第六九話 安土築城
◆天文十六年(一五四七年)八月上旬 尾張国 那古野城
さて、織田家の軍制は那古野一万貫時代から、徐々に変革を推進していて、この当時ではかなり特殊な形式だ。おそらく後世には、近代軍制のルーツと呼ばれることになるのだろう。
この時代での一般的な軍制は
いっぽう織田家では従来の知行制を廃止して、土地の所有権は織田家にある、としている。家臣については武官と文官とに二分されているが、どちらも行政官としての責任がある。異なるのは、武官は訓練を含む戦闘行動に従事する義務があること。
武官・文官はともに、領地の所有はできない代わりに、
武官については能力に応じて、
武官・文官はいずれも、政庁兼軍事拠点の城への出仕が義務化されていて、城下に官舎(屋敷)が支給・貸与されている。
知行制は土地の領有が可能だが、領有した土地での年貢の徴収や換金、領内からの徴兵、武具や馬の調達やメンテナンス、軍資金の拠出など煩雑な面が多々あり効率的ではない。知行制の廃止について当初は、特に大殿信パパの直臣からの抵抗があったが、那古野から始まった軍制のメリットが浸透するにつれて、抵抗は終息していった。
武官については通常の俸禄の他に、軍事行動の結果の
現在の織田家の主要軍事拠点は、尾張那古野(愛知県名古屋市)・尾張清洲(愛知県清須市)・三河
南近江の六角氏を追放したいま、新たな目標は北近江の
浅井氏は先代の浅井
史実では浅井久政を押しこめ同然にして、重臣が嫡男の長政を擁立するクーデーターが起きたが、そこが謀略ポイントのひとつ。
信長妹のお市の方を娶った浅井長政は、越前(福井県)の朝倉氏との同盟を優先するため、信長を裏切ったと言われることが多い。
だが、浅井・朝倉の縁がとても深かったか、といえば微妙なところ。当時の信長の仮想敵国は朝倉氏だったので、浅井長政が信長に反目するうえで、信長の敵の朝倉と共同戦線を張ろうとした行動、との見方ができる。敵の敵は味方という論法だな。
浅井朝倉の縁がさほど親密ではないなら、政治的に朝倉を動けなくする手法を取ることもできるぞ。光秀経由で、公家と将軍足利義藤(義輝)を動かして『織田家に協力して浅井を攻めろ』という流れにしよう。朝倉が出兵を無視すれば、その後の越前攻めの名分も立つので損はない。
ともあれ対浅井の具体策は、まずは史実でも信長の調略が成功した
つぎに、史実で長政を擁立するクーデーターの首謀者への扇動と同時並行して、久政派にも重臣や一門衆によるクーデターが準備されているという風聞を流す。あわせてクーデターの首謀者たちにも、久政が粛清を準備しているとの情報を流す。
きっと家中が大混乱、粛清や襲撃の嵐が吹き荒れるだろう。当然ながら、織田に恭順するなら厚遇する、との誘いも掛けるけれど。
織田が大国になったからには、情報戦だけでなく経済戦も仕掛けたい。小谷城下に多羅尾光俊の配下の諜報衆を派遣して、付近の農民を引っかきまわしてもらう。一年のうち今の時期しかできない計略なので、こうして忙しく計画を立てているんだ。
――織田軍が米の収穫期を目前に、稲を焼き払う旨の通告をする。
そして、浅井家の徴兵に応じなかった村には、焼き払った分の米を織田が責任をもって補償したうえに現金のボーナスもあげますよ、と触れ回る。きっと、浅井の徴兵に応じる村は少ないはずだ。安全なうえに貴重な現金収入を得られるなら、命の危険のある戦争に行きたい農民はさほどいないだろう。
だから仮に浅井家の将の全員が、粛清を逃れていたとしても、兵の集まりは悪くてまともな戦争はできないはずだ。
織田軍が稲を焼き払うのを防ぐとしたら、浅井勢は城から出て戦うしかないのだが、尾張から鉄砲を大量に持っていくので、浅井方の被害は甚大になるはずだ。
対して浅井久政は、ほとんど鉄砲を揃えられないだろう。
鉄砲の一大生産拠点になるはずだった、浅井のお膝元ともいえる国友村(滋賀県長浜市)は、鉄砲鍛冶の村ごと尾張に移住させてしまってあるからな。
北近江は今月中の平定が目標としよう。
こうして浅井領の北近江攻略がたったので、次の伊勢(三重県)にも謀略をしかけよう。史実で、滝川一益さんの見せ場だった伊勢攻略だが、この世界では信長ちゃんが北伊勢については既に攻略済み。だから伊勢中・南部がターゲットになる。
それにしても、織田家の大多数の武将が美濃・近江戦線に出陣しているのに、一益さんは北伊勢を殆ど一人で調略しまくって、織田支配下においたのだ。一益さんは、戦も強いし調略もどんとこいって超有能。おれも史実の一益さんに負けてたまるか。
伊勢攻略に頭を悩ませているときだった。
がたっがたっ……だーんっ! ばたんっ!
あーあ。また引き戸が外れてる。
これは……信長ちゃんが大興奮しているに違いない。何が起きたんだ? 嫌な予感しかしない。
「さこーん! 城を作ることにしたのじゃ」
長秀くん渾身の今川焼きならぬ織田焼きを片手のご満悦顔で、戦略を語ろうというのが笑える。突然何を言い出すんだ?
「城というと、どこの城でしょうか?」
「六角配下だったメカダセッツとかいう男が、観音寺の
メカダセッツ? はて。誰だろう。
さすがに現代の記憶が薄れてきているので、さほど有名でない人名などはかなり忘れてしまっている。
もしかすると、
織田家に国人衆など小領主が恭順してきた場合、居城は織田統治に組み込んで、重要な城でない限り破却する方針にしている。
なるほど。信長ちゃんは、目賀田城の跡地に新たに城を建てる事に決めたのか。観音寺城支城の目賀田城の跡地といえば、あの有名な
史実の信長と同樣に安土城を築城するのか。ドキドキワクワクが止まらない。
おれは安土に城を造るプランを、信長ちゃんに披露した記憶がない。すると独力で重要度を認識して、安土築城を決めたのか。信長ちゃんの素晴らしい才能に、改めて舌を巻く。
「姫っ! もしや安土城を造るのですか?」
「んー。あづち城であるか、なるほどなるほど……」
しまった。安土という地名は、信長が築城の際に命名したのだった。
トップシークレットの未来知識を出しすぎてしまったな。さて……。
「……」
「さすがさこんであるのじゃ。ワシも目加田城との名は、些か琴線に触れなくてな。
決めたぞ。
勉強家で賢い信長ちゃんで助かったな。どんどんと知識をつなげて、安土城に納得している。
「はい。目加田城よりはるかに佳き名前かと思います」
「うむ。安土に比類なき城を建てるのじゃ」
「姫! 実に素晴らしい場所の見立てですね。京にも近く南近江の中心ともいえます。
「
ここで伊丹城が出てくるとは思わなかった。伊丹城は最古の天守閣があったと言われている。信長ちゃんは恐ろしく筆まめなので、誰かから伊丹城天守閣の噂を聞いたのだろうか。
「なるほど、天主ですか。さぞや立派な城になるでしょう」
「此度の築城は、織田の力を見せつけるためであるから、石垣を用い七階建ての天主を作ろうかと思うのじゃ」
史実どおりに八角形の天主を造るのかな?
元歴史マニアとしては、とても興味がある。
「七階とは豪勢ですね。どのくらいの高さになりますか?」
「織田の武威を誇示するための天主である。ゆえに、十七八間(三〇.六~三二.四メートル)ぐらいであるかな。父上も眺め良きゆえ気に入って住まうであろう」
え? 父上が住まう? どういうことだ?
史実では、信長は安土城の築城後、岐阜から本拠を移動させて天下布武の拠点にしている。
「姫でなく、大殿が住むのでしょうか?」
「うむっ! 父上と爺を隠居させて、安土城に住まわそうかと思うのじゃ。必ずや喜ぶであろうな」
信長ちゃんは、大きい目をキラキラさせたワクワク顔をしている。なるほど、屋敷に来る前からエキサイトしていたのは、信パパに隠居をさせて楽をさせることができるから嬉しかったのだろう。
パパ大好きっ子の信長ちゃんらしい。
しかし、安土城を信パパと平手の爺の隠居のために建てるとは、予想の斜め上なんだけど。
「
「五郎左(長秀)を総普請奉行とする。いつぞやのサル(木下秀吉)も五郎左の織田屋勤めゆえ、良き働きをするであろうな」
なるほど。安土の城普請は長秀くん担当で補助の秀吉も史実通りだ。
おれや信長ちゃんが困ったときの長秀くんは規定路線だとしても、ここで織田屋の商人にした秀吉くんの配置が生きてくるのか。信長ちゃんが適当に打ったような手は、後で生きてくる場合が多い。素晴らしいぜ。
「ええ。藤吉郎は、五郎左のもとで見事な働きをみせるかと思います」
「うむ。もちろん安土には湯殿とこたつも用意するので、京への行き帰りに寄って
これまた信長ちゃんは面白いことを言い出した。安土城を別荘代わりにしたいのか。
「なるほど。良きお考えです」
「それに、父上も爺がおれば丁度よい。奇妙を安土に送ろうと思うのじゃ」
へ? 養子の奇妙くんを安土に送るの? 手元で育てるんじゃないの?
「奇妙を安土に送るのですか?」
「うむ! 奇妙の
信長ちゃんは、おれが那古野にきたばかりの頃は、平手爺によく叱られてしょんぼりしていたのに。
「平手様が傳役でしたら安心ですね」
「鬼のように厳しく忌々しい爺を出し抜いてこそ、良き
なにそれ? まったく意味がわからない。
「そういうものですかねえ」
「うむ。奇妙にとって良き学びになるのじゃ」
ともあれ史実より三〇年も早く、安土城の築城が開始されます。完成が楽しみで仕方ない。
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