第六場 次兄は青くなる

「それじゃ俺たちも行こうぜ、ハムレット」

「肝心なのは覚悟だ。いつ捨てるのがいいか、どうせ誰にも分かっていない命なのだから、いつ捨てようとそんなことにこだわる必要はない」


「殿下は前だけを見てお進みください」

 トニー、ハムレット、ホレイシオの3人が駆け出す。


「何のために俺はまだ生き長らえて、これはすべきことだなどと喋りまわっているのだ。それを行動に移すべき理由も意志も力も立派に備わっているのに。大地ほど明白に俺を励ましているではないか。ああ、今から俺の心を血に狂わせるのだ、その他のことは何も考えるな」


「いや別に血に狂う戦いじゃねぇし?」

 ツッコミながらしかし、リチャードの真っ黒い視線に思わず足がすくむ。


「目障りな小虫め」

 リチャードが手をかざす。すると庇うように前に出たホレイシオの剣が、ビキビキと音を立てながら閃光を受け止める。


「援護はお任せくださいトニー殿!殿下!」

「ホレイシオ、僕にとって君ほど頼れる友はいないよ」

「ああ、殿下———」


 刃のような閃光が空中で幾筋にも分裂し、ホレイシオへ降り注ぐ。受けきれず体を引き裂かれ黒い血を流しながらも、ホレイシオはリチャードを引き付ける。


「ホレイシオ!!」

 しかし断腸の想いで背を向け、ハムレットは次兄クラレンスへと向かう。端正なエドワードの顔立ちと違い、こちらは輪郭も目鼻立ちも丸っこい。くどいほどに血色がよく人好きのする顔だ。


 青白い顔でハムレットは囁く。


「ねえ〜君さ、亡霊を見たことがある?僕はあるよ。亡くなった父王の亡霊が現れてね。余は殺された、余に毒を注いだ弟はお前の母親を奪い、お前の目の前で何食わぬ顔で王冠を被っている。この恨みを晴らすのだ〜って告げられたんだ。これにはさ〜、かなり悩んだよ~。父の亡霊は本物なのか、あるいは悪魔が僕を惑わしているのかってね~。亡霊の声は僕だけにしか聞こえないんだ。きっと助けてほしいんだろうって思う反面、ど~ぉしても僕は決断できなくてね~。人間にとって復讐って何なんだろうね~。あ、ところで君を殺したのは誰だったんだい?知ってるの?」


 クラレンスの目が揺れる。


「亡霊か。俺も夢の中で、明るい色の髪をした天使のような幽霊なら見た。その髪には赤い血が跳ね返り、「嘘つきで誓い破りのクラレンス。テュークスベリーで私を刺し殺したクラレンス!復讐の女神よ、奴に地獄を見せてください」と言う。すると悪魔の一団が俺を取り巻いて、恐ろしい叫び声で俺の耳の中でわめき立てたようだった。震えながら目が覚めたが、しばらくの間は地獄にいると思えてならなかった」


「それ、ヘンリー6世の息子でしょ?次の王位継承者だった。君が殺したんだっけ?」

「ああ。美しく賢明な王子だった。みんな兄エドワードの為にしたことだ。俺の兄弟愛と、俺の心の暗黒と怒りがそうさせた」


「それなのにお兄さんの命令で投獄されて、暗殺までされちゃったんでしょ?酷くない?」

「まったくだな!暗殺が報酬とは!」

 拳を握るクラレンスに、ハムレットは肩を組む。


「君、人が好いんだねー。僕はそういう人好きだよ。かっこいいし喋りも上手いしさ、だからお兄さんから嫉妬されちゃったんじゃない?名前の頭文字にGがつく者(クラレンスの名前はGeorge)がエドワードの子孫を滅ぼすだろうなんて占いで、まだやってもいない謀反で投獄でしょ?だよねきっと。でも君はほとぼりを冷ますために自らロンドン塔へ向かった。それも無用ないざこざを避け、お兄さんの統治を安定させる為だったんでしょ?そこまでしたのに二度と帰れなかったって酷すぎない?僕だったら復讐に走っちゃうな~」


「その通り…その通りだよ。あの顎野郎め…!」

 クラレンスの顔がみるみるうちに憎しみに染まり、白い額に真っ青な血管が浮き出る。


「夜も更けた、今こそ復讐という恐ろしい魔が横行する時刻だ。墓が大きな口を開き、地獄は凄まじい毒気をこの世に吐きかける。今なら生き血でも啜れるぞ」

 いきなり難解になったハムレットに、青筋を立てたままクラレンスは聞き入る。

 

「君のそういう行動力が僕にもあったらな〜。『やると言ったそばからやめたと引っ込む。あなたもそうやって自分は臆病者だと思って生きていくつもりなのね!男ときたらどいつもこいつも!』ってマクベスの奥方にも叱られちゃったもん。でもさ、息子に復讐しろっていう父親をどう思う〜?死んだら普通、遺された家族の幸せを願うものじゃないの〜?それもこれもわずか2か月で再婚したお母さんのせいなんだけどさ〜。再婚相手は僕の叔父だから、君の奥さんがエドワードと再婚すると思ってよ。やっぱり復讐を望む?」


「兄貴が俺の妻と…?あいつは目の前の女を抱きたいが為にフランス王女との婚約を反故にし、フランスを敵に回したんだ。あの顎ほどのお粗末な脳味噌しか持たない奴なんだよ!」


 一方トニーは、ウィリアムの「殺してもらえなかったんだよ」発言に一人落ち込んでいるエドワードの隣に腰を下ろす。


「なあ、クラレンスの奴があんたに復讐しようとしてるぜ」

「なぬ?復讐されるいわれはない」


「それがさ、クラレンスもアンを気に入ってたみたいなんだよ。あんたに先を越されて、逆恨みしてるみたいだぜ」

「勝手な奴め。だからおつむが足りないと言われるんだ」


「クラレンスって人懐っこい顔してるし、口が上手いだろ?だから自分ならアンを落とせたはずだって思ってる」

「なぬ」


「明るくて裏表がなくてさ、リチャードにも好かれてたよな、あんたと違って」

「なぬ…」

 言われて、はっきり狼狽する。


「けど酒を飲むと、人が変わったように歯をむいて吠え出し、勢いで喧嘩をふっかけてもなぜやったのか覚えちゃいない。そんなクラレンスの本性をリチャードは知らないよな?」

 エドワードの顔が今度は怒りで赤くなる。


「ぐぬっ…!キサマの言う通りだ。あいつは名誉名誉名誉の男で、名誉を失ったら獣と同じといかにも高潔に言うが、名誉の為には人を騙し、簡単に裏切る奴だ。『キングメイカー』と呼ばれたウォリックの娘と結婚するためにランカスター側へ寝返ったのだからな」


「それってつまり、『キングメイカー』の力で王冠を手に入れようとしたんだろ?あんたに対抗して、追い落とすために、仇敵ランカスターに味方することすらいとわずに」

「そうだ、その通りだ。あいつはそういう男だ。キサマよく言ったぞ!」


「名誉なんてものはくだらない、上辺だけの張りぼてだよな。それほど価値がなくても貰える時は貰えて、別に失敗しなくても無くなる時には無くなる。その点あんたは上辺なんかには惑わされないと、リチャードに見せてやったらどうだ」


「しっ、しかしだ、それでもクラレンスは僕の弟に変わりはなく…」

 トニーは声を低くして迫った。掠れ声が、ここでは余計に尖った真実味を与える。


「いいのかい、あんたそれで。頭文字にGがつく者に子孫を殺されそうになったんだろ?その弟が再生して、今度は意中の女を横取りしようとしてる。また王冠を狙ってくるかもしれないぜ。あんたの方が兄貴なんだろ?」


「…よくない。よくない、ああよくないぞぉ!このエドワードは国王だ。弟の意思なんぞに縛られはしない」


 トニーは囁く。

「そうさ。リチャードだってきっとあんたを見直す」


「おのれ…あいつには誠意というものがない。己に都合がよければ、誰かれ構わず平気で尻尾を振る、男の風上にも置けない奴だ。ランカスターへ走った後、不利になった途端手のひら返してごめんなさいと戻ってきたんだからな。自分のことしか考えていないのは、再生したところで変わるまい」


 エドワードはギリッと剣を握りしめると、荒い足音でクラレンスへ向かう。クラレンスも全く同じ顔をして、互いに距離を詰めていく。


「やめろ、兄上たち!」

 リチャードの制止にも、もう耳を貸さない。


「何もない『から騒ぎ』から始まるのがミソだって、ドン・ペドロのおっさんが言ってたもんな」

「嫉妬にお気を付けなさい。こいつは緑色の目をした怪物で、あざ笑いながら人の心を貪り食うのですって、イアーゴの口癖だったもんね~」


 トニーとハムレットがそれぞれに口角を釣り上げる。


 そして時を同じくして、エレノアが対峙していたのは———

「久方ぶりですわねマーガレット。わたくしを忘れたとは言わせませんわよ」




※誰かさんの他愛もない思いつきはもちろん『リチャード三世』リチャードの計略。クラレンスは、最後までリチャードに嵌められたことを信じぬまま殺される。


※「名誉なんてものはくだらない、上辺だけの張りぼてだよな。それほど価値がなくても貰える時は貰えて、別に失敗しなくても無くなる時には無くなる」『オセロ』第二幕第二場イアーゴ

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