第一〇話 姫武将信長
◆天文十四年(一五四五年)八月上旬 美濃国(岐阜県)
近江国での使命を果たして、那古野へ戻る途中。徒歩で二泊三日の行程だ。現代日本の新幹線だと一時間もかからないので、じれったい気持ちは強い。だが鉄道開発などは夢のまた夢だろう。
森
戦国時代の過去の記憶は皆無なので、婚約者の自殺の話を聞いても、可哀相だとか、なんとかならなかったのか、との思いはある。だが、それ以上でもそれ以下でもないのは、仕方がないことだよな。
もう少し時間の余裕があれば、諜報組織の強化を図るために甲賀衆、伊賀衆などの
信パパの伝手を使って忍びを雇うのもできるはず。だが、自前の諜報組織を用意した方がより安全だ。史実の信長も散々身内と争っているし、用心するに越したことはない。
忍び衆で有名な甲賀衆は
たしかに、特殊技能を身につけた集団同士が、常時臨戦体制にあったらとてもやっていられないな。
甲賀衆や伊賀衆の全てが戦闘員ではなく、子供や老人、農業専従者などもいるのだから、当たり前といえば当たり前。
また、いわゆる『抜け忍』については、現代の小説・マンガ・ドラマ・映画などのメディアのイメージとは異なる。忙しすぎて、抜け忍に対して追手を差し向ける余裕がないので、『止むを得ず放置』が殆どらしい。
忍者といえば黒頭巾に黒装束のイメージだ。ところが夜間に黒色の衣装は、かえって目立ってしまうので柿色装束が一般的。そもそも夜間潜入・戦闘以外は行商人・山伏・僧侶など『旅の人』の格好をしているのが、本当の忍びの実態だそうだ。
かなりイメージが違うよな。
これまたイメージと異なるのが、この時代の街道での移動について。戦争時や軍勢が移動するときには、もちろんシャットアウトされてしまう。
しかし戦闘に関係のない旅人の通行は、関所で銭を払わなければならないケースもあるけれど、基本的にスルー。要所要所に食事施設や宿泊施設もあるので、ほぼ三食宿付きで移動できると考えていい。
ただ、治安の悪い場所には野盗や追い剥ぎなどが出没するので要注意。おれは、身長は六尺(一八〇センチ)あるけれど、中肉の体型で剣の鍛錬をそれほどしてはいない。
さすがに、火縄銃を発射準備完了状態で旅をするわけにもいかないので、万が一の場合は銭を払って命乞いした方が良さそうだ。
ああ、そうだ。那古野に戻ったら領内の関所の撤廃をしなくてはいけないな。関所を撤廃する施策はすぐに取り掛かっていい。物流を活発化させて経済を発展させるためだ。
信長の経済政策で現代で有名なのは楽市・楽座だ。
ただ、楽座――座の撤廃については、存在していなかったという説もあるぐらい。逆に座を
自由に営業できる楽市に関しては、領内で実施してもいいかもしれない。だが、商人への課税を、どのようにシステム化するのか考慮しなくてはいけないので、一律に適用しない方がいいかもしれない。要検討事項だ。
日本で一番早く楽市を実施したと伝わっているのが、近江の
面白いのは、六角氏に次いで早々に楽市を実施したのが、暗愚で文弱と
外交について考えると、大垣城を返還して、美濃(岐阜県)斎藤家との緊張緩和がなったのが大きい。織田領北側はとりあえず安泰だ。
とすると三河(愛知県東部)の松平広忠(徳川家康の父)が怖い気がするが、那古野に戻って状況確認をしてから、方針決定をした方がいいな。
ん……ひとしきり、考えまとめていたら眠くなった。
おやすみなさい。
◆天文十四年(一五四五年)七月上旬 尾張国 那古野城
出張を終えて那古野城に戻ったところ、信長ちゃん達が、兵の訓練をしている最中だった。
おー! やってるやってる。兵が二〇〇名ばかりいるだろうか。
「左近殿、ご苦労でござったな」
白髪の平手爺が、訓練を見に来ていたようで、声をかけてきた。
「中務様、これはこれは。姫の様子をご覧に参られましたか?」
「左様、しかし、姫が男子であればまことに良かったのだがなあ」との言葉とは裏腹に、信長ちゃんの様子をニコニコと見ている。
「ええ……ここのところ、姫様の様子はいかがでしたか?」
「見てのとおり、活き活きとして励んでいらっしゃる。しかし、おぬしが呼んで参った森
大活躍してもらわないと困ります。史実で活躍した人間を連れてきているんだから。
森可成は戦働きだけでなく、行政や外交にも強く、史実で信長の信頼が非常に厚かった武将。現時点での信長ちゃん配下の中核的な人材だ。
しかし、まだまだ圧倒的に人材が足りない。柴田勝家が史実通りに、弟信行の家臣にならないうちに、うまい手を打ちたい。
「それはそれは。結構なことです。ところで、美濃はいかがでしょう?」
平手爺に留守中の状況を尋ねる。
「うむ。大垣城の尾張衆は全て引き揚げたわ。婚儀については、大殿(信秀)も『吉をマムシ(斎藤道三)の息子ごときにやるのは惜しいわ』と仰せであるな。別の縁談を考えなくてはいけないかもしれないが……まあ、のらりくらりとだな」
「なるほど」
「では、わしは参るぞ。左近殿、くれぐれも姫様を頼むぞ。粗相なきようになア!」
さきほどまでは、縁側に座って孫を眺めるお爺ちゃんのような笑顔だったのに、いきなり迫力ある気合を飛ばしてくる。やはり戦国武将は怖いよ、全く。
史実でこの平手爺は、信長のうつけ行動に心を痛めて切腹してしまう運命だ。
訓練に一段落した信長ちゃんが、おれを目ざとく見つけ、駆け寄ってきた。
鎧の上に赤い
現代日本でも人気だった姫武将ってやつだ。好みの美少女は見るだけでも幸せになれる。
「殿、ただいま戻りました。森三左(可成)殿は、参ってるようですね。近江の鉄砲鍛治も、おっつけ那古野に参りましょう」
「うむ。大儀なのじゃ」
「即応衆は順調のようですね」
即応衆とは、常備軍のことであり、農家の次男、三男などを金銭にて雇う兵農分離の第一歩。この時代の戦いで大切なのは、質より数。
豊富な経済力を背景に、質で劣ろうとも数で他国を圧倒できるはずだ。
「うむ! 既に兵らの長屋を城下に建てさせている。熱田と津島の商人が是非とも建てさせてくれ、と言ってきたのでな」
断じて……違う。
『是非建てさせてくれ』なんて、生易しいものではない。これからも城下に兵や家族などが集まるため、新しい商売が成り立つ。そのネタを複数の商人にチラつかせて、タダで兵たちの住居を建てさせたに違いない。
「なるほど……」
「兵らの訓練をしているうちに思いついて、三間半(六.三メートル)の
長槍隊の槍を通常より一.八メートルほど長くした、という史実でも信長によって行われたという戦術の改良だ。
そして勝家か。
柴田勝家は、史実で勘十郎信行の家老(重臣)となって、後に信長に帰参する。だが、信行が
兵たちの方を見やると、『それっ、叩けぇぇえ!』と盛んに
勝家は信パパの配下なのに、訓練に混じっているのはなぜだろう。借りてきたのか?
「三間半の長柄……しかし、権六(勝家)殿がどうして?」
「うむ。
姫武将がドヤ顔しているが驚いたなんてものじゃない。
史実でも有効性が認められている通常より長い槍を試作したうえに、配下有力候補の勝家を手なづけているとはな。
なんて信長ちゃんは有能なんだろう。十二歳で、ここまでできると思わなかったぞ。史実の信長以上かもしれない。
「……」
しばし考え込んでしまっていた。
「左近? ど、どうじゃ?」
信長ちゃんが大きな瞳をキラキラさせて見上げている。
なんだろう。ひょっとすると褒めてもらいたいのだろうか。
「さすが殿にございますな。某は感服いたしました!」
「で、あるか!」
姫武将が満面の笑顔で言い放った。
何ですか? この可愛い生き物は? おれも嬉しくなってしまった。
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