第一一話 麒麟児丹羽長秀

 ◆天文十四年(一五四五年)七月上旬 尾張国 那古野城


 城内に戻って出張中に頼んでおいた案件の処理をすることにした。まだ自分の屋敷を貰えていないため、相変わらず仕事場兼寝室の客間暮らしだ。

 太田又助またすけ牛一ぎゅういち)を呼んで、留守中の状況を聞いてみる。

「やあやあ、左近、ご苦労でござったな。うふ」

「又助こそ。即応衆も順調のようじゃないか」

「拙者は弓衆の訓練もあるので、町割りや年貢などは丹羽万千代まんちよ長秀ながひで)殿に、手伝ってもらっていますよ。いやはや、拙者など要らぬくらいですな。うっふっふ」

 牛一は弓の抜群の名手でもあるので、弓部隊の訓練もお願いしていたんだ。


 なるほど。米五郎左こめごろうざ(米のように欠かすことのできない丹羽にわ長秀ながひでの異名)か。 後に織田四天王にも数えられるほど出世する丹羽長秀だが、ガキの頃から仕事ができるのだろうか。


 戦力になるのなら頼もしいことこのうえない。少し話をしてみよう。長秀を呼んでもらう。


 呼ばれてきた丹羽万千代(長秀)はスラスラとよどみなく答える、

「はい。年貢に関しましては、中務なかつかさ(平手政秀)殿と佐渡守さどのかみ(林秀貞)殿家中の手を借りています。全ての村役に新しい升を届け、不公平なく納めるように厳命させております。

 無論、出納すいとうの数字も間違えのないよう、複数名にて確認するようにします。南蛮数字も又助殿から教わりましたので、利用するつもりです」


 年貢を測る升については、今まではてんでバラバラの容量だったらしい。なんてフリーダムなのでしょう。升の統一は予め指示しておいたけれど、何にも言われずとも、どんどん仕事を進めてきっちりこなそうとしている。

 さすがというべきか。


「素晴らしいな。して、町割りの方はいかがかな?」

「はい、順調です。又助殿に宿舎について任されました。八月中には四〇〇名分、今年中には目標の一五〇〇名分の宿舎が用意できる見込みです。本採用となった兵は、住まいが遠いものから順に呼んでおりまして既に入居している者もいます」

 信長ちゃんの配下では、仕事の期限や目標を決めるようにしたので、それを踏まえての発言だ。素晴らしいぞ、五郎左。

 未来の四天王だけの実力をきっちり見せつけてくれる。


「それは良かった。さすがだぜ」

「次に学校ですが、沢彦たくげん様の紹介にて進めています。予定より早く再来週から開始できるところもあります」

 信長ちゃん配下全員が、読み書きと四則計算を最低限学ぶ施策だ。『岐阜』や『天下布武』の命名で有名な沢彦和尚に紹介してもらった寺を利用したということだな。


 カリキュラムについてもっと増やすつもりだけれど、とりあえず初歩からスタートだ。織田家配下以外も学べるようにする予定。見込みのある者を、文官として採用するため。

 そうだ、ソロバンも導入だな。意外な才能が芽生えるかもしれない。

「おー! いいね。素晴らしいな」

 長秀も褒められて誇らしげな笑顔だ。


「取引所の件ですが、津島商人と話しました。遠方商人の絡みもありますので、九月二十日を仮に設定しました」

 取引所は、新しい中期的な経済政策への動きだ。


「ああ、それで問題なさそうだね。ところで、それがしの屋敷については、いかがだろう?」

「はい、左近殿の屋敷につきましては、殿の許しが得られないため、ご容赦いただきたく」

 ん? 信長ちゃんが家を用意してくれないだと?

 どうしてだろう。まあ、いいか。あとで信長ちゃんに直接聞いてみよう。

「左様か……まあ仕方ないな。あい分かった」


「左近殿にひとつお願いがあるのですが……」

「ん? 願いとは?」

「火縄銃の訓練にわたしも参加したいのです! 殿には許しを頂いております」

 いいね、いいね。このやる気。

「ああ、もう許可されているなら、構わないよ」


「はい! ありがとうございます。死神左近に負けぬくらい上達したいです!」

 長秀まで『死神左近』か。

「ははは、怪我しないようにな」

「あ、それと『はりせん』の試し作りができましたので、お持ちします」

 長秀はそそくさと部屋から出て行った。

 ハリセン作りなんて頼んだっけ。おれも忘れていたよ。

 しかし、優秀だなあ。小学校四年でこれかよ。さすが米五郎左。史実のおれ滝川一益のライバルなだけあるな。


「すごいな、万千代……」

 呟くような言葉が自然と口から出た。

「拙者が言った通りでしょ、うふ。殿が元服を早くしたいとおっしゃるので、万千代殿も同時に元服する、と張り切っているようです。うっふふ」

 別に返答を期待した言ではなかったが牛一がウンウン頷いてる。

「なるほど、しかし優秀だね。ただ、元服もなあ。元服にも多少工夫が必要だよな」

 元服は男子の儀式だから、普通だったら信長ちゃんは元服できないことになる。

 信パパにどのように元服を認めさせるか。じっくり策を検討しなくてはいけないな。


「左近殿、入ってもよろしいか?」

 考えを巡らせていると、廊下から声がかかった。森三左衛門さんざえもん可成よしなりだ。

「おお、三左殿。よくぞ参られた。入ってくれ」

 可成は部屋に入ると、酒の入った容器をおいて、どすりと座った。

「我を織田家に呼んでいただきまことに感謝致します。それゆえ、一献いっこん交えたく参りました」

 可成はしっかり平伏する。

 槍を持つと野獣のようなアレだけど、普通の可成はバカ丁寧なんだよなあ。


「あー、そんなに堅苦しい挨拶は無用です。りましょうりましょう」

「ありがたく存じます。又助殿もぜひとも!」

「どうもどうも。拙者もいただきますかな、うふ」

「ささ、又助殿もどうぞどうぞ」


 三人で飲もうとした頃合に、ハリセンを取りに行った万千代長秀が戻ってきた。

「左近殿、『はりせん』をお持ちしました。いかがですか?」

「おお、すまぬな。どれどれ」

 長秀が試作したハリセンの具合を確かめてみる。

 ぺチーン、ぺチーン。

 よし、なかなかいい具合だ。


「さすが、万千代殿。良い出来だ。ありがとう」

「はい、ありがとうございます。研究に研究を重ねましたゆえ、良い音もしますし、長期にわたり充分に使えるかと!」

 長秀は胸を張る。

 ごめんよ、長秀。ハリセンごときの作成もキッチリやったんだな。今度から、仕事の手加減も伝えよう。


「万千代殿、それはなんですかな? うふ。しばし、拝借してよろしいですかな?」

 牛一が、ハリセンを観察し始め、興味津々の様相で、メモを取り始めた。

「又助殿、それはなんでしょう?」との可成の問いに、「南蛮渡りの『はりせん』という道具だそうですよ」と牛一が答える。

「なるほど。南蛮渡りですか。さすが、織田家にございます」

 可成さん、南蛮渡りは長秀に頼むときの言葉のアヤだし、織田家でなくてもハリセンは作れるから。

 苦笑していたところ、あの足音がやってきた。


 どんっどんっどんっ! どんっどんっどんっ!


 間違いない。信長ちゃんだ。

「さーこんー! 入るぞ。おや、又助、三左。万千代までもおるのか」

 返事する間もなく、入ってきてどっかりとアグラをかく。

 ああ、よかった。今日は袴姿の男装だから、股を広げても大丈夫だ。そうだ、信長ちゃんのパンツも長秀に作ってもらおうか。


「殿、いかがなされた?」

「うむ。訓練に疲れたのじゃあ。ゆえに一杯飲みにきたのじゃ」

 おいおい、下戸なのにまた飲むのか?

 大丈夫かよ、信長ちゃん。

「は、はあ」

 後のことが気がかりで、気の無い返事をしてしまう。


「万千代、アレを持て」

「はっ、ただいま、急ぎにて用意いたします」

 ささっと長秀が如才なく部屋から出て行く。

 アレってなんだ? 嫌な予感がする。

 しかし、アレでわかる長秀はやっぱりデキる子だよ。

「左近、案じなくても良いのじゃ。この前のようにすぐ寝ぬゆえ」


「殿! お持ちしました!」

 長秀が持ってきたのは、一尺(三〇センチ)もあろうかという大杯。

 いやいや、それはダメな量だぞ。だが、中身が黒い。ワインか?

 待て。ワインでもまずいだろ。信長ちゃんは年齢のせいもあるだろうが酒に劇的に弱い。


「ぷはああっ! グッと効くのじゃ。みなも勝手にるがよい」

 おれの懸念に構わず、信長ちゃんは渡された大杯を一気にあおる。

「殿……それは?」

「うむ。ぜんざいである! 鍛錬の後は格別なのじゃ」

 よく見れば、さかずきの中には小豆あずきがちらほら見えている。

 確かに、疲労時に甘いものはいいのかもしれないけれど、大杯のぜんざいは見ているだけで、胸焼けしそうだぞ。

「……」

「ぷはっ! 五臓六腑に染み渡るのじゃ」

 信長ちゃんは満面の笑みである。

 年頃の女の子がすると話に聞く、ケーキのドカ食い的なものだろうか。

 見ているだけで喉の奥が熱くなってくる――――。

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