第一〇五話 三十年越しの褒美

 ■天文十七年(一五四八年)九月上旬 尾張国 那古野城


 こうして、那古野きしめん、うどん、蕎麦切りの料理指示書れしぴを姫のシェフの岩室いわむろ長門守ながとのかみ重休しげやすくんに託したというか、丸投げした後は無事に織田屋食堂の人気メニューとなって、日ノ本を救うまではいかないけれど、とりあえずは確実におれの食事情は救ってくれた。

 史実の江戸時代には蕎麦を出す屋台が存在したように、日本人は麺類を好む性質があるのだろう。特に商取引などに来た忙しい商人たちを中心に、さっと食べられる軽食ファーストフードとして、きしめん・うどん・蕎麦切りは大人気になった。


 この麺類の大人気を見て新商法を編み出したのが、織田屋の手代てだい(中堅従業員)で、着実に実力と実績を上げつつある木下藤吉郎(豊臣秀吉)だ。秀吉は丁度この時期に市販の目途が立った、製粉や精米にも使用できる水車に、これらのきしめん、うどん、蕎麦切りのレシピを付けて売り出したのだ。

 単純な発想だが、他人が今までしたことのない試みを考えついて、実績をあげるところなど、やはり史実で農民から天下人になっただけあって、彼の能力に舌を巻くしかない。


 開設して丸三年になろうとしている那古野取引所では、既にこの時期には、越後(新潟県)、越前(福井県)、信濃(長野県)、甲斐(山梨県)、駿河・遠江(静岡県)、三河・尾張(愛知県)、美濃(岐阜県南部)、伊勢(三重県)、近江(滋賀県)、山城やましろ(京都府南部)、摂津せっつ(大阪府北部・兵庫県南部)にも及ぶ、広大な織田領イコール公儀領(公領)と今川、朝倉、長尾領で収穫された米と小麦、大豆の先物取引と現物取引がされている。

 現代日本でいえば、石川・富山・和歌山を除いた中部・近畿地方全域の莫大な量の米をはじめとした穀物が集まる那古野取引所だけあって、商人の出入りもひっきりなし。こうした各所から訪れている商人たちに、秀吉は新開発の水車を生産が追いつかないほど売りまくっているのだ。


 このような秀吉の大活躍ぶりを見るにつけ、織田家の今後を考えるとやはり商人になってもらって良かったと思う。彼には功績に応じて多大な金銭を与えるけれど、政治的な実権を握らせない方針。この方針については、もちろん信長ちゃんとも打ち合わせ済みで、秀吉には臨時で現代価格にすると数千万円規模の臨時ボーナスを与える決定をした。


「藤吉郎の褒美は簡単だが、虎にも褒美をあげねばな。此度の甲斐の働きだけでなく、来年は加賀、越中や関東でも働いてもらうのじゃ」

 来年の雪解けを待ってからになるが、一向一揆の勢力が強かった影響で、有力な大名が存在していない加賀と越中(石川県・富山県)を公領化するため、武力征服する方針が既に固められている。平地の多い加賀・越中では、かなりの米の収穫量が見込めるはずだ。

 武田攻めで大活躍した軍神虎ちゃんの本拠地は、越後の春日山かすがやま城だ。この春日山城は越中よりの上越地方に存在している。現代日本のの新潟県は、まさに日本の米どころともいえるので、戦国時代の越後でも米がたくさん収穫できるイメージをもってしまいがち。

 だがこの時代の越後では、実は米の収穫はそれほど期待できない。石高は四十万石弱で、尾張の三分の二程度に過ぎない。面積では越後よりかなり狭い大和やまと(奈良県)よりも収穫が少ないし、越中えっちゅう(富山県)とほぼ同程度の収穫量だ

 。

 越後の米の収穫が少ない理由は、現在の新潟市付近の下越かえつ地方は信濃川、阿賀野川の二つの大河川が暴れまわった低湿地帯で、昭和の中ごろは腰まで水に浸かって、農作業を行なうほどの悪地であること。

 そして、現在の長岡市付近の中越ちゅうえつ地方も、暴れ川の信濃川が蛇行していて、大雨となれば洪水に見舞われる土地が多いためだ。


 戦国時代の越後は豊かではない。はっきり言えば貧しい国だ。総石高でいえば甲斐よりは恵まれてはいるけれど、面積に比較しての石高はかなり低い。その貧しさを乗り越えるため、史実の上杉謙信は万単位の兵を引き連れて、幾度となく関東に出兵して越冬している。

 関東で越冬すると、本拠地の越後では冬期の彼らの食い扶持は不要となる。そして出兵した兵士が乱取り(略奪や奴隷狩り)を行なうと、労働力の確保や売り払って金銭を稼げる利点がある。

 越後の統治者からしてみれば、関東地方に出兵して越冬するのは非常に助かり、従軍する兵士にも旨みが大きいわけだ。もちろん略奪される側にとっては、武力で対抗できないだけに堪らない。

 関東管領の依頼があったり、自身が関東管領に就任したことにより、関東を治める名目はあったとしても、史実で関東出兵を幾度となく行なった、義将と呼ばれる上杉謙信の暗い側面だ。


「越後への三十年ごしの褒美じゃな」

 信長ちゃんは自嘲気味にそうつぶやく。

 軍神虎ちゃんへの恩賞は『信濃川の治水』だ。おそらく貰う本人も予想だにしないものだろう。

 信濃川の治水のため、本願寺勢力の治水技術者と、富士川の開削普請を担当する予定の甲斐の治水技術者を送り込む。さらには、尾張・美濃の補給隊に所属する工兵から選抜して越後に送り込もうというプランを実施するつもりだ。当然、莫大な費用が見込まれている。もちろん、おれと信長ちゃんの話し合いで決めたことだ。


 織田家としても当然メリットはある。

 まず甲斐の治水技術者を越後に派遣するので、佐久間信盛の甲斐統治のための資金を甲斐に落とせる。

 次に、本願寺宗主の証如しょうにょに資金を渡して、加賀・越中の一向一揆を即時停止させる命令を出させる。もちろん証如とは打ち合わせ済みだ。

 さらには公共工事の側面があるので、越後でも多数の人夫を徴用するから、相当な資金を越後に投入することになる。こうした一時的な資金投入で越後は豊かになる。豊かになる越後では、国主の虎ちゃんの政治的地位は向上するだろうし、今後の関東や東北出兵への恩賞の先渡しという意味になる。


 その他にも織田家にとって見逃せない重要なメリットがある。

 、本願寺勢力は、伊勢の長島デルタや大坂の石山本願寺に城郭を築いたように、この当時では高水準の治水土木技術を持っている。また信玄堤に見られるように、甲斐の治水技術者にも、高い水準の治水技術がある。これらの高度な治水土木技術を、織田家に技術移転するのだ。きっと今後の公領での治水土木工事にに役立つだろう。尾張・美濃・伊勢の地も、木曽川・長良川・揖斐川をはじめとして、平地に大河川があり洪水に弱い土地も多い。


 恩賞の『信濃川の治水工事』について、とりあえずは二点の工事計画を実施予定だ。

 一つ目は、現在の長岡市付近で蛇行していて洪水の可能性が高い箇所をショートカットする新水路を掘削して洪水を防止する工事。史実で直江兼続が天正十年(一五八二年)から十五年掛けて行なった『直江工事』の先取りだ。

 そしてもう一点、史実では『大河津分水おおこうづぶんすい』と呼ばれるもの。中越地方で信濃川が海に近づく地点から、海への九キロのショートカット分水路を掘削する工事。史実では明治時代に着工されて、中断期間も含めれば五十年。実質工事期間でも二十年にも及ぶ大工事となる。

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