理由あり不動産

吟遊蜆

理由あり不動産

 更新を二ヶ月後に控え、目下賃貸物件を探して商店街を練り歩く憑彦が不動産屋の前を通りかかったのは、まさに運命というほかないだろう。その程度のお安い運命ならばどこにでも転がっている。


 路上に設置された立て看板には、〈リーズンホワイ〉という店名が縦書きで記してある。その文字を修飾すべく脇に「理由あり不動産」と銘打ってあるのが気になるところだ。しかしその右列にはさらに「説明詳細、懇切丁寧。理由がわかれば怖くない!」とフォローのキャプションが小さな文字で一行つけ足されている。


 たしかに人は何よりもわからないものを恐れる。ひょっとしたらいい人かもしれない宇宙人を人間が異様に恐れるのは、その正体がただただ不明であるからだという説を憑彦は何度か聴いたことがあった。そう考えるとなんだか目の前に現れた三行が突然腑に落ちた憑彦は、すっかり自分にはこの不動産屋に足を踏み入れるたしかな理由があるように感じられ、気づけば〈リーズンホワイ〉に足を踏み入れる気持ちが出来あがっていた。


 自動ドアを開けて店内へ入ると、中年店主らしき男の「どうぞ」という掛け声とともに、狭い店内に一席しかない来客用のオフィスチェアが目の前に現れた。こうなると、憑彦には自動的にそこへ座る以外の選択肢はない。デスクを挟んで向かいに座る穏やかな店主の姿に憑彦が少なからずガッカリしたのは、憑彦がこの店だけでなくそこを取り仕切る店主にさえも、なんらかの「理由あり」感を無意識に求めていたからなのかもしれなかった。


 憑彦はこの段階ですでに、抗いがたい「理由」というものに取り憑かれてしまっていたのかもしれなかった。店主に「理由あり物件をお探しですか?」と問われた憑彦は、もちろんそんなはずはないのに考えもなく「はい」と即答していた。


「当店では理由あり物件しかお取り扱いがございませんが、必ずご納得いただけるまで理由を丁寧に説明いたしますので、どの物件も皆さま安心してお住みいただいております。たとえば、こちらのお部屋などは……」


 なんのカウンセリングもなくいきなり物件を勧めてくるなどいまどき珍しいが、ということは提案物件によほどの自信があるのだろう。そうポジティブに状況を解釈した憑彦は、とりあえず店主の説明を聴いてみることにした。差し出された間取り図は、ごくありがちな1LDKのマンションの一室であるように見えた。


「こちらのお部屋では、これまで住まわれた居住者の方々が、五人連続で変な転びかたをしています」


 憑彦はその続きがあるものだと思い数秒待ってみたが、店主が何も言わないのでごく簡単な質問を返してみた。


「それはマンションの階段とかで、ということですか?」


「いえ、いずれも室内です。しかも、お風呂場など滑りやすい場所でもなく、何かにぶつかったり、段差につまづいたというわけでもないのです。にもかかわらず、五人が五人ともに、《ありえない方向に身体が曲がって死ぬかと思った。全身のあらゆる部位を同時にどこかへ強く打ちつけた》と口を揃えておっしゃっています。しかしご安心ください。皆さま、傷ひとつありませんでしたので」


 その説明を聴いた憑彦は、やはり次のように訊かざるを得なかった。


「それはやっぱり、霊的なものであるとか、そういうことなんでしょうか?」


 店主は戸惑う様子も見せず、慣れた口調で答えた。


「さあ。それについてはわかりかねますが、特に事件・事故があった物件ではございません。以上の五件を事件・事故とみなさないのであれば、ということですが――。もちろん公には、事件とも事故とも認められておりませんので、このあたりの事情に関しては、本来説明の必要はないのですが」


「ということは、こちらの物件を、なんの説明もなく客に勧めている不動産屋さんもあるということですか?」


「そういうことになります」


 自社にとって不利益な、言わなくてもいい情報まで客に伝えてくれるなんて、なんと親切な不動産屋さんだろう。店主の説明によってこの物件の不可解さは何ひとつ解明されていないにもかかわらず、憑彦はいつのまにかそう感じはじめていた。


「続いての物件はこちらなのですが……ズバリ、霊が出ます!」


 その説明に憑彦は「いよいよ来たか」と腰を入れたが、それよりも間取り図の左上、マンション名にかかるように記されている「ただし美男美女に限る」という上から目線きわまりないキャッチコピーのほうが気になった。だとしたら、自分はその条件に当てはまらないからだ。


「これって、美男美女しか入居できないってことですか? そんな差別って、許されるんですか?」


「いえいえ、この一文の前には、ひとつ明記できない文章が省略されているんです。なんというか、コンプライアンス的にNGなもので」


「はぁ。なんだかヤバそうな臭いがしますね……」


「そんなことはないですよ。省略されている一文というのは、まあ先ほど私が申し上げたことです。つまり省略を補ってあげると、〈この部屋には霊が出ます。ただし美男美女に限る〉ということになります」


「そっちですか」


 憑彦は思わず、その内容の不気味さよりも意外性のほうに食いついてしまった。あるいはそういう作戦なのかもしれなかった。


「ええ、そっちです。お客様によっては、部屋に霊が出ても好みのタイプの霊であれば許せる、いやそれどころかむしろ大歓迎だ、というかたもおられますので。そういうかたには大変お得なオプションつき物件となっております」


 理由あり物件の詳細な説明を聴いているうちに、マイナス要素がプラス要素へと転換する。そんなこともあるのだなぁと憑彦は感心しつつも、やはり霊的な存在との同居には、相手が誰であれ抵抗があった。


「ちなみに美男美女、どちらの霊が出るかは選べません。男性のお客様が入居された場合に、美男の霊が長期間居つく可能性もあります。中にはそちらのほうが良いというかたもいらっしゃいますが、そこは隣人を選べないのと同じようなものですから」


 相変わらず丁寧なフォローに、物件への信頼は抱けずとも店主への信頼は増してゆく憑彦であった。


「やっぱり霊とか怪我とかは怖いので、もうちょっと、なんというかお手柔らかな理由あり物件というのはないんですか?」


「もちろん。お手柔らかどころか、ラッキーな理由あり物件というのも用意してございますよ」


 ならば最初からそれを出せよ、と言いたいのはやまやまだったが、憑彦はそれをはじめに提案してこなかったことにすら、何かしらの理由があるような予感がした。


 店主が差し出してきたやはり平凡な1DKの間取り図の左上には、大きなくす玉がにぎやかに炸裂しているイラストが描かれていた。


「こちらのラッキーハイツという物件の777号室にお住まいのかたは、三人連続で高額の宝くじに当選なさっています」


「本当ですか?」


「ええ、もちろん当選確認はしております。とはいえ、これから入るかたが当たるかどうかまではお約束できませんが、つい先日までお住みいただいていたかたとその前のかたとさらにその前のかた、計三名の居住者様が立て続けに億単位の当たりを叩き出したのは、紛れもない事実となっております」


「でもここって『ハイツ』ですよね。ハイツなのに777号室? ということは7階建てなんですか?」


「いえ、こちらの物件は二階建てのアパートになりますが、すべての部屋番号にラッキーナンバーの『7』を取り入れているんです。といっても、777号室以外のかたは、誰ひとり宝くじには当選しておりません。やはり三つ並ばないと、幸運は訪れないみたいですね。ちなみに、777号室は一階のお部屋となっております」


「なるほど。でもこれはこれで、なんだか話がうますぎるような気が……」


「もちろんこちらも商売ですので、当社といたしましても、こちらのお部屋に特別な価値があることを認めております。ですのでご入居いただく際には、もしもお住みいただいているあいだに宝くじが当選された場合、その三割を配当金としてこちらへ入金していただくという契約を、あらかじめ結ばせていただくことになります」


「たしかに、それくらいならメリットのほうが遥かに大きいですね。本当に当たるのなら、ですが」


 憑彦はすでに、億単位の大金が手に入ったら何を買うかを想像しはじめていた。しかし残念ながら、具体的に欲しいものは何ひとつ浮かばなかった。


「まあデメリットといえば、確実に泥棒が入るということくらいですかね」


「確実に……ですか?」


「ええ、100%です。当選されたお三かたのうち、一人目のかたは幸い泥棒が入る前に引っ越されましたが、それ以降は〈高額当選者の住む部屋〉という名声がラッキーすぎる部屋番号とともに全国へ轟いてしまったおかげで、二人目のかたと三人目のかたはいずれも当選金を含むすべての金品を盗まれております。私どもとしましては、防犯対策としてせめて部屋番号だけでも、もう少し不吉な数字に変更したほうが良いのでは、と大家さんに提案してはいるのですが、なにぶん大家さんが異様に『7』を愛するかたでして……まあ、運が良ければ命までは取られませんからご安心ください」


 宝くじで使い切ってしまった一生分の運が、自らの命を強盗から守るレベルまで残っているとは到底思えない。結局のところ、どんなに詳細な説明を聴いても理由あり物件にメリットなどひとつもないのだ。命の危機を感じる段階へ来てようやくそう悟った憑彦は、諦めて別のまともな不動産屋へ行こうと席を立って反転し出口へと向き直った。すると背後から、これまでになく低い、地鳴りのような店主の声が響いてきた。


「まったく理由のない物件なんて、どこにもひとつもないんだよ」


 そのひとことに背筋を凍らせた憑彦は、振り向くのを必死に我慢してそそくさと自動ドアを越え、そのまま無心ににぎやかな駅方面へと競歩の腰つきで立ち去った。


 翌日、その店の前の道を通り過ぎた際にちらりとそちらへ目を遣ると、理由あり不動産のあった場所は跡形もなく空き地になっていた。そこは以前からずっと空き地のままだったのかもしれなかった。

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