかしたぞ白銀! これでようやくおまんま・・・・にありつける!」


 そんな娘の前に、今度は向こうの木立の陰から一人の男が高笑いを上げて駆け寄って来る。


 見ればその男も凶悪な人相に毛皮を羽織った、ゴロツキ達とあまり変わり映えのせぬ山賊のような風貌だ。


「ひっ…!?」


 その姿を見るや、娘は一瞬にして我に返ると、蒼ざめた顔で再び身構える。


「よーしよしよしよし。よーしよしよしよし。後でそこらの村に行って、おまえにもうまい飼葉分けてもらってやるからな」


 だが、その山賊らしき恰好をした男は、今、ゴロツキ達をぶちのめしてくれた馬の方へ歩み寄ると、労をねぎらうようにその首筋を優しく撫で始める。


「ブヒヒヒヒン!」


 対して撫でられた馬の方も、男に答えてうれしそうに鼻を鳴らしている。


「ああ…………」


 その様子を見て、娘は今起きたことをようやく理解した。


 天の裁きか? 神仏のご加護か? 理由はよくわからぬが、突如として現れたこの馬が自分を悪漢から助けてくれて、その馬の飼い主が、どうやらこの山賊のようにしか見えない男であるらしい。


「あ、あの…」


 娘は礼を言おうと、愛馬から離れる男に恐る恐る声をかける。


「あ~あ、こいつはひでえな……白銀、ちょっとばかしやりすぎだぜ。死んじまったかな? ま、いいか。その方が仕事はしやすいし」


 だが、男は娘のことなどまるで眼中にない様子で、すたすたとマヌケな顔で倒れるゴロツキ達のもとへ近付いてゆく。


「チッ! なんだ腹当はらあてかよ~。腹巻はらまきならもう少し値が張ったってのによう……ったく、シケた野郎どもだぜ……」


 そして、ぶつくさ文句を言いながら動かぬゴロツキの身体を弄くって、何やらガサゴソとし始めている。


「あ、あのう……」


 こちらに背を向け、ゴロツキの前に屈み込む男に、娘は再度、声をかけてみる。


「ああん?」


 その声に、訝しげな顔で振り向いた男は、今更ながらに娘のことを思い出した。


「ん? ……ああ、こいつらに追われてた娘っ子か。いや、すまん。目の前の獲物にすっかりその存在を忘れてたぜ」


「はあ……あ、そうだ。どうも、その馬に助けてもらったみたいで……」


 どこか噛み合わぬ受け答えをする男に面食らいつつも、娘は改めて礼を言おうと試みたのだったが。


「ああ、礼なんかいらないぜ。別におまえを助けようとしたわけじゃねえからな。俺の目的はこいつらだ。ほら、こいつらの着けてる物を売りぁあ、しばらく飯にゃ困らねえ」


 男はひらひらと手のひらを振って礼を辞すと、手にした物を娘の目の前に突き出して見せる。


「よ、鎧……?」


 それは、先程までゴロツキが身に着けていた腹当であった。


 さっきから何をガザゴソしているのるかと思いきや、伸びている彼らの身体からそれを剥ぎ取っていたらしい。


「しかも三人分だからな。安物の腹当とはいえ、それなりの銭にはなる。ま、欲を言やあ着物も欲しいところだが、こいつら下しか穿いてねえし、それもあんましいいもんじゃねえからな。仕方ねえ。武士の情けだ。身ぐるみ剥ぐのは勘弁してやるぜ」


「……え?」


 得意げに述べる男の台詞に、娘の目は点になる。


「言ってみりゃあ、これもお嬢ちゃんのおかげだな。むしろこっちが礼を言いたいとこだぜ。だが、それでもどうしてもお礼がしたいって言うんなら、何か食いもんか、もしくは銭になるような物をくれれば遠慮せずにもらってやるぜ。ダハハハハハっ!」


 点になった目で見つめる娘を前に、男はさらに疑念を強めるような発言をする。


 身ぐるみ剥ぐ? ……それに、食いもんか銭になるような物をよこせ? ……って、もしかして、やつぱりこの人、山…賊!?


「キャぁぁぁーっ! 山賊ぅぅぅーっ!」


 そう結論に達した娘は、再度、大きな声で悲鳴を上げる。


「えっ? ……あ、いや、違う違う。俺は山賊じゃない。その逆に山賊から金品を巻き上げるというかだな…」


 突然叫び出した娘に驚き、男は首を左右にぶるぶると振って、その疑惑を解こうとする。


「キャぁぁぁーっ! やつぱり、山賊ぅぅぅーっ!」


 しかし、その誤解を招くような説明のし方ではむしろ肯定してるようなものである。


「いや、だから、俺は山賊じゃないって……」


「じゃあ、追剥ぎぃぃぃーっ!」


「い、いや、追剥ぎでも…」


「こ…のお……」


 娘は危険を前にした無意識な防御反応として、薪をいっぱいに積んだ背負子を両手で高々と持ち上げると、男の頭めがけて思いっ切り振り下ろそうとする。


「あああ、ちょ、ちょっと待て! 誤解だ! 話せばわかる! 俺の話をちゃんと聞いて…」


 頭上を覆う黒い影に、男は手を前に突き出してなおも説得を試みるのであったが。


 ガンっ…!


「…う……く…………」


 次の瞬間、男の視界は消えゆく意識とともに暗転した――。

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