第二五話 三河安祥城にて

 ◆天文十四年(一五四五年)十月三日 三河国 安祥あんじょう


 諜報衆の忍びの報せによれば、松平広忠(徳川家康の父)が率いる岡崎勢は、まだ出陣していないらしい。そこで我が信長軍は、信長ちゃん庶兄しょけい三郎五郎さぶろうごろう信広の居城、安祥城に入る。

 英気を養って合戦に備えるためだ。


 安祥城の二の丸を間借りして、我が信長軍は軍議を始める。

 信長ちゃんを見れば、昨日の白い鎧からガラリと違って黒光りする鎧を着用。あら、鎧も着替えるんだね。

 髪はいつもどおりポニテだが、うす緑の平紐でまとめあげている。おれが先日プレゼントした、うす緑の髪飾りに合わせたのだろうか。かなり嬉しい。

 彼女の表情を窺えば、少し緊張している様子。


「揃ったようじゃな。軍議を始める。まずは、左近からなのじゃ」

「はっ! では」

 作戦目標を諸将に周知させるために、信長ちゃんに頼んだんだ。作戦目標を明確にして、誤った作戦行動をしないようにする。彼らが将来、軍を率いる時にも、きっと必要になるぞ。


「まず、この戦の目的を優先度の高い順で説明します。

 第一に、殿は初陣のため勝利が必要です。

 第二に、この安祥城に攻め込む岡崎勢を追い払います。

 第三に、今後しばらくは、岡崎勢が戦をできぬように、将を潰します。

 第四に、松平次郎三郎じろうさぶろう(広忠)の首を取ります。

 次に岡崎勢は、まだ着到ちゃくとう(出陣準備の手順)をしています。今夜の夜襲の可能性はあるものの、おそらく明朝から午後にかけて来襲します。軍勢は、一四〇〇から一六〇〇と思われます」


「左近からは以上である。ここまでに何かあるか?」

「まだ岡崎城にいるなら、毒を盛るってどうすかねえ?」

 信長ちゃんの問いに、佐々さっさ与左衛門よざえもん成政なりまさが軽い調子で答えると、どっと笑いが起きた。

 成政は試し戦の際、兄二人に毒を盛って功績をたたえられている。二匹目のドジョウを狙っているのだろう。

 だが、成政よ。史実のキャラと外れて成長していきそうだぞ。


「たわけっ! そもそも間に合わんじゃろ」などと、柴田勝家に、バンっとはたかれる。

 おや? いつも仏像スマイルで、まったく表情が見えない諜報衆の多羅尾光俊の口元が、ピクっと動いたぞ。もしかして、ウケているのか? まったく難易度の高い義兄者あにじゃだよ。


「次席として滝川左近、三席として柴田権六(勝家)をおく。ワシに万一があれば左近に、次に左近に万一があれば権六に、粛々と従うのじゃ」

 顔を見合す諸将たちに、信長ちゃんが重ねる。

「死なずとも、気を失うことなどもあろう。ヌシらも今後ワシを見習うのじゃ。よいな?」

「ははーッ!!」

 これも信長ちゃんと打ち合わせて、予め軍議で話すと決めていたこと。将の戦死など戦闘不能による、戦線の崩壊や指揮権の混乱を防ぐためだ。


「軍勢を二つに分ける。城内主力と伏兵じゃ。敵を充分に城に引きつけ、攻撃をさせている際に、伏兵が背後から敵を混乱させる。混乱に乗じて、城内主力が安祥勢とともに打って出るのじゃ」

 布陣と作戦を説明する信長ちゃんに、ゴクリと息を呑む者もいる。


「伏兵は又助(太田牛一)、三左(森可成)を左近が率いるのじゃ。長槍七〇、騎馬五、弓十五、鉄砲四〇を与える。報せあり次第出陣せよ」

「ははーッ!!」

「以上じゃ。それぞれ休め!」


 伏兵をおれが指揮するのも、予め信長ちゃんと決めていたこと。おれはこの先、合戦では信長ちゃんの副将や参謀となるのだろう。それでも、この時代は『軍師』のような都合のいいポジションは存在しておらず、槍働き――合戦での活躍が将の格の高評価に繋がる。内政官のイメージの強い石田三成も、若い日に一番槍の功名をあげたほどだ。


 だからあえて、危険と他人に思われるだろう伏兵を志願したんだ。史実と異なる一抹の不安はあるけれど、まず生命の危険はないだろう。

 史実で僅か千の軍勢で、三万ともいわれる敵を追い払った、『攻めの三左』もいるし、弓の名手の牛一もいるうえ、鉄砲隊には精鋭の射手を選抜している。


 信長ちゃんは、『ワシの傍にいてくれぬのか……』と難色を示したけれど、

『姫、大丈夫です。おれには未来が見えます』と押し切った。

 賭けに出るなら史実とのズレが少ないうちが、勝ちを拾う確率は高いだろう。


 軍議が終わって、しばしのリラックスタイム。

 パチパチとぜる焚き火を眺めながら、そういえばおれも初陣だったな、と思い出す。

 試し戦を経験していてよかった。でも明日は、実際に多数の死傷者が出る凄惨せいさんな戦になるだろう。

 ふうっ、とため息をついていると、声を掛けられた。


「さこん。頼み通り刈谷かりやに、文を送っておいたのじゃ」

 信長ちゃんは、ちょこんとおれの横に座る。

 西三河の刈谷城(愛知県刈谷市)の水野信元のぶもとは、妹の於大おだいの方を、松平広忠に嫁がせている。彼女が竹千代(家康)を産んでいるから、松平広忠の義兄であり、家康の伯父にあたる。


 信元は一昨年に今川家および松平家と絶縁して、織田家に寝返って協力する意向を示した。おそらく一族との争いに終止符を打ち、知多半島の統一を目標としたのだろう。妹の於大おだいの方は、絶縁を機に離縁されて、刈谷に戻って来ている。


 だが水野信元は、三河へ勢力を伸ばそうとした信パパに対して、これまではさほど協調的ではない。

 縁の深かった岡崎松平家との関係もあるのだろう。様子見をして、織田家が不利になったら、再度寝返ってもおかしくない。

 そこで、信長ちゃんに今回の合戦につき、文を送ってもらうようにしたわけ。


「なんと書きました?」

「ワハハ。『織田の大うつけ姫の勝ち戦を安城にてご覧召されよ』と送っておいたのじゃ」

 完全にいたずらっ子の目をしているよ。美少女上司の外交センスは、史実の信長同様に凄まじい。いや、史実以上かもしれない。


 十二歳の女子にこのような挑発的な文を書かれたら、実際に戦うかは別として、水野信元は幾ばくかの兵を引き連れて、出陣しなければならないからだ。

 仮に出陣せずに、信長軍が勝利を収めたら、水野信元の政治的権威は完璧に地に堕ちる。


「殿、最高です!」

 信長ちゃんは、ニッと笑いはしたが、急に寂しげな顔になった。

「明日は勝てるかな?」

「はっ! 必ずや『ブイ』でありましょう」

 信長ちゃんの不安を振り払うように、ぱしっと左手でVサインを作る。


「ワシは、ぶいなのじゃな。しかし、尾張はいかがであろうか」

 だいぶ表情は明るくなったが、まだまだだ。

 尾張とは、陽動作戦を行い、敢えて敵に攻めさせる動きをしている信パパのこと。

「大殿ならばまず間違いないかと」

「ワシは、早く敵を打ち払いたい。父上の願いを叶えたいのじゃ」

「大殿の願いとは?」


「うふふ……。なんでもないのじゃ」

 あれれ! 信長ちゃんが珍しい笑い方をしている。なんだろう。

「…………」


「さこんっ?」

 少し考え込んでいたら、明るい声がかかる。

「はっ」

「明日戻ってこねば許さぬ! 貴様の素っ首貰い受けるのじゃ」

 物騒な言葉とは裏腹にニコニコとしている。


「はっ! 必ずや無事に姫の元に戻ります」

「で、あるか」

 おれの返事に、満足そうにニンマリとする信長ちゃんがいた。

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