第七場 笑いは破壊

 亡霊たちは皆、戦士の姿になったり青白い火の玉に戻りそうになるのを個々に繰り返している。それが三方をぐるりと取り囲んでいるのだから、目がチカチカしてしまう。


「今こそぉ! 最後の日を期しての決戦ェん! このホットスパー様の手にかかってみぃーんな死ぬ。いいかぁ、ゆ・か・い・に笑って死ねえぇ!」

 一人、亡霊ではない男のデカい声。


「あいつもどうせ人間じゃないんだろ?」

 トニーが半笑いで指差すそいつは、ただでさえ悪目立ちするピチピチキンキラキンの服に、虎の毛皮なんか腰に巻き付けている。全員冷めた口で思い思いに続く。


「あの顔は何と言うのだ?聖飢魔…」

「わたしのこと殺しちゃっていいわけ?」

「作者の意図を無視して暴走する迷惑キャラ」

熱血拍車ホットスパーとかダサすぎる」

 イっちゃった目で剣を担ぐと、ホットスパーは大声を張り上げる。


「地獄も悪魔もクソッ食らえだ! ッシャアアァー! 行くぜええっ! 3ー! 2ー!」

「裏口は?」

「ダメだ向こうからもやってくる」


「1-!」

「それじゃやるしかないか」

「Gooooooooooo!!」


 右指を走らせてウィリアムは自分の左腕に文字を描く。盛大な煙が上がり、現れたのはハッとさせられるような強い青の瞳の青年と———

「…っっ!!ちょっと!」

 思わずアンとライラは顔を伏せた。


「おう、大酒食らいやがって、晩飯が済みゃフンドシ緩めて小汚ねえイチモツ晒しの爆睡か? この三年寝太郎漬物石が」

 と、青年にスパーン! と気持ちよく頭を叩かれたのは、膝までずり下がったズボンのまま登場のフォールスタッフおじさんだった。


「痛てぇこと言うなよハル公。それより何時だ? 他人様の財布拝借のお時間か? 追い剥ぎァオレ様の天職だからな。天職に励むは罪にあらずってな」

「ほらほらハルもフォールスタッフもさ、この状況見てほしいんだけど」


 ウィリアムが割り込むとようやく状況を把握したらしい二人。それよりもまずズボンを履いてほしい!

 ハル青年の方はスラリと剣を抜くと、向かってきた亡霊を一刀両断にしながらだった。


「デブ助よ、テメェ追い剥ぎした金をオレにスられて根に持ってたな? オレをろうと安酒一杯と鶏肉一かけで魂まで悪魔に売りやがったのか?」

「やれやれ、男一匹、甲斐性も無ければ友情も無えって野郎よ。お前ぇそれでも王族の血か? 金の王冠が笑わせらァ」


「ビビリのサー・デーブスタッフがよく言うぜ。オレをやってみるだけの勇気があんのか?」

「ああ、あるとも。だがまあ、やめとこう。お前ぇは獅子の仔が唸るみてえにちょっと怖いんだ」


「テメエの膝の周りに臓腑をダラダラ流してやろうか。どうせそのズタ袋みてえな腹ん中には信義だの、真実だのが入る余地はこれっぽっちも無えだろ」

「そう言うんならよ、お前ぇの親父が国庫の金貨洗えざれえくれてやるって言ってもな、1インチだって動くもんかよ」


 やっとズボンを上げて、フォールスタッフは腹を揺らしドッスーン! とその場に鎮座した。


「あのさ、君たちの主人おれだから。ハルの親父じゃなくてこっちの言う事聞いてほしいんですけど」

「ヤダね。オレ様ァ4フィート(約1.2メートル)も歩きゃ、息切れしてくたばっちまぁな」

 二人とも産みの親ウィリアム・シェイクスピアのことなど完全無視。ハルの方は一人で亡霊たちを次々にぶった斬っていく。


「あの人ものすごく強いのね…」

「彼はね、ハル王子。後のヘンリー5世だよ」

「そうなの!?」


 ヘンリー5世といえばイングランドの国民的英雄だ。ライラの時代から170年くらい前、百年戦争の時代にフランスへ攻め込み破竹の勢いで連勝、パリを占拠していよいよフランス全土征服かという矢先、病で急死した王様である。


「ハル王子はともかくとして、おじさんが戦うと思えないんだけど…ウィリアム、人選間違えてない?」

「まあ見ててよ」

 苦笑している作者。


「もしかしてこっちのキャラも暴走してるんじゃないか…」

 マシューの呟きが全員の不安を煽る。


 フォールスタッフは置物のように鎮座したは良いが、当然ながら亡霊から標的にされ「悪魔にでも食われっちまえだ! クソ食らえ!」とわめきながらお腹を揺らして逃げ始めた。


「うるせえな! 黙ってろしみったれデブ!」

 ハル王子に一喝されると、すっ転んで鼻血を出したがまた走り出す。なんとこっちに向かって来てウィリアムを盾に押し出したではないか!


「え、そう来た?」

 しかしさすが作者シェイクスピア、さして動じない。

「なあウィリアムさんよぉ、頼むからぁ、馬に乗せてくれよぉ」

 ゼーゼー言ってる巨漢。ちょっと運動不足が過ぎるんじゃなかろうか。


 そんな肉の山がすることといえば、

「行けハル公! やっつけちまえ! 喉首かき切っちまえ! このゴミ溜め野郎が!間抜けが財産洗いざらい持ってきやがれってんだ! さあ来い塩豚野郎!」

「外野からヤジかよ…」


「るっせえんだよ! 黙りやがれ! わめくしか能がねぇ脂身の塊!」

 眉を上げて怒鳴りつけるハル王子に全員賛同。


「ところで盗みの上手え奴が一人どっかにいねぇもんかな? 歳の頃は22、3てとこでよ、とにかく盗みの名人って奴がね。なにしろオレ様の懐はおっそろしく淋しいんだよぉ」


「なにブツクサ言ってんのさ豚尻ジジイ。ふんだくった金は『酒もてこぉい!』の一言で全部吹っ飛ばしてるでしょ」

 今度はハル王子ではなくウィリアムのツッコミ。


「生憎オレ様って人間はな、人並外れて贅肉が多いときてやがるもんで、自然に誘惑にも弱えんだな、お嬢さんよ」

 このおじさんは決して言葉で窮することはないのだから、真面目に相手する方がバカを見る。ライラは完全スルーした。


 神がかった強さのハル王子だが、やはり多すぎる敵に徐々に体力を奪われ、傷を負い始めると、亡霊に間を抜かれてしまう。剣を抜いたアンがライラたちをガードするが、時間の問題だろう。


 するとウィリアムの背後からコソコソ抜け出したフォールスタッフが、亡霊に追われながらまた逃げ回り、最後はハル王子の背中についた。

「逃げ足ってことなら負けねえからな」

 いや、全然隠れられてない。


「おじさん完全はみ出してるし!」

 縦は良しとしても横はどうにもならない。フォールスタッフはハル王子の背後でまた喋り出す。


「お前ぇ勃ったサーベルみてえないい背中してるな。これなら後ろからヤったって恥ずかしくねえや。あーあ酒くれよう。畜生、まだ一杯も飲んでねえからな今日は」

「嘘っけこのあんぽんたんの大飯野郎が! さっき飲んでまだ唇も乾かねえくらいだろうが」


「なんしろこのオレ様を恐れるあまり一気に52、3体はかかってきたもんな」

「どこがだよ!? さっき追っかけてきたの2体だけだったよな、この『愛と食欲の日々』」


「あぁ? ぬかしやがってこの牛タンの干物みてえな萎えチン野郎が」

「仔牛の悲鳴そっくりな鳴き声でゲスな例え始めんじゃねえよ、好色肥やし溜が」


「なあに、オレ様がヘラクレスにも負けねえ豪傑だってことぁ、承知たぁな。見ろこの返り血」

「亡霊のどこに血があんだよ? スッ転んで鼻血出して塗っただけだろ」


 繰り返すがハルはバッサバッサやりながらである。傷を負い流血しながらもその動きはアンの比ではない。だがいかんせん多勢に無勢すぎる。

 やっぱりこれまずいんじゃと思った時だ。一体の亡霊がお腹を押さえて体を折る。すると隣の亡霊も地面に突っ伏して拳で床をドンドンして…。


 亡霊たちに声はない。けれど…。ライラとマシューは顔を見合わせる。

「あれ笑ってるよね?」

「ああ…」


 するとあれよあれよという間に波が広がっていく。互いに肩を揺らしたり、お腹痛い〜! と床に転がってジタバタしてる奴まで。声なき大爆笑が全体に広がると、バシュン! バシュン! と次々に亡霊が煙になって消えていく。


「ヒャーッハッハッハッハァー!! ヘンリーとヘンリーを駆け合わせるからにァ——」

「黙りやがれ」

 笑いでヒクヒクしているホットスパーをハル王子が袈裟斬りにする。崩れるとつぶてになって消えてしまった。


 あんなにひしめき合っていた聖堂内が一瞬でがらんとしてしまった。

「すごい…! やるじゃないフォールスタッフおじさんも! 何にもしてないけど!」

 ドヤ顔のフォールスタッフはハル王子の肩を組むが、ウザそうに払いのけられてズッコケる。


「笑いは破壊。これがシェイクスピアのホンマの力ね」

 代わりに全員の視線を集めたのは、いつの間に出現のタモラだった。大きく露出した胸と腰、ピンク色の髪を揺らして優雅に歩み寄る。


 一瞬その動作に目を奪われてしまったとライラが感じた時にはもう、目の前にタモラがいた。

 床を蹴ったハルが迫る。ウィリアムとトニーがライラの腕と体を掴む。


「あっ———」

 しかし一瞬間に合わずタモラに抱えられて体が浮き、みんなの姿が消えていく。視界が赤黒いものに侵食されていき、そこでぷっつりと切れた。




※ハル王子(ヘンリー5世)『ヘンリー四世 第一部・第二部』『ヘンリー五世』に登場。実在した人物で、イングランド史の織田信長。

※ホットスパー『ヘンリー四世 第一部』に登場。本名ヘンリー・パーシー。原作では騎士の鑑。ハル王子と一騎打ちで敗れる。


※『ヘンリー四世 第一部』

14世紀初め、イングランド王ヘンリー4世は先王リチャード2世を退位させたことで国内貴族の反乱に悩まされる。更に悩みの種は長男ハル王子の放蕩ぶり。夜な夜ないかがわしい居酒屋でフォールスタッフらとどんちゃん騒ぎの、追い剥ぎするわ、最高裁の長官を殴りつけるわ、徴税吏の一団を襲って公金を強奪するわ。

そこへ北方貴族ノーサンバランド伯がウェールズの魔術師グレンダウアと結託し反乱を起こす。ハル王子も戦場へ赴き、騎士の鑑ホットスパーことヘンリー・パーシーと一騎打ち。最後はフォールスタッフが死んだふり作戦で笑いとハル王子の活躍をかっさらい、第二部へと続く。

見どころは、とにもかくにもフォールスタッフとハル王子の掛け合い。漫才、そしてショートコントもあり。おまえら確か古典だよな? とツッコミながら泣く泣く削って繋ぎました。全部お見せしたい!

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