第一〇四話 麺類は日ノ本を救う 那古野きしめん

 ■天文十七年(一五四八年)八月中旬 尾張国 那古野城


 今回の武田攻めで織田支配下となった甲斐には特に多いけれど、土壌が米作に不適な土地や水を得にくい傾斜地では、蕎麦の栽培をこれまでも奨励してきた。蕎麦は、行軍食や非常食にも使えるし、救荒きゅうこう作物としても非常に有効。だが、この時代での蕎麦の利用は、お湯で蕎麦粉を練って粘り気を出した『蕎麦がき』で食べるのが一般的だ。蕎麦がきにも効率よく栄養を摂れる利点があるけれど、麺の蕎麦(蕎麦切り)に食べ慣れたおれとしては、どうにも物足りないんだ。つるつるっとしたざる蕎麦やもり蕎麦をすすりたいぞ。


 二年前に長秀にレシピを渡して作ってもらったひつまぶしは、織田屋食堂の定番人気メニューになって、すっかり那古野名物として根付いているようだから、そろそろ名古屋名物の第二弾を開発したいぞ。せっかくならば、甲斐や信濃で生産が増えるはずの小麦や蕎麦を利用した麺類が良いだろう。

 まずは、やっぱり現代の名古屋名物をリスペクトした那古野きしめんだな。もちろん、うどんや蕎麦切りも捨てがたいけど。


 美味しい食べ物は、必ず人気が出て根付くはずだ。小麦や蕎麦の需要拡大を狙って、麺類で甲斐を救おう。そして麺類で日ノ本を救おう。

 そんな大きなスローガンを掲げてみても、実際は下手な絵と下手な字による料理指示書れしぴを、優秀な岩室重休いわむろしげやすくんに丸投げして、あとは可愛いヨメちゃんとニコニコできあがりを待つだけだけだ。


 麺つゆは、鰹節を使った『だし』と、味噌を作る際にできる『味噌たまり』、甘い酒(みりんのルーツ)があるので大丈夫なはず。ざる蕎麦など冷たい麺に利用する薬味の葱や山葵わさびは、かなり古い時代から薬草として利用されているので、探せば簡単に手に入る。

 かけ蕎麦、かけうどん、きしめんなどの温かい麺の薬味に使う唐辛子も、南蛮貿易で既に日本に入ってきているはずだ。今後のためにも唐辛子はまとめて取り寄せてもらおう。唐辛子は商品作物として栽培を奨励する手もありだな。


 ともあれ、まずは那古野名物になるはずのきしめんレシピだ。麺の材料は小麦粉、そして加える水と塩だけでいい。

 麺のレシピはきしめんとうどんは共通。うどんときしめんの違いは、きしめんは生地を薄く伸ばすところ。きしめんは、生地を薄く延ばすので茹であがりが早い利点があるが、うどんと比較すると、コシが弱くつるりとした舌触りになる。

 おれはうどんよりきしめん派だが、これは好みの範疇としかいえない。


 まずは、小麦粉に塩水を少しずつ加えてこねる。一度ネットで見たレシピで、手打ちうどんをシャレで作った経験が、こんなところで生きてくるとは人生はわからない。

 こねてひとまとめになった麺生地を、しばらくラップで包んで寝かしておいた記憶がある。なぜラップで包むんだろうか。さすがに思い出せない。

 ラップで包むのは乾燥を防ぐためだろうか。乾燥を防ぐためなら湿った布巾で包んでおけばいいかもな。こういった細かい工夫や手法は、きしめん職人がうまく編み出してほしいぞ。


 生地を麵棒で薄く広げて、四分の一寸(〇.七五センチ)ほどの幅で切り分ける。よし、これで麺は完成だ。夏など暑い時期は『冷やしきしめん』も捨てがたいが、まずは基本の『那古野きしめん』でいいだろう。温かいきしめんで、具はシンプルに葱と鰹節を削ったもの。

 きしめんやうどんは、なるべくたくさんのお湯を使って麺を茹でるのがコツだ。茹であがり時間は、味見しながらうまく調整してもらうしかない。


「さこんは精がでるのじゃな? 何をしているのじゃ?」

 座卓できしめんレシピをまとめていたら信長ちゃんが声を掛けてきた。

 きっと仕事をしていると思ったのだろう。これも麺類で日ノ本を救うという大事な仕事だ。断じて、美味しいものを食べたいという私欲ではないよ。


「那古野きしめんの料理指示書れしぴを作っています」

「前にさこんが話していた麺だな。楽しみなのじゃ」

 薬味の葱と鰹節、酒、味噌たまりは那古野城内か織田屋食堂にはあるだろう。唐辛子がなければ、胡椒で代用できるかもしれない。史実でも、うどんの薬味として唐辛子が一般的になる前は、胡椒を薬味としていたはずだから。


「ええ。料理指示書れしぴはできあがったので、あとは長門(岩室重休)に任せれば、二刻(四時間)もしないうちに食べられるでしょう」

「ほー!? 長門、ちょっとよいか?」

 新しい料理に興味津々の信長ちゃんが、控えの間で待機中の岩室重休をさっそく呼び出す。

「はっ!」


「すまんな、長門。『那古野きしめん』の料理指示書れしぴだ。姫に献上したいのだ。好評であれば、織田屋で売り出すのもいいぞ」

 岩室重休くんに下手な図解つきのレシピを渡す。

「きしめんが楽しみですなあ。早速織田屋の料理人と相談して作って参ります」

 すると重休くんは、鼻歌交じりで走っていった。かなり料理好きと見たぞ。

 なんでも器用にこなして『名人堀久太郎』と呼ばれた堀秀政あたりが、一人前になるまでの十五年くらいは、この岩室重休が姫のシェフでいいだろう。


 元シェフの丹羽長秀には雑用よりも、築城や合戦などの技術を身に付けていってもらいたい。といっても、長秀くんもまだ十四歳という若さだから、一人前の武将に育つには、まだまだ時間がかかるだろう。

 史実では、秀吉が中国方面軍を担当したけれど、この世界の秀吉はバリバリの優秀な御用商人になりつつあるし、おれは副将兼参謀の立場がほぼ固定されてしまう。一方面を任せられる人材の育成は急務だ。


 ◇◇◇


 一刻半(三時間)ほど後、シェフがきしめんを持ってきた。意外と早かったな。

「姫、左近殿。きしめんができました! どうぞ!」

 そうそう、これだよ。鰹節の風味が食欲をそそるんだ。

 シンプルな葱と鰹節以外のきしめんの具は、現代では油揚げや鶏肉がメジャーだったな。これも試してもらいたい。

 岩室シェフに才能があるのだろう。現代で食べた懐かしの名古屋きしめんの味がしたので、思わずうるっとしてしまったぞ。


「美味いっ! 姫も、食べましょう」

「おふっ。熱っ! だが風味よく美味で、癖になりそうなのじゃ」

 生粋の那古野っ子の信長ちゃんも、DNAのせいか名古屋きしめんには大喜び。早速、蕎麦切りとうどんの追加レシピも作って、麺類で日ノ本を救おう。

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