第八六話 期待のホープ

 ◆天文十七年(一五四八年)一月下旬 近江国おうみのくに


 さて、淡海おうみ(琵琶湖)に棲むという大ナマズの噂を聞きつけたヨメちゃんは、琵琶湖のそばの安土城まで行くつもりなのだ。

 那古野から安土はおよそ二十三里(九〇キロ)の移動。馬を並足なみあしで休みを取らせつつ走らせないと難しい距離だな。

 付き従うのは、馬廻りの佐々成政と昨年秋から新たに近習となっている岩室いわむろ長門守ながとのかみ重休しげやすの他は、数騎程度の身軽なお出かけ感覚。


 岩室いわむろ重休しげやすは現代では決して有名ではないけれど、信長の近習で非常に将来を期待されていた人材だ。桶狭間の合戦では、真っ先に出陣した信長について行った五騎のうちの一人。当時は信長に最も信頼されて、寵愛されていた近習だったらしい。

 隠れなき器用の人材である、と信長公記にも記載があるほどの有望株だったが、残念なことに桶狭間の翌年の織田信清との合戦で戦死してしまう。信長が重休の死をたいそう残念がった、という記録が残るのだが、この世界では将来も活躍できそうだぞ。

 信長ちゃんも長秀が安土築城のため那古野にいないため、重休に様々な頼みごとをしているようだ。長秀のように料理まで作れるほど器用だと助かるな。


 新暦に換算すると三月上旬の現在は、日が差しているときはともかく、朝晩は非常に冷え込む。しかも安土への道中の美濃・近江国境の不破ふわ(関ヶ原付近)は、日本有数の豪雪地帯だ。

 不破付近は幸いなことに雪は降ってはいなかったが、付近の山並みや道の近くにもかなり雪が残っている。綿を入れた羽織で防寒はしているのだが、やはりまだ寒い。ダウンジャケットのような羽毛の防寒具を開発したいな。


 信長ちゃんと並んで馬を並足で進ませていたところ、佐々内蔵助くらのすけ成政が声を掛けてきた。

「寒いっす。おれっち、敵に討たれるならまだしも寒さで死ぬなんて心外っす」

 おまえは大蛇探しのときにも、似たようなセリフを言ってなかったか?


 ――バチーーーーンッ!!

「ワシの馬廻りたる内蔵助が、斯様な有様ありようでは頼りないのじゃ」

 あーあ。信長ちゃんのハリセンの餌食だ。

 しかし長秀印のハリセンは優秀だなあ。二年半以上の酷使にも耐えている。

 ハリセンで引っぱたいたものの、なんだかんだといって愛しの信長ちゃんは、成政を結構気に入っている。城外に出るときに、ほぼ間違いなくコイツを連れて行くのだ。


「そんなことないっす。おれっち、春っちに頼りになると言われてるっす」

 春っち……『春』が付く名のやつがいたかなあ? あいにくと記憶にないぞ。

「春っちとは何者じゃ?」

「春っちは、民部みんぶっちの娘っす。おれっちはいずれめとろうと思ってるっす」


「ほーお。ヌシは村井民部の娘に惚れておるのじゃな。うむうむ」

 ヨメちゃんは、ニコニコと口元をゆるめる。

 おいおい。『民部っち』って、先日寺社奉行に就任した村井民部少輔みんぶしょうゆう貞勝さだかつのことかよ。

 親しい彼女の間柄なら『春っち』でいいかもしれないが、自分より遥かに偉くて将来の嫁の父親となるかもしれない男を、軽く呼べる成政をうらやましく感じる。

 おれの立場に当てはめてみれば、信パパに相当する相手だぞ。


備後びんごっち』『弾正だんじょうっち』

 ……うーむ。

『左近はワシを愚弄するのかっ!!』

 きっと、怒鳴られて睨まれるだろう。これから安土で会うはずの信パパの迫力を、つい思い出してしまう。

 考えるだけでも恐ろしいぜ。話題を変えようか。

「内蔵助。おまえは冬の北アルプスを越えられる男だから、この程度の寒さは問題ないはずだ」

 史実の佐々成政には、豊臣秀吉に対抗するため徳川家康と同盟を結ぼうとして、冬の北アルプスを越えた凄まじいエピソードがある。

「おれっち、北あるぷすは知りませんがとりあえずがんばるっす」

 そうだ。後世でアルピニスト大名と呼ばれるおまえならば、この程度の寒さは問題ないはずだぞ。


「わたしが安土に、急ぎ先触れをしてまいります」

 岩室重休が声を掛けてきた。

 うんうん。新人の重休くんは気が利くじゃないですか。

 信長ちゃん一行が安土に到着することを前もって知らせて、火鉢や温かい軽食などを予め準備させておくつもりなのだろう。

 さすが長秀の暫定後継者。一三歳の期待のホープだ。

 年寄りパワーに負けず若いパワーを見せてくれ。


「うむ。長門は気が利くな。頼むのじゃ!」

 ヨメちゃんも満足そうに微笑む。

「内蔵助。して、春っちとやらはいかような女子か?」

 あ。信長ちゃんが目をキラキラさせて面白がり始めたぞ。

 村井貞勝に話を通して、成政の嫁取りを助けてやろうとでも思ったのだろうか。この時代は、上司の思惑通りに結婚相手が決まることも多い。


「おれっちよりこーんなに小さくて、春っちはとても可愛い女子っす」

 成政が自分の肩に手をやる。春っちとやらが肩ぐらいの背丈だ、というのだろう。

 成政の身長は一五五センチ程度で、この時代と年齢を考えれば標準的な身長。いっぽうで愛しの信長ちゃんの身長は一六二センチほど。年齢差もあるけれど成政より一〇センチ近く高く、この時代の平均的男性よりも高い。

 現代なら一七〇センチは軽く越えている感覚だろうか。大女と言っていいほど。


 この流れはヤバいぞ。なぜお前は埋まっている地雷を掘り起こして踏みつけるんだ?

 バチーーーーーンッ!!

 信長ちゃんのハリセン一閃。

「ほーお!? では、内蔵助よりこーんなに大きいワシはいかようじゃ?」

 あーあ。言わんこっちゃない。


「それは連れ合いの左近殿でないと分からないっす」

 成政はさらりと流す。

 おいおい。話をこっちに持ってくるんじゃない。

「ふむ。さこん……ワシはいかようじゃ?」

 なんだよこの展開は。公開処刑か?

 信長ちゃんはニマニマとしている。


「姫はとっても可愛くて最高です!」と、言うしかないではないか。成政に安土への先触れを命じるべきだったな。

「で、あるか!」

 おれの答えに満面の笑みを浮かべるヨメちゃんだ。

 なるほど。このような超展開を期待できるところが、信長ちゃんが成政を好む理由か。

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