第二六話 安城合戦

 ◆天文十四年(一五四五年)十月四日早朝 三河国 安祥城付近


 野宿二日目だ。昨晩より寒いッ! 敵方の物見ものみ(偵察隊)に見つかるとまずいので、絶賛伏兵中のおれ達は、焚き火はご法度。少しウトウトしていたけれど、余りにも冷えるので目が覚めちゃったぞ。

 もう、このまま起きていようか。


 明け方の時間帯は、放射冷却のせいで一日で一番寒いこともある。とにかく、現代人にとっては厳しい寒さだな。

 早く戦を終えて、暖かくしたい。そういえば携帯用カイロは、鉄粉と木炭か何かで作れないか? ふと思い出したが実験の余地があるな。


 織田家の三河最前線の安祥城は、森と湿地に囲まれていて攻めにくい城だ。城主で信長ちゃん庶兄しょけいの織田三郎五郎さぶろうごろう信広のぶひろが、通常は五〇〇の兵で守っている。これから、松平まつだいら広忠ひろただ(徳川家康の父)率いる岡崎勢が、攻め寄せてくるはず。

 城攻めは、一〇倍以上の兵数で落とすのが理想とされている。当然ながら、防御側が圧倒的に有利なんだ。


 敵の兵数は一四〇〇から一六〇〇、と諜報衆が報告してきている。戦力差からも、簡単には安祥城は落ちない。ただでさえ落ちにくい攻めにくい城。それに松平広忠が知らない、我が信長軍の五〇〇が加わっている。通常に考えて負けようがない戦ではある。

 しかも岡崎勢が、持っていない鉄砲も、数は多くないけれど揃えてあるぞ。そもそも史実で岡崎勢は大敗する結果だが、鉄砲の存在すら知らなかったのでは、という説もある。


 勝って当然とはいえ、おれたち伏兵は合計で一三〇にも満たない。森可成や太田牛一をはじめとして精鋭を集めているとはいえ、一〇倍以上の敵軍勢に当たることになるので簡単な合戦ではない。それに史実と違う想定外のハプニングの可能性もある。

 だが窮地に陥ったとしても、信長ちゃん達の主力隊が、すぐに城内から出てくるはず。それに、刈谷城から水野信元の援軍が来る可能性も充分。冷静に考えても、大きな不安は感じない。


 松平広忠に恨みはないけれど、戦だから仕方がない。それにこれまで何度も、信パパが広忠を臣従しんじゅうをさせようとしている。だが織田方の使者は、全て拒絶されているのだ。尾張の東側を安全地帯にするため、岡崎勢を叩くのにまったく躊躇はしないぞ。

 

 あれ? 恨みといえば、仮に松平広忠を討ってしまうと、徳川家康の恨みを買っちゃうのかもしれないな。だが構わない。いくら後の天下人とはいえ、たかだか三歳のガキに何ができる。今は織田家にとって、重要拠点の三河安祥城を、安全な土地にするのが大切なんだ。


 敵の松平広忠が、軍勢を集め始めたのは三日前のはず。それに引き換えこちらは、那古野から駆けつけて、すっかり防御体制を整えているぞ。なんともトロくさい事をしているな。岡崎城からこの安城までは、完全装備の軍勢でさえ、三時間もかからない距離なのに。

 寒いから早く来てください。お願いします。


 ◆天文十四年(一五四五年)十月四日 三河国 安祥城付近


 松平広忠が安祥城を攻め始めたようだ。そろそろ我が伏兵の合戦を始めよう。敵兵が進軍してきた街道の、退路を完全に塞ぐような形に布陣するんだ。

 敵までの距離はおよそ百町(一一〇メートル)ほど。全く無警戒の様子。

 してやったり。完璧な奇襲になるぞ。


 不思議と初陣ういじんなのに緊張はしない。寒さから逃れたい気持ちや、試し戦を経験したのが大きいのかも。

「我らに勝機ありっ! 道に駆け足で出て布陣せよ!」

 低く号令する。


オウッ!」

 軍勢を幅三間(五.四メートル)ほどの街道に、最前列を一列の長槍隊、その後ろに鉄砲・弓の順に配置する。

 布陣準備完了。まだ松平勢は気づいていない。絶好のチャンスだ!


「弓衆は一斉射撃はじめ! 鉄砲、騎馬、長槍は待機。かかれッ!」

「オオオオーッ!」

 充分に訓練された兵は、打った鐘が響くように反応する。よし。上々の士気だぞ。

 太田牛一を筆頭に、弓衆が三人一組で射撃を始めた。おれたち伏兵に、敵軍勢の注意を向けさせるためだ。


「又助(太田牛一)ぇえ! 矢の雨を降らせてやれええいっ!」

「ようやく盛り上がってきましたな。うっふっふ」

 牛一は助手から矢を受け取りながら、いつものメモをとる調子で、飄々ひょうひょうと速射をしている。

 さすが弓の名手だ。いい具合にリラックスできている。


 おれは、鉄砲隊の中央で指揮をしている。

 ヒュンヒュン、と矢が飛んできて、木製の盾にカッカッ、と突き刺さり始める。

 敵が我が伏兵に気づいたようだ。

 いいぞ。掛かってこい。掛かってこい。

 不思議な高揚感を覚える。


「弓衆、射撃やめ! これからは騎馬武者のみ狙え」

「応ッ!」

 ワアアアッ、と喚声をあげて敵の長槍隊が駆けてくる。こちらの兵数が少ないのを見越して、潰しにかかってくるつもりだろう。


「鉄砲、射撃用意! 訓練通りで勝てるぞ! おれの射撃を合図に自由に敵を狙え!」

「おうっ!」

 もっと来い、もっと来い。

 先頭切って向かってくる敵兵を、充分に引きつけて静かに引き金を落とす。

 バアアン!

 狙った槍足軽が弾けるように倒れた。

 これでおれは完璧に殺人者だな。画面の映像を見るような感覚で現実感が薄い。

 気を取られるな。戦国時代なのだから弱者は滅んでも文句は言えない。


 銃を後ろに控える助手に渡し、弾込めされている新たな銃を受け取る。

 バアン! バアン! ババアン! バアン!

 散発的に辺りに銃声が響く。他の射手も狙いをつけて撃ち始めた。

「鉄砲ぉお! よく狙い、敵を近づかせるなぁあ!」

「応ッ!」


 次はどいつだ? あいつか。

 轟音。狙った敵兵はもんどり打って倒れる。

 銃を取り替えて、さらに次の敵兵を狙う。配下の鉄砲隊の面々も、次々と敵兵をほふっていく。

 これが戦か。フワフワした現実感に欠けるような高揚感がある。

 次はお前か。死ぬと分かっていて来るなよ。

 引き金を引く。倒れる。ほら、言わないこっちゃない。


 束の間の静寂。

 敵兵の襲来が一段落ついたようだ。一五〇人ぐらいの敵兵が、たおれているだろうか。

「鉄砲、射撃やめぇえ!」

「応ッ!」


 我が伏兵の進軍を阻む敵は、一掃できたといえるだろう。

 ――ならば。

三左さんざァア! 騎馬四、長槍五〇にて敵前衛に突撃! 一当てして不利だったら退け! 無理しなくていいぞぉお!」

「オオオオーッ!」

 森三左衛門さんざえもん可成よしなりに軍勢を与えて、岡崎勢目掛けて突撃させる。タイミングを見計らって、城内からも信長ちゃんや柴田勝家が打って出るだろう。


「フハハハハハハッ!! 我に続けェエエイイ!!」

「オオオオオオオーッ!」

 可成が隊を率いて突撃していく。全くこの狂戦士バーサーカーは頼もしい。安祥城内にいるはずの信長ちゃん、あとはタイミング次第だ。頼むぞ。


「鉄砲隊、総員着剣ちゃっけん! 射撃準備しておけ!」

「応ッ!」

「総員、陣を進める! 行くぞぉお!」

「おおおおおおおーっ!!」

 残った長槍二〇、鉄砲四〇、弓一五を率いて、城の方へと進軍だ。累々と倒れてる敵兵を踏み越えて、陣を進める。


 今までに見たこともない数の大量の死体だ。血肉の匂いと、絶命している苦悶の表情の敵兵が、おれの感覚や感情を激しく揺さぶってくる。

 駄目だ。今は気にしてはいけない。作戦目標が第一だ。

 城の状況はどうだろう。信長ちゃんは無事なのか?

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