第五場 長兄は赤くなる

「美しい…」

 もう一度、エドワードは続ける。


「どうしたら世界を手に入れられるか、その方法を教えてあげようか」

「…?」

 アンは眉間に力を入れながらクラレンスの体を切り裂いた。


 だが、血を流さないクラレンスはよろめきながら下がっただけで、倒れはしない。どころか、

「始まったよ。兄上は匂いをかぎつけたらもう逃がさないからな」

「どうせあいつはジジイになっても考えてることはそればかりさ」

とニヤつきながらリチャードと言い合っている。


 すると、オセロの剣を弾き飛ばしたエドワードが、アンへ距離を詰める。

「世界をきみにあげたら、お返しに何をくれるかい?」

「世界など要らぬし、大主教の野望は私が命をかけて阻止してみせる」


「なに、ただ僕を愛してくれればいんだよ」

「戦いの最中に何を言うか!」

 くそ真面目にいちいち反応して顔まで赤くするアン。


「僕が言っているのは愛の果実のことだ。わかるよね」

「分かりたくもない!」

 アンが繰り出す剣を受けながら、エドワードは余裕気に続ける。


「生涯変わらぬ愛、感謝の心、陛下のためのお祈り、美徳が求め、美徳が許すような愛。そんな愛は一切合切望んじゃいない」

 剣を受け止めて、そのまま絡め取る。そしてキメ顔とキメ顎で言った。


「はっきり言うと、きみとやりたいんだ」

「はあううぅっ!」

 遠目に見ても分かるほどアンの顔が真っ赤になり、萎縮してしまう。涼しげな目元でエドワードが更に囁く。


「処女は寝かしておくと艶がなくなる代物で、それだけ値打ちが下がる。売れるうちに手放しておくことだよ。需要があるときに応じた方がいい。古びた処女はフランスのしなびた梨みたいなものだからね」


「アン殿!そいつの言うことを真に受けてはならぬ!」

 しかしこれが、これでも魔法なのだ。そしてアンにはてきめんに効いてしまった。


「くそっ!デズデモーナに飽き足らず、この女たらしがあぁっ!」

 オセロが掴みかかるが、弾き飛ばされ壁に激突する。そして言葉で縛られたアンの顎に、エドワードが剣先を当て、甘い声で囁いた。


「僕の要求にうんと言えばよし、いやと言うなら、首をはねる。しとやかなことは顔を見れば分かる。あらゆる点で完璧な、君主に相応しい女性だ。愛人にほしい」


 その時、ゆらりとオセロの剣を拾い、振りかぶった男が二人の間に突入してきた。が、剣を翻したエドワードに簡単にあしらわれてしまう。転倒しそうになる頼りない体を、弾かれたようにアンは背後から支えた。


「ウィル!どうして出てきたのだ、作戦と違うじゃな———」

「おいエドワード、そのミソっかすな口説き文句は大主教の台本か?おまけにアンがしとやかだって?世辞にも笑いにも受け取れないな」

 支えたアンの腕を強引に振りほどくと、エドワードに鼻頭を突き合わせる。


「愛人にほしい、きみとやりたいんだよ、だぁ!?んな言い方があるか!だからお前は残念なイケメンナンバーワンとか言われて、リチャードに殺してんだよバーローが」

「ぐぶゔうっ!!」

 エドワードが腰を折り苦しげな顔を見せる。どうやら会心の一撃だったようだ。


「あのな、アンがいくら武闘派だからって、女相手に使う武器は舌なんだよ。あんたは剣で迫ってる時点でアウト。武骨で口下手なオセロですら、ぽつりぽつりと恵まれなかった過去の身の上話でデズデモーナの涙を誘って、惚れさせたんだからな」


「う、うむ?大体シェイクスピア殿の想像通りであるが…」

 壁に打ち付けられたオセロ、無事みたいだが照れている場合ではない。


「いいか?『きみのひときわ鮮やかなその美しさは、まるで燃ゆる燈火に輝く術を示しているようだ』」

 じっと見つめてくるウィリアムの瞳は、朝露に濡れた薔薇の葉のようにしっとり深く輝き、手を取られたエドワードは思わず生唾を飲む。急に鼓動が速くなる。


「『きみのこの手をもし僕の賤しい手が汚しているのなら、その償いはこの通り僕の唇で拭い取ろう』おれの台本ならこの初対面のセリフから14行で、お前をキスさせてやる」

「なぬ!?」


「ただ一言、僕を恋人と呼んでください。だがもし愛してもらえないなら、このまま囚われてしまいたい。きみの愛もなしに命を長らえるよりは、人の憎しみの渦に殺された方がずっといい。きみという財宝の為なら、たとえ万里の海路、七つの海を隔てた異境であろうと必ず辿り着いてみせる」


 心をさらわれたエドワードは顎を長くしたまま、ポーっと頬を染める。

「し、しかし僕にはそんな気の利いた言葉の引き出しはない…」


「ま、気の利いた言葉よりも、無言の宝石こそ女性の心を動かすってやり方もあるけどな」

「ウィルって…そういう男だったのか…」

 背後からぽつりとアンに言われる。


「えぇ?あのねぇ!実生活のことじゃなくて、作品描くための知識っていうか、想像っていうかさ。今まで言い寄られた中にこういう奴いただろ?」

「私は修道女だから、男性が身の回りにいたことはない」


「ちっが…!だから…いっ、いいじゃねえか26歳処女だって!遊びまくってる浮気な女より何倍もな!おれはそういうアンが好きだ!」

「それは逆効果なんじゃ…」

 案の定ライラの呟き通り、個人情報を大声でぶちまけられたアンは涙ぐんでしまった。


「なんで泣くんだよぉ?つーかエドワード、お前いつまで手ぇ繋いでんだ!」

「なっ何を言うか、キサマの方から握ってきたんだろうが!」


「気持ち悪いことぬかすなよな!…ってやばい離せ離せリチャードがっ!」

 間一髪、ウィリアムが手を解いて避けたところに、リチャードの閃光がエドワードの手の甲を貫く。


「今の、アンを含めて誰も気づいてないのか…?」

 マクベスを回復しながら、一人呟くマシュー。


「エドワード兄さん、シェイクスピアのペースに乗せられるな」

 しかし手を貫かれたエドワードが弟へ返した視線は、薔薇のトゲのようだった。



※「処女は寝かしておくと艶がなくなる代物で、それだけ値打ちが下がる。売れるうちに手放しておくことだよ。需要があるときに応じた方がいい。古びた処女はフランスのしなびた梨みたいなものだからね」『終わりよければすべてよし』第一幕第一場パーローレス


※「きみのひときわ鮮やかなその美しさは、まるで燃ゆる燈火へと輝く術を示しているようだ」「きみのこの手をもし僕の賤しい手が汚しているのなら、その償いはこの通り僕の唇で拭い取ろう」『ロミオとジュリエット』第一幕第五場ロミオ

初対面のこのセリフからわずか14行(英語原文)で二人はキスする。


※「ただ一言、僕を恋人と呼んでください。だがもし愛してもらえないなら、このまま囚われてしまいたい。きみの愛もなしに命を長らえるよりは、人の憎しみの渦に殺された方がずっといい。きみという財宝の為なら、たとえ万里の海路、七つの海を隔てた異境であろうと必ず辿り着いてみせる」『ロミオとジュリエット』第二幕第二場ロミオ


※「気の利いた言葉よりも、無言の宝石こそ女性の心を動かすものです」『ヴェローナの二紳士』第三幕第一場ヴァレンタイン

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