第九九話 南アルプスのおいしい水とアサード大会

 ◆天文十七年(一五四八年)七月中旬 甲斐国 巨摩こま


 武田軍主力との諏訪上原の戦いの快勝後、四日間の予定で甲府へと行軍中の我が織田軍。旧暦に直せば八月と夏の盛りだから、日陰ならば標高も高いので風は涼しいけれど、日が差すと盆地だけあって、気温はとても高くなって行軍には難儀する。


「あれが富士の山じゃな。よき形であるが……それにしても暑いのじゃ」

 行軍途中の山並みから顔を覗かせた富士山に、心を奪われた信長ちゃんもさすがにバテてきている。

「暑いし……頭痛いし、諏訪で泳ぎたかったなあ」

 少数の護衛以外の軍勢を越後に戻した虎ちゃんも、織田軍ともに甲府へ向かうのだが、彼女は昨晩の飲み過ぎによる影響が強そうだ。


 二日酔いの虎ちゃんはともかくとして、周りの将兵や馬を見ると、暑さで相当参っているようだ。熱中症になっても困るし、馬にも水をやらなくてつぶれてしまうな。

 そろそろ休憩しないと……そう思い休める場所を探そうと辺りを見渡すが、この景色はどこかで見たことがあるぞ。必死に記憶をたどる。

 そうだ! 『南アルプスのおいしい水』的なミネラルウォーターのパッケージの山並み。ここは名水が有名で、現代日本ではウイスキー工場もあったりミネラルウォーターを汲んでいる場所(山梨県北杜ほくと市)。


「姫! この辺りにはおいしい水があります。一息入れましょうか」

「うむ! 本日はここで陣を構えようぞ」

 もちろんこの時代だから、公害や水質汚染など気にしなくていいので、小川の水をがぶ飲みだ。実に美味い! 将兵から馬までもが、みなおいしい水で大喜び。


「美味しいー。やっと酒が抜けるわー」

 軍神虎ちゃんも頭から水をかぶる有様である。

「うむ。実に見事な水なのじゃ。『信長公の水』と名づけよ」と信長ちゃんもご機嫌。ただ、いろいろな場所にある『弘法清水』のような湧水でなく、普通の川だから命名は難しそうだよ。


 川原でわいわいがやがやと涼を楽しんでいるうちに、現代日本を久しぶりに思い出してバーベキューをしたくなった。きっとみなさん楽しんでくれるだろう。

 トウモロコシやピーマン、玉ねぎなど焼いて美味しい野菜は、残念ながら確保は難しいだろう。この場で調達できる食材といえば猪の肉ぐらいだろうか。

 食材が肉だけならば、バーベキューではなくアルゼンチン料理のアサードはどうだろう。味付けも塩だけで、肉の塊を弱火でじっくり焼くだけだからイケるはずだ。本場のアサードは岩塩を使うのだろうけれど誤差範囲だな。よし。


「姫、アサードをしましょう」

「ほー!? あさあどとはいかなるものぞ?」

「猪を大胆に焼いて食べます」

「大胆になっ!? あさあどが楽しみじゃ」


 困ったときの長秀は、安土築城中で従軍していないので、岩室いわむろ長門ながと重休しげやす)だ。

「長門、心得あるものを遣わし、適当な値で住民から猪を調達してくれ」

「はっ!」


 長門くんの手際が良いのだろう。一刻(二時間)ほど後に、四人がかりで立派な猪が運ばれてきた。

「肉を大きく切って塩で味付けをしろ。半刻(一時間)以上かけて、熾火おきびでじっくりと炙るのだ」

 補給隊の料理の得意な兵が集まると、あっという間に猪の解体が終わって、焚き火の熾火おきびでアサード料理が始まった。本来なら串や網などがあると具合がいいのだが、槍の穂や矢を大きな肉の塊に刺して焼けばいいだろうな。

 

 火にあぶられた脂が、シュッと熾に落ちて香ばしい匂いが辺りにただよい始める。

 思ったとおりアサードは、行軍中の料理に良さそうだ。肉食を広めるきっかけにもなる利点もあるだろうが、何よりもワイワイと楽しめる。


「あらっ! 美味しそうな匂いね。もう食べれるのー?」

「虎殿、焼けるまであと半刻(一時間)ほど掛かります」

「ふーん。せっかく水着も持ってきたから焼けるまで川で水浴びしていようかなあ。吉もどう?」

「ふむ。暑くて叶わぬし、ここらで汗を流すのもよいな」

 信長ちゃんと虎ちゃんが川でひと泳ぎしてきた後は、美少女二人が大胆なビキニ姿で、キャッキャッウフフと肉が焼けるのを楽しみに待っている。戦国真っ只中で元敵地とは思えないほど華やかなアサード大会となった。

 久しぶりに現代日本の雰囲気を感じたぞ。


 信長ちゃんは数え十五歳、虎ちゃんが数え十九歳。ナイスバディな虎ちゃんと、スレンダーながら年齢の割にかなりのスタイルの良さを誇る信長ちゃんの水着姿は、目の保養になるとはいえ、さすがに大名二人をずっとビキニでフラフラさせておくわけにもいかない。

「姫も虎殿も、何か羽織ったほうがいいですよ。風邪をひいたり火の粉で火傷します」

 名残惜しくもあるが、そろそろアサードも仕上がる様子だし。


「焼きあがった猪は、薄く適当な大きさに切り分け、食します」

「うむ。あさあどは美味であるだけでなく、面白きものじゃな」

「あさあどって美味しいわねー。お酒が進むわー」

「あさあど、うまいっす」

 戦というハードな肉体労働をしているだけあって、予想外の肉料理にはみんな大喜び。それに野外で集団料理をするのは、団結を深めるのにもってこいだ。今後はアサード大会を奨励しようか。


 肉食用の牛の飼育も奨励したいけれど、生産性が微妙なのが残念だ。豚はもしかしたら、薩摩あたりに伝わっているかもしれないぞ。

 こうした場面では、焼きトウモロコシも楽しいのだが、あいにくトウモロコシをみかけた覚えはない。確か天正期に南蛮船で伝わったはずだ。

 それぞれ確認してもらおう。


 ちなみに、このアサード大会をきっかけに、簡単な味付けで手軽に焼けるアサードが織田軍将兵や越後兵から、武士を中心に全国に広まっていく。

 またこの場にいた補給隊の女性兵士から水着が流行し、ただでさえモテモテだった女性兵士がさらにモテることになった。なかには、かなりの地位の将に見初められる『玉の輿』ケースがあったため、女性兵士の志願が多くなる嬉しい効果ももたらしたのである。


 賑やかなアサード大会の夜に、駿河するがの今川義元から文が届いた。

『織田右大将殿、戦勝との事。実にめでたきことでおじゃるな。念のためマロも甲斐に近い富士宮(静岡県富士宮市)まで兵を進めておじゃるが、甲斐府中まで進軍する必要はいかがでおじゃるか?』


 さすが強かなマロだな。後で織田とのシコリになるのを避けて、今回の合戦でとりあえず軍勢は出す。だが、困難な甲斐の統治を任されたくないので、援軍依頼があれば助勢するという姿勢で戦況を見ていたのだろう。

 甲斐にとっては名君だった信玄の後の統治は、難しいうえに実入りが少な過ぎるとマロは判断したようだ。間違えて『氏真うじまさに任せてみるでおじゃる』などとババは引いてくれないか。


「やはり今川治部じぶは甲斐を要らぬようじゃな」

「ええ。しっかり織田で治めないとまずいですね」

「左様だな。しからばこのあたりで、重責を与え佐久間出羽でわ(信盛)に骨を折ってもらうのじゃ」

 史実では、信長に叱責されて引退してしまう佐久間信盛である。現時点ではこの世界でも、他将と比較すると目立った活躍をしていないので、しっかりと甲斐の内政で一皮剥けてもらいたいということなのだろうか。

 簡単ではない役目だが、甲斐の地をうまく統治してもらいたいぞ。

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