第四場 プリティガールズ 後編
キリッとした黒い眉と目、利発によく動く唇はぷっくりと濡れたよう。ビアトリスに睨まれたマシューは、頭の中で構える。
「あなたは自分が賢いと思っているようだが、その態度は慎まれた方が良い」
「私のは機知が成せる言葉の綾よ。凝り固まっただけのあなたは、馬や鹿と違うのだという証拠があるなら体中に貼っつけておくことだわ」
「見た目とは正反対の地獄のアーテ(狂暴の女神)だ。地獄の方が聖所のようでずっと静かに居られる。あなたの口は口でも
「では口で口を塞いで喋らせないことだわ」
脇で女たちがクスクスと笑う。オリヴィアがわざと大きな声で言った。
「ねえアーシュラ、確かビアトリスさんがマシューさんを慕っているとか?」
「ええ、考えてもみませんでしたね、ビアトリスお嬢様が恋をするなどとは。それもまるで狂ったような焦がれ方で、想像を絶するものがございます」
「それにしても驚きましたわ。あのビアトリス様ばかりはどんな愛情攻撃にも難攻不落と思っていましたのに」
マシューの顔色が変わり、思わず声を荒げる。
「なぜそういう話になる!? 私が何をしたというんだ…! 愛情攻撃!?」
しかし誰一人として答えようとしない。
「そうですわね、マシューさんなら立派な紳士、ビアトリスさんと幸せなベッドを共にする資格は十分ですわ」
「ビアトリス姉さまは頭のよく回る機知に富んだ女性だと世間でも評判ですもの、そんな方がマシューさんのような立派な方をお断りになるはずが無いわ」
オリヴィアとヒーローに言われ、言い返すと思いきやビアトリスは黙ったままだった。
「おい! そこで毒舌じゃないのか!」
必死にマシューが突っ込む。しかし返ってきたのは予想だにしない言葉だった。
「この猛々しい心をあなたの優しい手に馴らせましょう。あなたが愛してくだされば私の心もなびきます。そして二人の愛は聖なる絆で結ばれましょう」
「ひうっ!? ま、ま待て…!」
展開についていけない。いや、ついて行きたくない。
「一旦退散しよう」
「あ、ちょっと!」
トニーの制止も聞かず、マシューは踵を返す。ケタケタと追いかけてくる女たちの笑い声から逃げるように一目散だった。
「何をしておるのだ。遊ばれているではないか!」
ドン・ペドロに言われると、いかにも不服な表情でマシューが言い返す。
「しかしまず数で負けている! 次はあなたたちも来て欲しい」
「私が行ってはオリヴィアの機嫌が悪くなる」
逃げ腰なのはオーシーノー公爵。
「あんた、あれだけ嫌われてんのにまだオリヴィアがいいわけ?」
「お前こそ彼女を誘惑するとはどういうつもりだ!」
「はぁ? 人のせいにすんじゃねえよ! だったら自分で行きゃいいだろ。ったくよ」
「わ、私のような歳の差ではダメか、ギリギリで…」
ダメではなくギリギリだと思いたい、そんなオッサンの切実な本音が滑稽で憐れで、トニーはそれ以上反論できなかった。オーシーノーはちょっと恥ずかしそうに続ける。
「いずれお前にも恋をする時が来るだろうが、その甘い苦しみに悩むたびに私のことを思い出すがいい。恋する人の面影がいつも眼の前にあるばかりに、何もかも手がつかなくて、ただもうソワソワしてしまうものだ」
「…少しは覚えがあるよ。でもさ、他に好きな奴がいたりして、彼女の心がこっちを向いてないとしたら仕方なくね?」
「女の胸は、今私の心に波打っているほどの激しい情熱の鼓動に耐えられるものではない。しょっぱい話だが、女の愛は食欲に似ている。深い心の働きからではなく、口寂しいだけなのだ。満腹になればすぐ嫌になり、吐き気を催す。だが女が私に抱く他愛もない愛情と、私がオリヴィアに抱く深い愛情は違う。いいかね、私の恋は諦めない。断りは聞きたくないと彼女に言うんだ」
そうやって理屈こねてしつこいから嫌われるんだよ、と言いたかったがトニーはやめておいた。
その横でドン・ペドロはせつせつと説いている。
「いいかねマシュー君、これはお互いに相手は自分に惚れているものと思い込んでいる。が、その実なにもない———そこがミソなのだ」
「だから私は彼女のことはどうとも思っていない! 神に誓って断言する!」
「何を断言なさるの?」
振り返ったマシューが飛びずさる。確かめるまでもなくそれは女人の声で、まぎれもなくビアトリスだった。
「何を断言なさるので・す・か?」
(おい、やべえぞあの目)
(さすが大主教の魔法だ…)
二人が怯んだ隙にすかさずドン・ペドロが口をはさむ。
「ビアトリス、マシュー君は世の中の何よりも君を愛している。神の次にだ」
「いやそんなことはない———」
「では私も断言するわ。ありったけの心を込めてあなたを慕っていると」
マシューの喉が上下する。大主教の魔法という点を除けば、ビアトリスは文句のつけようがない美女である。
「口汚く罵って、私に帰れと仰るつもりかしら?」
「口汚くだと?そんな言葉は使っていないし、それはむしろあなたの方だろう」
「口汚い人は息も汚いものね。私、息が臭い人は大嫌い」
「私の息が臭いと言いたいのか!? あなたにかかるとどんな言葉も狂気に聞こえるな」
「私はあなたの全部の欠点をひっくるめて、それがまた巧妙に悪の団結を保っていて、美点など一つも紛れ込む余地もないくらい好きです」
「解釈できないが、悪の団結とは大主教の暗黒魔法がよく言うものだ。恋わずらいに
「たしかに
「では私もあなたのために自分の心に背きましょう。と言いたいところだが、それはできない」
「なぜ? 私はあなたの心の中に生き、あなたの膝の上で死に、あなたの目の中に葬られたいと思っているのに」
表現がダークすぎるのはやはり暗黒魔法だからであろうか。マシューは一つ呼吸を置いた。
「私の心はウィリアム・シェイクスピアのものだからだ。大主教ではない」
渾身の一撃。ビアトリスはフラッとして二歩、三歩と後ろに下がった。いつの間にかアーシュラ、マーガレットの二人が控えていてその体を支える。
「…ああ、なんてひどいんでしょう。手を握り合う時は騙しておいて、いよいよとなるとあからさまに中傷しありったけの恨みを浴びせるなんて。ああ、男になりたい。街の真ん中であいつの心臓を食べてやりたい———!」
その瞬間、ビアトリスの目から黒い光線が出てマシューの祭服を焦がす。
「おのれシェイクスピア!! 奴さえいなければ!」
「落ち着いてビアトリス姉さま!」
「お気を確かにビアトリスお嬢様!」
「うがああああああぁぁっ!」
もはや悪魔の形相で敵味方構わず光線を放ちまくるビアトリスを、女子全員で止めにかかる。
「おい、今なら扉抜けられるぞ」
トニーの言う通り、女子たちがテーブルから離れ、扉の前はがら空きである。しかし二人が全速力でたどり着く直前、マライアとオリヴィアが扉を塞いだ。
「トニーさんねぇ、生まれながらに高い身分の者あれば、努力して高い身分に達す者も、また高い身分を押しつけられる者もあってさ。誤解しないでほしいのは、うちのオリヴィア様はそんなこと気にされるような方じゃないんんだよ。そしてあんたにも同じあって欲しいと思ってるんだ」
「そうよ。トニー様がどんなに理屈をこねても、燃えるようなわたしの情熱は知恵や理性では抑えられないの」
オリヴィアはまっすぐだった。
「そっか。じゃ言い訳せずにオレも正直に言うとさ、好きな人がいるんだよ。そいつが連れ去られて、一刻も早く助けてやりたいんだ。だから、ごめんなお姫様」
オリヴィアの顔が曇る。
「そうでしたの…。その方はどちらの姫君なの? 私よりもお綺麗な?」
「ライラはガラス職人の娘だし、あんたの方がずっとずっとかわいいよ。けど恋はそんなの関係ないんだろ?」
「そうですね」
オリヴィアはおもむろに扉から離れると、トニーの肩に手をかけて背伸びし、頬にキスした。
「その方へちゃんと愛をお伝えになって」
「サンキュー、お姫様」
しかしトニーが錆びついた扉を開けると、マライアがマシューの腕をガシっと掴んだ。
「あんたは待ちな」
「通っていいのはトニー様だけよ。ビアトリスさーん、マシューさんはこちらです!」
「ええええ!?」
その声にメデューサのごときビアトリスが向かってくる。
「いいいいから先に行け! 私よりライラを!」
「わ、わかった。死ぬなよ! おいオッサン二人、あとは頼んだぜ!」
後ろ髪引かれる思いでトニーが扉を閉めると、中の騒ぎはもう聞こえなかった。
「奴さえいなければ、か」
やっぱり息苦しい。気のせいではない。胸をさすりながら階段を下りていく。
すると地下二階で聞こえてきたのは、男の歌だった。
「夏の青葉と 男の嘘は 今も昔も 変わらない
だから泣かないで 未練は捨てて おもしろおかしく この世を泳ごう
涙で喉を 濡らすよりは 浮かれて騒ごう」
※『から騒ぎ』
舞台はシチリア島メッシーナ。知事リオナートの屋敷に戦争帰りのドン・ペドロとお付きの独身貴族たちが立ち寄ることに。屋敷にはリオナートの娘ヒーローと姪ビアトリスがいて、まずはフィレンツェ貴族のクローディオとヒーローがくっつく。
しかしビアトリスは結婚なんて幻想、独り身が一番と周囲に公言していて、同じく独身主義者のベネディックと、顔を合わせれば自分の方が頭がいいと知恵合戦を繰り広げる。ドン・ペドロと周囲はこの二人をくっつけようと「から騒ぎ」大作戦。それぞれに相手が自分を好きだと思わせる噂をばらまく。
ドン・ペドロの弟ドン・ジョンはクローディオに恨みを抱いていて、結婚をぶち壊そうとヒーローが不貞をはたらいているように見せかける。作戦が成功し結婚の撤回を申し出るクローディオ。ショックのあまりヒーローは死に、私を愛するなら薄情なクローディオを殺して!とビアトリスがベネディックへ迫る。
治安官ドグベリーらの活躍でヒーローの濡れ衣は晴れ、死んだと思われたヒーローも実は生きていた。めでたく2組のカップルが成立し、悪たれが止まらないビアトリスの口をベネディックがキスで塞ぐ。
見どころは400年以上経った現代にも通用するツンデレのビアトリス。
※「夏の青葉と 男の嘘は 今も昔も 変わらない だから泣かないで 未練は捨てて おもしろおかしく この世を泳ごう 涙で喉を 濡らすよりは 浮かれて騒ごう」第二幕第三場 バルサザーの歌
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