生まれ変わるなら生きてるうちに

@killereiki

さあ、起きて

「やっぱり、生まれ変わるなら生きているうちよね」 


 電子音がする。

 何か夢を見ていたような気もするけど思い出すほどのことじゃない。俺は目をこすりながら音の発信源を手探りで探し目覚まし時計を止めた。

 仮眠用の硬いベッドから身を起こすと背骨がボキボキと鳴る。あくび交じりに髪がボサボサな頭を掻いて窓際へ。

 真っ白なカーテンを開くと差し込む日差しに目が痛くなった。あまり寝た気はしないが、涙で滲む朝焼けの景色を眺めると何事もなく当直をが明けた事にホッとする。

 さて、交代の時間だ。

 その前に患者たちの様子を最後に確認して回ろう。

 俺はシャツのボタンをきっちりと締めて、まずは洗面台に行ってからコーヒーだ。

 この朝を乗り切れば俺の週末は始まる。


「よしっ」


 頬を手のひらで叩いて気合を入れる。さっさと終わらせよう。 



「あ、せんせー。おはようございます」


 廊下を歩いているとハキハキと喋る白い服の女が俺を見つけて歩み寄ってきた。


「おはようございます星井さん。なにかお変わりはないですか」

「ハイっ、皆さんもうお目覚めになっているところですよ。さ、先生も」


 そう言って彼女は先へ行ってしまった。


「……ハァ」


 そんな返事にため息を一つついて俺は彼女についって行って巡回を済ませようと思う。

 白い廊下。白い壁。白い病室の扉。白いカーテン。

 白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白 ……

 白々しいぐらいに白い空間を歩く。

 最近できた病棟だからか真新しさがイヤに目につく。ここは最近になって増えた症例の患者用に新設された精神病棟。

 その病名は、仮想自己分離症候群。


  仮想自己分離症候群は近年爆発的に増えたネットでの仮想現実空間への依存。または動画配信サービスサイトでのネット中継配信が原因で起こる。と言われている。

 言われていると表現したのは現在では数えきれない数の人間が仮想現実空間を利用している。その膨大な分母と患者数とでは発症する確率は極めて低いのだが、患者たちの共通点が他にあるかと言うと具体的な事例はまだわかっていない。

 だからこそ、現在発症している患者を一つの場所にまとめ、カウンセリングを行い、治療や予防法を研究していってるというのが現状だ。

 この病院は全国で初めてこの病気を専門にした精神科だ。


 ◆


 受け持ちの患者のいる病室へ入ると彼女はすでに目を覚ましていた。

 俺の一歩後ろにいる星井さんと共に彼女に朝の挨拶をする。


「志島さん、おはようございます」

「あ、星井さんに先生。おはようございます」


 彼女は志島礼子。ここではかなり初期からいる患者だ。


「お加減はどうですか」

「えぇ。良い……と思います。以前ほどネットに繋がることへの執着もなくなりましたし。今は面と向かって人とおしゃべりするのが楽しいです。フフっ、これも先生や星井さんのおかげですね」

「そう言ってもらえるとこちらとしても嬉しいですね」


 彼女の可愛らしく柔らかい声を聞いていると俺の心も安らぐ。

 以前は結構なフォロワー数のあるネット配信者だったのだが、彼女は仮想自己分離症候群が正式に病気として登録された時に、自分からこの病院を探し治療を受けに来た。

 彼女の病状はこの病を患う患者の中でもっと多いタイプだ。つまり、彼女から得られるデータは多くの患者の治療に貢献し、彼女が完治すれば多くの患者が救える。

 志島さん自身もそれは理解していて、我々にとても積極的に協力してくれる。


「では、いくつかお聞きしますけれども」

「――っ!」


 俺が手に持ったカルテにペンを走らせようとした時だった。

 志島さんの表情が強張る。


「やはりまだつらいですか」

「……ご、ごめんなさい。自分でも受け入れなきゃと思っているのですが」


 しかし見てしまったのだ。カルテを留めるプラスチックのクリップボードに反射した自分の姿を。

 志島礼子の症例は現実世界の自分の姿とネット世界のアバターのギャップによるストレス。それによって引き起こされた鬱とパニック症だ。

 彼女は両手で顔を覆い、言葉尻に鳴き声を混ぜながらなんとか言葉を紡ごうとした。


「わかってるんです。自分のせいだって。現実を、外の世界に目を向けなきゃいけないって。でも、でも……」 

「落ち着いて。大丈夫です。徐々にではありますがあなたは良くなっています。一緒に向き合っていきましょう。ここにはあなたを嗤う人なんて誰もいませんから」

「はい。ありがとうございます」



「志島さん、まだかかりそうですね」

「そうですね。でも最近は運動場に来たり、他の患者さんたちとお喋りしていますし良くなってますよ」


 星井さんから志島礼子の近況を聞きつつ、俺は次の病室に向かう。

 志島礼子は数年前に声優を目指して上京。都会で声の出し方や演技を学び事務所に所属までは漕ぎ着けたが、その後声優としての仕事は指で数えるぐらいしかなかった。


「志島さんのような患者さんは結構多いですけれど、先生はどう思われますか?」

「厳しい業界ってのはなんとなくわかるけど、仮想現実とうまく折り合いをつけて新しい文化を切り開いている人たちはいっぱいますからね。要は理想と現実とのギャップ、ソレと上手く付き合わなきゃいけない時代が来たってことです」

「ギャップと上手く付き合っていく……」


 俺の言ったことを星井さんは反芻しながら考え込んでしまった。

 偉そうなことは言っても俺だって。いや、誰だっていつ志島さんのようになるかはわからない。

 彼女は体質的に太りやすかったのか、ネットに入り浸り家から出なかったことで余計に現実との溝を深めてしまった。

 しかし志島さんは自分で依存を自覚し現実に立ち向かうことを決めた。しかし、この病棟にいるのはギャップに苛まれる人だけではない。

 本来は断絶されるべき境界が曖昧になっていく人間だっているんだ。


 ◆


「有馬さん、おはようございます」


 星井さんは窓の外を眺めていた男に声をかける。

 振り返ったベッドの上の男。有馬隼はこちらに微笑んだが、その顔色はとても良いとは言えない。

 痩せこけた頬の端を吊り上げ、目には隈が目立ち、少し開いた窓から吹く風がツヤの無い髪の毛を揺らしていた。


「やぁ、先生」

「……まだ眠れないようですね」


 俺は彼のベッドの近くにあった椅子を引き寄せて、真っすぐ彼と目線が合う位置に腰掛けた。 


「先生、薬の量を増やしてください。目を瞑ると……目を瞑るとまたあの女の声が聞こえてくるんです」

「しかし有馬さん。これ以上睡眠薬を増やすのは医師としては認めることは出来ません。ここから先はカウンセリングをしながら声の方と向き合っていかないと」


 そう言うと有馬はひどく俯いた。両手で顔を覆い、怯えるように体が震えだす。


「そーだよー。アタシだってこんなトコさっさと出てまたゲームしたりみんなとお喋りしたいんだからさー」


 突然、甲高い女の声がした。 俺にもハッキリと聞こえた。

 思わず星井さんの方を見たが当然彼女の声じゃないことはわかっている。


「ひっ、まただ。またアイツの声が聞こえる。もう嫌だっ! 助けてくれ、ここから出してくれぇ!」

「落ち着いて有馬さん。星井さん、すぐに誰か呼んできてくださいっ!」

「わ、わかりました」


 暴れだした有馬を俺は何とか押さえつけようとしたが、錯乱している人間の力はすさまじい。

 星井さんが誰かスタッフを呼びに行ってる間は俺一人で何とかしなければ。


「大体さー、アンタがネットで人気になれたのって誰のおかげよ。アタシじゃん! そんな恩人を切り捨てる方が人として間違ってると思わない? だからさ、早くここから出てまた配信とかしよーよ。大丈夫、ちゃんとアタシが食わせてあげるからさ」


 男二人を嘲笑う姿無き女の声はずっと有馬の口から聞こえていた。

 


 ◆


「大変でしたね有馬さん」

「そうですね」


 有馬隼は男性声と女性声の両方を出せる。所謂、両声類として活動していた配信者だった。

 彼は架空の女の子、カノンを創り上げる。その作り込み方が凄まじかった。

 声の出し方を練習するのみに留まらず女性の話し方を研究し、果てにはSNSを用いてあたかも実際にその人物が存在しているように振舞い続けた。

 そんな生活を続けた結果、カノンという存在は人格を持ち徐々に有馬の生活を浸蝕していった。

 病名は解離性同一性障害。つまり。


「二重人格ですか」

「わかりやすく言うとそうですね。この病気自体が稀で仮想自己分離症候群を抜きにしても対処が難しいですから」


 彼の病状は珍しいが現代に生まれた新たな闇の象徴であると思う。

 そう、闇であり病みである。     

 仮想世界では誰でもなりたい姿になれるからこそ現実との自分の溝に葛藤する。

 夢のような技術故に人の心は儚く脆く危うい。


「夢のような技術。ねぇ、先生。先生はずっと続く幸せな夢を見ていたらそこから覚めたいなんて思いますか?」

「えっ」


 急にそんなことを言われて星井さんに振り向くと彼女の目はまっすぐに俺を見ている。

 思わず呼吸が止まる。俺の心胸に心を刺されたような痛みが走ったからだ。


「先生は心地の良い夢から無理やり引きずり出されるとしたら。現実を受け入れるか来世に期待するか。どっちが良いと思います? もしくは、今がこの世界自体が夢だったとしたら」

「どっちが……」 


 もちろん医者としては治療しなければならない。同時に、仮想世界の心地よさを味わうと、現実の世界に疲れ自ら命を断つ。なんて事件も世界各地で報告されている。

 それらを愚かと言い捨てることは簡単だけれど、やっぱりそんな人たちの気持に寄り添うのもこの病に立ち向かい人間としては必要だろう。

 でもどうだろう。あまりにも近づき過ぎたら。深淵に足を踏み入れてしまったら自分だって同じように。


「あ、いたいた。ダメだよ病室に居ないと」


 星井さんの質問に言葉を詰まらせていると廊下の向こうから白衣姿の男が声をかけながらやって来た。


「あ、西城先生」

「もう、生田さんを連れ出さないでって言ってるでしょう」


 彼の名前は西城司。この病院で最も症状が重い患者の主治医だ。

 西城は俺と星井さんを交互に目をやってたしなめたのだが、ちょっと困ったように微笑んだだけの彼女を見て溜息を一つ。


「ハァ、もういいです。じゃあ……『星井』さん。この後、私のカウンセリングルームへ」

「はい、ミーティングですね。じゃあ私、先に行ってますので」


 そう言ってクルっと方向を変えて歩いていく。

 パタパタとスリッパを鳴らしてカウンセリングルームへと向かって行くパジャマの後ろ姿を眺めていた。

 いつの間にか廊下には他の人影はなく、静かな白い廊下に俺と西城だけが取り残され、急にシンとしてしまった空間の中で西城が先に口を開く。


「・・・・・・彼女、まだまだかかりそうだな」

「あぁ。こうやって他の患者さんと触れ合わせれば自分の病気を自覚してくれると思ったんだけど。もしかしたら逆効果だったかもな」


 彼女の名前は生田日和。ナース系バーチャル配信者、星井いたるとして活動していた。

 最初は実際にあるナースとしての経験や持ち前の面倒見の良さを元にリスナーからの悩み相談や、最近多発している仮想世界依存が原因の精神病の症例ニュースを取り上げ解説する動画や配信をしていたのだが。言うなれば、彼女は深淵に近づきすぎてしまったのだ。

 今の彼女にはもう生田日和としての自我は残っていない。最初は有馬のように架空に人格との間に揺れ動いていた。しかし、ここが病院だったのがまずかった。

 今では完全に自分をこの病院の看護師の一人だと思い込んでいる。現実と仮想の境界が消失してしまった。


「そう言えば今日はもう上がるんだろ。週末楽しんで来いよ」

「あぁ、そうさせてもらうよ」


 ここで俺は西城と交代。

 手に持っていたファイルを渡しこれで引き継ぎ完了。とりあえず一回うちのベッドでグッスリ眠ろう。その後は……


「なぁ、そう言えばお前って週末はどんな風に過ごしてるんだ」


 去り際に西城からそんなことを言われたが俺は振り返らず、足も止めず手を振った。

 それが秘密という俺なりの答えだから。 


 ◆


 今日二度目の目覚めは夕陽に起こされた。

 カーテンの隙間から差し込む赤い日差しに目をこすり時間を確認する。病院から帰宅した俺はひとまずベッドに潜り込んで時刻は夕方。

 うん、ちょうどいい頃合いだ。

 しっかり休んだ体を起こしそのままシャワーへ。さぁ、アタシの時間の始まり。

 

「さてと、今日はどの色にしようかな」


 ベッドの上に上下揃った下着を並べて今日の気分と照らし合わせる。

 うん、これにしよう。黒いレースのブラジャーとショーツを身に着けて、次は鏡台の前へ。

 タオル生地のヘアバンドで前髪を上げてから、最近寝不足で疲れ切った肌にしっかりと化粧水と乳液を馴染ませていく。

 それからファンデーションとかの下地メイク。唇にルージュを引いて。

 目目は特に重点的に。今日は眉毛とアイラインをいつもより優しく描いて。カラーコンタクトで瞳を大きく。よし。

 さて、ウィッグはどうしようかな……頬のラインが隠れる内巻きのセミロングにしよう。

 服もニット系で体のラインを隠せるように。袖の長いものにしよう。 

 鑑に映る俺じゃない自分は何度も髪をいじったり、顔をいろんな角度からチェックしてなりたいアタシに近づけているかチェックする。これでおでかけ準備はバッチリ。

 マスクは……一応して行こう。これは自分に自信が無いんじゃない。医療に携わってる者としての予防。そう自分に言い聞かせて顔の下半分を隠してアタシは家を出た。


 技術革新が起こった。

 ネットワークでどこまでも繋がった世界は、次に世界を拡張するようになっていった。

 仮想、現実問わず人間は目に映る世界を彩り始めたのだった。

 列車から見える繁華街の街並みは立体映像の広告に溢れ、街角の信号機や標識にもホログラムが点いたり消えたりして慌ただしい。

 中には、お触り厳禁なら最初から触れない女の子を雇えばいいじゃない。と開き直って人工的に作られた3Dモデルのキャストとお酒を飲んだりお喋りできる店だって沢山ある。

 すると人間は不思議なもので、最高の見た目を手に入れたら今度は中身が重要と言い始める。

 美しい見た目に釣り合う人間性。現代社会の新たなストレスの種だ。

 そんな電子の明かり溢れる街の駅を降りて猥雑な明かり賑わう道をコツコツと高いヒールの靴を鳴らしながら眺めて歩く。

 多くの人が行き交く大通りを歩きながら、つい自分もおかしく見られてないだろうか? なんて考えながら路地裏へ。

 そこは昔ながらの電灯が切れかけた小さなネオン看板が点滅する店が立ち並ぶ通り。その中でもひと際入りにくい雰囲気を醸し出す紫色の蛍光看板を掲げた半地下のお店へと続く階段を下りていく。そして目の前にあるシックな木材で出来た扉。オークだろうか? とにかく鉄の鋲まみれのドアに手をかけて開いた。


「いらっしゃ~い」


 扉を開けると明るいオレンジの光と聞きなれた声。

 ボトルが並ぶウンターに立つママと、その前に氷の溶けかけたグラスと口紅の付いた吸殻を貯めた灰皿に煙草を押し付けるナナミが居た。


「遅いじゃない」

「ごめんごめん。夜勤明けでひと眠りしたら寝過ごしちゃって。あっママ、アタシまずはビール。その後はボトル開けて」

「はいよ」


 ママが専用の冷蔵庫からビールの瓶を取り出して栓を抜いている間にナナミはまた煙草を一本ボックスから煙草を一本取りだして火を点けた。


「今そんなに忙しいの? アンタんトコの病院」

「忙しいって言うか、まだまだわからないことが多くて。だから患者さんにつきっきりで症例のデータ集めてる感じかなぁ」 

「ふーん」


 一息煙を吐いて自分から聞いて来たのにナナミは興味なさげだ。


「ウチらには理解できないんだよねぇ。したい格好してしたい顔になってストレスを抱えるなんて」 

「行為じゃなくて依存の問題よ。まぁ、アンタはそのタバコの量の方が医者に相談した方がいいと思うけどね」

「お黙り」


 さっきから煙を肴にウィスキーを煽ってるコイツには何を言っても無駄だろう。それぐらいはわかる付き合いの長さだ。


「とにかく付き合い方が肝心ってワケね。その点ウチらは十二時の終電という名のかぼちゃの馬車が来るまでって決めてあるし。誰が汚いシンデレラやねんっ!」

「自分で言って自分でキレないで」

「わっははははは」

「自分でウケないで。オッサンくさいよ」


 なんてしゃべっている間に私の前には冷えたグラスとビール瓶。ママに注いでもらうとナナミが飲みかけのグラスをこちらに向けてきた。

 その耳にかけた長い金髪とキリっと上がった目を彩るまつ毛とシャドー。その瞳を見た時に今朝病院の仮眠室で見た夢を思い出しだ。

 そうだ、アレはナナミの口癖だった。


「生まれ変わるなら?」 

「……生きてるうちに。でしょ」 


 アタシの言葉にナナミは満足そうに笑って優しくグラスをぶつける。硝子同士が鳴らす音を合図に今日もアタシ達がアタシ達でいる夜が始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生まれ変わるなら生きてるうちに @killereiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ