第七場 最上の人
「久方ぶりですわねマーガレット。わたくしを忘れたとは言わせませんわよ」
「変わらぬの。耳障りな声に、取り巻きをぞろぞろ従えねり歩く、その下品な立ち振る舞い」
小さな体にロングのツインテールが似合う、可愛らしい声のエレノアと、すらりとした長身のマーガレットは、大人と子供程の身長差がある。
「私たちは取り巻きじゃない」
そこはしっかり否定するマシュー。
するとマーガレットがおもむろに扇子を落とした。
「拾いなさい。おや、取ってはくれぬのか」
「名ばかりの哀れな王妃様。確か以前は、その手でわたくしの頬を打ちましたわね」
顔は決して逸らさずに、エレノアは扇子を拾う。そして渡すと見せかけ、扇でマーガレットの手をぴしゃりと打つ。ぶつかり合う二人の視線から、可視化された火花が音を立てて散った。今日一番の殺気がみなぎる。
「お前の夫グロスター公ハンフリーは才幹もなく卑屈な男だった」
「卑屈じゃなくて実直なんですわ。けれど、一理あるのは認めますわ。わたくしとて自分が男として生まれたら、王位に最も近い公爵に産まれていたらと何度思ったことか。そうしたら邪魔者はどんどん首を切り落とし、平らな道を通してみせますのに。あら、でもあなたの夫ヘンリー6世の方が軟弱でしたわね」
「それは認めよう。…今思えば、敵はお前ではなかった」
「同感ですわ。わたくしを利用したのはあなたと愛人サフォークですけど、結果的に王冠を手に入れたのはヨークの息子兄弟ですもの」
「私はヨークに王冠を与えるためにお前を追放したのではない」
共通の敵を見出すことで、まさか犬猿の仲の二人が手を取り合うとは。ライラとマシュー、復活したマクベスは顔を見合わせる。
「摂政の妻だったわたくしは、あなたとサフォークに貶められ辱められた時、死ぬことが喜びだと思いましたわ。けれどこうして再び生きてみると、女王エリザベスがわたくしの野心と願いを受け継いでいるように感じますわ」
「…私の願いはまだ叶っていないのだ」
マーガレットは半分目を伏せる。その瞼には忘れえぬ悲しみが見て取れた。
「叶えてくれますわ」
手を取るエレノア。
「今ですわよ!」
その声と同時にマーガレットの鼻先にパックが現れ、向かってきた。反射的に目を閉じると、瞼に冷たいものを感じる。
次にマーガレットが目を開けた時、手を取るのはエレノアではなく、こげ茶色のふわふわ髪の男だった。突き刺されたように心臓が痛む。
「サフォーク!?…いいえ、違う、お前はシェイクスピア」
追放されて死んだ愛しい男のはずがない。似ているのは髪型だけだと言い聞かせるが、なぜか握られた手が熱い。
「ラブ・イン・アイドルネス」
ウィリアムのオレンジ色の瞳がマーガレットを捕える。
「おれのこの手をあなたの悲しい涙で濡らしてほしい。それはあなたの涙の形見だ。天の雨で洗い流すようなことは決してしない」
その声にマーガレットが喉を震わせ、声を失った。
「妖精の惚れ薬か…。それにウィルはまるでサフォークになりきっているみたいだ」
先ほどエドワードの頬を染めた時といい、アンが見つめる先のウィリアムは、普段見せるのとは全く別の顔と声色である。
「密偵の隠れ蓑として表向き、奴は宮廷大臣一座の劇団員なのだ。役者から雑用まで何でもやるのだよ」
緋色のウィリアムが教えてくれる。そういえばライラも演技指導されたのだった。
「おれたちを引き離す運命を、冬の夜長を一晩中でも喜んで呪い続けよう。追放されたこの大地にかけて」
運命を呪うとか、言葉に出されるのはどうか…とアンは思ってしまうが、それこそこの場で言葉にしては無粋というものだ。固唾を飲んで見守る。
マーガレットはウィリアムの手を振り払った。
「お前はサフォークではない!断じて違う!なのにどうして…あの人と同じ声で、同じことを言うの…」
取り澄ました、美しいが冷たい顔が歪む。
「あぁサフォーク!あなたがいないだけで私はもう追放されたも同然。死ぬよりも別れる方が百倍もつらい…!あなたと別れるのはこの世との別れ。もう一度会いたいと、どれほど願っていたか…」
別人と分かっていてなお、
「マーガレット、あなたと別れては生きて甲斐の無い命。側で死ぬことができたらきっと、その膝にもたれて楽しく眠るようなものだろう」
「言うな…思い出させるな…!あの人にあげた私の心はヨークに破壊された。彼は私の運命を共にする惑星だった。あんなに美しい星を見たら目がくらむはずなのに、無残に殺されて…!」
彼女が抱いていた生首を思い出す。あの時はただおぞましいとしか思わなかったのが、身を絞るような声に、それほどまで人は他人を愛せるものなのかとアンの気持ちは変わっていた。
ウィリアムはそっとマーガレットの頬に手を伸ばす。
「追放されたおれに残る喜びといえば、ただあなたが生きていることだけだ」
「その言葉は残酷というもの。私はあなたの為だけに泣く。雨雲は大地を肥やすために、私の涙はこの悲しみの為に、どちらがより多く涙の雨を降らせるというの」
ついにマーガレットはウィリアムに抱きついた。しっかりと受け止めたウィリアムがそのまま思いきり引き倒す。次の瞬間、二人がいた場所を目がけて閃光が走る。
「痛ってて…」
マーガレットの全体重と一緒に床に体を打ち付けたウィリアム。
「なぜ私を…」
「あんたまでサフォークと同じ運命たどることないじゃん。それに今でも愛してるんだろ?そいつの話もっと聞かせてよ」
「ウィル!」
アンが叫ぶが、もうリチャードの手からは閃光が放たれている———!しかし、今度は起き上がったマーガレットが扇で叩き返した。
「…たとえヨークごときが1千人現れようと、逃げ隠れはせぬ」
毅然と立ち上がると、振りかざした扇から雷光がリチャードへ向かう。リチャードも閃光を放ち、ぶつかり合った光が激しい音と共に、昼間のような
「おのれリチャード!私の愛する者を、もう二度と傷つけさせぬぞ!お前の棲むところは地獄より他にない!」
再び扇を突き付けると、雷光の激しい応酬となった。互いに一歩も引かず押し合いになる。
「呪われしリチャードよ、お前の憐れな死には誰一人同情しなかった。お前を一刻も早くこの地上から葬り去るために大地は大口を開け、地獄は燃えたち、悪魔は大声で叫び、聖者たちは祈っていた。お前の産みの母ですら、心の底から呪っていた」
「…黙れ」
「お前が酒樽に投げ込んだクラレンスは、お前に復讐したか?クラレンスだけではない、かつてお前に尽くし、お前を愛したバッキンガムすらも殺された後は死の夢を見せたな。地獄の申し子の烙印が生まれ落ちると同時に焼き付けられた、産まれ損ないめが」
「黙れぇっ!フランスの雌狼がああぁぁっ!!」
リチャードの絶叫がこだまする。ライラたちは思わず耳を塞いだ。兄弟で戦っているエドワードとクラレンスも中断する。
マーガレットは衝撃波に弾き飛ばされ、リチャードの閃光が直撃する。いや、閃光はリチャードが発したものではない。
「マーガレット…なぜだ…なぜ私に反抗する」
大主教は見えない目で正確にマーガレットを指さすと、もう一度黒い光を放つ。思わずライラは顔を伏せてしまうが、
「外野が愛の邪魔をするな!」
アンが気合の入った一撃で受ち消した。
「そっちこそ邪魔せんで!」
獣のような動きで拳を繰り出すタモラ。しかしアンも一歩も引かない。そこへジャンヌダルクが加勢するが、そちらはオセロとマクベスが受け止めた。
「ウィル、この肉体派連中は私たちが引き受ける!」
「ああ!」
倒れたまま動かないマーガレットを抱えて、ウィリアムはマシューの元へ走る。
「回復してやってくれ」
しかしマシューは首を横に振った。
「見ろ、大主教の魔法には傷が無い。直接体の内部を焼いたり作用するものなんだろう。これは私の魔法では無理だ」
するとマーガレットがうっすらを瞳を開ける。
「ああ、サフォーク…。この地球のどこにいようとも、あなたのことはきっと見つけるから。私の心を持って行って…」
弱々しく伸ばされた手をウィリアムは握る。
「きっとサフォークもあんたを心から愛していた。フランスで落ちぶれていたあんたを、イングランド王妃という最上の女性にしてあげたかったんだろう。けど同時に、決して自分のものにはならないことに苦しんだ。だから偽りないあんたの心を胸に、死の道を選んだ。永遠に変わらない想いを抱いて」
すると、マーガレットの双眸から涙が溢れる。
「この星の導きはあなたの魔法。あなたがいなければ、イングランド王妃になって子を産むこともなかった。あなたと過ごした時間、そして子供の成長を見守った時間。それだけは私の人生で確かに幸せな時だった」
幸せだった時を思うマーガレットの顔は、まるで一輪の薔薇が咲いたようだ。そのまま、ウィリアムの腕の中から煙のように消える。
「父ヨーク公がお前の上に投げかけた呪いが降りかかったのだ…!」
リチャードの声に生気がみなぎる。そしてライラの方へ、一歩踏み出した。
※王妃マーガレットはフランス人。『ヘンリー六世 第一部』では運命的に出会ったサフォーク公が一目惚れし、この美しい女性を王妃にあてがいヘンリーを意のままに操ろうと企む。『ヘンリー六世 第二部』ではマーガレットと公然の愛人関係になり共に実権を握るが、失脚。フランスへ亡命途中、海賊に襲われ死亡する。
サフォークの生首を抱いて宮廷内を歩いたり、ヨークをなぶり殺しにしたりと強烈なマーガレットは、息子を目の前で殺されても最後までメンタル崩壊せず、作中では死なない。シェイクスピア作品の最強女性キャラ。
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