第五場 自慢の息子 前編

~~大聖堂地下二階~~


「とにかくコリオレイナスの奴がひどいんだよ~。被害にあってるのは僕だけじゃないんだよ?」

 見つかるから静かにと言ってもハムレットはずっと喋り続けていた。


 コリオレイナスとは称号で、本名をケイアス・マーシャスというらしい。ローマの仇敵ヴォルサイ人を孤軍奮闘の活躍で破り、執政官コンスルに選出された。しかし不作による食糧価格の爆上がりに市民から怒りの矛先を向けられ、飛び出た第一声がこれだという。


「どうしたんだ、この虫ケラが。くっだらねぇ苦情を持ち出すんじゃねぇよ、疥癬かいせんを掻きむしって事態を悪化させるようなもんじゃねぇか。キサマらに媚びて甘い言葉をかけるような奴はよ、ただのろくでなしだ、野良犬どもが」


「ひどいでしょ~? こんな奴が為政者なんて許せないよ~!」

「確かにそうね」


「『バカで汗臭い群衆どもはなぁ、忖度そんたくない俺様の言葉を聞いて自分を顧みるがいい。お前らを甘やかすことはな、元老院制度を危機に陥れる元なんだよ。反逆や不遜や暴動の種を自らまき散らして、立派な麦の中に雑草をはびこらせるも同然じゃねぇか』とか言ってね。ローマを追放されのも自業自得でしょ? なのにそれを逆恨みしてさ〜!」


 ハムレットの声が一段と高くなる。

「ローマの恥さらしどもを殺せって言われてさ、僕はそんなのやだって断ったんだよ。そしたら『マヌケが怯えて逃げてきやがって! いいから突撃しろ、さもないとまずお前をメッタメタにぶった切るからな。ツラ洗って歯を磨いて来いよ?』って強要されてさ~! どうして僕がこんな目に遭わなきゃならないのかなぁ?」


「うん、もうわかったから」


「オセロもさ、パワハラされて酒量が増えたせいで夫婦仲が悪化しちゃってね。今別居中なんだけど、奥さんが浮気してるってもう被害妄想の塊で手がつけられないんだ。マクベスだって延々と説教リサイタル聞かされ続けて不眠になってさ、『もう眠れない! マクベスは眠りを殺した!』って叫んでた。二人ともどこかに隠れてると思うけど。きっと協力してくれるよ」


 こんな具合にいつまでも終わらないので、ライラは切り返す。

「ねえ、あなたは大主教の魔法なんでしょ? 大主教に従わなくていいの?」


「俺の運命が呼んでいる。体中の筋肉を一つ一つ膨れ上がらせ、獅子の肢体のように引き絞らす。まっすぐに復讐へと飛んでいこう、空駆ける思想や恋の翼よりももっと速く」

「従いたくないってことでいいのね?」


宝珠オーブが揃ってないから、まだ魔法は完全じゃないんだ~。だから僕たちは限られた範囲だけど自由に動けるんだよ」

 やっぱり宝珠を渡しちゃいけないのね。そうなるとトニーや皆のことの方が心配だ。


「殿下! ハムレット殿下、よかった、牢から出てこられたのですね」

 駆け寄って来た男性が頭を下げる。きっとホレイシオさんだ。想像していた通りの真面目で思慮深い、でも爽やかな感じの人。


「うん、ホレイシオ。変わりはないか?」

「まずまずです。あまり幸せすぎない方が幸せと申しますか、幸福の女神の頭のてっぺんというわけでもありません」


「しかし靴底でもないだろう。すると女神の腰の辺りでご寵愛の最中というわけだな」

「ええ、我々は女神の下僕ですから、お望みのままパコリンチョです」

 なにその挨拶…。ホレイシオさん、そこも殿下に合わせなきゃならないの?


「こちらの方は?」

 ライラがこれまでの経緯を話すと「殿下をお連れいただきありがとうございます。もちろん協力致しますよ」とホレイシオは言ってくれた。


「ブルータスという男がいます。ローマの護民官で、コリオレイナスを排除したがっています。ついて来てください」

「もう見つけたの? さすがホレイシオ~」


 ぬいぐるみを抱いて、ウキウキスキップしながらハムレットはホレイシオに続く。

 ここはロンドン、セント・ポール大聖堂の地下二階のはずだが、ローマが存在するらしい。しかしそこよりもブルータスだ。


「ねえ、ローマでブルータスって言ったらあの…!」

「だよね? シーザー(カエサル)への愛と理想ゆえにシーザーを殺した!」

「うんうん、彫刻になるくらいカッコよくて!」


 ところが紹介されたのはこれといって特徴のない、ごくごく平凡なおじさんだった。

(え、実物はこんなものなの?)

(ミケランジェロ、だいぶ盛ったね)

 ミケランジェロとはブルータス像の作者である。


「はじめまして。僕ハムレット」

「ライラです。お会いできて嬉しいです」

「よく来てくれた。ホレイシオ殿から話は聞いている。コリオレイナスを倒す同士として君たちを迎えよう。ときにライラ殿はどちらから?」


「ええ? えっと…お父さんの再婚相手がとても意地悪な人で、殺されそうになったの。それにわたしには結婚したい人がいたんだけど、お父さんは再婚相手の連れ子と結婚しろって聞いてくれなくて。どうしようもなくて逃げ出したところをハムレットが助けてくれたのよ。だから彼の力になろうと思って」


 我ながら悪くない設定だとライラは思う。ブルータスはそれ以上聞くことなく、気の毒にと言ってくれた。

 それにしても見た目同様、言っちゃ悪いが声まで冴えない人だ。護民官のはずだが、何か喉に詰まったような、こんな響かない声で演説をっているのだろうか。


「コリオレイナスが攻め込んでくるよ〜!? 君ブルータスでしょ? シーザーを殺した時みたいにさ、またブスっとやれない?」

 その時、ブルータスの顔がはっきりと凍りついた。


(え、なに、僕言っちゃいけないこと言った? ホレイシオ〜!)

 ホレイシオはしまったという顔で額を押さえている。

「…君たちが思っているブルータスはマーカスの方だな。私の名はジューニアスだ」


 ええっ!? まさかのブルータス違い!?

「道理で! なんかおっかしーと思ったんだよね〜」

「ちょっ! ハムレットってば…」


「いいんだ、よく間違われるから。シーザーを殺して彫刻になったのはマーカス・ブルータス。暗殺犯の中にはディシアス・ブルータスという美少年もいた。そして私はシーザーと一切関係ない、これといった取り柄もなく、彫刻にもしてもらえなかったただの中年ジューニアス・ブルータス」


(どうすんのよ完全にいじけちゃったじゃないの)

(え〜? 僕のせいじゃないし?)


「私だって『ブルータス、お前もか』とシーザーから言われてみたかった。『シーザーよ、さあこれであなたも成仏してくれ。あなたを刺した時、あの時の僕でも、今ほどには心奮いはしなかったぞ』と言って死にたかった…! でも私ではないのだ」

 と、ブルータスはガックリと肩を落としてしまった。


「ブルータスとシーザー ——ブルータスという名に何があるというのだ? 神が我々人間にこんなにも偉大な思惟しいする力を与えて後先のことを見通しうるようにされたのは、決してこの能力と神の如き理性とを使いもせずにいたずらにカビの生えるに任せろとの御心ではなかったはずだ」


 相変わらずハムレットの言うことは意味不明。ブルータスもぽかんとした顔で見ている。


「君の美点の明細書を作成するとなると、凡庸な頭脳をもってしてはいたずらに混乱をきたすだけだろう。俺は真に君を賞讃する道は大物をもって君を遇するにあると思うのだ。稀有にして貴重なる君の天分たるや、君の鏡のみがこれと比較しうると考える」


 よく分からないが、ジューニアスを擁護するセリフのようだ。

「す、すまぬ、話が逸れたな」

 そのおかげか、気を取り直したブルータス。


「ケイアスに攻め込まれたら我々はひとたまりもない。しかし交渉に当たろうにも、奴は耳を貸さないだろう」

「母親はいないの〜? 僕もお母さんとは色々あって結構ディープな方なんだけどさ、もしお母さんが自身の誤ちを認めたうえで僕にやめろって言ってくれたら復讐なんかしないかも」


「うむ。ケイアスは民衆を嫌ってはいるが、家族や友人への情は深い男だ。妻や母親の言うことなら聞くかもしれない」

 そのまま、母の元へ向かうことになった。

「コリオレイナスって、ブルータスさんから見てもやっぱり人でなしなんですか?」


「ローマでは執政官コンスルに推されたら、謙虚な気持ちを示すために粗末な衣服で広場に出るならわしがあるのだが、奴はそんなこと馬鹿くさくてできるかと、こんな調子なのだ。あの男の目つき、口元、軽蔑しきった口のきき方。憤慨したら神さえ罵り、傲慢さは自分が踏む大地すら軽蔑するほどだ。奴が破滅するか、こっちが破滅するかだった。だから追放したのだ」


「ブルータス殿ら護民官は、市民の代表としてコリオレイナスを死刑に追いやろうとされたのですよ、ライラ殿」

「でも、どうしてそんな人をローマの人たちは執政官コンスルにしちゃったの?」


「それはね〜、民に好かれる人物って、別にどうと言う理由があるわけじゃないんだよ。だから嫌われるのにも大した根拠があるわけじゃなくてさ。奴はそういう民衆心理をちゃんと理解していて、好かれようが嫌われようが気にしないんだ。きっとその超然としたところが人々を惹きつけたんだろうね」


「さすが殿下でございます」

 腐っても王子。ホレイシオに褒められてハムレットの顔がゆるゆるになる。


「ケイアスの武功は賞讃に値する。それは誰もが認めるところだが、傲慢で気位ばかり高く、途方もない野心家で、自分のことしか考えない」

「そうそう、独裁者だよ。ムシャクシャするから殴らせろとか、お前のものは俺様のものとか言ってさ!」

 戦上手が政治上手とは限らないものだ。


 それからハムレットの悪態がようやく終わりかけた頃、あの人だとブルータスに言われた先には、両手もちの柄の長いほうきで掃き掃除の女性。

「つ、強そう…」


 まず縦にも横にもデカい。それもたるんだ脂肪だけではなく、筋肉が詰まった迫力である。次に顔。黒髪をきっちり団子にした勇ましさは、まるでアマゾネスだ。

「ヴォラムニア殿、ケイアスのことでお話が」


 ジロッ! といきなりブルータスを睨みつけ、

「今更何の用だい? あの子とはもう親子の縁を切ったんだよ。アンタも知ってるだろう」

ドン! と箒の柄を地面に鳴らす。その音だけでハムレットは跳ね上がってしまう。


「元を正せばねぇ、アンタがあの愚民どもを扇動したんだ!あの野良猫どもにあの子の価値がわかるかい!?」

 ブルータスはぐうの音も出ない。これはコリオレイナス本人よりも、まずその母が強敵のようだ。




※オセロ 『オセロ』の主人公

※マクベス 『マクベス』の主人公。「もう眠れない!マクベスは眠りを殺した!」第二幕第二場 マクベス

※ライラがでっちあげた身の上話は『シンベリン』のイモジェン姫


※『ジュリアス・シーザー』

ジュリアス・シーザーとはユリウス・カエサルの英語読み。と言いながら主人公はシーザーではなくブルータス。シーザーを愛しながらローマの為に彼を殺害したブルータスの悲劇。

ブルータスはシーザーの功績を人一倍たたえながら、今や対抗勢力のいないシーザーが共和制の伝統を破壊することを危ぶんでいた。同様の危惧を持つ仲間をキャシアスが集め、ついにブルータスも国家のためにシーザーを暗殺する。

しかしシーザーの寵臣アントニー(マルクス・アントニウス。『アントニーとクレオパトラ』の主人公)を殺害せず、民衆の前で演説させるという失策を犯してしまう。たちまちブルータスはローマを追われ、アントニーの軍勢に敗れ自害する。


※「ブルータス、お前もか」『ジュリアスシーザー』第三幕第三場 シーザー

※「シーザーよ、さあこれであなたも成仏してくれ。あなたを刺した時、あの時の僕でも、今ほどには心奮いはしなかったぞ」第五幕第五場 ブルータス

※「ブルータスとシーザー、ブルータス(本来はシーザーです)という名に何があるというのだ?」第一幕第二場 キャシアス

※「それはね〜、民に好かれる人物って、別にどうと言う理由があるわけじゃないんだよ。だから嫌われるのにも大した根拠があるわけじゃなくてさ。奴はそういう民衆心理をちゃんと理解していて、好かれようが嫌われようが気にしないんだ。きっとその超然としたところが人々を惹きつけたんだろうね」第二幕第二場 役人2


※ハムレットとホレイシオのしょうもない挨拶は、『ハムレット』第二幕第二場 ハムレットとギルデンスターン(友人)の会話


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