第一〇〇話 軍神×赤備の豪華コラボ

 ◆天文十七年(一五四八年)七月下旬 甲斐国 巨摩こま


 武田家本拠地の甲府へ進軍中の織田軍が、富士山を眺めながら食事のために小休止している際に事件があった。


「長尾ぉおお! 弾正だんじょう(景虎)ぉおお! 殿はぁあ! おられるかぁあああ!」

 とてつもない大声が響き渡る。。軍神虎ちゃんが呼ばれてるらしい。声の主からはだいぶ距離がありそうだが、彼の声ははっきりと聞こえて周囲の将兵も驚くほどだ。この時代の戦場で、兵を率いる将に求められる重要なスキルの一つに『声が大きい』がある。

 様々な音や声が響く戦闘中に、兵を鼓舞したり指示をする場合には、よく通る声が大切だ。敵陣まで聞こえれば威圧感も相当あるだろう。大声の持ち主は武田の降将だろうか。


「虎殿、呼ばれているみたいですよ」

 虎ちゃんに声を掛けた。

「そうみたい。だけどなんて大きい声? 頭に響くわー」

 軍神様は昨晩の野営では、アサードをつまみに飲み過ぎた様子で顔をしかめている。

飯富おぶ源四郎げんしろうなる者が、長尾殿に目通りを希望しているようです」との伝令の報せがあった。

 なんと、虎ちゃんを呼び出していた人物は予想外だった。飯富源四郎といえば武田四天王の一角。山県昌景やまがたまさかげのことだぞ。あの合戦を生き残っていたのか。

 そういえば虎ちゃんは、赤いおっちゃんに頼まれたことがあるとか言っていたな。赤いおっちゃんとは、昌景の兄の飯富おぶ虎昌とらまさらしいので、その関係だろうか。


 虎ちゃんには思い当たるフシがあったようだ。

「んー。通してくれて大丈夫」

「はっ」

 こうして一人の武者が本陣にやってきた。

「おれ、飯富源四郎(昌景)といいます。兄者から聞いたと思いますが、おれを鍛えていただけませんか!?」

 朱色の鎧兜を着用した武士が、虎ちゃんの前でしっかりと土下座し平伏する。やはり武田の赤備あかぞなえを飯富虎昌から受け継いだ昌景だった。史実で昌景は、後に武田四天王と謳われる猛将中の猛将となる。しかし昌景の言葉の『虎ちゃんに鍛えてくれ』とはどういうことなのだろう。


「虎っ! 何ごとじゃ?」

 信長ちゃんも、大きい目をキラキラワクワクさせながらやってきた。

 昌景の刀は既に近習に預けてあり丸腰だ。それに潔く降ってきているようなので、害をなす心配はなさそうだ。

「この子の兄のオブヒョーブから、この子を鍛えて『天下の赤備あかぞなえ』にしろって頼まれたのよー。思い出したわ」

 なるほど。虎ちゃんが虎昌の首を獲る前に、虎昌から昌景の後事を託されたようだな。


「左様に平伏してたら話になるまい。面をあげい」

 信長ちゃんの指示で昌景が顔を上げる。

「はっ! 飯富源四郎といいます」

「ワシは、織田弾正だんじょじゃ。ほーっ!? ほーっ!? ほーっ!? 天下の赤備とな」

 我がヨメちゃんはいつもの通り人物観察を始めた。

「なんと! 天下人の織田右大将様でした

 か。失礼しましたあーっ!」

 慌ただしく昌景が再度平伏する。


「左様に固くならずともよい。よき面構えであるな。ヌシの戦装束いくさしょうぞくもまた見目が良いな。見れば、まだ身体ができあがってないようなのじゃ。『天下の赤備』を担うために、しばし虎のもとで励め!」

 信長ちゃんは、ぽんっと昌景の肩を叩く。

「はっ!」

「吉 !とりあえずこの子借りておくわよー。ご飯をたくさん食べさせなきゃね」

「うむ。頼むのじゃ」

「おれ、子どもではなくて、生まれつき身体が小さいんです」

 昌景は身長が一三〇センチ台で、当時の平均より二〇センチも低い小男と伝わっている。女子ながらも長身の信長ちゃんと比較すると、三〇センチほども低い。昌景には悪いが、子ども扱いも止むを得ないだろう。


「で、あるか。子ども扱いして悪かったのじゃ。許せ」

「そっかあ。ごめんねー。でもね。ご飯をたくさん食べる男はいい仕事するのよ」

「はいっ! よろしくお願いします」

 軍神様と徳川家康をはじめとして諸国の大名を恐れさせた、赤備の山県昌景の豪華コラボだな。どのような強さを発揮するのか想像がつかないぞ。

 そういえば謙信は合戦の前には、いつもよりはるかに大量の食事を配下に用意したエピソードがあったぞ。


「ところで源四郎殿。甲斐府中(甲府)の現在の様子はいかがだろうか?」

 これから進軍する甲府では戦闘が起こっていないという情報は、既に諜報衆から伝わっている。だが、現地がどのような状況か知りたかったので、昌景に訊ねてみた。

「戦が終わって落ち着いてからは、おれは長尾殿をずっと探していたんです。深志ふかし(現在の松本)まで行ってようやく長尾殿の軍勢に追いつき、織田様と一緒だと聞いて、走って戻ってきたんです」

 越後に戻る虎ちゃんの軍勢を、松本まで追いかけて行き、話をしようと思ったら、虎ちゃんがいない。そこで、すぐさま急いで戻ってきたのか。何ともこの暑い最中さなかに気の毒な話だ。


「源四郎、ごめんねー。ここまできたらついでに甲府の温泉でぽかぽかしようと思って、別行動してたのよー」

「甲斐府中の温泉でぽかぽか!?」

 昌景がきょとんとしている。そうだ。天才の言動は予測不能だから、相手にしているとそういうこともあるぞ。後輩を見るような温かい眼差しを、おれは送っているだろう。

「そうよ。温泉で疲れをいやすの。源四郎、甲府に着いたらいい場所教えてね」

「はっ? はっ!?」

 昌景は虎ちゃんがしたいことを、まだ理解していない様子だがそのうち分かるだろう。


「姫。甲斐府中では、戦は起きていないようですが、念の為に佐久間出羽(信盛)殿を、先駆けさせましょうか?」

 おれはここで、佐久間信盛を甲府へ先行させる提案をした。信盛に任せるつもりの今後の甲斐統治も考慮している。  

「ふむ……これからのこともあるし、出羽は上原で戦っておらぬ。うむ。それでいこうぞ」

 別働隊だったため、諏訪上原で武田主力との戦闘をしていない信盛隊の武具や旗などには乱れがなく、新品同様のはず。

 甲斐にとって、織田家はいわば占領軍なのでイメージは大切。仮に戦闘が起こったとしても、暴徒鎮圧のような治安維持レベルになるだろうし、問題は少ないだろう。

 いよいよ明日は甲府へ進軍することになる。平穏に戦後処理が進むことを祈ろう。


 ◇太田牛一著『公記現代語訳』四巻より抜粋

 諏訪上原の合戦後、甲斐府中(甲府)へ進軍する際に、飯富源四郎(昌景)が長尾弾正(景虎)殿に面会を求める事件があった。源四郎の兄の飯富兵部(虎昌)が、合戦中に自分を討ち取る武勲をあげた長尾弾正殿に、合戦後の源四郎を託したためだ。

 長尾弾正殿は前夜にあさあどをつまみに深酒をし過ぎて、立っているのも辛い有様だったため、源四郎は兄虎昌がなぜ酔いどれ女に惚れて自分を託したのか、当時は分からなかったと思ったとのこと。

 ところが源四郎が従軍するうち長尾弾正殿の武勇を知るにつれ、兄の意図が納得できたと同時に、女性の意外さと怖さを感じたそうだ。

 後に源四郎の結婚が遅かった理由を、家臣に尋ねられたときに語った逸話である。

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