第六八話 養子

 ◆天文十六年(一五四七年) 七月下旬 尾張国 那古野城


 そっくりさんのさち姫が赤児を連れてきたため、大嵐の予感がしてならない。信長ちゃんと祥姫の美少女姉妹が、カステーラをつまみに「涼しくなったらまた温泉も良きですねえ」など、たわいもない女子トークを延々と繰り広げるのは、戦国らしからぬ平和な図。

 ただ、おれの心は平穏ではいられない。どうか、こちらに子供の話をしてくれるなよ、と熱心に座卓で仕事をしている風を装う。


 再び信長ちゃんが、奇妙丸を受けとり「き・つ・お・ば・で・あ・る・ぞ」と話しかけ始めた。妹ちゃんの赤児を抱いて、満面の笑みの信長ちゃん。赤児が懐いていてすこぶるご機嫌。意外といっては失礼だが、彼女のあやしている姿が予想以上に様になっている。いずれおれとの子どもをこのようにあやすのか、などと甘い幻想に浸ったりもする。

 だけど、どうしても気になるんだ。きみのパパは誰ですか?


 まずい。赤ん坊の顔をちらちら見ていたら、今の仕事が一段落したと思ったのだろうか。信長ちゃんが「さこん。ほら、ワシを見て笑っているのじゃ」と、いま一番避けたい話題を振ってくる。

「ああ、本当だ。。その児、とても姫に懐いてますね」

「うむ。他人のような気がしないのじゃ」

 一卵性双生児の場合はDNAが同一だ。信長ちゃんと妹ちゃんが一卵性双生児ならば、抱いている赤ん坊は、信長ちゃんの子どもといっても差し支えないことになる。

 父親が誰かは別として。


 疑惑の子どもの顔をまじまじ凝視すると、確かに信長ちゃんと似ている。特に目元辺りがそっくりなんだ。

「確かに、大きな目の辺りなど姫と似ていますねえ」

 さすが双子といったところか。

「うむ。ワシも左様に思うのじゃ。こやつはワシの子といっても差し支えないほどじゃ」


 じっと奇妙くんを観察していたら、赤児の本能だろうか。おれにむけて微笑んでくる。信長ちゃんと似ているせいか、奇妙くんに、なんともいえない親近感が湧く。

「奇妙や、ほら、てて(父)ですよお」

 信長ちゃんが奇妙くんを抱いて、おれの顔を見せながら、不穏なことを言い始めた。

「なっ!?」

 信長ちゃんなら、奇妙丸がおれの子の可能性が充分ある、と分かっているはずだ。そして、先ほどから、おれの動揺している様子は、完璧にバレバレだろう。

 さて……どうする?


「うふふ……ワシとさこんの子なら、斯様かような子であるかと思ったのじゃ」

 再び奇妙くんをあやし始める図はとても微笑ましい。

 だが、信長ちゃんの科白せりふはぜんぜん微笑ましくないどころか、ほぼ正解ではないのか?

 妹ちゃん、頼むからコイツを、早く家に連れて帰ってほしいのだが。


「祥! つい、長々抱いておったわ。奇妙を返すぞ」

「ええ。奇妙や、吉伯母様にでていただきようございましたねえ」

 妹ちゃんは、信長ちゃんから返された奇妙丸を、しばしあやしていたが「では、姉上、左近殿。わたしはそろそろ……」と帰っていった。

 ふう。ようやく針のムシロから降りた気持ちだぜ。


「さこん? ワシはあやつをそくに貰おうかと思うのじゃ。いかがであるか?」

 信長ちゃんは再びカステーラ片手にご満悦顔だが、さらりと提案をしてきた。

 息って事は養子という意味だよな。いや。奇妙丸と名付けた時点で、ある程度は予想はしてたこと。


「うーむ……」

 だが、思わず絶句してしまった。

 どこからどう見ても怪しいだろ、おれの挙動は。再び針のムシロの上かよ。


「答えよ、士元! ワシがあやつを嫡にすると家中はいかようになるか?」

 キッと表情を締めて信長ちゃんがおれを凝視する。士元と呼ぶのは、仕事モードで考えろ、と言っているのだ。

 信長ちゃんは、これまでに信パパの嫡子としては、充分に実績を積んできている。それに、すでに公的にも尾張・美濃・近江の守護代に任じられているため、名目上は信パパの上司でもあるから、権威という意味でも織田家の当主として全く問題はない。


 しかし、信長ちゃんには後嗣こうしがないのが弱い。というか、信長ちゃんに万一のことがあれば、誰が家督を継ぐか絶対に揉める原因になるはずだ。それこそ、弟の勘十郎信行や信広兄を擁立しようとする派閥ができてもおかしくない。

 そういう意味では、信長ちゃんが奇妙丸を嫡男とするのは、無事に育てばという前提はあるけれど、後嗣争いを封じる意味もある……が。


 問題は奇妙丸が妹ちゃんとおれの子か、妹ちゃんと勝家の子であること。客観的に見ればおれも勝家も、信長ちゃんの那古野一万貫時代からの忠臣といえるだろう。

 信長ちゃんの甥で忠臣の子となれば、後嗣としての正統性という意味では悪くはないだろう。いや、今後おれも勝家も、出世していくであろうことを考えれば、後ろ盾を持つという意味では、奇妙丸にとっては良いことかもしれない。後嗣の実父として、おれか勝家が力を持ちすぎている、と受け取られる可能性はあるにしても。


 史実の勝家は、弟信行の謀反以降は信長の忠臣だったし、おれも信長ちゃんイコール織田家を裏切ることはない。冷静に考えればうまい策だ。

 ただ、勝家と妹ちゃんが養子を承諾して、信長ちゃんが奇妙丸に愛情を注げるならば、という前提が必要だ。

「権六と祥姫が承諾し、姫が奇妙丸に愛情を注ぐのであれば、姫の後嗣争いを未然に防ぐ意味のある良策でしょう」

「うむ! わしも左様に考えたのじゃ」


 だが、果たしてそれで良いのだろうか。信長ちゃんにプロポーズをされてはいるが、おれの浮気の結果の子という可能性が充分あるのだから。

「…………」

「ワシがさこんの考えていることを、分からぬはずがないであろう?」

 思い悩んでいると信長ちゃんから声がかかる。

 その通りだ。彼女にウソは通じない。

「というと?」

「さこんはワシを抱きたくとも抱けぬゆえ、ワシの影武者を抱いた。そして、奇妙丸がさこんの子であると思っているのじゃ。違うか?」

 全くおっしゃる通り。やはり彼女に隠し事はできない。


「はい。おれは姫を抱くつもりで、祥姫を抱きました。奇妙丸がその時の子であるか、と思っています」

「奇妙はさこんの子だ。権六の子であれば、こうであろう?」

 信長ちゃんはニマっと笑いながら、自分の両眉毛のあたりに、両手の人差し指をあてて上下に振っている。

 奇妙くんが毛深い勝家の子だったら、眉毛が極太なはず、と表現しているに違いない。


 くっ。おれも自分の子だと感じた理由を、ピンポイントに衝いてきたな。

「ええ、確かに」

「さこんが祥を抱いたことを気に病んでいるのなら……」

 はい、むちゃくちゃ気に病んでいます。ごめんなさい。

「姫。おれは……大変申し訳ないと思っています」


「さこんはワシを抱きたくとも抱けぬゆえ、ワシの影武者を抱いたのじゃ。ワシもさこんの子を産みたくとも産めぬゆえ、影武者に産んでもらったと考えれば、似たようなものではないか?」

「姫がおれの子を産みたいと?」

「フンっ! さこんの子を産みたくなければ、嫁にしろなどとは言わぬわ」

 語気は荒いが、信長ちゃんは機嫌よさげにニコと微笑みながら、おれを抱きしめてきた。

 なんという細やかな心の遣い方をするのだろう。だから、この未来のヨメちゃんが好きだ。


「姫……」

「権六とて、阿呆ではない。誰の子かは知っておるはずじゃ」

 それはそうだ。当然勝家も自分の子ではない、と感じていることだろう。

 仮に奇妙丸がおれの子ならば、勝家の実子よりも養子に出す抵抗は少ないはずだ。

「ええ。権六もおれの子と思っているかもしれません」

「それにワシが奇妙を嫡とすれば、父上は安んじて隠居できよう」

 確かに信長ちゃんが後嗣を決定すれば、信パパも安心できるだろう。ぽっくり逝くのは戦力ダウンなので、長生きはしてほしいけれど。

「ええ、大殿も安んじることでしょう」


「では、決まりなのじゃ。ワシの嫡として奇妙を貰い受ける。さこんは奇妙の父としても、近江浅井や伊勢北畠の調略を実らせねばなっ」

 信長ちゃんは歯切れよく養子を決定してしまった。

 複雑な気分だし、父親という実感も湧かないけれど、当然否はない。信長ちゃんの気遣いに応えなければ男がすたるというものだ。

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