第一〇一話 小山田の乱
◆天文十七年(一五四八年)七月下旬
武田主力との諏訪上原での合戦の快勝後、武田家本拠地の甲府に進軍中の織田軍に先駆けを努める佐久間信盛から急報が入った。
「
昨日、合戦で獲った武田晴信(信玄)をはじめとして、将数名の首級を清めたうえで、河尻秀隆が躑躅ヶ崎館に届けている。秀隆の話によれば、武田家は開城および恭順を決めたようで、甲府はかなり静穏だったとのことだ。
「小山田出羽は敗戦の報を聞き、手柄をあげてから右大将様に降ろうと思ったのでしょう。あの御仁はそういう男です。ははは」
信有挙兵の報せを聞いた真田幸隆は、さして驚きもせず相変わらず人の良さそうな笑顔でのほほんとしている。
「ふん! まるで火事場泥棒じゃな。つまらぬ行いなのじゃ」
だが信長ちゃんはとても不機嫌のご様子。小山田信有の卑怯なやり口に、ヨメちゃんがたいそうご立腹なのは間違いないだろう。
「ええ。小山田は始末しましょう」
小山田信有が攻めた東光寺に、信玄の嫡男の武田義信あたりがいたのだろうか。武田縁者の首と、武田本城の躑躅ヶ崎館を落とした功績を手土産として、織田に帰参する心づもりなのだろう。
諏訪上原の合戦が始まる前ならまだしも、現在の武田家は抵抗するつもりもない。なのに今のタイミングで、攻めるとしたら自己保身のための私利私欲でしかない。
「三左ぁあ!
森三左
「はあーっ!!」
「フハハハハハハ!! この
普段が丁寧な物腰なだけに、あい変らずの可成の豹変ぶりには驚く。数日前に可成の愛槍は、武田兵の血を随分吸っていると思うけれど、新陳代謝が非常に高い槍だな。
小山田信有がどのくらい兵を率いているか分からないが、数百から千程度だろうか。狙撃の得意な津田算長と益氏の忍び衆の手勢がいれば、みすみす逃がすことはないはずだ。
佐久間信盛の伝令にも「小山田を潰せ。将は降服は許さぬ。一人たりとも逃がすな」と伝える。
「吉ぅ~っ、どうしたの? わたしも出ようかー?」
そうこうしているうちに、軍神虎ちゃんまでもが戦の匂いを嗅ぎつけてきた。彼女は出陣したくてたまらないようだ。
「コソ泥が入り込んだだけじゃ。すぐ終わる」
「あら。すぐ終わるの……」
心なしかというより、あからさまに軍神ちゃんが残念がっている。だが彼女に出陣してもらうにも、護衛以外の軍勢を越後に戻してしまっているので、頼むわけにもいかない。
騒動の首謀者の小山田信有の子の小山田
小山田氏は郡内地方と呼ばれる甲斐東部の有力な国人(小大名)で、武田家の完全な配下ともいえず、同盟勢力ともいえる立場。だから、小山田一族が揃って武田家に殉じるほどの深い関係ではない。ただ、さすがにこの裏切り行為の後で、小山田氏を優遇したら他の武田旧臣も納得するはずないぞ。
予め調略に応じていて、織田家の許可を得てから軍勢を向けるならまだしも、調略に応じず日和見をしていて、旧主が弱ったところで牙をむくというやり方では、道理が通らないし領内の統治も不安が残る。
これを機会に小山田一族を潰したほうが今後の統治のためにも安心だ。甲斐東部の郡内地域は、相模(神奈川県)の北条氏との国境にもなるし、甲斐を佐久間信盛に統治させる予定なので、有力国人の小山田はむしろ不要だ。
「姫、郡内の小山田を潰しましょう」
「で、あるな。道理が立たぬ行いなのじゃ」
小山田氏を攻め潰す方針が立ったところ、虎ちゃんに付き添っていた
「合戦ならまだしも、此度のやり方は許せません。おれも行かせてください」
「あら、源四郎。兵はどうするの?」
「おれが兄者の兵を集めてきます。どの位残っているかわかりませんが」
「吉! ということで、源四郎くんにちょっと働いてもらうねー」
「うむ。虎、源四郎、しかと頼むのじゃ!」
「では行って参ります」
織田軍は一刻(二時間)ほど甲府へと進軍して、武田本拠地の
小山田信有にしてみれば、織田軍は味方だと思っていたに違いないはず。おそらく狂戦士と化した森可成の一軍に攻撃を受けたら、瞬時に瓦解して逃げ出したのだろう。
やがて城内から、白旗を掲げた数名がおずおずやってきた。
「武田
「うむ。戦は終わったゆえ、ヌシも含め将兵の命はとらぬ。甲斐のため働いてくれ」
「はっ!」
武田信繁は晴信の弟で、副将も務めた優秀な男だ。そういえば信繁は、諏訪の合戦には従軍していなかったのだろうか。
信長ちゃんもおれと同じく気になったらししく信繁に問いかける。
「
「恥ずかしながら、
なるほどな。クーデターを恐れられて、優秀な弟の信繁は寺に軟禁されていたのか。おそらく小山田信有は信繁の首を、織田への降伏の際の手土産にしようとしたのだろう。
「左様か。
「はっ! しかし東光寺におきまして、太郎(
信玄の長男の武田義信も、寺に軟禁されていたのか。信玄の政治的立場はかなり悪くなっていた証拠と言えるだろう。
「太郎殿は残念であったな。後ほど河尻
「はっ!」
信繁に詳しく話を聞いてみれば、予め信玄や討ち取った武将らの首級を丁重に送り届けたことも効果大だったらしい。城内には徹底抗戦を叫ぶ将もおらず、すんなりと降服が決まったようだ。
「吉! 源四郎くんが二〇〇ほど兵を集めたみたい。ちょっとオヤマダ討ってくるねー」
「虎も行くのか? たった二〇〇で大丈夫か?」
「わたしには戦の神様が付いているから大丈夫。温泉でぽかぽかは、帰ってきてからだね。またねー」
虎ちゃんが買い物に行くように、機嫌よくふらっと出て行ってしまった。信繁さんも、得体の知れないものを見たようにぽかんとしている。
信繁さんザッツライト。あれは人間ではありません。
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