第三場 プリティガールズ 前編

「あった、ここだ」

 二人とはぐれたまま、マシューとトニーは地下への階段を探し続けていた。ようやくたどり着いたのは主祭壇のあるサンクチュアリの裏手。雨を吸ってじっとりと重たくなった敷物の下に扉を発見したのだ。


 隙間に手をかけ引き起こすと、人ひとりがやっと通れるほどの地下道が現れる。壁に据えられた古びた松明は火がつきそうだ。トニーはそれを手に取り、用心しながら下っていく。きれいとは到底思えない、ぬめぬめした暗い水の中へ向かうような嫌悪感を感じた。


「息が苦しいような気がしないか」

「ああ、健康に悪そうな空気だ」

 マシューも言うのだから、トニーだけの思い過ごしではないようだ。

「待て、誰かいる」



~~大聖堂地下一階~~


 言われて足を止めると、踊り場にしてはかなり広い、次の扉の前で六人の女性がテーブルを囲んでいる。


「女子会だな」

「なんだそれは。井戸端会議とどう違うんだ?」

 女性たちはリンゴ酒やはちみつ酒を片手に菓子をつまみながら、思い思いにお喋りしているようだ。


「見ろ、まず身なりだ。上層ヒエラルキーの奴よりオシャレ感や高級感を出しちゃいけねえ、それが女子会の鉄則だ。男ウケな服装なんかしてったら黒笑で弾き飛ばされる。ラクさとこなれ感を重視、さりげない小物使いがセンスの見せ所だ」

 トニー、なぜそんなに詳しいんだ。


「次に話題。旦那や彼氏、子供の自慢話はもってのほか。その場その場の共通項を瞬時に見定め、適切な温度とボリューム感で話を提供すること」

「自由にくつろいでるように見えて、その実色々大変だな…」

 こっそりと近づき耳を澄ます。


「ヒーローお嬢様、明日はクローディオ様との結婚式でございますね」

「ええ、マーガレット。イングランド中を探したってクローディオ様ほどの男性はいないわ。ねえ、この婚礼衣装素敵でしょう?金糸織に銀糸で縁取ったうえに、下袖、肩袖から裾にかけては真珠をちりばめてあるのよ」


 あのヒーローお嬢様、いきなり女子会の鉄則ガン無視だが大丈夫だろうか。

「ああ、衣装が重たくてなんだか胸が苦しいわ」

「今にもっと重たくなりますよ、男に上に乗られる重みで」


「マーガレット、おまえいつから下ネタ言えるようになったの?」

「ねえビアトリス姉さま、この手袋クローディオ様がくださったの。とってもいい匂いがするのよ」


「今日は鼻が詰まっていて匂いが分からないのよ」

「ビアトリス様はお嬢さんのくせにもう穴が埋まっているのですって! 結構なお風邪でございますこと」

「もうマーガレットったら! 恥ずかしくないの?」


「オリヴィアさんはオーシーノー公爵から求愛されているのでしょう? その後どうなの?」

「あの方ほんとしつこくて。今後七年は兄の喪に服すと断ってるのに『あなたのすべての臓腑が私という一人の恋人に占められ満たされたなら!』とか言うのよ」


「それキモっ」

「ビアトリスさんもそう思う?」

「私は男に興味ないから。神様が夫さえ授けなければ、私にとってはそれこそ幸せなの。いっそ毛布を抱いて寝た方がマシよ」


「ビアトリス姉さまにかかればどんなイケメンでも、色が白い方なら妹にした方が似合うというし、背が高いのは穂先の折れた槍、寡黙な方はテコでも動かぬ木の根っこ。あらばかり探して、目につくものは何でも見下すんですもの。内心は岩山の野鷹のように内気で人馴れしていないだけだと、わたくしは知っていますけれど」


「いかにもヒーローお嬢様、さようでございます。となるとマシュー様のことはお知らせしない方がよろしゅうございますね」

「マシュー様ってなんだい、アーシュラ? ビアトリス様は興味なくてもあたしは聞きたいねえ」


「それがマライア、マシュー様がビアトリス様を想っていらっしゃるそうなのよ」

 隣のトニーに見られたマシューは、私のわけないだろうと首を大きく振る。


「マシュー様ってどんな人なのさ?」

「サザーク教会の司祭様で、姿形といい物腰といい、弁舌といい勇気といい、イングランド一ともっぱらの噂の方だよ」


(お前じゃんか)

(なぜだ…? まだ司祭じゃないし)

 コソコソ話しながら、マシューは動揺を隠せない。しかしビアトリスは鼻先で笑い飛ばした。


「マシュー? ああ、疫病神みたいなものね。マシュー病の感染力は新型コロナよりも上だし、感染した方はたちまち頭おかしくなるんだから」

「ビアトリス様ったら———」


「主任司祭の太鼓持ち、いつまでも司祭に出世できない、雪解け時分の陽気より生ぬるい笑いしか取れない道化男よ」


「ほらこの通り、だからマシュー様にも灰をかぶせた埋もれ火のように、溜息で燃え尽きていただくことだわ。そうして焦がれ死んだ方が、なぶり殺されるよりどれほどマシか。なぶり殺されるのはくすぐられて死ぬようなものですもの」

 ヒーローが肩をすくめると、すかさずビアトリス姉さまが言い返す。


「私はね、生まれついての冷血なの。男性の愛の誓いなど聞くよりは、うちの犬がカラスに吠えるのを聞いている方が楽しいわ」


 このエンドレスお喋りをいつまで聞いているのだ? とマシューが言いかけた時である。女性たちのテーブルとは逆側の隅っこで、二人の男性が手招きしていた。壁際に沿って警戒しつつ向かうが、女性たちは話に夢中で気付く様子はない。


「よく来てくれた。私はドン・ペドロ」

「オーシーノー公爵だ。待っておったぞ」

 二人とも貴族らしい豪奢な服を身に着けている。


「最初に聞くが、あなたたちは人か、それとも大主教の魔法か」

「後者である。しかし我々は大主教に使われ暗黒に染まるのなどまっぴらなのだ。だから君たちを待ちわびていた」


「大主教は地下三階にいるが、彼女たちを攻略しないとあの扉から下には行けないぞ」

 オジサン二人の目は懇願するようだった。


「オーシーノーって、ヒーローお嬢様に言い寄ってる人だったよな?」

「その通りだ。君、私の代理で彼女に愛を伝えてほしい。私では会うことすら叶わないのだ。君のようなうら若き少年ならきっと、彼女も喜ぶだろう」


「はぁ!? んなの自分でやれよ!」

「しかしあの男嫌いで毒舌のビアトリス嬢がマシュー殿には———」


「なんで私があそこまで言われなきゃならないんだ! いつまでも出世できない太鼓持ち? 微妙な笑いしか取れない? なんなんだあの女…!グサグサくることばかり!」

 とどのつまりは本当のことで、トニーは笑いをこらえていた。


「どうかこの通りだ! 結婚が決まっているヒーローはこちらに傾きかけている。あとオリヴィアとビアトリスを引き込めれば、残りの女たちは一網打尽だ!」

「我々が解放されるかは君たちにかかっているのだ。そして君たちは下に行かなければならない。利害は一致しているのだから、頼む!」


 ドンと公爵二人のオジサンに頭を下げられれば仕方ない。他のルートを探す時間はないし、やるしかないだろう。二人は顔を見合わせて頷いた。


「オリヴィアにはオーシーノー公爵の想いをトニーから伝えて」

「ビアトリスの方はお互いに惚れていると思わせるってわけだ」

「お互いに? 私の方は必要ないだろう。まずはオリヴィアの方からいくぞ」

「オレ、自分がかわいいと思ってんのが見え見えのああいう女、苦手なんだよなぁ」


「君、気位が高いと言いたまえ」

 と、オーシーノーに見送られて二人がテーブルに近づくと、女性たちが菓子に異物混入を発見したかのような視線をぶつけてきた。


「あー、オリヴィア様、オーシーノ公爵はあなたを深く愛してます。恋焦がれ、涙を流し、切ない恋の呻きはまるで雷のように轟き、その溜息は火を吐くばかりだ」

 オリヴィアは愛らしい色形の唇をちょっと尖らせて返す。


「あの方のお気持ちはよく存じています。徳の高い立派な方で、清潔で、品行正しい、闊達かったつで学識もある立派な方と承知しています。しかし愛することはできないとご返事したはずなのに」


「いやそんなお断りの仕方じゃ理解できな———」

「あなたどこからいらしたの?」

 食い気味にオリヴィアがたずねる。


「用意されたセリフ以外のことは言えねえな」

「あなたは役者? お名前は?」

「トニー。あんたのしもべの名前だ」


「わたしの僕ですって? 面白くないわよ、あなたはオーシーノー公爵の家来でしょう」

「公爵はあんたのもの、だから公爵のものはあんたのものだ。あんたのしもべの僕はあんたの僕ってことになるだろ?」


「あの方のことはわたしは何とも思っていません。あの方もご同様であってほしいわ」

「オレはあんたの優しい思いを公爵に向けてもらいたいと思って来たんだ」

「お願いだから、あの方のことはもう二度と口にしないで。あなたの言葉はまるで魔法だわ。分かるでしょう? わたしの心を隠しているのは薄絹一枚だけ」


 その顔を見ればトニーにも分かる。パックの惚れ薬をまぶたに塗られたライラと同じ目をしていたからだ。

(困るんだけどこの展開)

(軌道修正するしかないだろう)

(修正とか簡単に言うなよな?)


「えーと、そりゃ悪かったな」

「というのは恋への第一歩ね?」

「んなわけねえだろ! どういう解釈だよ?」


 オリヴィアは大きな瞳を潤ませる。それだけでトニーを怯ませるには十分だ。

(ズリいな)

(気をしっかり持て、そういう女性だ)


「待って、ねえ言ってちょうだい。わたしのことをどう思っていますの?」

「どうって…あんたは何を望んでるんだよ」

「わたしが望んでいるようなあなたであってほしいわ」


「…オレはあんたの道化役ってことか?クソッタレ!」

 お嬢様方に動揺が走る。

「オレはあんたが期待するような上品な生まれでも育ちでもねえ。勝手に理想押し付けんじゃねえよ!」


「理屈を言い出さないで。求める愛もいいけれど、求めずして得られた愛はもっといいと考えてほしいわ」

「もう二度と公爵の涙をあんたに訴えるような真似はしねえよ、お姫様」

「でも、また来てちょうだい」

「誰が来るか」


 オリヴィアは泣きそうな顔をしたが、涙はこぼすまいと必死に堪えていた。それは彼女のプライドそのものでマシューにはいじらしく見えたから、助け舟のつもりで口を挟んだ。


「お嬢様、目の前の相手を見ようとせず、心で作り上げたその姿を押し付けるのは確かに高慢というもの。そして恋は影法師、いくら追っても逃げて行く、こちらが逃げれば追ってきて、こちらが追えば逃げて行くものですよ」


 ところが、返してきたのはオリヴィアではなかった。

「高慢のなにが悪いと? あなたのお顔を見たらどんな貞淑さも高慢に変わりますわ、司祭殿」



※ビアトリス 『から騒ぎ』に登場

※ヒーロー 『から騒ぎ』に登場

※マーガレット、アーシュラ『から騒ぎ』に登場。ヒーローとビアトリスの侍女

※ドン・ペドロ 『から騒ぎ』に登場


※『十二夜』

十二夜とは12月25日から12日目、1月6日の夜のことで、クリスマス~年末年始のどんちゃん騒ぎの最終日だった。

難破した双子の兄妹セバスチャンとヴァイオラが漂流したのがイリリア(現在のボスニア地方)。

イリリアの公爵オーシーノーは貴族の娘オリヴィアに恋をしているが受け付けてもらえない。オーシーノーに仕える美少年シザーリオを代理に、再度求愛を試みる。実はシザーリオはヴァイオラが男装していて、しかもヴァイオラはオーシーノーに恋している。オーシーノーはシザーリオが女だとは思いもせずオリヴィアへの愛を語り、更にオリヴィアがシザーリオに一目惚れするという三角関係。

一方、オリヴィアの執事マルヴォーリオは、小間使いのマライアと飲み仲間らに「オリヴィアが好いている」と嵌められ、黄色のストッキングを履いて浮かれる。最後にはヴァイオラと見た目そっくりの兄セバスチャンも現れ、三角関係が更にもつれて…。

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